私が車にダンボールとタオルを積む理由
私の車のトランクには、常にダンボールとバスタオルが積んである。昨年から始めた行為であるが、今後も積み続ける予定だ。
少し話が変わるが、我が家には猫がいる。真っ黒でよく喋る、平均より少し体格のいい、もうすぐ10歳になる雄猫である。この真っ黒くて人間よりも少し小さな家族は私の人生の隙間を埋めるように現れ、今となっては私の行動原理に関わるほどの影響力を持っている。わかりやすく言うと、めちゃくちゃに愛しているし、この猫に危害を加えるやつが現れようものなら全力で叩き潰す所存である。
この黒くて愛しい家族が増えてから、「猫」という種族そのものに対しての愛着が以前よりも強くなった。
もともと猫可愛いな、好きだな、野良猫がいたら撫でちゃうな、猫カフェは天国であるなと思う程度の猫好きではあったのだが、それがより加速した。
我が家の猫の健康を最優先としているので、野良猫を撫出ることは減ったし、仮に撫でても帰宅後は即風呂だし、猫カフェに行くことも無くなったが、視野範囲ギリギリの境界で見切れそうな猫のしっぽのさきっぽを捉える能力が発達した。
マンションの7階から、昼間、車の排気音に紛れてかすかに聞こえる猫の鳴き声を拾えるようになった。
猫飼いの悲しい話を読んで、我が身に重ねて深く感情移入して涙を流すようになった。
可愛らしすぎて手が伸びなかった黒猫系のグッズを躊躇いなく購入するようになった。
猫に関する記事を書く仕事をするようになった。
野良猫の保護活動に関する公約を掲げる議員候補に投票するようになった。
寒くなってくると車に乗る前に、ボンネットをバンバンして、念のため一度開けてからエンジンをかけるようになった。
愛猫や野良猫の絵を描き、小さな賞をもらえる程度の技術を得た。
猫への愛を語ることにやや文字数を割きすぎてしまったが、このようにとにかく「猫」に関するアンテナの精度が上がったのだ。
さて、そして話はタイトルに戻る。私が車にダンボールとタオルを積む理由だ。
ここまで書けばお察しの方も多かろうが、やはり猫が理由である。
昨年、友人宅からの帰宅中に、車に轢かれたと思しき猫が道路に横たわっているのを発見したのだ。今にも道路が凍りそうな、寒い冬の日であった。
その後に用事…--具体的には店の開店作業である--があったが、自分の信用と見知らぬ猫の動かぬ体の安全を天秤にかけて後者を取った。猫が好きでもなんでもない人からしたら立派な狂気の沙汰であろうが、発達したネコチャンセンサーを持つ私に「見過ごす」という選択肢がそもそも存在しなかった。
その場で停車することはできなかったので、少し進んでから車を止め、かの猫が倒れていた地点まで戻り、その体を路肩に寄せてみたところ、どうやらまだ息があったようで忙しなく腹を上下させていた。
幸い血も流れておらず、パッと見てわかる外傷もない。下半身は動かせないようだが、時折上半身を持ち上げて辺りを見回す仕草をする。
これは動物病院に連れて行くべきである、と判断してその体を抱えあげようとした時である。抱いて運ぶのはこの傷ついた猫の体に大きな負荷がかると気付いてしまった。車まで少し距離があるので、その間抱え続けるのはまずそうだと思ったのだ。
上着でくるみはするが、やはり身体の動きを最小限にするために安定した土台が必要だと思い、一度車に戻ってトランクを漁ったが、ちょうど良さそうなものが何もなかった。
負荷はかかりそうだが仕方ない、当初の案で運ぶしかないと猫の下に戻ると、保健所の職員が到着していた。通行人から通報があったそうだ。余談だが、ここは犬猫殺処分0を継続している県である。
この後はどうするのですか、と問うと保健所経由で獣医師に診せるとのことだったので、後をお願いして当初の予定通り店に向かって車を再発進した。
私が最初に発見してからここまでで、15分ほどが過ぎていた。
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私は猫の外飼いを否定はしない。自分では絶対にやらないが、考え方はそれぞれだ。繰り返すが、自分では絶対に外飼いはしないし、猫を飼う知人には完全室内飼いを強く推奨はするが、外で飼おうが家で飼おうが、どのみち飼う人間のエゴでしかないからだ。
私は、愛猫が外に出たことで事故に遭ったり病気になったり怪我をしたり見知らぬ人に傷つけられたりいなくなってしまったりしたら辛いから、私のわがままで、そう広くない室内から出ないように暮らしてもらっている。
外で飼う人は愛猫を部屋飼いすることで自由を奪ったり、ストレス感じさせたり、筋肉の発達が妨げられたりすることが嫌だから、事故や病気のリスクを理解しつつも外に出すのかもしれない。
これはどちらも人間のわがままである。「飼い始めた責任」をどう考えるかの差でしかない。だから、外飼いを否定はしないが、私は絶対にしないし外飼いする人とは多分仲良くもなれない。一生共感もできないだろうが、うちはうち、よそはよその精神である。
ただ、外飼いのリスクを知らずに外に出している人がいるのであれば、そのリスクは知っておいて欲しいと思う。
「車が危ないのはわかっているから避けられる」「もともと野にいたのだから大丈夫」ではないのだ。
猫は驚くとビクリと固まってしまうし、野に車と同じ重さで同じ速度を出し、長い区間を走れる獣はそういない。
真空行動という狩りの欲求を晴らすための激しい動きを突然することもある。
発情期は活動的になるし、繁殖に没頭するために事故も起きやすくなる。
病気もそうだ。野生下と飼育下では寿命に明らかな差が出る。感染症もあれば、マダニなどの多生物が媒介する恐ろしい病気だってあるのだ。
そういった「外に出すこと」のリスクを理解して、部屋飼いのリスクと天秤にかけた上で判断をして欲しい。猫が好きなのは同じなのだから、これを喧嘩腰にならないように伝えるべきなのだが、「自分が絶対に正しい」と思っていると、しばしば対立を生んでしまうので、伝えるときは細心の注意を払っている。
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たとえば私が今回のような猫の交通事故現場に遭遇することを、もっと現実感を持って予測していれば、最初から車にダンボールとタオルを積んでいただろうし、積んでいれば最初に車から降りる時に持っていってもっと速やかに動物病院に連れて行けたであろう。
また、もし亡くなってしまっていても、その亡骸を職員到着まで野ざらしにせずに済んだだろう。
私は事故に遭った猫を見つけてしまったら、生死に関わらず見過ごせるたちではないことを実体験として知ってしまった。
抱き上げようとした時の、だらりと垂れそうな後ろ足。ともすればちぎれてしまうのではないかと不安になるようなあの気持ち。
路肩に移動しようとした時の、痛いね、ごめんね、という申し訳なさ。
持て余すほどの無力感を経験しておきながら対策を行わないのはただの愚か者の所業である。
あのような現場に遭遇することなど無い方がいいのだが、免許取得10年目にして初めて遭遇してしまった。この先も起こりうる。
これが「私が車にダンボールとタオルを積む理由」だ。
どうかあのひょろりとした身体のサビ猫が、無事に命を繋ぎ止めていますように。そして事故件数が少しでも減りますようにと祈らずにはいられない。