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年の差を感じる王女の恋は実らない

作者: 月食ぱんな

 今年社交界デビューを果たしたフローラは、十六歳の若き王女として、美しく優雅な姿で国民に広く知られている。


 両陛下にとって娘は彼女一人ということもあり、テオドルフ王国の国民は揃ってフローラの結婚を強く望んでいた。


 しかし、フローラはいまだ独身。


 その理由は、至極簡単。

 彼女には愛する人がいるからだ。




 ◇◇◇




「まぁ、ラウル見て。あそこに新しく素敵なカフェが出来たみたい」


 私は城下を走る馬車の窓から、少しだけカーテンを開けて外を覗き、目に入るものすべてに心を躍らせる。


 現在私は、大好きな近衛騎士であるラウルと、それから最近私の近衛になったばかりである無口なリアムと侍女マルタの四人で馬車に揺られている。


 目指すは城下の孤児院。毎月の慰問は、王女である私の大切な仕事だからだ。


「あぁ、あのカフェですね。でも確か……以前あそこには、とても美味しいパン屋があった気がします」


 私の向かいに座り、黒い騎士服に身を包むラウルが、ずらりとひしめき合う店を見て呟く。


「そうなの?美味しいパンなら、是非食べて見たかったのに残念」


 私は大好きなラウルが「美味しい」と嬉しそうに太鼓判を押すものが食べられなかったのが、とても残念でならなかった。


「えぇ、でもあれは私がまだ騎士見習いになったばかりの時でしたから、十歳かそこらでしたけれど」


 何気なく放たれたラウルの「十歳かそこら」という言葉に、私の胸はチクンと痛む。


 それから悲しみが私の心を包み、泣き虫な私は慌てて唇に力を入れる。


 そうすると、溢れ落ちそうな涙をなんとか堪える事ができるから。


「コホン」


 侍女のマルタが空咳を一つする。


「あっ、失礼しました。フローラ様はご存知なくても仕方がありません。まだ誕生していないという可能性もございますし」


 わかりやすく沈む私の顔を見て、優しいラウルは慌てて弁解の言葉を口にする。

 けれど、新たに追加された「誕生してない」という言葉は、さらに私の心をグサリと容赦なく切り裂く。


「そうね、私はラウルが十歳の時、まだお母様のお腹にいたかも知れないし。でもお母様の目を通して、そのパン屋さんを見たかも知れないわ」


 私はラウルの気を少しでも引こうと、自らの傷を抉るような言葉をわざと紡ぐ。

 けれどそれは、私の心の傷を(えぐ)るだけだったらしく、言葉を発した瞬間、やるせなさから涙が溢れてしまう。


「あっ、いえ。そうではなく……あのパン屋は王女殿下のお口には合わないかと」


 しどろもどろになるラウル。


「よかったら、これを」


 涙で霞む視界に映るのは、一枚の白いハンカチ。

 差し出してくれたのは、ラウル様ではなく無口な近衛騎士リアムの方。


 そのことを少し残念に思いながらも。


「ありがとう」


 私は彼の手からハンカチを受け取る。


 もちろん自分のハンカチも、ドレスのポケットには入っている。けれどリアムの気遣いを拒否することは失礼にあたるので、私は快くそれを借りる事にした。


 仄かに人肌を感じるハンカチをそっと目元にあて、私は馬車の外に広がる景色をぼんやり眺める。


 私の心は、王国の最も勇敢で忠誠心ある騎士の一人、ラウル・オズボーンに奪われている。


 彼は私よりも十歳年上で、私が十歳の時からいつも近くにいて、私の笑顔のためにいつも身を挺して戦ってくれている。


 といっても、今のところ周辺諸国との仲は良好。そもそも王女である私は、普段どこよりも安全な宮殿内にいる事が多いし、周囲には常に誰かが配置され、おいそれと私に近づく事は困難を極めるという状況だ。


 つまり、至って平和で安全な状態なので、戦いで彼が命を()して守ってくれるような理由は今のところ無い。


 強いて言えば、庭園から急に飛び出してきた、ヘビから守られたことがあるくらいだ。


 いずれにしても、私がラウルに特別な感情を抱くようになったのは、素敵な彼の見た目に一目惚れしたからに違いない。


 ラウルの見た目は、女の子が憧れる絵本の中のヒーロー像そのもの。


 陽光を受けてキラキラと輝く金髪は、まるで絹のように柔らかくサラサラで、空と海の蒼を閉じ込めた瞳は、見ているだけで吸い込まれそうになるほど美しい。


 そんなラウルの見た目に、私は瞬く間に彼の虜になった。


 だから私はいつも彼の側にいたがり、無理やり公務と称してラウルと出かける機会を増やしたり、彼が担当である日を見計らってお忍びで街に出かけたり……とにかく私は彼に夢中だ。


 けれどそれは私だけの一方的な感情。


 ラウルはというと、十歳も年下である私のことを、当然のことながら警護する要人としか思っていない。


 その事実を、私はもうずっと目の当たりにしている。


 さっきのパン屋の思い出だって、なんとも思っていないから、口にした言葉だろうし。


 もし私に恋愛的感情を抱いていたら、わざわざ年の差を感じるような事は言わないはずだから。


 なんとなく私が泣いてしまったせいで、居心地が悪い空気が馬車の中に流れる。


 これだから泣くのはやめたいのに、すぐに涙が出てしまうという、困った体質は私の悩みの一つだ。


「まぁ、オペラ座の用心棒が再演されるのかしら」


 丁度馬車が王立劇場の前を通った時。


 重い空気をガラリと変えるように、侍女のマルタが馬車の窓に顔を寄せて明るい声を出す。


「オペラ座の用心棒?」


 私は目元に当てたハンカチを下ろし、マルタの方を見る。


「確か五年ほど前にも一度上演されていたオペラの演目です。サスペンス的な要素と耽美な音楽。当時とても話題になっていたと記憶しております。残念ながらチケットは即完売し、鑑賞した者はまるで英雄のように、オペラ座の用心棒の事を崇め讃えておりましたよ」


 私より七歳年上のマルタは博識だ。

 少し大きめのメガネをクイッとして、得意げな表情を見せている。


「知らなかったわ。チケットが取れないほど人気だったのね」


 私は再び馬車の外に目を向ける。劇場の前には人だかりが出来ており、沢山のチラシが配られているのが見えた。


 五年前というと当時私はまだ十一歳。オペラに行く事も許されていない年齢のため、全く知らなくても仕方がない。


 しかし、マルタが絶賛するくらいなのだから、きっと面白い演目なのかも知れない。


「ふーん、オペラねぇ」


 つい否定的なニュアンスで呟いてしまうのは、実のところ、オペラは私にとって、難易度が高いものだと感じているから。


 休憩時間はあるとはいえ、長丁場でその場に座っていなければならないし、王族席となるボックスに双眼鏡を向けられる危険もあるため、うっかりウトウト居眠りも出来ないときている。


 だったら、馬に乗り王領地を駆け回る方がよっぽど気楽で楽しいというのが、現在十六歳である私の率直な感想だ。


 けれど、ラウルが警護担当の日に、オペラ鑑賞の予定を入れたとすると、オペラも楽しみになるかも知れないと思いつく。


 なぜなら、ボックス席でオペラを鑑賞する私と、そんな私の背後に立ち、こちらを見守るラウルの図式が映像となり脳裏に浮かんだからだ。


 もはやこれはデートだと言えるかも知れない。


 私は折を見て、執務担当官にオペラ鑑賞の予定を入れておく事を伝えなくてはならないと、脳裏に刻み込む。


 なんて、一人密かに企んでいると。


「自分は、姉と共に初演を観劇することができた幸運者なんです。当時感じたのは、オペラ座の用心棒は、なんといっても楽曲の素晴らしさが、他の作品よりも群を抜いていたという事ですかね」


 どうやらラウル様はすでに鑑賞済みのようだ。

 その事を私は少し残念に思う。


 なぜなら、なんにしたって、「初めて」という経験は一回きりで、二度と出来ないから。


 それは、この先どんなに頑張っても私はラウル様がオペラ座の用心棒を初めて見て、感じた瞬間の素敵な表情を見られないという事。


 しかも十歳も歳上のラウル様の様々な初めては、私がようやく許される歳になる頃には、すでに経験済みである事が多いという悲劇。


 初めての乗馬にお酒。

 初めてのエスコートにダンスにデート。


 それからきっと、初めてのキスだって、きっともうとっくに済ませているに違いない。


 私はぎゅっと拳に力を入れて、誰にも気づかれぬようにため息をつく。それから再び込み上げてきた涙を誤魔化すために、リアムから借りたハンカチを口元にあて、欠伸を堪えるフリをした。


 そんな私の横では、マルタがラウルに羨望の眼差しを向けている。


「まぁ、羨ましいですわ」


「それになんと言っても、主役を務める用心棒役の俳優が大変美男子で、令嬢たちがこぞって劇場前に集い、彼が出てくるのを今か今かと、出待ちしていたと記憶しております」


「えぇ、本当にそんな感じでしたわね」


 数年前の話で盛り上がるマルタとラウル様。


「当時は女性の気が皆そちらに行ってしまったため、余り物のようになった私たちは、酔っ払いながら、「オペラ座の用心棒に決闘を申し込む」なんて言って荒ぶれていました。そうか、あれはたった五年前のことなのか」


「えぇ、本当に。ついこの前上演していた気がするのに」


「歳を重ねると、本当に一日があっという間に感じるものです」


「あれは一体どういう原理でそう思うのでしょう?」


「若い頃より行動範囲も出来る事も増えるから、でしょうか?」


「確かに、人生を貪欲に楽しもうとしているのかも知れませんわね」


 五歳差である二人は、「歳を取ると、一日があっと言う間」という会話で盛り上がりはじめる。


 こういう時、二人に悪気がないのはわかっていても、私は嫌でもラウルとの年齢差をひしひしと感じ、切なくなる。


 十六歳と二十六歳。


 社交デビューを果たした今、この差は全然アリだと思う。


 けれどどうしたって、私より先に大人になっている彼と私の差は一生埋まらない気がする。


 それはたとえば、今話題になっていたオペラ座の用心棒の様に、ラウルにとって魅力的に感じるものは、私に取っては興味のない事だったり。

 そして逆に、私が今素敵だなと思うものをラウルが素敵だと思うことは、まずないという事だったり。


 だからラウルと肩を並べて歩くこと。

 それは無理な願いなのかも知れないと、私はいつも一人思い知らされる。


「ラウル先輩、その話はやめておきましょう。フローラ様が退屈されているみたいです」


 私を気遣って、リアムが珍しくラウルの言葉を遮る。


「えっ?あっ……失礼致しました」


 慌てて私に頭を下げるラウルを見て、私はハッと我に返る。


 いけない。きっと私は、明らかに不満そうな表情をしていたに違いない。


 だからリアムはラウルに注意をしたのだろう。


 私は精一杯の笑顔を作りながら、首を左右に振って見せる。


「本当に面白そうなオペラね。是非チケットを入手しなきゃだわ」


 それは私の精一杯の強がり。


 けれど、オペラに興味がなくても、『ラウルと行きたい』という願望を抱きオペラに行く事は誰からも禁止されている事ではない。


「まぁっ、でしたら来月の公演を是非ご一緒に」


 マルタは嬉しそうに両手を合わせて笑顔を浮かべる。


「そうね。折角だからマルタとラウルと、リアムと。ここにいるメンバーみんなで行ける日にしましょう」


 私はみんなに笑顔を向ける。


 するとマルタは「喜んで」と答え、リアムは顔色一つ変えず、無表情のまま小さく頷く。


 そしてラウル様は……。


「来月ですか」


 私の言葉に顔を曇らせた。


「コホン!」


 マルタが一つ咳をする。


「勿論ですとも」


 ラウルは、爽やかな笑顔を返してくれる。

 けれど、今のは明らかにマルタがそう言わせていた。


 もしかして誰かと先約があるのだろうか。


 私は大好きな人といるくせに、どうしても明るい気持ちになれないのであった。




 ◇◇◇




「お父様、お母様、私はまだ結婚する気になれません。ただし、ラウルならいいわ」


 社交界デビューを果たしてからずっと。


 夕食時に顔を合わせるたび、私の婚約者を選出しようとしつこい両親に対し、私は「ラウルならいいわ」をもう何十回も繰り返している。


 しかしながら。


「そうは言うがな……お前ももう十六歳だ。そろそろそれなりの相手を見つけなければ……」


「そうよ。あなたが決めないと、皆様に迷惑がかかるのよ。だからお願い。そろそろ真剣に考えてみない?」


 国王である父ヴィクトールは完全にこちらの主張を無視し、王妃であるソフィアはとにかく私に懇願するという状況。


 こんな感じで娘対する両親の図式が展開される。

 両者共に譲らずといった感じなので、お互いの主張が平行線を辿ること、かれこれ三ヶ月ほど。


「この前も夜会で会ったギルマン伯爵夫人に「それで、フローラ王女殿下のお相手は決まりそうですか?」だなんて、露骨に探りを入れられたのよ」


 母は不満げな表情でワイングラスに口をつける。


 年頃の娘を持つ貴夫人達が「早くいいお相手を」と焦る娘に対し、王女である私の婚約相手が決まるまで待機しようと考え、足並みを揃え条件の良い青年に、すくにでもコンタクトを取りたい気持ちを我慢してくれていること。


 それは知っている。


 しかしながら、その心遣いがありがたい反面、私の気は滅入っている。


 なぜなら私の心は、最も勇敢で忠実な近衛騎士の一人、ラウルに奪われているからだ。


 彼は私にとって、誰よりも頼りになる近衛騎士で何より愛する人。だから彼以外の人と結婚をするだなんて、あり得ない。


 オズボーン男爵家の次男であるという、ちょっと物足りない実家ではあるかも知れないけれど、それでもラウルの性格、容姿、近衛騎士として積み上げた忠誠心と実績を考えればお釣りがくるはずだ。


「どうしてお父様はお許しになってくださらないの?」


 シャイな兄が「好ましいと思っている」と両親にこっそり告げた令嬢に対し、父は王命を簡単に発動して、二人の婚約の後押しをしていた。


 その一件を知る身としては、なぜ私の時だけ渋るのか、腑に落ちないでいる。


 両親から送られる子どもへの愛情は、平等であるべだと、私は喉まで出かかっているという状況だ。


「まあ……そうねえ……」


 母はこちらを見ずに、言い淀んだ。

 母が何か知っていることは明らかで、私は思わず問い詰める。


「お母様は何かご存じなの?」


「仕方がないわ。あなた、フローラには可哀想だけれど、ね?」


「ふむ」


 両親は顔を見合わせ、頷き合う。


「それは……なんですの?」


 なんとなく両親の視線が、互いに励まし合うような意味を持っている事に気付いた私は、嫌な予感と共に身構える。


「実はね、フローラ。ラウルは近々近衛を辞めて結婚し、グライナー辺境伯の元で騎士となるそうだ」


「えっ!?」


 父の告白に私は思わず声を上げてしまった。

 そんな私を見る両親の眼差しが最大限気遣うものになる。


「グライナー辺境伯のエリンは一人娘でしょう?だからラウルを婿として受け入れたいと。そのお話をラウルは喜んで受け入れていたようだから、今後はエリンと二人で領地を守り立てていく覚悟を決めたんじゃないかしら」


 母はそう言うと、ワインをひと口飲んだ。

 そして、父もそれに続きグラスを傾ける。


 私はというと、二人の告白に驚きすぎて言葉を失っていた。


「そんな……嘘よ……」


「まあ、驚くのは無理もない。しかしラウルは近衛を辞めるが、それは決して、お前が嫌になったわけではない。グライナー辺境伯の管理する地域は、我が国の防衛ラインとして重要な土地だ。そこを信頼のおけるラウルが今後守り立ててくれること。それはこの国にとって喜ばしいことだ。賢いお前ならば分かるだろう?」


 父の言っていることは、正しい。

 そして、父が言っていることに反論できない自分がいるのも事実だ。


 私はこの国の王女という立場にある。


 そんな立場にいる私が、国を強固にするために結ばれた彼の結婚を祝福できないなんてことは、あってはならないことなのだから。


「納得いかない気持ちは分かるわ、フローラ。でもこれは王国の総意でもあるのよ」


 母も追い討ちをかけてくる。

 国の総意といわれれば、私に反論の余地はない。


 それをわかってて言う母は、ちょっと意地悪だ。


 でもそうしないと、私がラウルを諦めないこと。

 それを誰よりも母は知っている。だから敢えてキツイ現実を私にわざわざ告げるのだろう。


「お父様、お母様……ラウルとエリン様が幸せになることを、私も願っております……」


 私はようやく声を振り絞ってそう答えると、二人の返事も待たずに立ち上がり、その場を後にしたのであった。




 ◇◇◇




 数日前父と母にラウルが結婚をする事を知らされた私は、徹底的に彼を避けた。


 大人気ないとは思ったけれど、彼と共に歩む夢が打ち砕かれたことを悲しみ、自分の心が彼の名前で満たされたままであることに苦しむ……。


 そんな状況で、到底彼と顔を合わせる気にはなれなかったからだ。


 その代わり側にいるように言いつけたのは、最近私の近衛に配属されたばかりのリアム。


 アイゼン伯爵家の次男だという彼は、私より三つほど歳上の物静かな青年。


 彼の闇を思わせる黒い髪は今の私の心境にぴったりだし、氷のような冷たい輝きを放つ紫の瞳も、私の心の荒波を沈めるにはちょうど良かった。


 何より彼は無口な上に、私とラウルの今までの関係値を知らない。だから長い事私の側にいる他の近衛と違い、こちらに気を使うような視線を送ってこないことが、気楽で良かった。


 失恋をした時、もちろん相手への断ち切れない想いはすぐには消えないし辛い。けれどそれよりも辛いのは「かわいそうに」という、同情の眼差しだ。


 ずっと部屋に引きこもっていたいと願ってしまうほど、周囲から注がれる憐みの視線が私の心をすり減らす。


 けれど、私は王女としての責務をそれなりに背負う身だ。よって王城で開かれる夜会に失恋を理由に欠席するなんて許されるはずもなく……。


「ラウル様がご結婚なさるんですって」


「では、フローラ殿下をお選びにならなかったってこと?」


「そうみたい。でも原因は何かしら」


「フローラ様がラウル様をお慕いしていらしたのは、公然の秘密だったわ。だとしたら、エリン様が横恋慕でもしたのかしら?」


「そういう噂は聞かないし、やっぱり年齢差なんじゃないかしら?」


「でもエリン様って今年二十八でしょう?若さでいったら、フローラ様の方が勝っているじゃない」


「だから若さに勝る魅力がエリン様にはあるってことじゃない?」


「そうよね。確かに、エリン様は切れ長で涼やかな目元がとても美しいもの」


「そんなお綺麗な奥様を娶るラウル様は、見る目があるってことよ」


「しかも辺境伯の爵位もセットでついて来るしね」


 ヒソヒソと囁かれる噂話や勝手な憶測は、否が応でも耳に入ってくる。私は思わず顔を歪めそうになるのを何とか堪えている。


 こういった類の話はデリカシーに欠けるし、何よりも自分の行動が噂をされされていると思うと不快極まりない。


 しかし、ここで私が反論すれば、さらに噂は尾ひれをつけて広まるだろう。


 それは私の本意ではないし、そもそもわかりやすくラウルに恋心をぶつけていたのは私自身だ。だからこれは全て自業自得なんだからと、罰を受ける気持ちで必死に耐える。


「礼儀正しく、優雅で、上品かつ控えめで、しとやかな淑女であれ。今ならマナーの先生が口を酸っぱくして言っていた意味がわかる気がするわ」


 一人呟くも、返事はない。


 もし側に控えるのがラウルだったら、きっと何か励ましの言葉を口にしてくれたはず――なんてつい考えてしまい、そう思う自分が女々しくて嫌になった。


「どんな時でも堂々としていて下さい、殿下」


 諦めていた励ましの声がかけられ、私は斜め後ろに顔を向ける。


 すると黒い騎士服姿のリアムが、毅然とした態度のまま、噂をする彼女たちをギロリと見据えていた。


 まるで番犬のように威嚇するリアムに、噂話をしていた令嬢たちはみんな萎縮し、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。


 私の物静かな近衛騎士は、意外に威厳と迫力があるらしい。頼もしい限りだ。


「ありがとう、リアム。助かったわ」


 私は彼にニコリと微笑むと、彼は少し頬を赤くしながら俯いた。


「いいえ……殿下のお力になれたのなら光栄です」


 恥ずかしそうに答えるリアムはどうやらシャイな人なのかも知れない。


 何だかんだ、腫れ物扱いされる私にとって、今側に付く彼だけが心を癒し、慰めてくれる人物であることは確かだ。


 でもきっと彼とは結ばれない。


「近衛はこりごりだもの」


 私はボソリと独り言を呟く。


「え?」


 リアムは聞き返してきたが、私はそれには答えずただ微笑むだけにとどめた。


 すると、着飾った人達で埋まる私の視界に、一際輝くオーラを発した男性の姿が飛び込んできた。


「まあ、見てよ。噂のお二人よ」


「美男美女でとてもお似合いだわ」


「まるで絵画から抜け出てきたようだわ……」


 そんな感嘆の囁きが聞こえてくる。

 女性たちの視線を浴びるその男性は、艶のある金髪を後ろに撫でつけ、深い海の色をした綺麗な瞳で、今日は近衛の制服ではなく礼服を見事に着こなしている。

 そして彼の隣には赤いドレスを着たとても美しい女性が寄り添い、華やかな笑顔を見せていた。


 寄り添う二人は、会場にいる誰よりも幸せそうに見える。


「ラウル……」


 私は思わずその名を口にしてしまう。


 その名を口にするだけで、私の胸はギュッと締め付けられた。そして改めて気付かされてしまう。


 どれだけラウルに恋をしていたかということを……。


「殿下、ご無理をなさらず、外の空気を吸われた方がよろしいかと」


 私の様子を察したのかリアムが促すように声をかけてくれた。けれど私はそれに答えることも、動くことも出来なかった。


 彼の隣に自分ではない女性が並んでいる姿なんて見たくないはずなのに、彼のことを目で追い、足が動かないのだ。


「フローラ殿下、あなたなら出来るはずです。勇気を持ち、一歩足を踏み出して下さい」


 リアムのどこか切羽詰まったような、厳しい声が飛んでくる。


「リアム……」


 私は縋るような気持ちで思わず彼を見るが、彼は私の目を見ながらもう一度同じ台詞を繰り返した。


「ご自分で一歩前へ」


 その口調に有無を言わせぬものを感じて、私は歩く事に集中する。


「出来たじゃないですか」


 彼は私を見てニコリと笑った。


 その笑顔があまりにも優しくて、私は不覚にも泣きそうになってしまう。


「行きましょう」


 私は割れた人垣の間を、リアムの背だけを見つめながら、今はまだ、泣いてたまるかと、必死に足を動かすのであった。




 ◇◇◇




 柔らかな夜風が周囲にそよめき、静まる庭園内を夜空に浮かぶ満月が優しく照らしていた。


「リアムがいてくれて良かったわ……」


 夜会を抜け出した私は、王城の中庭にあるベンチに腰掛けると、側に控えるリアムに話しかけた。


「お気になさらずに……殿下のお心が少しでも癒されますなら光栄です」


 彼は真面目くさった顔をしながら、恭しくそう答える。


「なんだかリアムって、お父様みたい」


「え?」


 私の言葉に対しリアムは虚をつかれたような顔をする。


「気を使わなくていいとか、無理をするなとか……まるでお父様みたいだわ」


 彼のその態度に懐かしさを覚えた私は、思わずクスクスと笑う。

 すると彼も私につられたのか笑い始めたので、私はますます嬉しくなる。


「でもお父様の事は好きだから、今のは褒め言葉よ?」


「それは光栄です」


 リアムは、優雅にお辞儀をした。


「そういえばリアムはどうして私の近衛になったの?」


 ふと疑問に思ったことを聞いてみる。


 先程の対応を見る限り、私の心情を素早く察知して的確に対応してくれるあたり、とても機転の利く人だと思う。


 王国騎士団の花形とも言われる近衛になるからには、剣術の腕前も相当なはずだ。


 となると、リアムほど優秀な人物なら、きっともっと別の役目が与えられてもいい気がする。


 そんな人があえて私の近衛だなんて……。


「フローラ殿下の近衛に空きが出るからと、騎士団長よりお声がけ頂きました。その後陛下と面談させて頂き、今こうして近衛に就任している訳です」


「そうだったの…… ディートハルト卿の推薦だなんて、やっぱりリアムは優秀なのね」


 騎士団長である ディートハルト卿は父が信頼する友人兼家臣で、私も小さい頃から彼には可愛がってもらっている。そんな人のお墨付きならリアムが私の近衛になったのも納得できる。


「いえ、私はまだまだです」


「謙虚なのね」


「事実ですから」


 リアムは真面目な顔で答える。

 そんな所はお兄様に似ているなと、密かに思った。


「正直に答えて欲しいのだけれど、ラウルにうつつを抜かして、みんなから同情されている私のこと、馬鹿だなって思う?」


「いえ、思いません。殿下は強いお方です。人からの悪意に対し逃げ出さす耐えてらっしゃった。それから、自らの力で立ち直ろうとされるお気持ちに感服しています」


 リアムの真っ直ぐな言葉に、心が少し軽くなった気がする。


 彼の言葉全てが自分に当てはまるとは思わない。しかし、こういう時だからこそ、大袈裟なくらい褒めてもらえるのは大歓迎だ。


「ありがとう……リアムの言葉、とても嬉しいわ」


 私がそう言うと彼は僅かに微笑み返してくれた。


「それで、一つご確認なのですが、ラウル様と過度な触れあーー」


 リアムが何か不敬な言葉を発しかけた時。


「フローラ様!」


 この声は、間違いない。今一番会いたくない人。

 かつて大好きだった、近衛騎士のラウルだ。


「やっぱりここでしたか」


 彼は、ほっとした顔で近づいてくる。


「もうそろそろお開きになる時間ですよ?陛下も心配なさっていました」


 どうやら探してみるよう頼まれたようだ。それは申し訳ないことをした。でも私は彼に会いたくなかった。


 そんな気持ちを汲み取ってくれたのか、リアムがスッと立ち上がり、ベンチに座る私とラウルの間に入るように位置を変えた。


「殿下はご気分が優れませんので、本日はこのまま失礼させていただきます。大変申し訳ございませんが、陛下にはラウル先輩より、お伝え頂けますか?」


 何となく物言えぬ雰囲気を察し、ラウルは渋々と言った様子で引き下がる。


「そうか……じゃあ仕方ないな。分かった。俺が陛下に伝えておくよ。ただ……」


 ラウルは私に視線を送る。


「殿下と少し話をしたいんだ。時間をくれないか?」


 ラウルの言葉にリアムがピクリと反応する。


「ラウル先輩、それはどのようなご用件で?」


 リアムがこちらに視線を送る。私が頷き返すと、彼は了解したという風に再び近衛の位置に戻った。


「見上げると首が痛くなるわ。おかけになったら?」


 ついトゲのある言い方で、ラウルに隣をすすめてしまう。


「ありがとうございます。では失礼して」


 彼はまるで私をバイキン扱いするように、ベンチの端に腰かける。それから小さく一つ、でも明らかに「ふぅ」と溜息を漏らした。


 その態度が私をさらに悲しくさせる。


「フローラ様、お加減はいかがですか?」


 ラウルの問いかけに私は肩を竦める。


「見ての通りよ」


 私の答えに彼は苦笑し、再び溜息をついた。


「ああ、良かった……いつものフローラ様だ」


 ラウルのその言い方に、私は思わずムッとする。


「それはどういう意味かしら?私はいつも偉そうな態度ということかしら?」


「いえ!そういう意味ではないです!」


 彼は慌てて否定するが、その様子もどこかわざとらしい気がする。


「やっと話せました……フローラ様」


 安堵した様子で、私を見て微笑むラウルに、性懲りもなく私の胸は高鳴ってしまう。


「私の事をあからさまに避けてらっしゃいましたよね?」


 私はそれには答えず、黙って彼の次の言葉を待つ。


「結婚のことを、きちんと自分の口から説明できなかったことは、悪かったと思っています」


「……」


 沈黙を続ける私に、彼は静かに続ける。


「ただ、私もフローラ様が十歳の時からお側におりますので、貴方のことは、特別な……大事な妹のような存在なのです」


 その言葉を聞き、私は「あぁ、終わったと」心の中で呟いた。


 彼は、私を妹としか思ってない。それはつまり、異性として見る事ができないということ。


 わかってはいた。けれど本人の口からハッキリ聞くと、その破壊力は半端ないものらしい。


 普段の泣き虫な私がうっかり出てこないよう、私はぎゅっと拳を握りしめて、込み上げてくる感情を押し殺した。


「フローラ様の気持ちが晴れるよう、今後グライナー辺境地をしっかり守ることに、誠心誠意努めますので、どうかお許し頂けないでしょうか」


 彼は誠意を尽くしてくれているのだろう。その真摯な眼差しは痛いほどに感じる。


 そう、ラウルはデリカシーのない所があって、私を散々悲しませてきたけれど、心根はとても優しい人なのだ。


 そして、そんな彼だから私は大好きだった。


 だから、彼への思いはちゃんと断ち切らなければならない。どうしたってこれはもう叶わぬ恋なのだから。


 諦めること。身を引くこと。


 それが私の為であり、私に愛想を尽かすことなく六年も仕えてくれた彼への恩返しになるのだから。


「ラウル、もうその事はいいわ」


 私はきっぱりとそう告げた。


「フローラ様?」


 彼はとても驚いた顔をしたけれど、私は負けないし、もう絆されない。


「結婚のこと、ちゃんと伝えてくれてありがとう……それだけで十分よ」


 私は精一杯の笑顔を作り彼に微笑むと、ベンチから立ち上がる。


 もう泣くのはやめよう。ここでしっかりと決別しようと、私はドレスの脇を両手で握り、背筋を伸ばした。


「エレナ様をさっき遠くから拝見したけれど、とても美しい方ね。貴方と並ぶとまるで絵画から飛び出してきたようだったわ。だから……」


 泣くもんかと思うのに、視界がぼやけて彼の顔をまともに見れない。


「……だから、絶対幸せになれると思うわ。ラウル……兄様」


 私はせめても抵抗とばかり、大好きだった彼の名前に「兄様」の敬称をつけた。


「フローラ様……」


 ラウルの声が動揺しているのがわかる。けれどもう振り返らないと、私は心に決めていた。


 右足、左足、右足、左足。交互に足を動かすことだけを考えて、地面を見つめ夜の庭園を歩く。


 ただ地面を見つめ、モグラの掘った穴にでも落ちたいと、ひたすら足を進めていると。


「フローラ様、そのままだと低木にぶつかりますよ?」


 突然強く腕を引かれ、私はバランスを崩した。


「わっ!」


 声を上げると同時に、温かい何かに優しく包まれる感覚。それがリアムの腕だと分かった時、彼は私を抱きしめていた。


「申し訳ありません……今だけお許しください」


 リアムは絞り出すような声でそう告げると、私を強く抱きしめた。


 その瞬間、今まで我慢していた全てが一気に溢れ出す。


「うっ、わた……し、わたしは、本当はまだラウル様が好き」


「はい」


「でも、彼は妹だって」


「ええ」


「だけど、わたしだって、好きで彼より十年も後に生まれてきたわけじゃないのに」


「そうですね」


「わたしが王女なんかじゃなかったら、あの綺麗な人から奪いたいくらい、それくらい彼のことを大好きなのに」


 心の底に押し込めていた、醜い気持ちを吐き出した。


「だけど、わたしは王女だから、国民の模範でいなくちゃいけないから、そんなことできない」


 力なく呟く私の背を、リアムはゆっくりゆっくり摩ってくれる。


「本当は、ラウル様を独り占めしたいくらい好きなの」


「フローラ様……」


 私は溢れてくる涙を止められず、幼子のように泣きじゃくった。そんな私をリアムはただただ抱きしめ続けてくれたのであった。




 ◇◇◇




 どのくらいそうしていただろうか。

 私が少し落ち着いた頃、彼はそっと腕を解いた。


「もう大丈夫、ありがとう」


 私が涙声でそう言うと、リアムはハンカチで涙を拭ってくれた。そして、ハンカチを渡そうとしているのか、彼は私の手を優しく握る。


「ふっ……うっ……」


 そんな彼の優しさに、またもや嗚咽が漏れる。我慢したいのに、やっぱり次から次へと流れる涙を私は止めることが出来なかった。


「フローラ様、今まで辛かったですよね……」


 そんな私の気持ちを察してか、私の手を握りしめ包み込んだ彼の力がより一層強くなる。


「不敬とは知りながら言わせて頂きます」


 彼はそう前置きをした上で口を開く。


「私は貴女をお慕い申し上げております」


 突然の告白に驚いて彼の顔を見上げると、そこには真っ直ぐこちらを見つめるリアムの美しい瞳があった。


「本当はまだ知らせるつもりはなかったのですが」


 私から手を離し、言いづらそうに視線を下に落とした後、彼は申し訳なさそうな表情になる。


「実は私……俺は、クラナユ王国の第一王子、リアム・クラナユと申します。その証拠として、こちらをお見せ致します」


 そういってリアムはポケットから小さな包みを取り出す。そして包を丁寧に開封すると、中からはクラナユ王家の象徴である、竜の紋章が刻印された指輪が現れた。


「それって」


「ええ。あなたもテオドルフ王国の紋章の入った指輪をお持ちのはずだ。この大地を神より統治する事を許された王家の一員の証として」


 私は頷くと、首から下がる指輪に触れる。


 つまり、彼は本当に。


「クラナユ王国の第一って、王太子殿下ってことになるのかしら?」


 私の少し間抜けな問いに、彼は笑みを漏らしながら静かに頷いた。


 そんな……確かにとてもめずらしい紫色の瞳をしているとは思っていた。けれど、まさか王子だなんて想像もしていなかった。


 だって近衛だと紹介されたし。


 事実を噛み締めると、途端にまずい事になったと思う気持ちが込み上げる。


「あ、あの、先程の」


 わめいて泣いた件と言おうとする私を彼が遮る。


「残念ですが、ラウルをどれだけ想っていらしたとしても、あなたと結婚するのはこの俺です」


 冗談かとも思ったが、彼の眼差しは真剣だった。私はまた、ラウルという言葉を耳にし、じわりと目に涙を溜める。


「俺と結婚してください」


 そんな私の涙を彼は手にしたハンカチで拭いつつ、改めてそう告げた。


「で、でも……私なんかと結婚して大丈夫なのですか?」


 私を求めてくれるのはる嬉しいけれど、なんせ数分前に失恋したばかり。


 まだ誰かを好きになるなんて、ちょっと無理そうだと思った。


 それに、まさか自分の婚約者だなんて思わず、顎で使った上に、ラウルへの想いを吐き出していたような気がするのですが。


 それって王女的に、将来の王妃候補としても、相当まずいんじゃないかと青ざめる。


 私は悲しみに恥ずかしさが加算され、ますます涙が止まらなくなる。


「大丈夫です。俺は泣き虫で、顔だけがいい男にコロッといくような所があっても、貴女を心から愛していますし、何よりこれは政略的なものなので。答えはイエスしか聞きません」


 笑顔なのに、有無を言わさぬ迫力に、私は少し気圧される。


 ちょっと怖くて、涙も止まった。それだけは心から感謝の気持ちを抱く。


「せ、政略的なものって、何ですか?」


 初耳だと、私はたずねる。


「オルレット王国が領地拡大を目論んでいると数年前から情報がありました。それを知った我がクラナユ王国とテオドルフ王国は、無闇に争いを起こさぬために、王家同士の婚姻を結びぼうと両国王が話し合いました。クラナユとテオドルフの二つが手を組めば、強大な国土を保有する同盟国となりますから。流石にオルレット王国も簡単に手出しは出来なくなると思います」


「そ、そうだったのですね……」


「はい」


「でも、そんな大事な話なら、私にいちいち同意を求めなくても良いのではないでしょうか」


 私は至極当然な疑問をぶつける。

 流石に王命とあれば、私だって断れないし、政治的な理由をきちんと聞いた今なら、ラウル様に対する未練に縛られている場合ではないことくらいは理解できる。


「まさか。貴女がこの話に納得するはずがないでしょう。だってあなたはラウルのことを」


「確かに私は彼の事が好きでした」


 リアムの言葉を遮り、私がそう話すと、リアムは悲しそうに目を伏せる。


 そんな彼の表情を見て、私は慌てて言い訳をするように言葉を連ねた。


「でもそれは、年上の彼にまだ淡い恋心を抱いていただけで……もちろんリアム様の事を今好きかと言われると自信がないですけど」


 私は正直な気持ちを告げる。先程まで「近衛はこりごりだ」と思っていたのに、急に近衛から王子に変身したリアムを「やっぱり好き」とは、流石にならないから。


 それに確かに私は婚姻相手を勧めてくるしつこい両親に「ラウルならいいわ」と言い返し、それ以上先に続くであろう、婚姻相手の話を聞こうともしなかった。


 なるほど、両親はリアム様のことを私に伝えたかったのかも知れない。だからラウルに対し、いつまで経っても私と結婚しろと、王命を発令しなかったのだ。


 それなのに私はラウルの事で頭が埋まり、結婚できると本当に信じていた。


 なんて滑稽なんだろう。


 なんだかどっと、疲れてきた。


「今はそれでも構いません。むしろ、傷付いている今こそ、あなたの心の隙に、付け込ませて頂くチャンスですし」


 リアムは優しい眼差しを私に向けると、そう断言する。


 チャンスって、なに?


 そもそも王命なんだから、政略結婚するしかないはずだ。


「俺との結婚はどうしてもお嫌ですか?」


「その質問は少しずるいと思います」


 彼の押しに私は思わず苦笑した。そんなの嫌なんて、私が言える立場にないのを知ってるくせに。


 彼は、一見すると優しく思えたけれど、案外ズルいところがあるのかも知れない。


「貴女には俺の隣で笑っていて欲しいのです。絶対に後悔はさせませんから……だから俺にチャンスを頂けませんか?」


 そんな真摯な瞳を向けられたら断れる訳がない。

 何よりこれは政略結婚なのだから。


「そこまで言うのなら、私でよければ……」


 私の答えを聞いた彼は、それは嬉しそうに顔を綻ばせる。その笑顔に私は思わず見惚れてしまう。と同時に、もしかしてこの人は私の事が本当に好きなのだろうかと、信じ始める気持ちになった。


「フローラ様、お手をどうぞ」


 そんなリアムの言葉に我にかえると、彼は私の目の前に跪いていた。そしてそっと私の手を取ると手の甲に口付ける。


「あ……あの」


 突然の事に私が動揺していると、リアムは少し悪戯っぽく笑った後、スッと立ち上がる。


「俺はあなただけの近衛騎士ですから。これくらいはお許しください。でも、近いうちに貴女の心を必ずこちらに振り向かせて見せますから」


 彼のそんな言葉に、私は赤くなった頬を隠すように、手で口もとを押さえた。


 そしてふと、まだ一つ重要な疑問が残っている事に気付く。


「あの、質問をいいですか?」


「どうぞ」


「……クラナユの王太子ともあろうお方が、どうして騎士に変装などしていたのですか?」


 うっかり手の甲にキスを落とされ、呆然としていた私はなんとか言葉を紡ぎ出す。


「各国の王太子同士が交流を持つという名目で、定期的に集まって情報交換や飲み会のような事を行っているのですが、今回の会合で、あなたの兄エミールに「妹は美丈夫な近衛に夢中だから、戦争待ったなし」と知らされまして。先ほどお伝えした通り、すでに水面下で私とあなたの婚姻の話は、両国で前向きに検討していました。ですから、これは何が何でも自分であなたに起きている状況を確認しておくべきだと思いまして。戦争となれば、必要以上に何の罪もない民の命が失われる事になりますし……」


 リアムはバツが悪そうに視線を泳がせた。

 けれど罪のない民が巻き込まれるのは、確かに私としても避けたい事態だ。


 そして私のラウル様への想いが、危うく国をも巻き込む大問題になりかけてしまう恐れがあったと知り、今更ながら肝が冷える。


 さらには先程聞いた、私の近衛になった理由が全て嘘だと悟り、唖然としてもはや言葉が出ない。


 でも一番許せないのは。


 エミール……あのお喋りめ。


 私は兄エミールを人には言えない言葉で密かに罵る。


「それに、俺はあなたの飾らぬ中身を知りたかった。ですから正面切ってお会いしても意味がないと思い、ヴィクトール陛下にご相談し、近衛に変装をしてあなたの護衛を務める許可を頂いたのです。騙すような形になってしまい、申し訳ありませんでした」


 リアムは深く頭を下げる。


「いえ、私が貴方の立場なら同じ事をしたと思うし、その判断は正しいと思いますわ」


 私は慌てて頭を上げるように促す。


「ありがとうございます。では、今回の件を許して頂けると思っても?」


 リアムは不安げな表情で私を見つめる。

 私は大きく頷いた。


「ええ、もちろんです。でも、一つだけお願いがあります」


「何でしょうか?」


 リアムは姿勢を正し、私の言葉の続きを待つ。その真剣な面持ちに、私も姿勢を正して彼を見つめた。


「できれば、先程の、その、心の叫びといいますか、「王女じゃなければ」からの……を綺麗さっぱり記憶から消去して頂けると嬉しいのですが」


 私は初恋が敗れ、自暴自棄になり本音を吐き出してしまった事を今さら後悔する。


「それは、難しいお話ですね」


 リアムは困ったように微笑む。


「俺は礼儀正しく、優雅で、上品かつ控えめで、しとやかな淑女ではないあなたを素敵な女性だと思い、好ましく感じましたので」


 リアムはそう言って、私に優しく微笑む。


「う……」


 そんなリアムに私は何も言い返せなかった。


「では、そろそろ参りましょうか。お手をどうぞ」


 彼はそう言って再び手を差し出す。私はその手を素直に取る。


 手袋越しの彼の手は、とても温かかった。


 そしてラウルに失恋した惨めな私の側にいて、救いあげてくれたのは、なんだかんだ言っても彼なのだと気付く。


 彼に手を添え、ゆっくりと歩きながら思う。


 私はこれからどうなるのだろう。

 本当に、クラナユ王国の王妃になんてなれるのだろうか。


 王女としてらすら未熟な私が、母のようになれるのかと不安に思う。


 でも悩んでいたって仕方ない。


 そうなる未来が決まったのだから。


 私はきっとこの先、自分の人生に多大なる影響を良くも悪くも与えてくるであろう、隣を歩く彼のことを真っ直ぐ見つめる。


 そわそわと風に揺れる彼の黒髪は柔らかそうで、私を見つめるその瞳は、神秘的に輝いていて綺麗だ。


 これ以上ないくらい、最悪な状態を見られた私には隠すものがない。


 つまり彼は、すでに私を王女としてではなく、フローラという一人の人間として見てくれてるのかもしれない。


 それが私の小さな自信につながっていくような気がした。


 だけど今はまだもう少しだけ、初恋を整理する時間がほしい。


「あなたと政略結婚する事に異論はありません……が」


 私はリアムに手を引かれ、促されるままゆっくりと歩きながら、何とか伝えなくてはと勇気を出す。


「が?」


「その、私……」


「ゆっくりでいいですよ。俺はいつまでも待ちますから」


 そんな彼に私は意を決して告げる。


「ま、まずは、結婚を前提としたお手紙交換から、お願いします」


 私がそう言うと、リアムは一瞬驚いた顔をしてから、クスクスと笑った。


「あなたは本当に面白くて、可愛い人だ」


 心から笑みがこぼれているような、そんな穏やかな彼の表情に私は見惚れる。


「わ、笑わないでください」


 恥ずかしくて私は思わず俯いてしまう。


「いえ、あまりにも可愛くて。それと、政略結婚だけの気持ちであなたと結ばれるというのは、あまりに俺が可哀想です。ですから、少しはあなたに惚れて頂けるように頑張りますね」


 リアムは、彼の発言に戸惑っている私の手を更に強く握りながら、優しく微笑む。


「その自信は一体どこから来るのですか?」


 私は思わずそう聞いてしまう。すると彼は悪戯っぽく笑って言った。


「あなたは俺の初恋相手だから……ですかね?」


「え、そうなんですか?」


 最後の最後に明かされた爆弾発言に驚く私の問いに、彼は答える事なく、ただ優しい眼差しを私に向けるのであった。



 おしまい

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[良い点] 凄い!初恋から失恋、第二の恋の予感、政治的状況、王族の家族仲の良さ、甘々シーン、1話に全部が説明っぽくなく入ってて胸キュンありでした! 凄いです! 他の読みます!
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