地元の縁切り神社
おとといの朝に送信したトークにも、既読はついていなかった。
(これは……もうブロックされてんのかなぁ)
ほんの一週間前までは、スマートフォンを何度も震わせて彼女との繋がりを感じさせてくれたLINEも、今や開くたびに虚無感をもたらす害悪アプリに変わってしまっている。
(他に男がいるって話も、マジだったのかよ……)
一週間前の、別れる発端となった大喧嘩を思い出す。他に大事にしてくれる男がいるってのは、苦し紛れの捨て台詞だと思っていた。しかし、彼女は関東の実家に帰ったきり音信不通。俺もムキになって自分の実家へ帰った後は、もうどうにでもなれと不貞腐れている。
恋愛経験の豊富な奴なら……もう終わった恋だと割り切って、すぐに新しい出会いを探しに行けるのだろうか。残念ながらアラサーになって初めて彼女ができた俺に、そんなメンタリティがあるはずもなかった。職場が実家からでも通える範囲内なのは幸運だった。こんな状態ではむしろ仕事に行った方が気を紛らわせることができる。家の中でじっとしていても、何が問題だったのか、誰が悪かったのか、答えの出ない自問自答が繰り返されるだけだ。
しかし、今日は日曜日。さすがに休日まで仕事に行く気はない。かといって家にいる母ちゃんと話をしてもしょうがないので、俺は黙って家を抜け出し、地元の街を散策することに決めたのだ。
散策というと聞こえはいいが、実際はあてもなくブラブラとうろつくだけ。徘徊のほうが近いかもしれない。じんわりと暑くなってきた朝日に照らされながら、かれこれ30分は経っている。たまにスマホを取り出して未練がましくLINEを確認する様は、我ながら惨めに思えた。
(誰でもいいから、この気持ちを晴らしてくんないかなあ)
そう思いながらあたりを見回すと、右前方にある民家の上から、石造りの鳥居が顔を出しているのに気がついた。
(ん? 確かあのあたりは……)
「ああそうだ、友桐神社だ」
懐かしさに思わず声が出た。友桐神社は俺が地元で唯一馴染みのある神社で、規模は小さいものの縁日の催しもあった。小さい頃はよく行っていたけど、高校からは地元から離れて暮らすことが多くなり、ほとんど関わりが無くなったのだ。
(久しぶりに行ってみるか。苦しい時の神頼みじゃないけど、気分転換にはなるだろう。おっと、賽銭はあるかな)
財布の小銭入れを開き、十分すぎるぐらいの弾があることを確認した俺は、勇んで神社の境内へと入っていった。
境内はとても静かだった。人っ子一人いない。だけど俺の記憶の中にある友桐神社も、だいたいそんな印象だ。いかにも田舎の小さな神社、って感じの。誰もいないのをいいことに、俺はそこら辺にある立札を子どものように読み漁っていく。
「イザナギとイザナミが……へぇー……」
小さな神社ながら、有名どころの神様から由縁があるようで、ちょっと安心する。思えば子どものころは、説明なんか目もくれず賽銭箱に一直線で、賽銭を雑に投げ入れ、適当に手を合わせて、浅く礼をして終わりだった。神様から礼儀知らずな童だと思われていたかもしれないな。
拝殿のそばにも、ひときわ大きい立札が備え付けられていた。
(こんなデカいやつもあったのか、なんで今まで気が付かなかったんだろ。えーと、なになに……)
『友桐神社に祀られている神様は、決別と再生を象徴する神様です。友桐神社は悪い人間関係、悪い習慣といった悪縁を断ち切る縁切り神社として、江戸時代から地元の人々に親しまれてきました』
「縁……切り神社!?」
(初めて聞いた。縁結びの神様や神社ならよく聞くけど、縁切りってのもあるんだ。まさかこの友桐神社にそんな謂れがあるなんて……)
好奇心に引っ張られる形で、俺は立札の内容を読み進めていく。
『縁切り祈願をするためには、まず神前にて、切りたい縁を心の中に念じながら、二礼二拍一礼を行ってください。その後、心を無にして、大きく息を吐きだします。祈願された後は、左方向、時計回りに本殿を回ります。もし逆方向に回ってしまった場合は、切りたいはずの縁とまた結ばれてしまうと言われておりますので、ご注意ください』
(なんか怪しい儀式みたいだ。しかもペナルティまであるのかよ……)
ここまで読んで、少し怖くなった。だが一方で、俺の心は運命的なめぐり合わせを感じていた。
(縁切り、そうか、それってつまり、もうどうにもならない関係はスパッと切ってくれるって事だよな。別れてしまった女のことでいつまでもウジウジ悩んでいないで新しい出会いを見つけなさい、という、神様の導きかもしれないぞ。よし、縁切りの祈願をしよう!)
俺は決意して、ぬかりの無いように、再び立札の説明に意識を戻した。
『順路の途中に、縁結びの神様が祀られている拝殿もございます。こちらにも祈願していただくことで、より良い縁に恵まれると言われています』
(ちゃっかりしてるなぁ、おい)
最後まで説明に目を通した後は、勇んで拝殿の賽銭箱へと進み、五百円玉に念を込めると、そっと賽銭箱に入れた。手順通りに祈願をして、いよいよ順路を進む。左回りだ。ここは間違えちゃいけない。
黙々と、平らな石が敷き詰められた参道を歩いていく。耳に入るのは、俺の靴がわずかに砂利をこする音だけだ。空を見上げると、雲一つない、青一色の晴天が広がっていた。
(おお、これはすがすがしい……ってか、あまりに真っ青すぎてかえって怖いぐらいだ)
他の参拝客もいないせいで、まるで俺と神社だけが、現世から切り離された異世界の空間にいるように錯覚する。その雰囲気に圧されてか、俺の足取りも自然と厳かなものになっていった。
ちょうど本殿の真後ろを過ぎたあたり、説明通りに縁結びの神様が祀られている拝殿があった。相変わらず人の気配は無かったものの、絵馬をかける場所があり、おみくじが入っている木箱も備え付けられている。いかにも普通の神社という佇まいだ。俺も自然と肩の力が抜けていく。
縁切りの神様よりはスケールダウンしていて、木造りの賽銭箱もなく、脇に金属製の貯金箱を細長くしたような筒が備え付けられていた。だからといって、俺は手を緩めるつもりはない、むしろ重要なのはこっちだ。小銭入れの中にあったもう一つの五百円玉を、気前よく投入した。
順路の最後あたりには、さらに小さな拝殿が五つぐらい連なっている場所があった。立札を見てみると、祀られているのは誰もが耳にしたことのある有名どころの神様ばかり。
(こんな田舎の小さな神社まで出張とはね……神様もビッグネームになると大変だなぁ)
小銭入れには残弾が有り余っていたので、もれなく筒状の賽銭箱に入れていったが、どうも景気はよくないらしい。入れた賽銭がことごとく金属の底を叩いて、寂しい音を響かせていた。
とうとう順路を一周し、最初の拝殿の前へと戻ってきた。縁切りの儀式はこれで終了したのだ。ふうっ、と青空に向かって一息をつく。
「なんとなく、気分が晴れてきたかな」
そうつぶやきながら、拝殿の方へ体を向ける。軽く一礼をして、それから神社の外へと歩いていった。
鳥居からのぞく街の風景が、不思議と、今までとは違うもののように見えた。
家に帰った時は、もうお昼前だった。
「ただいま」
「おかえり。あんたいったいどこ行っとったんね」
「いや、ただ近所を散策していただけだよ」
「まったく急にいなくなって……昼ごはんはまだ作ってないから、少し待っとき」
「はーい」
台所で支度をしている母ちゃんとすれ違う時、俺は神社の事を思い出した。
「そういえばさ、母ちゃん、友桐神社ってあるじゃん」
「友桐神社? ああ、小さい頃はよく参拝に行ったり縁日に行ったりしてたねえ」
「今日散歩していた時に、久しぶりに行ってみたんよ」
「へえ」
「それで、この歳になって気が付いたんだけどさ、あの友桐神社って……」
俺は何かを言おうとした。でも続く言葉が出てこない。なんだろう、あの友桐神社で新しい発見をした気がするのだが。
「友桐神社がどうしたんだい?」
「あー、特に何も。久しぶりだったから、参拝の仕方とか色々忘れてたかもしんない」
「あそこはあんたが赤ん坊のころから馴染みのある神社だからね、神様の方はきっと忘れずに見守ってくれているよ。彼女でもできたら、報告に行ったらどう」
「もう、余計なお世話だよ」
「それにしても、なんであんたはその歳になって一度も彼女ができないのかねえ。顔はそんなに悪くないし、ちゃんとした仕事もしているのに。なんか変な趣味でもあるのかい?」
「だから余計なお世話だっての! 俺だって何の対策もしてないわけじゃないし」
そう言って俺は自室に戻ると、スマホを取り出し、いつものマッチングアプリを開いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。