第二部「記憶の迷宮」第11章:古代遺跡の連鎖
北の山脈への道は、険しかった。
三人は三日間、ほとんど休まずに歩いた。追っ手を警戒しながら、獣道を進む。
セロスの足は、痛かった。靴底の穴が、さらに大きくなっている。でも、文句は言わなかった。
イヴェインは、常に周囲を警戒していた。金色の瞳が、森の奥を見つめる。彼女は、一睡もしていないように見えた。
ユリウスだけが——相変わらず、明るかった。
「なあ、セロス」
ユリウスが、隣を歩きながら話しかけてきた。
「お前、王都にいた頃、友達いたか?」
セロスは、少し考えた。
「......いない」
「そっか。じゃあ、俺が初めての友達だな」
ユリウスは、にかっと笑った。
「光栄だろ?」
セロスは——微かに、笑った。
初めて、こんな風に笑えた気がする。
「ああ......光栄だ」
イヴェインが、振り返った。
「おしゃべりは後にして。もうすぐ、山脈の入口よ」
前方に——
巨大な岩山が見えた。
北の山脈。王国の最北端に位置する、険しい山々。
「あそこに、隠れ家が?」
ユリウスが聞いた。
「ええ。山の中腹に、洞窟がある。守護者の、秘密の拠点だった場所」
イヴェインは、山を見上げた。
「今は、誰も使っていないはず」
三人は、山道を登り始めた。
岩がゴロゴロと転がる、不安定な道。一歩間違えれば、転落する。
セロスは、必死でバランスを取った。
(大丈夫......大丈夫だ)
胸のペンダントが、温かい。
まるで、励ましてくれているかのように。
『オマエハ ヨクヤッテイル』
アストラルの声が、聞こえた気がした。
夕方——
ようやく、洞窟が見えた。
岩壁に開いた、小さな穴。
「ここね」
イヴェインが、洞窟の入口を確認した。
「中は広いわ。三人なら、十分に過ごせる」
三人は、洞窟に入った。
内部は——確かに広かった。
天然の空洞。奥には、水の流れる音。地下水脈があるようだ。
「ここなら、しばらく安全ね」
イヴェインが、荷物を下ろした。
「今日は、ここで休みましょう」
ユリウスが、焚き火の準備を始めた。セロスも手伝う。
やがて、火が灯った。
洞窟の中に、温かい光が広がる。
三人は、火を囲んで座った。
「......なあ」
ユリウスが、口を開いた。
「セロス。お前、予言の子なんだよな」
「......ああ」
セロスは、頷いた。
「じゃあ——世界を救うのか?」
「分からない」
セロスは、正直に答えた。
「俺は......何も分からない」
「そっか」
ユリウスは、火を見つめた。
「でも——お前が予言の子だろうが、なかろうが、俺には関係ない」
「え......?」
「お前は、お前だ。それで十分だろ」
ユリウスは、セロスを見た。
明るい、澄んだ目。
「友達に、理由なんていらない」
セロスは——
胸が熱くなった。
(友達......)
(俺には、本当に......友達がいる)
「......ありがとう」
セロスの声が、震えた。
イヴェインが、二人を見て——微かに、笑った。
その夜、セロスは深い眠りについた。
そして——夢を見た。
戦場の夢。
血で染まった大地。
空を覆う、暗い雲。
アストラルが、剣を振るっている。
敵は——
黒い霧のような、何か。
形を持たない、純粋な悪意。
『深淵の獣』
それが、アストラルに襲いかかる。
アストラルは、剣で応戦する。
しかし——
敵は、倒れない。
切っても、切っても——
再生する。
『クソ......』
アストラルが、歯を食いしばる。
『コノママデハ......』
彼の手が、光り始めた。
金色の光。
『創世の炎』
それが——
世界を、飲み込んだ。
視界が、真っ白になる。
そして——
セロスは、目を覚ました。
「はぁ......はぁ......」
荒い息。
額に、冷や汗。
「大丈夫?」
イヴェインの声。
彼女が、セロスの隣にいた。
「夢......?」
「ああ......」
セロスは、頭を抱えた。
「アストラルの、記憶......」
「また、見たのね」
イヴェインは、心配そうな顔をした。
「頻度が、増えている」
「......ああ」
セロスは、認めた。
最近——夢が、増えている。
アストラルの記憶が、流れ込んでくる。
「これは......」
「記憶の侵食よ」
イヴェインが、静かに言った。
「ペンダントの力を使うたび、あなたとアストラルの境界が曖昧になる」
「じゃあ......どうすれば——」
「力を使わないこと」
イヴェインは、セロスを見た。
「でも——それは、無理よね」
セロスは、黙った。
無理だ。
追われている身。
戦わなければ、生き延びられない。
「......大丈夫」
セロスは、自分に言い聞かせるように言った。
「俺は、俺だ。アストラルには、ならない」
イヴェインは——
悲しげな目で、セロスを見つめた。
何も、言わなかった。
翌朝。
三人は、洞窟の外に出た。
山の景色が、広がっている。
「綺麗だな......」
ユリウスが、呟いた。
「ああ」
セロスも、同意した。
こんな風に——
こんな風に、景色を楽しんだのは、いつぶりだろう。
「あれを見て」
イヴェインが、指差した。
遠くに——
何か、光っている。
「あれは......」
「遺跡ね」
イヴェインの目が、鋭くなった。
「古代遺跡。この山脈には、いくつも眠っているらしい」
「行くのか?」
ユリウスが聞いた。
「......行くべきね」
イヴェインは、セロスを見た。
「そこに、答えがあるかもしれない」
「答え......?」
「ええ。アストラルの記憶。予言の真実。そして——」
イヴェインは、言葉を切った。
「——あなたを救う方法」
セロスは——
頷いた。
三人は、遺跡へ向かった。
山道を下り、谷を渡る。
遺跡は——
岩山の中腹に、埋もれていた。
石造りの建造物。苔に覆われ、風化している。
「入口は......ここ」
イヴェインが、崩れた壁の隙間を見つけた。
三人は、中に入った。
暗闇。
ランタンを掲げる。
通路が、奥へと続いている。
壁には——古代文字。
「これは......」
イヴェインが、文字を読もうとした。
「『記憶の間』......?」
「記憶の間......?」
セロスが、繰り返した。
その瞬間——
ペンダントが、激しく脈打った。
「うっ......!」
セロスは、膝をついた。
頭痛。
激しい頭痛。
「セロス!」
イヴェインとユリウスが、駆け寄る。
しかし——
セロスの視界は、既に歪んでいた。
記憶が——
記憶が、流れ込んでくる。
アストラルの記憶。
玉座の間。
会議。
戦争。
そして——
愛する人の顔。
金色の髪をした、美しい女性。
『アストラル、無理をしないで』
彼女が、言う。
『あなたは——王である前に、一人の人間なのよ』
『......すまない、エリアナ』
アストラルが、答える。
『しかし、私には責任がある』
『責任......それだけ?』
エリアナが、悲しそうに微笑む。
『あなたは——自分を許していないのね』
『......』
アストラルは、答えなかった。
ただ——
窓の外を見つめる。
戦場を。
記憶が、途切れた。
セロスは——
気がつくと、床に倒れていた。
「セロス! 大丈夫か!」
ユリウスの声。
「......大丈夫......」
セロスは、体を起こした。
「また......記憶......」
「何を見たの?」
イヴェインが聞いた。
「アストラルと......女性。エリアナという名前の」
イヴェインの顔が——曇った。
「エリアナ......」
「知ってるのか?」
「ええ。アストラルの——妻よ」
イヴェインは、壁の文字を見た。
「彼女も、大崩壊で死んだ」
「そうか......」
セロスは、胸のペンダントに手を当てた。
温かい。
そして——
微かに、脈打っている。
まるで——
まるで、泣いているかのように。
「行きましょう」
イヴェインが言った。
「この遺跡には、まだ何かある」
三人は、奥へ進んだ。
やがて——
大きな部屋に出た。
円形の部屋。
中央に——水晶でできた、柱。
「これは......」
イヴェインが、柱に触れた。
瞬間——
柱が、光った。
そして——
空中に、映像が浮かび上がった。
それは——
古代文明の記録だった。
美しい都市。
空を飛ぶ、魔法の乗り物。
笑顔の人々。
そして——
それが、崩壊していく様子。
黒い霧が、都市を飲み込む。
人々が、逃げ惑う。
悲鳴。
炎。
崩壊。
そして——
最後に、アストラルの姿。
彼は、膝をついていた。
廃墟の中で。
一人で。
『私ハ......失敗シタ』
彼の声が、聞こえる。
『世界ヲ......救エナカッタ』
『エリアナ......スマナイ』
涙が——
彼の頬を伝う。
蒼い涙。
それが——
地面に落ちる。
そして——
ペンダントになった。
映像が、消えた。
静寂。
三人は——
言葉を失っていた。
「これが......」
ユリウスが、震える声で言った。
「......大崩壊の、真実......」
「ええ」
イヴェインが、頷いた。
「アストラルは——世界を救おうとして、失敗した」
セロスは——
胸が苦しくなった。
アストラルの——
アストラルの、後悔。
それが——
自分の中に、流れ込んでくる。
『ゴメン......ゴメン......』
アストラルの声が、聞こえる。
『ミンナ......ゴメン......』
セロスは——
涙が、溢れた。
自分の涙なのか。
アストラルの涙なのか。
分からない。
ただ——
ただ、悲しかった。
「セロス......」
イヴェインが、セロスを抱きしめた。
「大丈夫。あなたは、あなたよ」
「でも......」
「アストラルの記憶に、飲まれないで」
イヴェインの声が、優しい。
「あなたは——セロス。それだけで、十分」
セロスは——
イヴェインに、もたれかかった。
温かい。
この温もりが——
セロスを、自分に引き戻してくれる。
「......ありがとう」
セロスは、呟いた。
三人は、遺跡を出た。
外は——もう、夕方だった。
「今日は、ここまでね」
イヴェインが言った。
「洞窟に戻りましょう」
三人は、洞窟への道を歩いた。
セロスは——
考えていた。
(アストラルは......俺と同じだ)
(失敗した)
(期待に応えられなかった)
(そして——後悔している)
だから——
だから、やり直したい。
予言を残した。
予言の子を、待った。
自分が復活して——
今度こそ、世界を救いたい。
でも——
(それは......俺を消すことになる)
セロスの自我が、消える。
アストラルが、復活する。
それが——
予言の、本当の意味。
(どうすればいい......?)
答えは、まだ見つからない。
でも——
(諦めない)
セロスは、心に誓った。
(俺は......生きる)
(自分として、生きる)
夜。
洞窟に戻った三人は、焚き火を囲んだ。
「なあ、セロス」
ユリウスが言った。
「お前、怖くないのか?」
「......怖い」
セロスは、正直に答えた。
「怖いよ。自分が、消えるかもしれない」
「でも——諦めてないよな」
「ああ」
セロスは、頷いた。
「諦めたら......それで終わりだから」
ユリウスは——にかっと笑った。
「良い答えだ。じゃあ、俺たちも諦めない」
「俺たちも......?」
「ああ。お前を助ける方法、絶対に見つけてやる」
ユリウスは、拳を握った。
「友達だからな」
イヴェインも、頷いた。
「私も——必ず、守るわ」
セロスは——
温かい気持ちになった。
(一人じゃ、ない)
(俺には......仲間がいる)
それが——
それが、セロスの支えだった。
[第11章 了]




