諦めと我慢の果てに、ポロリと零れたモノは
ざまあが書けなくなってしまったので、リハビリ作品です。
彼が自慢だと言って丁寧にお世話していた馬にまたがり戦争へと赴く前に、彼は私に会いに来てくれた。
「フランチェスカ、僕の、愛しい婚約者」
いつもと同じように、シルヴェスター様は私の白い髪の毛を一房すくい、口づける。
私も、腰をかがめたシルヴェスター様の頬に唇を寄せた。
「……シルヴェスター様。私は約束を望んでいるわけではありません。ですが、どうか祈らせてください。貴方が無事に帰って来ることを」
熟れたチェリーのように真っ赤な目を見開いたシルヴェスター様は、きゅう、と顔を歪め泣きたそうに笑った。
「うん、ありがとう。……僕も、必ず帰って来るとは誓えない。だけど、決して忘れないでほしい。僕の心はいつだって、君と共にある」
「はい」
幼い頃茶会で出会った時から、私たちは結婚を誓いあった。
大好きな貴方。笑う時に寄る目じりのしわも、剣を振るう時に見せる少し幼い笑顔も、私の淹れた紅茶を飲むとき日向ぼっこをする猫のように細める目も、私を呼ぶ時の声が一等甘い所も、どんな時も私の話を真剣に聞いてくれる優しい性格も、私が本に集中しているといじけて普段は甘いものは苦手だと言っているのにクッキーを頬張る所も、雪が太陽に照らされて煌めいているような銀髪も、周りの人は血のようだと言う真っ赤な目も――全てが、愛おしい。
だからこそ、強く祈る。どうか無事でいて。死なないで傷つかないで泣かないで。
『生き抜いて』
その言葉が口をつこうとして、私は慌てて口を閉じた。こんな言葉、彼に伝えることは許されない。だってこんなこと言ったら、きっと貴方は優しいから重荷に思ってしまう。
ポロポロ私の頬を涙が伝った。なにを言えば良いのか分からなくなって、その想いは熱となり私の胸を焦がし、涙へと姿を変えた。
彼にしがみつくように抱きしめれば、シルヴェスター様も私の背に手を這わす。私の肩に彼の頭が乗って、少し重たい。この重みが今はとても、嬉しい。
「行ってくるよ、フランチェスカ」
「行ってらっしゃいませ、シルヴェスター様」
どうか、どうか。貴方に『おかえりなさい』と言えますように。
私にあるモノを渡したシルヴェスター様は、名残惜しそうに私の額にキスを落とした後、私の体から手を離す。
そうして貴方は、白い光の方へと旅立つように――いいえ、白い闇に吸い込まれるように旅立って行ってしまった。
それがもう、一年も前の話。……私は今、シルヴェスター様ではない人の隣でウエディングドレスを纏っている。
胸元にしまった、あの日シルヴェスター様がくださったモノの感触を感じながら、私は前を見据えていた。
◇◇◇
シルヴェスター様が戦地へと赴いた年の冬に、王太子の婚約者が亡くなった。死因は病気による衰弱死らしい。段々頬がこけていき、眠るように亡くなったと人づてに聞いた。
前の月までその華々しい容姿を振りまき凜とした態度でいた彼女が、そのような死を迎えたことに貴族たちは皆一様に疑問を抱いたが、特に不審な点はなく王太子が新たな婚約者を迎えることにも異論はなかった。
そう、私も特に異論などなかった。……だが、その新しい婚約者が私となれば話は別だ。私にはシルヴェスター様という婚約者がいるのだから。
それを理由に何度も両親と共に断ったが、王太子を支える為には優秀な令嬢が必要だと王が主張し、遂には王命によって私とシルヴェスター様の婚約は破棄され、王太子との婚約が結び直されてしまった。
もちろん、シルヴェスター様が戦地から勝手に帰ってきては困るからと、彼に婚約破棄がなされたことは伝えられてない。手紙なども検閲されるようになり、婚約破棄を連想させる言葉があれば容赦なく燃やされる。
婚約者となってから初めてのお茶会は、シルヴェスター様といた時とは違い湧き上がるのは嫌悪感だけだった。
「ふん、お前は俺の言う事を否定するなよ。お前が王になるんじゃない、王になるのは俺なんだからな」
ボンクラであるから優秀な婚約者が必要だと私が選ばれた筈なのに、それが分かってないような言い草。私は紅茶を飲むフリをして、ため息を漏らしてしまった。
「……っ、おい! なんとか言ったらどうだ⁉」
そんな私の態度が気に障ったのか、王太子は私の白い髪を掴んだ。
力任せなせいでプチプチと数本抜ける音がし、私は声を殺し痛みに耐える。
いくばくか時間が過ぎて、私からようやく手を離した王太子は、自身の手についた私の髪の毛を「気持ち悪」と言いながら手を振って取り、私に嫌な笑みを向けた。
「なんだよ、この老婆みたいな髪は。気持ち悪いな、ゾッとする。こんな奴が婚約者なのを許してやる度量の深い奴なんて、俺を逃したら金輪際現れないだろうな! 感謝しろよ!」
「……っ!」
この人は一体なにを言っているのだろう。もう私にはいるのにっ、シルヴェスター様というただ一人の婚約者が!
私の髪を真白の雪のように綺麗だと褒めてくれた婚約者が……! 貴方が偉そうに、婚約者面しないで!
唇を噛み締めれば、血の味が口に広がった。いけない。どうやら唇を噛みすぎて血が出てしまったらしい。
「……私は私のやるべきことを全うするだけです。貴方の邪魔は、しません」
「そうか!」
憎しみを堪えながら言葉を吐けば、王太子は途端に嬉しそうな声を出した。それに訝しんでいると、衝撃の言葉が私を襲った。
「お前を正妃には据えてやるが、すぐに俺のミアを側妃にする。お前は執務だけをやってくれ」
そういえば学生時代、王太子の側に男爵令嬢が侍っているという噂を聞いたことがあった。それに、今は亡き王太子の婚約者である公爵令嬢が苦言を呈していたということも。
ああ、なんとおぞましい性根なのだろうか。
彼らはよく言ったそうだ。これは真実の愛なのだと。だけど私は、彼らの真実の愛を愛とは認めない。
――そこから、私はとある結末を目指して静かに動き始めた。
王妃様に「まあ野暮ったいドレス! それじゃあ、結婚式じゃなくてお葬式よ」とお母様から貰った大切なウエディングドレスをせせら笑われ、私に全く似合わないウエディングドレスを仕立てられた時も。
男爵令嬢のミアに「うふふっ、残念よね、悲しいわよね? だって殿下の寵愛は私にあるんだもの! ……まあ、あの女は口うるさかったけどあんたは無口だから、執務仕事をする権利はあげるわ! せいぜい励みなさいよね」と紅茶をかけられた時も。
王太子に「そんな白い髪じゃ縁起が悪いから、塗ってやるよ!」と言われ真っ黒なインクを頭からかけられた時も。
私は口をつぐみ我慢をし、その日が訪れるのを心待ちにした。
そして遂に、結婚式の日がやって来た。
私の隣にいる王太子は、つまらなそうに遠くを見ている。私は国内の貴族や隣国からの大使に見つめられながら、神父の言葉を聞いていた。
「貴女は、夫となる者が病める時も健やかなる時も共に分かち合うことを誓いますか?」
王太子はさっき、おざなりに「ああ」と答えていたんだっけ。私はくすりと微笑を漏らしてから、胸に右手を添え高らかに宣言した。
「私が愛を誓うのも、病める時や健やかなる時も側にいたいと思うのも、王太子殿下ではありません。私の心も体も、決して渡しません」
「……! おい、なにを言ってるんだ!」
罵声を浴びせる王太子にニコリと笑いかけた。
「そうですね。強いて言えば、あと少しで死人となる者の世迷言でしょうか。ですので、その深い度量でどうかお目溢しを」
私のポロリと零れ落ちた言葉に、その瞬間、水を打ったかのように大聖堂が静まり返った。
皆、息をするのも忘れているようだった。私の言葉に、行動に、皆が集中している。
それを心底嘲笑いながら、私は胸元に隠し持っていた魔力銃を取り出した。
魔法を使うのが上手なシルヴェスター様が発明した、小型の銃。魔法を込めれば誰でも使えてしまう代物で、故に私のように非力な女でもなんの問題もない。
護身用にと言って、彼は渡してくれた。それならば、使うのは今だ。私の尊厳を守る為に、私はここで引き金を引く。
かなり沢山の魔力を使うようで、魔力に敏感な王族たちに気づかれないように少しずつ貯めてきた。両親には事情を話し、別れの挨拶をした。シルヴェスター様に宛てての手紙をしたためた。もう未練はない。
我慢が降りつもり、それは今日魔弾という形でポロリと零れ落ち私の命を貫く。
「さようなら、大嫌いな人たち」
引き金にかける手に力を込めた。
だが、そこでとある声が私の耳朶を打つ。一等甘い、私を呼ぶ声。
心臓が震える。その拍子に銃を落としそうになってしまい、慌てて頭に当ててた銃を下ろし両手で持った。
そして、バージンロードの先にいる人に目を向けた。
「フランチェスカ……!」
血まみれで、貴方はそこに立っていた。今になって私の膝は恐怖を訴えるかのようにフルリと震えた。
◇◇◇
やって来たシルヴェスター様は、他の者には目もくれず私の下に来て、軽々と抱き上げた。
「シルヴェスター様、シルヴェスター様……! 会いたかった、本当に、とても会いたかったんです」
じんわり胸が熱くなって、私の頬を大粒の涙が伝った。
「ごめん、フランチェスカ。君が悩んでいたのに、こんなにも来るのに時間がかかってしまった」
その言葉に、ハッと我に返る。
「どうして、シルヴェスター様は来たのですか?」
「フランチェスカが魔力を込めた魔力銃はね、自動的に僕の所に連絡が行くように出来てるんだ。
だから、君が魔力を注いだ日に君が危険だということ気づいて、急いで帰ってきた。……あ、もちろん他の奴らには困らないように采配してから、ね? だからこんなに時間がかかってしまったんだ」
なるほど、と納得する私に微笑みかけた後、そのとろける蜜のような笑みとは真反対に位置する凍えた視線を、シルヴェスター様は王太子に向けた。
「で、なんでフランチェスカが兄さんの婚約者になってるの?」
顔を青くしながら、王太子は「お、俺の婚約者が病死してしまってな、新しい婚約者が必要だったんだよ」としどろもどろに説明した。
私の首に顔をうずめていたシルヴェスター様は「へえ?」と興味なさげに相槌を打った後、王太子を鼻で笑う。
「公爵令嬢を殺したのは兄さんなのに、『病死』? 笑えるね」
「っ、おまえ、何故それを……!」
「――どういうことなのだ、今の発言は!」
王太子の墓穴発言と、式場にいた筆頭公爵家の当主の驚愕に満ちた声が重なった。
公爵令嬢の父である彼が驚くのは無理はない。逆に、今この場で驚いていない者はいるのだろうか? 私もシルヴェスター様を凝視してしまった。
「お、俺が病死させることなんて出来るわけないだろう⁉」
「そうだね。兄さんにそこまでの魔法の才能はない。だけど『王家の秘薬』を使えば、可能になる。僕は父上が戯れに手を出した使用人の子供といえど、一応第二王子だからね。そこら辺の教育も受けてるんだよ」
そこに、筆頭公爵家の当主が割り込んできた。
「シルヴェスター殿下、その薬は飲んだ者にどのような影響を及ぼすのでしょうか?」
さっき首にグリグリとした時に、私の髪に血がついたことを気にしているのか、私の白い髪を瞬きもせず見つめ周りには一切目を向けずにシルヴェスター様はスラスラと答えた。
「嘔吐が止まらなくなり、脱水症状、栄養失調の症状が出てくる。次に呼吸が上手く出来なく咳が止まらなくなり、また長期に渡って微量の薬を摂取させれば、栄養失調で脆くなった骨は少しの咳き込みで折れる。
……限りなく病死に近い毒殺が出来る薬だよ」
シルヴェスター様の言葉を聞き終えた公爵令嬢の父は、肩を震わせ低い声で王太子に問いかけた。
「何故、そんな薬を……!」
掴みかからんばかりの勢いに王太子は震えながらも、口だけは達者に答える。
「お、俺とミアの関係を認めないからだ。そしていつも、冷たい目で文句を言ってくる。それが気に入らなかった、だから茶会の時、あいつの紅茶に父上の秘密部屋から盗んだ薬を入れたんだ!」
あまりにも子どものような、残虐な意見に私が怒りで震えると、宥めるように私を抱きしめるシルヴェスター様の手に一層力が入る。ウエディングドレスは既にべっとりと血で汚れているが、このドレスにさしたる思い出はないのでスルーを決め込むことにした。
そして、震えているのは公爵令嬢の父もそうだった。夫人であろう人は、彼の側で嗚咽を漏らしている。
そんな彼女の肩に手を置いてから、彼は王太子に振りかぶった。
大きな音の後、王太子は地面に倒れていた。王太子は殴られたであろう頬を押さえながらなにかをギャーギャー汚く喚いていたが、公爵令嬢の父の声の方が数段声量があり、芯が通っているようだった。
「そんなくだらない理由の為に、あの子は吐いて苦しんで、吐くのが嫌だからと好きな食べ物も受け付けなくなり、最後は頬をコケさせ死んでいったというのか⁉ 咳をする度に背が丸まる様を、私がどのような思いで見ていたと……!
あの子を返してくれ! 優しく凛としたあの子を、幸せにする為に今まで育ててきた。王命によってしょうがなく婚約者にした、再三あの子を大切にしてくれと訴えた。だが、お前らはあろうことかあの子に毒を盛ったというのか⁉ それなら返してくれ! 私たちの娘を、返せ!!」
王太子はその剣幕に押され「ヒ、ヒィッ」と情けない声を上げている。
私はきゅ、と拳銃を握りしめた。
「……大丈夫、フランチェスカ?」
ハッとなって顔を上げると、心配そうにシルヴェスター様が私の顔を覗き込んでいた。
「……なんだか、苦しくて」
「それはいけない。もうこの場に僕たちはいらないだろうから、退散しよう」
軽くシルヴェスター様は言い、私を抱きかかえたまま歩き出した。
彼の背中に手を這わしたまま、私は公爵令嬢の父を盗み見る。
公爵令嬢の父は兵に縋りつくように泣いていて。確かにあそこに花嫁姿の私がいては駄目だと納得した。
もう、公爵令嬢である彼女では見ることの出来ない姿を見せるのは、きっとなによりも残酷な行い。
だから顔を前に戻し、私はシルヴェスター様に向き直ることにした。
「まずは謝罪を、シルヴェスター様。貴方という婚約者がいながら、私は不貞を働きました」
「……あれが、不貞?」
首をひねる彼に「……幻滅したでしょう?」と上目遣いで問いかける。
そうすれば彼は瞬きを一つした。
「それを言うなら、君の方こそ、僕に幻滅したことだろう? だって、僕はこんなにも血まみれだ。自分の血じゃない。誰かを斬ったからついた血だ」
今度は私が瞬きを。
「――いいえ、いいえっ」
私はウエディングドレスを破き、その布で彼の頬をぐしぐしと拭った。日に少し焼けた肌が、なんの障害もなくあらわになる。
「汚れたなら、拭えばいいのです。中身が腐っていない限り、いつだって、輝きを取り戻すことが出来ます」
熟れたチェリーのように真っ赤な瞳が見開かれた。それから、彼の唇が弧を描く。
「フランチェスカ、僕と、結婚してくれますか?」
私ははにかんで答えた。
「はい、病める時も健やかなる時も、いつだって私は貴方のお側に」
◇◇◇
それから、王太子と男爵令嬢のミアは絞首刑に処され、王と王妃も様々な罪が露呈し北の牢獄に生涯幽閉されることとなった。
そして、新たな王の座には筆頭公爵家の当主であった彼が就いた。
そんな彼が揉めていた隣国の王と話し合うことによって、戦争は少し前に終戦を迎え、私たちの生活は穏やかになりつつある。
私は、真白の髪に赤いリボンを結びながら彼が帰って来るのを待っている。我が家に婿入りすることとなった、愛おしい人を待っている。
ふと、ここに至るまでとても長かったような気がした。
そして、それを考えた瞬間心臓がドクドクとうるさくなり、なにかが飛び出してしまいそうな気がした。
王太子との婚約が決まってから、戦地にいるシルヴェスター様への手紙が検閲をされるせいで、書きたい言葉、沢山あったのに我慢した。
我慢して、諦めて、書き直して、捨てて、燃やされて。
ずっとずっと胸の奥に仕舞い込んでいた言葉たちが、今日きっと、ポロリと零れ落ちる。
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