全員がこちらを見ていた
私は生まれつき幽霊が見える。
見えるいっても私には当たり前のことなので、特に気にしてはいない。
気にしていたらきりがないからだ。
通行人が街を歩くことは当然のこと、それと同じように幽霊も街の中に馴染んで浮いているから。
人混みの中を歩くとき、いちいち通りすがりの人の顔を見たり、服装をみたりしないだろう。
私にとって幽霊はその程度だった。
幽霊と人間の見分けも簡単だ。
足がなかったら幽霊で足があったら人間。
話しかけてくるのが人間で、話しかけてこないのが幽霊。
幽霊たちも私たち人間にいちいちかまったりはしない。
人間と幽霊、お互い近い距離にいるがお互いに干渉しない。
だから私もそのルールに準じて暮らしているだけ 私は幽霊が見えてはいるけど見てはいなかった。
そんな毎日だったある日。
いつものように町の中を歩いていた。
新しく買った靴があわなくて、足が痛く、足を気にしながら下を向いて歩いていると。
視線を感じたので前を向くと遠くにいる誰かがこちらを見ていた。
目があって、なんだろう?と思ったけど話しかけられるわけでもなく、特に何もなかった。
ただ意味もなくじっと見られるのが気になった 人として当然のことだ。
視線がうっとおしくなった私は、声をかけようとすると。
その男性は瞳孔を開いてじっとこちらを見ていた。
瞬きもせず、視線も私から一切動かさず、首も体も動いていなかった。
ここで足がなかったことに気が付いた。幽霊だ。
私は声をかけることをやめて、無視してその男性の幽霊の真横を通った。
通り過ぎた後も視線を感じたが、振り向かず歩いた。
駅に着いた。
全員がこちらを見ていた。
駅員、通行人、足がない幽霊、子ども。
先ほどの男性と同じだ。瞳孔が開きっぱなしになっていて、瞬きがなく、呼吸で体が動いている様子もなかった。
おかしいぞ、こんなこと今まで一度もなかったのに。私は怖くなった。
恐怖に襲われながらも知らん顔をして改札を通った。
何かにつまづいて盛大にこけた。
つまづいた何を見ようとしたら、ただの段差だった。
(こけて恥ずかしい…)
立ち上がって周りを見た。全員がこちらを見ていた。
遠くに見える人すらこちらを見ていて、全員が統一された無表情で、私を見ていた。
目が覚めた。
ベッドの上だ。汗をひどくかいていた。
悪夢だったらしい。とんだ夏の日の悪夢だ。
きっとエアコンを消して眠ったしまったせいだろう。
水を飲んで着替えて、家を出た。
街の中を歩く。
夢のことを思い出して、不安になって通りすがりの人の顔をみた。
いたってそこらへんにいそうな見覚えのないサラリーマンの顔だ。
もう一人見た。見知らぬ女子高生だ。暑いのかスカートが短めだ。
(ああ、今日の夢は怖かったな)
と思いながら駅に着いた。
私は盛大にこけた。
段差につまづいたようだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
男性の駅員さんが駆け寄ってきた。
それくらい派手なこけかたをしたらしい。
「い、いえ大丈夫です。では」
ケガはなかった。恥ずかしさはあった。
「気を付けてくださいね」
「は、はいありがとうございます」
男性の駅員さんに優しく言われた。
私は1番線のホームで電車を待った。間もなく1番線に電車がきた。
いつも乗る電車だ。満員電車というほどでもないが、かなりの人数が乗っていた。
(座る席はないな)
と思って私は電車に乗った。
全員がこちらを見た。
座る人、つり革を掴んで立っている人、向こう側の電車のドアにもたれている人、全員。
私は今日の悪夢を思い出した。全員の顔が無表情で瞳孔を開いて、一切顔を動かさずこちらを見ていた。
怖くなって、私は電車の中のすみっこに移動した。
全員がこちらを見ていた。
「あ、あの……」
怖くなって声を出した。反応はなく、全員がこちらを見ていた。
電車のドアが閉まって、何事もなく動き出した。
全員がこちらを見ていた。
全員がこちらを見ていた。
子どもも大人も幽霊も人間もこちらを見ていた。
怖くなって震えた。
全員がこちらを見ている。
私は誰の顔も見ることができず下を向いて、顔を見られないようにした。
それでも視線は私に突き刺さっていることがわかって、全員がこちらを見ていた。
怖くなって、怖くなって、早く電車が止まってほしかった。今すぐにも降りたい。
1秒、2秒、3秒、時間が過ぎるのがやけに遅く感じた。
いまだに全員がこちらを見ていた。
意味もなく、声をかけられることもなく。無音で、自分の呼吸音と電車が揺れるガタンゴトンの音しか聞こえない。
電車が止まった。
全員がこちらを見ている。
ドアが開いた。
全員がこちらを見ている。
私は駆け出して、電車から脱出した。
ひどい汗だ。息を荒げて、今にも倒れそう。
アナウンスが耳に入った
『ドアが閉まります。ご注意ください』
私は、振り向いて閉まっていくドアを確認した。
電車の窓から見える人たち全員が、私を見ていた。
乗ったときと変わらない表情で。
「だ、大丈夫ですか?」
通りがかった駅員に声をかけられた。
「い、いえ……」
怖くて顔が見ることができない。
しかし駅員さんはかがんで私の視界に入ってきた。
目と目が合った――
「…」
心配そうな顔でこちらを見て、瞬きをしていた。
その顔を見て、私はホッとして、駅のベンチに座った。
そうすると、20人前後か――駅にいる全員がこちらを見た。
だけど、何人かはすぐに私から視線がそれた。
どうやら私の様子がおかしく見えたらしい。
確かに、冷や汗もすごいし息も荒いから注目を浴びてしまうのも仕方がない。
近くにいる女性の顔を見たが、私と目が合うとふいっと視線をそらされた。
「救急車呼びますか?」
「い、いえ大丈夫です…」
「何かあったら言ってくださいね」
優しい駅員さんはそう言ってどこかに行った。
呼吸を整えて、自動販売機で飲み物を買って、一息ついた。
『電車が止まります。ご注意ください』
次の電車がきて、止まった。
電車のドアが開いた。
電車の中にいる全員が――こちらを
こちらを見ていなかった。
座ってスマートフォンを触る人や学生同士が話していたり、つり革を掴んで目をつむっている人がいた。
幽霊もいたが、私の方を向いていなかった。
私は、ホッとした。
そのあとは、そのまま何もせず、家に帰った。
あの出来事はなんだったのかわからない。
でもあれから時々、こけてしまったとき、
こけて注目を集めてしまったとき、不安になる。
その場にいる全員がこちらを見ているのではないかと。
瞬きも一切せず無表情で見ているのではないかと。
そんなトラウマが脳裏をよぎった。