真理2:開戦前夜!嘘が嘘を作り上げた!
新王都の中心部は灼熱の炎と黒煙に包まれていた。
集団心理という名の絶対的な狂気だけが、街を支配していた。
暴徒たちは血走った目でゼランディア人の居住区を目指し、手当たり次第に建物を破壊し、略奪を行っていた。
暴徒の一人が奪い取ったばかりの黒パンを貪り食いながら、さらなる獲物を求めて路地裏へと足を踏み入れた、その時である。
高層ビルの屋上から飛び降りたアキラとアスナの腰のナンバーから、それぞれ黄金と青の眩い魔力の光が爆発的に溢れ出す。
アキラの強靭な肉体は黄金の魔力によってさらに強化され、アスナの細い身体は青い魔力障壁によって完全な防御形態へと移行した。
「無駄な殺生を。これ以上の破壊は……俺たちの街、いや、俺に対する明確な冒涜だ」
アキラは静かに呟くと、目にも留まらぬ速度で暴徒たちの中心へと突撃した。
彼の拳は黄金の軌跡を描き、暴徒たちが振り下ろす棍棒や刃物を次々と粉砕していく。
アキラの打撃は決して急所を突かず、しかし確実に相手の戦闘能力のみを奪い去った。
一方のアスナは、戦場の後方から冷静に状況を分析していた。
彼女の青い瞳は暴徒たちの動きを瞬時に計算し、最適な魔法の弾丸を指先から放つ。
「対象の行動パターンは極めて単調。感情の昂りによる大脳皮質の機能低下が見られる。制圧は容易」
アスナの放つ青い光弾は、暴徒たちの膝や足首を正確に撃ち抜き、彼らを次々と地面に這いつくばらせた。
数十分の激しい戦闘の末、暴動の中心地はアキラとアスナの二人の手によって完全に鎮圧された。
二人が戦闘を終えた直後、瓦礫の陰からゆっくりと両手を挙げて歩み出てくる人影があった。
今回の暴動の引き金となった魔獣の幻影騒動の首謀者、ギルガのプロデューサーであるデルドゥーロ・ドクトアであった。
「素晴らしい戦いぶりだったよ、裏社会の英雄諸君。さあ、私は降伏しよう。君たちの圧倒的な暴力の前に、私のような非力な人間が抵抗するなど無意味だからね」
デルドゥーロは柔和な笑みを浮かべたまま、一切の抵抗を見せることなくアキラの前に歩み寄った。
アキラは無言でデルドゥーロの胸ぐらを掴み、その赤い瞳で男の奥底にある狂気を探ろうとした。
「……お前がすべての黒幕か。お前の芝居のせいで、街は火の海だ」
「すべては、新王都のためさ。さあ、正義の気持ちを持ち、英雄になった気持ちで、楽しく、希望に満ちた笑顔で私を警察に突き出したまえ」
デルドゥーロの態度はあまりにも呆気なく、そして不自然なほどに落ち着き払っていた。
「この無抵抗は、論理的ではない。何かが、おかしい」
アスナの嫌な予感は、彼女の高度な演算能力が弾き出した必然の結論であった。
「罠だろうが何だろうが……こいつが主犯であることに変わりはない」
アキラはデルドゥーロを拘束し、駆けつけてきた王都中央警察署の警官たちに男を引き渡した。
警官たちはデルドゥーロをパトカーに押し込み、逃げるように走り去っていった。
デルドゥーロはパトカーの窓越しに、最後までアスナたちに向けて歪な笑みを浮かべていた。
アキラとアスナが歯車通りにあるニルヴァーナの隠しアジトに帰還すると、そこには……すでに最悪の絶望が用意されていた。
アジトの部屋の中心に置かれた巨大な魔導ディスプレイには、新王都の国営放送による緊急のニュース特番が映し出されていた。
ニュースキャスターの興奮した声が、部屋中に響き渡る。
「新王都民の皆様、真実が明らかになりました。先日の暴動は、ゼランディア人による組織的なテロ行為だったのです。そして、その暴動をいち早く予期し、警告を発しようとした善良な新王都人のプロデューサー、デルドゥーロ氏は、ゼランディア系マフィアによって不当に拉致され、拷問の末に偽の自白を強要されていたことが判明しました。デルドゥーロ氏は、新王都政府の超法規的措置により、釈放されました」
ディスプレイには、顔に包帯を巻き、痛々しい姿で車椅子に乗ったデルドゥーロの映像が映し出されていた。
それは、アキラが警察に引き渡した時の無傷の姿とは全く異なる、精巧に作られた偽りの被害者の姿であった。
「続いてのニュースです。『番号持ち』によるテロ行為に対抗するため、『新魔道士』を中心とした民衆による地域自警団『ナンバーレス・ヴェンジェンス』の結成を正式に認可、推奨することを決定しました」
ニュースの内容は、アスナの嫌な予感をはるかに超える、最悪のシナリオの完成を意味していた。
「……物語が、書き換えられている」
アスナは無表情のまま、その事実だけを淡々と口にした。
アキラは拳を強く握りしめ、ディスプレイを睨みつけた。
「ナンバーレス・ヴェンジェンスだと。新魔道士による復讐?……ふざけた名前をつけやがって」
新王都の人口の七割は、本来の魔力を持たない人間や獣人たち、すなわち、外付けのベルトで魔法を使う「新魔道士」たちで占められている。
一方で、新王都で発生する凶悪犯罪の半数は、生まれながらにして体内に魔力を宿す「番号持ち」の人間たちによって引き起こされていた。
番号持ちによる犯罪の増加への対策。それが地域自警団結成の表向きの建前であった。
だが、その真の目的は火を見るよりも明らかだった。
生まれながらの魔力を持つ「番号持ち」の割合が異常に高いのは、かつて新王都に侵略された属国、ゼランディアの血を引く人々であった。
つまり、この自警団の結成は、新王都人によるゼランディア人への合法的な弾圧、徹底的な迫害の開始を意味していたのだ。
「これが奴らの目的だったというわけか」
アキラの声には、深い怒りと共に、どうしようもない徒労感が混じっていた。
新王都の空を貫くようにそびえ立つ、王都魔導規制局・合同庁舎の最上階。
下界の喧騒や炎の匂いなど一切届かないその無機質で静寂に包まれた空間で、デルドゥーロは巨大な窓ガラス越しに新王都の街並みを見下ろしていた。
彼の背後には、新王都政府の警察長官や軍の上層部といった要人たちが並び、皆一様に満面の笑みを浮かべていた。
「見事な手際だったよ、デルドゥーロ君。君の計画は日時も時間も、完璧な精度で完遂された。我々新王都人にとって、忌まわしいゼランディアの寄生虫どもを駆除するための最高の大義名分が完成したのだ」
恰幅の良い長官が、デルドゥーロの肩を叩いて称賛の言葉を贈る。
「すべては新王都の輝かしい未来のためです。あの裏社会の連中も、いい働きをしてくれました。彼らが私を警察に突き出してくれたおかげで、私は悲劇の被害者という完璧な役柄を演じ切ることができたのですから」
デルドゥーロは振り返り、要人たちに向けて芝居がかった一礼をした。
彼らは、グラスを高く掲げ、自分たちの作り上げた血塗られたナラティブの完成を祝って、声高らかに祝杯をした。
その頃。新王都の片隅にある古びたアパートの一室では、底なしの絶望が一人の中年男を飲み込もうとしていた。
ニーアの兄であり、「魔獣襲来」の作者であるギルガ・ヴェル・リータスである。
彼の部屋はすべてのカーテンが閉め切られ、床には書き損じた原稿用紙が散乱していた。
ギルガの頭の中には、絶え間なく人々の非難の声が響き続けていた。
新魔道士からは「社会の秩序を破壊したテロリスト」と罵られ、番号持ちからは「自分たちの立場を悪化させた裏切り者」と憎まれ、ゼランディア人からは「迫害の口実を作った悪魔」と呪われ、新王都人からは「街を火の海にした黒幕」として命を狙われていた。
彼がただ純粋な創作意欲から書き上げたSF小説は、デルドゥーロの悪意によって完全に歪められ、世界を地獄に突き落とすための凶器へと変えられてしまったのだ。
「違う……僕はただ、みんなに面白い物語を読んでほしかっただけなんだ……こんなつもりじゃなかった……」
ギルガは頭を抱え、薄暗い部屋の片隅で震え続けていた。
しかし、その震えは次第に、彼自身の内面にある強烈な自責の念へと変わっていった。
「僕のせいだ。僕がこんな忌まわしい物語を生み出してしまったから、世界は壊れてしまった。僕は生きていてはいけない。いや、死ぬだけでは許されない。永遠に……この、罪の意識に……苦しみ続けなければならない」
鬱病によって極限まで衰弱していたギルガの精神は、ついに完全に崩壊した。
彼は部屋の中心に、忌まわしい禁術の魔法陣を描き始めた。
それは、自らの魂を現世に縛り付け、肉体が死滅した後も永遠に地獄の業火に焼かれるような激痛と後悔を味わい続けるという、「永久拷問の呪い」であった。
魔法陣が完成し、不吉な赤い光を放ち始めた時、ギルガは迷うことなく天井の梁に太いロープを掛けた。
「ニーア……ごめんね……」
それが、彼の最期の言葉だった。
ギルガは自らの首にロープをかけ、足元の椅子を蹴り倒した。
骨が砕ける鈍い音と共に、彼の肉体は絶命した。しかし、彼の魂は呪いによって身体から離れることを許されず、永遠の苦しみの中へと落ちていった。
……彼は死後もなお、その激痛と絶望に苛まれ続けている。
翌朝、ギルガの自殺のニュースは瞬く間に新王都全域に報道された。
そのニュースを見た誰もが、歓喜の声を上げた。
新王都人も、ゼランディア人も、新魔道士も、番号持ちも、すべての人間が「罪を認めた黒幕の死」と信じて疑わず、彼の死を盛大に祝ったのだ。
ニルヴァーナのアジトでその報道を見たニーアは、その場に崩れ落ちた。
「あああああああああっ!お兄ちゃんっ!なんで、なんでよぉぉぉっ!」
ニーアの金色の極太の尻尾が、悲しみのあまり彼女自身の身体に固く巻き付き、まるで自分を抱きしめるように震えていた。
彼女は床に這いつくばりながら、獣のような慟哭の声を上げ続けた。
アスナは、狂乱するニーアの姿と、画面の向こうでギルガの死を喜ぶ民衆の姿を交互に見つめながら、ただ唖然として立ち尽くしていた。
「これが、人間の……底なしの悪意……」
アスナの超高度な論理回路は、この事象を処理することを……拒絶していた。
この世界はすでに、狂気が百パーセントを占める絶望の淵へと沈み込んでいた。
そして。
新王都の地下深く、暗闇に包まれた宗教法人墓守教のアジト。
無数の思考蟲が蠢くその中心で、教団のすべてを統べる「導師」は、ギルガの死と街の混乱のニュースを情報空間から感知していた。
しかし、導師は一切の言葉を発することなく、ただ不気味な沈黙を保ち続けていた。
その沈黙の傍らで。
導師の隣に控えていたあの老夫婦は、皺くちゃの顔に醜悪な笑みを浮かべながら、手にした煎餅をボリボリと下品な音を立てて噛み砕き、心底嬉しそうにこの世界の破滅を喜んでいた。
「素晴らしいわ。もうすぐ、必ず、戦争が起きるわ。ねえ、ケンジ」
「ああ。進化の果ての破滅に、これで一歩近づいた。嬉しいね、アリア」
新王都の夜空には、平和の終わりを告げるような、冷たい雨が降り注ぎ始めていた。




