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【6位】ヴェリタスの最終定理 PART5/NV  作者: リウ/Wan Liyue
●第17章:NV ナラティブ・ヴェリタス

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真理2:初めての戦い!

完全な暗闇に閉ざされたヴェリタス探偵事務所の冷たい空気の中、凄惨な水音が頭上から響いた直後だった。

一切の予備動作も、風切り音すらもなく、天井に張り付いていた異形の怪物がアスナの細い身体へと飛びかかった。アスナの驚異的な反射神経を以てしても、それは完全に初動を見失うほどの、物理法則を無視した超常の速度であった。

怪物の、泥と乾いた血にまみれたひしゃげた両手が、アスナの華奢な首元に深く食い込む。


「……ッ!」


アスナの喉から、声にならない苦悶の息が漏れた。

その力は、鋼鉄の万力などという生易しいものではない。巨大なプレス機で直接頸椎を圧壊されるかのような、圧倒的で絶対的な暴力。

振りほどこうと両手を怪物の腕に添えるが、岩盤のように硬直したその肢体は、ミリ単位すら動かすことができなかった。竜人としての彼女の膂力すらも完全に凌駕する、怨念という名の無限のエネルギーがそこには凝縮されていた。

誰にも助けを呼ぶことができない。

通信デバイスを作動させる指先の余裕すら、今の彼女には残されていなかった。

真の恐怖は、物理的な窒息ではなかった。

首を絞め上げる怪物の皮膚越しに、あるいはその赤く発光する濁った瞳孔を通じて、ユリカという少女のどす黒い「思念」が、アスナの脳髄へと直接、津波のように雪崩れ込んできたのだ。


『痛イ』


『冷タイ』


『助ケテ』


それは、言語を絶する悲しみの奔流だった。

アスナの意識は強引に肉体から引き剥がされ、数年前の冷たい雨が降るスラムの路地裏へと突き落とされた。

手足が動かない絶望。這いつくばる泥水のひどい味。腹を空かせた魔獣の汚い牙が、自分の細い腕に食い込み、肉を引き裂き、骨を砕く、その鮮明すぎる激痛。

そして、その凄惨な地獄の光景を取り囲みながら、誰も助けようとせず、ただ薄ら笑いを浮かべて携帯端末のカメラを向ける、無数の大人たちの無関心な眼差し。

「見て見ぬふり」という、世界で最も残酷な暴力。

ユリカの魂が感じたその絶対的な孤独と絶望が、アスナの人工的な心臓部を直接鷲掴みにし、激しく揺さぶった。

凡人であれば、あるいは並の精神力しか持たない人間であれば、この思念に触れた瞬間、自らの自我を粉々に破壊されていただろう。


『自分には、生きる価値などない』


『こんな残酷な世界は、見捨てるべきだ』


そうやって、生きるという行為そのものを自ら放棄し、怨嗟の泥海へと永遠に沈んでいくに違いない。それほどまでに、ユリカの抱えた悲しみは深く、重く、そして純粋な猛毒であった。


しかし、アスナは凡人ではなかった。


彼女の奥底には、冷徹な論理回路と共に、人間という存在の無限の可能性を信じる、強靭な精神が宿っていた。

確かに、この新王都は狂っている。弱者を踏みにじり、見て見ぬふりをする大人たちが蔓延る、救いようのないシステムだ。ユリカを殺したのは、間違いなくそのシステムの冷酷さである。


だが、それでも。


泥にまみれ、不自由な体を引きずりながらも、さらに弱い子供たちを守るために牙を剥いて戦い続けたユリカ自身の過去。それは、どれほどの絶望の淵にあっても決して失われなかった、人間の気高き魂の証明ではないか。

愚かで、残酷で、矛盾に満ちた世界。しかし、その泥の中から立ち上がろうとする命の輝き、すなわち人間賛歌の響きを、アスナは誰よりも深く理解していた。

そしてアスナ自身にも、決して失うわけにはいかない大切な日常がある。

いつもくだらないことで笑い合い、共に背中を預けて戦うニーア。温かい珈琲。甘いドーナツ。そして、彼女が守り抜かなければならない、大切な仲間の待つ、帰るべき場所。

昨日、路地裏で死にゆく少年を見て見ぬふりをしてしまった自分の罪は、決して消えることはない。一生背負い続けなければならない業だ。しかし、だからといって、ここでこの哀れな怨念に呑まれて死ぬことなど、絶対に許されない。

私は生きて、この歪んだ世界の真実を見届け、そして守るべきものを守り抜くのだ。

アスナの青い瞳の奥で、消えかかっていた生命の炎が、爆発的な輝きを取り戻した。


「……あなたが何者なのかは知らないけれど、私はここで死ぬわけにはいかない…………!」


アスナの魂の叫びは、彼女の細胞の隅々にまで強烈な指令として行き渡った。


「…………着装!」


その瞬間だった。

ヴェリタス探偵事務所の暗闇を、目も眩むような白銀の閃光が切り裂いた。

アスナの首を締め上げていた怪物ユリカが、その超高熱のエネルギーの奔流に耐えきれず、悲鳴を上げて弾き飛ばされる。

光の渦の中で、アスナの姿は劇的な変貌を遂げていた。

小柄だった少女の体躯は、美しくも力強い、成熟した大人の女性へと一瞬にして成長し、拡大した。彼女の背中からは、夜の闇を切り裂くような巨大で荘厳な竜の双翼が勢いよく広がり、腰の奥からは、鋼鉄をも容易く粉砕する極太の竜の尻尾が顕現する。

頭部に生えた黒色の角は王冠のように気高くそびえ、彼女の特徴であった黒髪は、莫大な魔力によって重力を忘れ、虚空に揺らめいていた。

それは、ニーアにすら見せたことのない、アスナの真の姿。

純粋な破壊と守護の象徴。

圧倒的な存在感を放つ、神々しいまでの飛竜の顕現であった。


「……ガァァァァァァッ!」


弾き飛ばされたユリカが、壁に激突しながらもすぐさま体勢を立て直し、四つん這いの姿勢から再びアスナの喉笛を掻き切ろうと、血走った赤い目を剥いて跳躍してきた。

しかし、次元の違う力を解放したアスナにとって、その動きはもはや止まって見えるほどに遅かった。

アスナは一切の表情を変えることなく、空中で怪物の首根っこを、今度は自らの巨大な竜の腕でわし掴みにした。


「……あなたの悲しみは、理解した。だが、あなたの怨念が向かうべき場所は……ここではない!」


アスナはユリカを深く握りしめたまま、背中の双翼を大きく羽ばたかせた。

凄まじい暴風が事務所内を吹き荒れ、残されていた家具や書類が竜巻のように宙を舞う。

次の瞬間、アスナは巨大な推進力と共に、事務所の窓ガラスへ向かって一直線に突進した。

分厚い強化ガラスが、大砲の直撃を受けたかのように粉々に砕け散り、無数のクリスタルの破片となって冷たい夜雨の降る新王都の空中へと撒き散らされた。


外は、土砂降りの雨だった。

アスナは怪物の身体を掴んだまま、新王都の摩天楼が林立する夜空を垂直に急上昇していく。地上から吹き上げる冷たい風と雨粒が、彼女の白銀の鱗と肌を打ち据えるが、彼女の纏う圧倒的な熱量によって、雨粒は触れる端から白い蒸気となって消滅していく。

遥か上空、雲を引き裂くような高度に達したところで、アスナは掴んでいたユリカの身体を、無慈悲に、しかしどこか祈るような静けさをもって、眼下の薄暗い路地裏へと投げ捨てた。

怪物の身体が、重力に従ってきりもみ状態で落下していく。

アスナはその場にホバリングし、巨大な双翼をゆっくりと羽ばたかせながら、眼下の情景を見下ろしていた。

雲の切れ間から差し込んだ奇跡のような月光が、彼女の白銀の鱗と、青く燃える瞳を照らし出す。その姿は、おぞましい魔獣やマフィアが跋扈するこの薄汚れた新王都において、あまりにも異質で、あまりにも美しく、そして絶対的な神性を帯びていた。


地上の石畳に激突したユリカが、濛々と立ち上がる土煙の中から、四肢を異様な角度に曲げながらも再び立ち上がるのが見えた。不死身の怨念は、どれほどの物理的ダメージを与えようとも、その憎悪の炎を消すことはない。

怪物は、遥か上空に浮かぶ神々しい飛竜に向かって、裂けた赤い口から天を衝くような咆哮を放ち、周囲の建物の壁を蹴り砕きながら、信じられない跳躍力でアスナに向かって一直線に疾走、あるいは飛翔してきた。

アスナは、自らに向かってくるその哀れで狂おしい怨念の塊を、静かな青い瞳で見据えた。

憎しみはない。あるのは、この不条理な魂の連鎖を断ち切らなければならないという、絶対的な義務感だけだった。

アスナはさらに高度を上げると、天空の頂に君臨するように両手を広げ、自らの体内にある無尽蔵の地脈エネルギーを一点に収束させ始めた。

周囲の大気が急激に膨張し、悲鳴のような風切り音を立てる。

冷たい雨が、アスナの周囲数十メートルの範囲で完全に蒸発し、真空の球体が形成されていく。

彼女の開かれた両手の間に、眩い白熱の火炎弾が顕現した。

それは、新王都の一区画を容易く灰燼に帰すほどの、アスナの最大出力の攻撃魔法であった。


「……絶望の記憶ごと、燃やし尽くす!」


アスナは、迫り来る怪物に向かって、その超高熱の火炎弾を無造作に、そして正確に撃ち放った。

閃光。

火炎弾は、空中でユリカの怪物の身体を完全に包み込み、そのまま地上へと一直線に叩きつけられた。

次の瞬間、新王都の夜空を昼間のように照らし出す、巨大な爆発が巻き起こった。

凄まじい熱波と衝撃波が、雨雲を吹き飛ばし、周囲の建物の窓ガラスを一斉に粉砕する。轟音が新王都の隅々にまで轟き渡り、大地が怯えた獣のように激しく震動した。

やがて、目を焼くような光が収まり、爆煙が、夜風に吹かれてゆっくりと晴れていく。

アスナが眼下の石畳を見下ろすと、そこには、ガラス化した巨大なクレーターだけが残されていた。

アスナは深く息を吐き出し、雨の上がった夜空へと溶けるように姿を消した。


一方、その頃。

凄まじい爆発音と閃光に驚き、新王都の住人たちが次々と家から飛び出し、あるいは大通りの物陰から、その夜空の光景を遠巻きに目撃していた。

彼らの目に映ったのは、ヴェリタス探偵事務所の事務員であるアスナの姿ではなかった。彼らが見たのは、圧倒的な力で悪しき怪物を一撃で消し去った、白銀に輝く巨大で神々しい竜のシルエットだった。

群衆の中から、誰かが震える声で呟いた。


「……飛竜だ……」


その声は、たちまち周囲に伝播し、熱狂的なさざ波となって広がっていった。


「伝説の飛竜だ!」


「新王都を破滅から救った、あの飛竜が再誕したんだ!」


「飛竜が、我々をお救いくださった!」


人々は興奮と畏敬の念に打たれ、泥だらけの地面に膝をつき、夜空に向かって祈りを捧げ始めた。彼らは、その飛竜が誰であるかなど知る由もない。ただ、自らの無力な生を肯定し、守ってくれる絶対的な英雄の復活という、神話の再来に熱狂していたのだ。

だが、その狂乱の群衆の中に、ただ一人だけ、全く別の感情を抱いて天空の残滅を見つめている者がいた。

周囲の人間が歓喜の涙を流して祈る中、その初老のライオン獣人は、ボロボロの衣服を雨に濡らしながら、信じられないほどの憎悪と怒りに満ちた黄色い瞳孔を、見開かれる限界まで見開いていた。

彼のかつて立派だった黄金色の鬣は泥に塗れ、その精神は完全に崩壊しているはずだった。しかし、あの白銀の飛竜の姿を見た瞬間、彼の狂気に満ちた脳髄の中で、すべての歯車が恐ろしいほどの精度で噛み合い、一つの巨大な殺意へと収束していった。

バー「奥泉」で、ニーアに意味不明な言葉を投げかけていた狂人。

かつて新王都を救うために世界を破滅させようとし、そのすべてを竜に奪われたと信じて疑わない、堕ちた天才。

リオン・ゴルドファングは、両手で自らの顔を掻きむしり、指先から血を流しながら、歓喜の群衆の祈りの声を掻き消すほどの、凄絶で濁りきった絶叫を夜空に響かせた。


「飛竜!……やつを倒さなくちゃ、ぼくは……まだ死ねないんだッ!」

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