どうも、当て馬令嬢です。皆に感謝される縁結びですが、本人だけがご利益を得られません
しずかな庭園。
午後の光がよく手入れされた緑をやさしく照らし、大理石のガゼボは上品にたたずんでいた。
ずっと一緒にいたい。
透輝石のような目をまっすぐ見て、わたしがそう伝えるとあなたは、はにかんで、でも少しだけ嬉しそうに、手を握り返してくれたのに。
わたしが、子供すぎたからいけないの?
それなら。
それなら──
*
フルーセル侯爵家は、王都の貴族街に屋敷を構える上流貴族である。
数代にわたって王家からの覚えもめでたく、領地経営や資産管理にも成功している、非の打ち所のない貴族だと見なされていた。
当代の侯爵は文官として出仕もし、その役職は花形ではないながらも中堅どころ。先代は老齢にあっても健在で、領地と王都を行ったり来たりしながら若い者をよく手助けし、また過度な干渉はせず、と理想的な代替わりを遂げつつあった。
……ただひとつ、次代の縁組を除いては。
「お嬢様、ギムソン家からのご使者が先ほど帰りました」
侯爵家の二階にある一室。
入り口の扉をノックした若い従僕が、冷静な声で告げた。
ギムソン家とは先日当家の跡取り娘が、何度目かの見合いをした、その相手のことである。
「……あらそう。私を呼ばずにお帰しになった、ってことは……」
「連敗記録更新ですね」
「連敗って言うなあーーー!」
主の扉越しの返事に、従僕がこれまた冷静に返せば、バン! と大きな音を立てて扉が開き、従僕の撫でつけられた黒髪がちょっとだけそよぐ。
部屋の中、仁王立ちで叫んだのはご令嬢本人だった。
──フルーセル侯爵家令嬢、コンスタンス・ガードナー。
齢十四にして、既に次代の当主と目される、才気あふれる一人娘だ。
令嬢に必要とされるマナーや芸事を修めるのは当たり前、それどころか既に周辺各国の言語はおおむね習得、祖父の指導のもと政治や経済、地理歴史など知識の研鑽にも余念がない。
容姿も、他国の貴人たる母の美貌を受け継ぎ、背まで伸ばされたまっすぐな銀髪は室内でも艶やかに輝き、蒼の瞳は理知的な光を宿し、磨かれた肌にはにきび一つない。
身につけたドレスやアクセサリー、ちらりと見える室内の調度品からも趣味の良さがうかがえる。
……ただし。
その見合いは連戦連敗であった。
「一応、聞いておくけど。……理由はおっしゃってたの?」
「ええまあ。他家のご令嬢との婚約が調われたそうです」
「……また?」
眉間にしわを作る令嬢を咎めることなく従僕は返す。
「またです」
そう、『また』だった。
コンスタンスが今年に入ってから始めた婚活、そのすべてで、『別の相手ができたから』と断りを入れられているのだ。
「もうこれで、何回目でしたっけ」
「さあね……片手の指の数では足りないことだけは覚えてるけど」
コンスタンスは肩をすくめる。目の前の従僕は慰めようとしているのか、何かを堪えるように、
「……まあ、ある意味……見る目はおありだってことかと思いますよ……、どの殿方もバッティングする、競争率の高いいい男を選ばれて……ぷふっ」
「って笑いを堪えてたんじゃない!! いいからもう、次の釣書持ってきなさいよ、届いてるんでしょ?」
「ふふふ、失礼。こちらに」
憤然と命じると、従僕はどこからともなく釣書を出した。
上等な装丁がされた、絵姿付きの身上書が、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ──
「……いや、増えてない?」
「ええ、七名いただいておりますね」
「なんで? ……ふつう、こんなにお見合い断られまくってる女、敬遠されるよね?」
自分で卑下するようなのも何だが、それが世の理のはずである。
主の疑問に従者はしれっと答えた。
「それは、お嬢様が、今や社交界でこう呼ばれているからですね。
──『当て馬令嬢』、と」
「はい???」
──身分違い、親族の反対、金銭的問題、先祖からの因縁、嫉妬した第三者による妨害、拗らせすれ違い、もだもだ両片思い。
それらによって引き裂かれ(?)つつあったカップルを、次から次へと薙ぎ倒し、くっつけて回る──
「愛の神の使徒、『当て馬令嬢』。それがお嬢様の現在最も有名な二つ名です」
「そんなことになってるの!?」
っていうか最もってことは他にもあるの二つ名、いやそれは今はおいといて、
「えっじゃあこれ」
「はい。すべてがそうではないでしょうが、恋の成就に苦しまれた殿方やその周囲からの、あわよくば……といった思惑の乗ったものもありましょう」
…………。
黙り込んだコンスタンスに、従僕は静かに続ける。
「やめますか?」
婚活。
……この従者は、十四歳の主が積極的に婿を捜すことには、ずっと反対の立場だった。
だが、コンスタンスは首を横に振る。
「ううん」
ふう、と深呼吸。改めて部屋に招き入れ、卓上に釣書を広げてもらう。
名前を見ると、すべて実在する貴族の男子だ。よけいなからくりなどないように見えるし、おそらく不適格な者はコンスタンスの目に入る前に撥ねられているだろう。
身上書にあることは似たり寄ったりで甲乙がつけがたい。絵姿をじっくり見るが、やはり、正直、特徴などない。
見かねたらしき従僕が口を開く。
「お決まりになりませんか。でしたらわたくしのお勧めは」
「や、いらな──」
「こちら。そしてこちらの方でございます」
……言われてしまった。初めてではない。
その時はこの男の言うとおりにして、……そしてもちろん、断られたから今またこうなっている。
どっちだ。素直に選ぶことは見越していまい。
裏をかいて──いやそれも手の内か、裏の裏──
……ふうー。コンスタンスは大きく息を吐いた。
(やめよう)
カードゲームをしているわけではないのだ。一応、一生の伴侶を決める、重大局面のはずである。
改めて端から、じっくり絵姿を見返した。
そして、彼が推さなかった一人の少年を選んだ。控えめな若葉色の瞳に、ふと惹かれたのだ。
*
ウェルトン公爵家の分家から入った養子、エリオット・フォーサイス。年はコンスタンスの二つ上の十六歳。
家格はあちらが上ながら、物腰はやわらかで折り目正しく、こちらを立てる気遣いも忘れない。
容姿はコンスタンスには及ばなくともそれなり。会話の端々に垣間見える見識からは、公爵家の教育の成果も感じられる。
およそ女侯爵の婿として理想的ではある。
「なぜ、私との縁をお望みになりましたの?」
デートコースとしてセッティングされた、気鋭の画家の展覧会。一通り鑑賞し終わった後、美術館に併設のカフェで、コンスタンスは率直に切り出した。
両家の従者は壁際に控えさせており、テーブルにはお互いだけがついている。
エリオットはそれは、と言いかけて緑の目を細め、苦笑する。……これは、知られているな、例の『二つ名』とやら。
仕方ない、こちらから水を向けてやるとしましょう。
「エリオット様はお話ししていて気持ちがよく、またエスコートも完璧。絵画や芸術に対する姿勢からは、ほどよい好奇心もお持ちのようで、そちらも好ましく感じましたわ。パートナーを立てつつ時流に目を配ることも怠らない、まるで女当主を支えるために生まれてこられた方のよう」
にっこり。
顔の前で夢見るように両手を合わせ、とどめに笑ってみせれば、参ったな、と少年は頭をかいた。
そして始まったのは身の上話である。
「……もともと僕はね、長年子のできなかった公爵夫妻に、養子にとられる予定だっただけの男ですよ」
「ええ」
知っている。彼はウェルトン公爵家の分家筋の子爵の次男坊だ。
子爵夫人は健康で男の子ばかり三人産み、実の父である子爵も有能な官僚として名高い。
それらの資質を見込まれて養子縁組がされたことは明白だった。
「それがね、五歳になったら公爵家に行くんですよ、と言い含められて生家で過ごしているうちに、公爵家の義母上がご懐妊されて」
そこで効果的に言葉を切り、紅茶に口を付ける。
何とも絵になるとわかってやってるな、とコンスタンスは自分をそれはそれは高い棚に上げて思った。
「でも、義母も高齢出産でしたので。スペアも必要、ということで、約束通りに五つの年から公爵家でお世話になることになったのです」
「……つまり?」
「ええ、つまり、世間で言われているような、公爵家の姫と娶せるために養子にとられたのではありません。義妹もお陰様で公爵家の跡取りとして健やかに育っておりまして、スペアとしての僕もそろそろお役御免でしょうし」
それも、当然知っている。わからないのはエリオットが今日、ここにいる理由だ。
「では、なぜ私と?」
コンスタンスは重ねて微笑んだ。……何となくこの男は、ことここに於いては策を弄さないような気がしていた。
……憎っくき誰かさんとは違って。
案の定、エリオットは静かに口を開いた。
「……義妹が、……最近、恋をしたようだと。義母と使用人が話しているのを聞いてしまって」
「まあ」
「僕に聞かせるつもりはなかったようなのですけれどね。……まあそれで、もしこの身がかわいい義妹とお世話になった公爵家の邪魔になるようならば、さっさと片付けてしまうに限る、と」
「嫌ですわ、片付ける、だなんて」
「これは失礼。……でも僕はお役に立てそうなのでしょう? でしたら、適材適所ではありませんか」
うふふ。
ふふふ。
午後の光の射し込むカフェで、美少女とそれなりの容姿の少年が微笑みを交わし合う。
──それで、なぜ私と?
三度目は聞かなかった。必要がなかったからだ。
*
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「あら、お帰りなさい」
執事と母の声が重なった。二人は玄関ホールで飾り付けか何かの相談をしていたようだ。
家用の比較的地味なドレスを着ている母は、それでも今日も輝いている。コンスタンスと似た容姿だが、銀の髪と睫毛は豪奢にカールしていた。
母国では高貴な身ながら、若き日、海外赴任中の父と大恋愛の末この国に単身嫁いだという、見た目に似合わずなのか、その通りなのかいまいち判別のつかない武勇伝を持った母である。
「首尾はどうでした?」
首尾。……首尾かー。
コンスタンスは肩をすくめる。
「まあ、私はともかく。先方は十分に勝算がおありのようでしたよ」
「あらまあ、そうなの。ふふふ」
母までこれである。例の『二つ名』は、どうやらだいぶ広まっている。……先に教えてほしかったなあ。
半笑いになっていることを自覚しつつ、傍らに控えている男に声をかけた。
「オリヴァー。あなたの勝算じゃなく、彼の勝算だからね」
「心得ております、お嬢様」
慇懃に礼をするのはいつぞやの従僕だった。
「まったく、お嬢様は愚息などよりよほどしっかりしておられる。こやつのほうが四歳も上とはとても思えませんな」
などと言いつつ完全に声が笑い含みなのは、彼の父親でもある執事だ。
「……あなたもオリヴァーみたいに、『もう少し子供でいてもいいのに』、とか言うつもり?」
「いえいえ、そんなことは」
じと目で見やれば否定されるが、その含み笑いは本当に息子にそっくりだ。髪こそ白髪が目立ち始めているが、傾きかけた陽の光が入り込んで煌めく、その緑色の瞳も。
はぁー。コンスタンスは大きく息を吐いて、腰の両側に手を当てた。居丈高に言ってやる。
「ウェルトン公爵家のご令嬢と一緒だよ。これでも跡取り娘だからね。
早いとこ立場を固めて、家のことをもっと勉強したいんだ。
婿ぐらい捕まえられるようでなきゃ、お祖父様やお父様も、お前たちも安心できないでしょう?」
「そうなの、ふふふ」
従僕は賢明にも沈黙を守り、大人たちは肯定も否定もせずに笑った。
なんだかついさっきの自分たちのようだな、なんて思ってしまい、コンスタンスも一緒になって苦笑するのだった。
*
断りの知らせはそれからすぐだった。
エリオット直筆の添え状には、世話になったフルーセル家のますますの発展およびコンスタンスの成功を祈る言葉と、次期公爵夫妻の盛大な結婚式には、ぜひパートナー同伴でいらしてください、と綴られていた。
*
「逃がした魚は大きい、というやつかの?」
侯爵家の応接間の一つ。家族の団らんにも使われる部屋で、四人の大人たちがグラスを傾けていた。
髭を撫でながらつぶやいたのはこの場での最高齢、前侯爵だ。
「どうでしょう。コンスタンスもわかっていたようですよ、お相手がかなりの狸だということは」
侯爵夫人はおっとりと微笑みながら、顔に似合わぬことを言う。慣れているのか周囲は平然としているが。
「それで躍起になって捕まえておこうというわけでもないのですから、お嬢様はあくまでもご自分の力で我々を掌握しよう、ということなのでしょうな」
まるで家族の一員のように寛いでいるのは執事だ。……名をフルーセル子爵、ジェームス・ソーンフィールド。
執事でありながらフルーセル侯爵家に関わりの深い分家の当主にして、家業の補佐役でもある。
「『家のことをしたい』だったか……。そんなに慌てることはないというのになあ、私が家業のことを朧げに知ったのは十五の時だったぞ」
憂いを帯びた声でぼやくのは現侯爵。……この四人が、当代における国王から任じられた、諜報機関の元締めである。
フルーセル侯爵家。非の打ち所のない、伝統と格式を体現したような貴族の正体は、代々この国の『影』を司る一族だった。……狸どころか魑魅魍魎の親玉だ。
「それは仕方がないかもしれませんわ。あの子のそばにはずっとオリヴァーがいましたもの」
当然、コンスタンスには知らされなくても、四つ年上で実務担当予定のオリヴァーはだいぶ前から従僕修行と並行して特殊な訓練を受けている。今のコンスタンスの年よりも、もっと幼かった頃から。
前侯爵が体を揺らして笑う。
「く、く、オリヴァーのう。過保護にも程があるが、あのやり方では伝わるまいに」
「伝えようとも思っていないのでしょう。誰に似てあんなへたれに育ったのやら」
「そのくせ妨害だけは一人前ときた。譲る気はないのではないか?」
父親たちは揃って嘆く。どちらからともなく、空いたグラスにおかわりを注ぎあって、チンと合わせ、そのまま煽った。
影とて暇ではない。いくら将来の上司の縁談といえど、毎回潰して回るような酔狂はしない。
そろそろ両手の指の数にもなる、コンスタンスの当て馬縁結び武勇伝は、……実のところたった一人の諜報員見習いの手によってなされていた。
やけ酒の様相を呈してきた夫たちを尻目に、侯爵夫人はナッツをつまみつつ思い返す。
「本当に、お相手候補を選別する時点でそれらしき人物を残す情報収集能力、顔合わせが決まった途端迅速に元の恋人との話をまとめ上げる交渉の手腕、果ては『武勇伝』を広める情報操作能力、すべてが及第点なのですけれど。それを自分の足場固めに使うどころか、問題の先送りに全力でつぎ込むなんてねぇ」
「ソーンフィールドから我が家に婿入りした者も、その逆もおるのになあ。何を躊躇っているのやら」
実父のしみじみとした述懐に娘の結婚を仄めかされ、現侯爵は突然酒が酸っぱくなったような顔をしたが、やはり誰も気にしていなかった。
「もしかして、あの子が早く大人になりたい理由を知らないのかしら」
「お嬢様が? それは私も存じませんな」
けろりとした声で執事が聞き返した。いくら痛飲したとしても、泥酔するような半端な鍛え方をしている者はここにはいない。
「うふふ、それはもちろん、ずっと隣にいた相手が急に自分を置いてきぼりにして大人になっちゃったからだわ。いっときのあの子のオリヴァーを見る目といったら、恨めしげで仕方なかったもの」
ゴッ。侯爵の頭が卓に激突した音である。
平然とくすくす笑う母親に反して、父親はなかなか回復が見込めそうにない。
「ほう。ほう……ということか、ふむ」
祖父は髭をひねりつつ何か思いついたようだ。
「うむ、この際だ。皆、賭けでもせぬか?」
「賭けですか?」
そうさな、と前侯爵は指を立てつつ並べた。
「オリヴァーが腹をくくるのが早いか、コンスタンスが魔の手をくぐり抜けるのが早いか。それとも」
「……コンスタンスがオリヴァーを捕まえるのが早いか?」
ぶはっ。
茶目っ気たっぷりに続けた侯爵夫人に、前侯爵と執事は揃って吹き出した。
「賭けになりませんな、奥様」
「そうじゃの。それは既定路線として、時期を賭ける形にするか」
「うう……」
泥酔するはずもない夫のうめき声を背後に、かつて自国にやってきた外交官兼諜報員のもとに最終的に押しかけ嫁に来た元皇女様は、今でも仕事にだいぶ便利な傾城の微笑みを浮かべた。
「それも案外すぐじゃないかしら。だってコンスタンスは、私にそっくりですもの」
「小説家になろう」向けとして書いた最初の作品です。
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