お散歩の話
(娘ちゃんの話!)
「あ、鳥っ!青い鳥が飛んでますっ!」
空に指を指し、確かめるように繋いだ手を握り返してくる。そうして今度はこちらを振り返ってニッコリと幼子特有のあどけない笑顔を、惜しむことなく自分に向けてくる。
どう反応していいのか分からず固まっていれば、彼女もそれを察してかまたニッコリと笑う。そこは幼子というよりはどこか大人びて見える仕草だった。
また繋がれた手を引かれ足を進め始めれば、彼女は一人ニコニコと笑うばかりだった。
一体、何がそんなに楽しいのか?
当惑したまま、その小さな手を振り解くこともできず自分は彼女の『散歩』に付きそう。
何故、自分がこんなにも幼い少女と二人、道を歩いているのか。
『お客様、お散歩に行きませんか?』
突然、訪ねた屋敷の令嬢にそう声をかけられた。
ニコニコと、まるで相手が当然断らないとでも思っているかのような笑顔を向けられ、自分が拒否の言葉を告げられるはずもなかった。
『一人で歩くのは危ないので手を、繋いでください』
危うい対象たる当人が自分からそれを言うのかと疑問に思いながらも、彼女の両親がいつもそう言って手を繋がせているのだと思えば伸ばされた手を振り払うこともできなかった。
しかし、ただ道の上を歩くだけなのに、何故目の前の少女はこんなにも一人楽しそうなのだろう。
ずっとニコニコ笑って、偶に確かめるように繋いだ手を握り直してくる。その小さな手のひらでは大人の手は握りづらいだろうに。
先程の、鳥に向けて声を上げた時は幼子らしい表情だったのに対し、今は取り繕い慣れているような作られた笑みなのが普段は鈍いと言われる自分でもわかる。
しかし、それは嫌悪を隠すようなものでもなければ、何か企んでいるようなものとも感じられない。
………………やはり、自分は鈍いのだろうか?
困惑のまま、長い時間を彼女と二人並んで歩く。
普段の彼女であれば何か会話のネタを提供してくれるが、今はそれもない。
あまりに長い沈黙に、自分は勝手に焦りを感じ始める。
もしや、知らずのうちに自分は彼女に対して何か不敬を犯したのだろうか?
それで彼女は怒っているのではないだろうか?
そんな不安を表情には出さないように取り繕いながらも、やはり彼女は静かだった。
せめて何か話題を……、とは思っても彼女が、それも少女が興味を持ちそうなネタは所持していない。
相手が男であったなら普段の仕事の話でもしておけば勝手に盛り上がり、放っておけば一人夢や目標を長々と語り始めるが、それはおそらく少女に対しては効力はない。
少女が喜びそう、あるいは反応を示してくれそうなものが何かないかと頭を捻るが、如何せん普段から男ばかりを相手にする自分には何も思い浮かばない。
思えば実家で唯一の女性たる兄嫁とも、兄関連以外でまともに会話はしていない。
ウンウンとどんなに唸っても何も出てこず、最終的にはキョロキョロと周囲を見渡す自分はつい先日兄嫁に言われた通り「まだまだ子供」なのだろう。
少しばかり気が落ち込み始めたところで、ふとあるものが目についた。
なんてことのない、どこにでもあるようなものだったがただその色が目についた。
「花です」
何か話さねばと焦っていた自分はつい、彼女に対してそうこぼしてしまった。
よくよく考えれば、終始無言の状態からそんなことを言い出す男はかなり危ないヤツと思われるが、このときの自分は気が付かない。
ただ、隣に並ぶ彼女を振り返り、口にしたものの方を指し示せば、彼女はぱちくりと瞬きをする。
先程までの取り繕った表情は消え去り、幼子特有のあどけなさが表に出る。
その顔を見て、ようやく自分も「いや、花だから何だ……っ!?」と内心突っ込む。
早く次の言葉を、続きをと焦ったところで目の前の少女が俯いた。
更に怒らせたか?!と先程よりも大きい不安がどっと押し寄せたところで彼女が小さく口を開いた。
「………………はい」
あまりの小ささに、うまく聞き取れず、かと言って聞き返すこともできない。せめて彼女の顔を伺おうと自分が屈み込もうとしたところで…………。
「はいっ!花ですね」
急に目の前の少女は顔を上げ明るい表情で輝かせた。満面の笑みとは、このような表情を指すのではないだろうか?
あまりにこれまでよりも近い距離であったが、少女がそれを気にすることもなくただニコニコと幼子らしいあどけない笑みがそこにある。
「………………花、です」
「はいっ。花ですね!」
何も言えなくなった自分は愚かにも同じ言葉を続けた。それを怒るどころか一切の嫌悪を見せてこない彼女に、何とも言えない気恥ずかしさが襲ってくる。
「…………花です」
「花ですね!」
何度も同じことしか言わない自分なのに、彼女は気分を害するどころかこれまでで一番機嫌がいいように思われる。
これは気の所為なんだろうか?
不思議な感覚のまま、やはり己の鈍さを疑う自分を彼女はその小さな手を離すことなく、隣に並び歩き続ける。
己の愚行を忌々しく思いながらも、明るさを失わず更にその表情を輝かせる彼女を尊敬する。
見た目はこんなにも幼く、少女というよりは幼女と形容されがちの令嬢を前に自分はただ項垂れるしかなかった。
尊敬とは別に、敬愛もまた自身の身の内に燻らせていることも自覚せずに。