第6章:銀髪の女
三日間は、あっという間に過ぎた。
セロスは、その間ほとんど宿に引きこもっていた。装備を確認し、剣の手入れをし、そして——ペンダントを見つめていた。
蒼い宝石は、相変わらず微かに光っている。時々、温かくなる。まるで生きているかのように。
(アストラル)
夢で聞いた名前。古代王の名前。
セロスは、王都の図書館で調べようとした。しかし、古代の記録はほとんど残っていない。あったとしても、一般人が読める場所にはない。
結局、何も分からなかった。
そして——三日目の朝が来た。
セロスは、いつもより早く目を覚ました。窓の外は、まだ薄暗い。朝焼けが空を染め始めている。
準備を整える。剣、ランタン、ロープ、水筒。そして、母からもらった布切れを、ポケットに仕舞った。
(行くか)
深呼吸をする。
北門へ向かう。
王都の朝は静かだった。まだ多くの店は閉まっている。通りを掃除する人々の姿が、ちらほら見える。
北門に着いたのは、約束の時間より十分早かった。
門の前には、既に——彼女がいた。
イヴェイン。
銀髪が朝日を受けて、白金のように輝いている。黒と銀の探索者装備は、実用性と美しさを兼ね備えている。腰には、細身の剣。背中には、小さな弓。
彼女は、壁に寄りかかって待っていた。
セロスの足音に気づき、顔を上げる。
金色の瞳が、セロスを捉えた。
「早いのね」
イヴェインが言った。感情の見えない声。
「......すみません」
セロスは、なぜか謝っていた。
イヴェインは、小さく首を傾げた。
「謝ることじゃないわ。時間を守れない人間より、よほど良い」
彼女は壁から離れ、セロスに近づいた。
そして——セロスをじっと見つめる。
観察するような目。
値踏みするような目。
セロスは、居心地が悪くなった。
「何か......?」
「装備の確認よ」
イヴェインは、淡々と言った。
「剣——安物だけど、手入れはされている。ランタン——問題なし。ロープ——短いけれど、まあ使える。水筒——満タン。良いわ」
彼女は、セロスの装備を一瞥しただけで、全てを把握した。
「でも、防具がないわね」
「......買う金が」
「そう」
イヴェインは、それ以上何も言わなかった。同情もない。ただ、事実を確認しただけ。
「今日の依頼は?」
セロスが聞いた。
イヴェインは、腰の袋から羊皮紙を取り出した。
「『囁きの森』の調査。古代遺跡の可能性がある洞窟が発見された。探索して、遺物があれば回収。ランクはC」
「Cランク......」
セロスのランクでも、受けられる。しかし——
「なぜ、あなたが? Aランクなら、もっと高い依頼が——」
「私の都合よ」
イヴェインは、羊皮紙を仕舞った。
「それとも——私と組むのが嫌?」
「いえ、そういうわけでは」
「なら、行きましょう」
イヴェインは、さっさと歩き出した。
セロスは、慌てて後を追った。
『囁きの森』は、王都から北へ半日の距離にあった。
二人は、無言で歩いた。
イヴェインは、前を歩く。セロスは、その後ろを数歩遅れてついていく。
時々、イヴェインが振り返る。セロスが遅れていないか確認するように。
でも、何も言わない。
(この人は......何を考えているんだろう)
セロスは、イヴェインの背中を見ながら考えた。
なぜ、自分と組んだのか。
本当に——本当に、「気になった」だけなのか。
それとも——
胸のペンダントが、微かに熱くなった。
まるで、警告するかのように。
昼過ぎ、二人は森の入口に着いた。
『囁きの森』——その名の通り、風が吹くたびに、木々が囁くような音を立てる森だ。
「ここから先は、注意して」
イヴェインが、初めて話しかけてきた。
「この森には、魔物が出る。弱い魔物だけど、油断すると危険よ」
「分かりました」
セロスは、剣に手をかけた。
イヴェインは、セロスをちらりと見た。
「剣の構え——自己流ね」
「......はい」
「でも、悪くない。実戦で磨いた構え」
それは——褒め言葉だったのだろうか。
セロスには、分からなかった。
二人は、森に入った。
木々が鬱蒼と茂り、陽光が届きにくい。湿った土の匂い。鳥の鳴き声。
そして——時々、何かが動く気配。
「止まって」
イヴェインが、突然立ち止まった。
セロスも、足を止める。
「......左」
イヴェインが囁いた。
セロスは、左を見た。
茂みの中に、何かがいる。
緑色の、蜥蜴のような——いや、違う。
もっと大きい。
魔物だ。
「フォレストリザード」
イヴェインが言った。
「毒を持っている。噛まれないように」
魔物が、茂みから飛び出した。
口を開け、牙を剥く。
セロスは——反射的に剣を振った。
速い。
以前より、明らかに速い。
剣が、魔物の首を捉える。
一閃。
魔物の頭が、地面に落ちた。
体が、どさりと倒れる。
セロスは、自分の手を見た。
(俺が......やった?)
「良い反応ね」
イヴェインの声。
彼女は、セロスの動きを見ていた。
金色の瞳が、何かを見抜こうとするように。
「前より......速くなってる」
「え?」
「あなたの動き。ギルドで見た時より、明らかに速い」
イヴェインは、セロスに近づいた。
そして——
セロスの胸を、じっと見た。
シャツの下。
ペンダントがある場所。
「......何か、持ってるわね」
セロスの心臓が、跳ねた。
「な、何も——」
「嘘をつくのは下手ね」
イヴェインは、微かに笑った。
初めて見る、彼女の笑み。
冷たいけれど——どこか、悲しげな笑み。
「いいわ。今は聞かない」
彼女は、セロスから離れた。
「でも、いずれ——話してもらうわよ」
セロスは、何も言えなかった。
(この人は......知っている)
(ペンダントのことを)
(俺が......何を持っているのかを)
不安が、セロスの心を満たす。
しかし——
イヴェインは、それ以上何も聞かなかった。
ただ、「行きましょう」と言って、先に歩き出した。
洞窟は、森の奥深くにあった。
岩肌に開いた、暗い穴。
「ここね」
イヴェインが、洞窟の入口を確認した。
「中を探索する。私が先行するわ。あなたは後ろから」
「分かりました」
二人は、洞窟に入った。
ランタンを掲げる。光が、狭い通路を照らす。
壁には、古代文字が刻まれている。
「これは......」
イヴェインが、文字を見て小さく息を呑んだ。
「何か?」
「......古代語ね。珍しいわ」
彼女は、文字を読もうとした。
しかし——
「読めない」
「あなたでも?」
「完全には。断片的にしか」
イヴェインは、文字から目を離した。
「でも——これは、警告文のようね」
「警告......?」
「『この先に進むな』『封印されし者眠る』——そんな内容」
セロスの胸のペンダントが、強く脈打った。
まるで——
まるで、反応しているかのように。
「大丈夫?」
イヴェインが、セロスを見た。
「顔色が悪いわ」
「......大丈夫です」
セロスは、嘘をついた。
大丈夫ではない。
ペンダントが、熱い。
そして——頭の中に、声が聞こえる気がした。
『進メ』
『進ムノダ』
誰の声?
アストラルの声?
「セロス」
イヴェインの声で、セロスは我に返った。
「ここで待ってて。少し先を確認してくるわ」
「一人で?」
「あなたは、体調が悪そうだから」
イヴェインは、セロスの返事を待たずに進んでいった。
残されたセロス。
暗闇の中。
ランタンの光だけが、彼を照らす。
『進メ』
また、声。
セロスは、頭を振った。
(やめろ......)
『オマエニハ ワカルハズダ』
『コレガ ナンナノカ』
「何を......言ってる?」
セロスは、呟いた。
その時——
奥から、叫び声。
イヴェインの声だ。
「イヴェイン!」
セロスは、走り出した。
通路を駆ける。
曲がり角を曲がる——
そこには。
イヴェインが、剣を構えて立っていた。
そして、彼女の前には——
石像。
巨大な、石でできた戦士の像。
それが——動いていた。
「ゴーレム!」
イヴェインが叫んだ。
「下がって!」
しかし——
ゴーレムの拳が、イヴェインに迫る。
彼女は、それを避けた。しかし——
狭い通路。避ける場所が少ない。
次の攻撃が来る。
イヴェインが——
間に合わない。
その瞬間——
セロスは、走っていた。
考えるより先に、体が動いた。
「イヴェイン!」
セロスは、彼女の前に飛び出した。
ゴーレムの拳。
セロスは、剣を構えた。
防げるはずがない。
しかし——
ペンダントが、爆発的に輝いた。
蒼い光が、セロスを包む。
そして——
セロスの剣が、輝いた。
拳と、剣が、ぶつかる。
轟音。
衝撃波が、通路を走る。
しかし——
セロスは、吹き飛ばなかった。
ゴーレムの拳を——
受け止めていた。
「な......」
イヴェインの、驚愕の声。
セロスも、驚いていた。
(俺が......?)
(このゴーレムの攻撃を......?)
ペンダントが、熱い。
力が、溢れてくる。
『ヤレ』
声が、命じる。
『コイツヲ ハカイシロ』
セロスは——従った。
剣を振る。
蒼い光の刃が、ゴーレムを切り裂いた。
一撃。
二撃。
三撃——
ゴーレムが、崩れた。
石の破片が、通路に散らばる。
静寂。
セロスは、荒い息をついていた。
剣を、見る。
普通の剣だ。
でも——
でも、今、確かに——
「セロス」
イヴェインの声。
彼女が、セロスの肩に手を置いた。
「あなた......」
金色の瞳が、セロスを見つめる。
「......何者なの?」
セロスは、答えられなかった。
自分でも、分からない。
(俺は......何だ?)
ペンダントの光が、静まる。
しかし、熱さは残っている。
そして——
頭の中に、残る声。
『ヨクヤッタ』
『オマエハ ツカエル』
それは——
褒め言葉だったのか。
それとも——
道具として、評価されたのか。
セロスには、分からなかった。
「......行きましょう」
イヴェインが言った。
「もう、ここには何もないわ」
彼女は、セロスから手を離した。
そして——
複雑な表情で、セロスを見た。
恐れ?
好奇心?
それとも——
悲しみ?
セロスには、読み取れなかった。
二人は、洞窟を出た。
依頼は——失敗とも成功とも言えない結果だった。
遺物は見つからなかった。
ただ、ゴーレムと古代文字があっただけ。
帰り道、二人はまた無言だった。
しかし——
今度の沈黙は、違った。
重い。
何かが、変わった。
セロスとイヴェインの間に——
目に見えない何かが、生まれていた。
王都に戻ったのは、夜だった。
「今日は、これで」
イヴェインが言った。
「報酬は、ギルドで受け取って。私の分は要らないわ」
「え? でも——」
「いいの」
イヴェインは、セロスを見た。
「......次も、一緒に行ってもらうから」
「次も?」
「そう。あなたは——」
彼女は、言葉を切った。
「——興味深いから」
それだけ言って、イヴェインは去っていった。
銀髪が、夜の闇に消える。
残されたセロス。
彼は、胸のペンダントに手を当てた。
(興味深い......?)
(俺が?)
それとも——
ペンダントが?
答えは、まだ分からない。
しかし——
一つだけ、確かなことがある。
セロスの人生に——
イヴェインという、大きな存在が現れた。
それが、良いことなのか、悪いことなのか——
まだ、分からない。
[第6章 了]




