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ヴェリタスの最終定理 完結篇  作者: リウ/Wan Liyue
●第17章:NV ナラティブ・ヴェリタス

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真理6:事実の列挙と、都合の良い解釈!

新王都の地下深く、迷宮のように入り組んだ旧時代の廃地下鉄網を改修した空間。そこが、指定暴力団であり、この狂った街の裏社会を牛耳る巨大マフィア組織「ニルヴァーナ」のメインアジトであった。

重厚な防爆扉が低い駆動音を立てて閉ざされ、冷たい雨と血の匂いに塗れた外界からの完全な隔離が完了した瞬間、静寂に包まれていた巨大なエントランスホールに、甲高い足音が響き渡った。


「アスナ……ッ!」


豪奢な真紅の絨毯をヒールの踵で踏み荒らしながら、血相を変えて駆け込んできたのは、ニルヴァーナの絶対的支配者であるボス、ヴィルゴ・ライ・リーアであった。

透き通るような褐色の肌に、流れるような美しい銀髪。そして、深海のように冷たく、しかし今は激しい焦燥に揺れ動いている青い瞳。大賢者エラーラ・ヴェリタスの老いた姿にも見える彼女は、周囲に控える屈強なマフィアの幹部たちを払いのけ、一直線にアスナの元へと歩み寄った。

すぐ傍らでは、ハイウェイで両手足を失い、致死量の血液を流して瀕死の状態にあるニーアが、アキラの手下である数十名の高位治癒魔導士たちに取り囲まれ、緊急の蘇生術式を施されている最中であった。空間を埋め尽くすほどの眩い緑色の治癒光が明滅し、千切れた血管や神経、筋肉組織が、莫大な魔力リソースを消費しながら強制的に再構築されていく。ニーアの喉からは、麻酔すら追いつかない激痛による掠れた絶叫が漏れ続けており、その凄惨な光景は、熟練の裏社会の住人たちでさえ目を背けたくなるほどの地獄絵図であった。

しかし、ヴィルゴの視界には、その哀れな狐獣人の姿など一切入っていないかのようだった。


「アスナ、怪我は。呪いの侵食は受けていないか。あの怪異の思念に触れはしなかったか」


ヴィルゴは、震える両手でアスナの細い肩を力強く掴み、その冷徹な青い瞳でアスナの全身を穴の開くように見回した。彼女の声音には、巨大組織のボスとしての冷酷な威厳は微塵もなく、ただ純粋な、狂気的なまでの保護欲だけが剥き出しになっていた。

アスナは、いつも通りの無表情を崩すことなく、極めて淡々とヴィルゴの目を見つめ返した。


「私の身体機能に一切の損傷はない。呪いの波長による精神汚染も、完全に遮断されている。それよりも、ニーアの蘇生を……」


「アスナが無事なら、それでいい……」


アスナの言葉を冷酷に遮り、ヴィルゴは深く、本当に深く安堵のため息を吐き出した。その異常なまでの執着。相棒が目の前で肉体を再構築される激痛に悶え苦しんでいるというのに、ヴィルゴにとっての世界の中心は、ただ、アスナ・クライフォルトという一人の少女の安全のみに集約されていたのだ。アスナの論理回路は、このヴィルゴの偏執的な感情のベクトルを静かに記録し、一つの巨大な仮説の補強材料として情報空間の奥底に保管した。


それから、二日の時間が経過した。

アキラの手下たちの不眠不休の治癒魔法と、再生医療の果てに、ニーアは奇跡的に両手足の完全な再構築を果たし、深淵の淵から蘇生を遂げた。

失われた右腕と左足は、かつての狐獣人のしなやかな肉体と全く遜色のない状態にまで回復していたが、魂に刻み込まれた恐怖の記憶だけは、いかなる魔法を以てしても消し去ることはできなかった。ベッドの上で目を覚ましたニーアは、自分の四肢が繋がっていることを確認すると、ただ、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


ニーアの精神が落ち着きを取り戻し、自力で歩行できるようになった頃。

アジトの奥深くにある執務室に、アスナとニーアは呼ばれた。

部屋には、彼女たちを絶体絶命の危機から救ったアキラが、葉巻の煙を燻らせながら深くソファに腰を下ろしていた。彼は、静かに二人を促して向かいの席に座らせると、重い口を開いた。


「まず……この狂った世界の根源を、知る必要がある」


アキラの低い声が、静寂の執務室に響き渡る。


「三十年前の出来事だ。お前たちも歴史の授業で習った程度の知識はあるだろうが、現実はもっと、凄惨だった。世界そのものの概念が消失し、あらゆる物質と記憶が白い灰となって崩壊していく未曾有の危機、『白紙化』現象。大地はひび割れ、狂乱した地脈からは無限の魔獣の大群が地上へと溢れ出した。さらに、その混乱に乗じた暴徒たちの略奪、未知の疫病の蔓延。それは、人類が絶滅を覚悟するほどの、文字通りの終末だった」


アキラは葉巻の灰を落とし、冷酷な真実を紡ぎ続けた。


「その絶望的な戦時下において、かつての大国であった『王都』は、隣接する小国『ゼランディア』と共同戦線を張るという名目で、強固な軍事同盟を結んだ。ゼランディアは小国ながらも、優秀な魔導技術と豊かな地脈の恩恵を持つ美しい国だった。彼らは王都の要請に応え、自らの国の防衛を後回しにしてまで、王都を襲う厄災を鎮めるために全力で協力したのだ」


アキラの瞳の奥に、暗く燃えるような憎悪の炎が宿る。


「だが、王都の権力者たちは、人間という生き物の最も醜悪な部分を煮詰めたような存在だった。彼らは、『飛竜』の自己犠牲によって白紙化の危機が去り、厄災が鎮まりつつあるその最も油断した瞬間に、裏切ったのだ。『魔獣鎮圧の支援』という大義名分を掲げてゼランディアの国境を越えた王都の正規軍は、そのままゼランディアの首都を急襲し、武力による完全な占領と虐殺を行った。恩を仇で返す、最も卑劣な侵略行為。そうしてゼランディアの豊かな土地と魔導技術を不当に簒奪し、領土を強引に拡大した巨大国家こそが、現在のこの『新王都』の正体だ」


ニーアは息を呑み、自らの手で口を覆った。歴史の教科書には、ゼランディアは魔獣の襲撃によって滅び、王都がその難民を慈悲深く受け入れて併合したと記されている。だが、真実は全くの逆だったのだ。

アスナは無表情のまま、冷めたコーヒーを一口飲んだ。彼女の論理回路は、人間の果てしない欲望と残虐性を見事に計算式に組み込んでいた。


「俺たちニルヴァーナの創設メンバーは、そのゼランディアの生き残りと、その血を引く者たちだ」


アキラは真っ直ぐにアスナとニーアを見据えた。


「俺たちは、ゼランディア系のマフィア組織だ。俺たちの目的は、新魔導士や、社会から排斥された『番号持ち』たちが、かつてのゼランディアのように、あるいは、狂う前の王都のように、平穏に生きられる保守的な世界を構築すること。同時に、俺たちには、故郷であるゼランディアを血の海に沈めたこの『新王都』という巨大な偽りのシステムに対する、絶対的な破壊と復讐の意志がある」


アキラの告白は、新王都の治安維持組織から見れば、問答無用で極刑に処されるほどの、これから行う重罪の宣言であった。


「そして、俺たちニルヴァーナと現在、血みどろの抗争を繰り広げている最大の敵対組織。それが、『思考蟲』と呼ばれる異形の精神寄生体によって運営されている宗教法人『墓守教』だ」


アキラがその名を口にした瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥った。


「墓守教は、表向きは番号持ちの完全なる保護と解放を掲げている。だが、奴らの真の目的は『リベラルの極み』だ。人間という種の限界を突破し、道徳も倫理もかなぐり捨てた自由な進化と発展の果てに、すべての生命の思考が最適化され融合し、自我を消失させること。すなわち、進化の果ての『自発的な滅亡』を願う、狂気に満ちた破滅主義の団体だ。ユリカのような『ナラティブ』を持たない純粋な怨念を怪異として暗躍させ、新王都のインフラを破壊しているのも、奴らの仕業に他ならない」


アキラはそこで一度言葉を切り、深く息を吸い込んだ。


「だが、俺たちニルヴァーナと、憎むべき敵である墓守教には、たった一つだけ、決定的な共通点が存在する。……墓守教を創設した導師もまた、ゼランディア系の生き残りなのだ。俺たちは同じ故郷を奪われた者同士でありながら、片方は平穏と復讐を望み、もう片方は世界そのものの完全な滅亡を望んで、殺し合っている。これが、新王都の底なしの闇の構図だ」


アキラの解説が終わり、執務室に重苦しい沈黙が降りた。

ニーアは、ただ呆然と、己の膝を見つめることしかできなかった。


しかし、アスナの青い瞳だけは、暗闇の中で獲物を狙う鷹のように、鋭く冷徹な光を放っていた。彼女は、アキラの言葉の裏側に隠された、誰も口にしていない「もう一つの巨大な共通点」を、完璧な精度で導き出していたのだ。

三十年前、世界を救うために命を散らしたとされる大賢者エラーラ・ヴェリタス。

まず、そもそも。エラーラ・ヴェリタスの生まれ故郷は、ゼランディアのスラム街である。

警察の極秘データベースに残されていた交戦記録によれば、大賢者エラーラは、当時すでに活動を開始していた墓守教の初代導師と激突し、壮絶な魔導戦の果てに相打ちになったとされている。

そして、そのエラーラと瓜二つの容姿を持ち、アスナに対して異常なまでの執着を見せるニルヴァーナのボス、ヴィルゴ・ライ・リーア。

ヴィルゴという名前はおそらく、いや、間違いなく、組織を欺き、世界を欺くための偽名であろう。

ヴィルゴ・ライ・リーアこそが、三十年前の大賢者エラーラ・ヴェリタス……なのではないか。

だからこそ、彼女は故郷を蹂躙した新王都を憎み、同時に墓守教という破滅の教団と終わりなき抗争を続けているのではないか。

アスナがその確信に近い推論を脳内で組み上げた、まさにその時だった。

執務室の重厚な扉が音もなく開き、ヴィルゴが静かに姿を現した。

ヴィルゴはゆっくりと歩み寄り、アスナの正面のソファに腰を下ろした。彼女の銀髪が、薄暗い照明の中で神秘的な光を放っている。

そして、アスナの思考の深淵を見透かしたかのように、ヴィルゴが不意に、しかし極めて重々しい声で沈黙を破った。


「エラーラ・ヴェリタスという魔導士を、知っているかな」


それは、尋問でもなく、世間話でもない。自らの魂の最も深い傷口を晒すような、切実な問いかけであった。

アスナは、一瞬だけコーヒーカップを持った指先の動きを止めた。彼女の論理回路が、この問いに対する最適解を瞬時に弾き出す。ここで下手な小細工は通用しない。

アスナは、ヴィルゴの青い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「記録で読んだ程度の知識しか持ち合わせていません。……ですが、三十年前に、世界を救うために戦った、素晴らしい魔導士だったと聞いています」


アスナの淀みない回答に、ヴィルゴの瞳の奥で、微かな、しかし決定的な悲哀の色が揺らめいた。


「……素晴らしい、か」


ヴィルゴは自嘲するように薄く笑い、視線を天井の虚空へと向けた。


「歴史というものは、常に勝者によって都合よく改ざんされる。彼女は決して、そんな高潔な英雄などではなかった。ただの、愚かで、哀れで、何も守ることができなかった無力な女だ。彼女は、信じた者たちに背中から刺されながら、たった一人でこの残酷な世界に立ち向かうしかなかった」


ヴィルゴの言葉は、まるで自分自身の肉を引きちぎって吐き出しているかのように、重く、血を流していた。


「そして彼女は、最後の最後に、自分が愛したすべてを……世界の未来を、一頭の『飛竜』に託して、表舞台から完全に、姿を消したのだよ」


飛竜。


アスナは、自らの内に生じた強烈な郷愁と、真実への渇望を抑えきれず、静かに、しかし刃のように鋭い問いを投げかけた。


「エラーラ・ヴェリタス。……彼女は、今も生きていますか?」


それは、言葉通りの意味ではない。

アスナが問うているのは、「あなたは、エラーラ・ヴェリタスとしての自分を、今も生きているのか」という、ヴィルゴの魂の在り処に対する根源的な問いであった。

もし彼女がエラーラであるならば、なぜ三十年もの間、姿を隠し、マフィアのボスとして血塗られた道を歩んでいるのか。なぜ、あの惨劇を生き延びながら、世界を救済しなかったのか。

ヴィルゴは、アスナのその問いの真意を完全に理解していた。

彼女はゆっくりと視線をアスナに戻し、その深海のような青い瞳に、一切の感情を排した絶対零度の光を宿して、短く答えた。


「私が殺した。」


冷たく、乾いた宣告だった。

それは、生物学的な死を意味する言葉ではないようだった。

アスナの超高度な論理回路は、その言葉に込められた壮絶な意味を瞬時に解読した。

ヴィルゴは、大賢者として世界を救おうとした理想主義者「エラーラ・ヴェリタス」という過去の自分自身を、自らの手で完全に葬り去ったのか。

故郷を奪われ、すべてを失った絶望の中で、彼女は甘い理想を捨て、悪に染まり、新王都を内側から破壊するための復讐鬼「ヴィルゴ・ライ・リーア」として生まれ変わったのか。

いずれにせよ、ひとつだけ、紛れもない真実があった。

大賢者エラーラ・ヴェリタスは、三十年前のあの日に、間違いなく死んだのだ。

ヴィルゴ・ライ・リーアの手によって。

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