決着
みずほは小通連の薄膜に覆われて、だんだんと霞んでくる頭と戦っていた。息ができずに、どんどん思考が拡散していく。
「──……!!」
朔夜が叫んでいるらしいが、残念ながら薄膜に遮られて、肝心の言葉が届かない。
共に生きると決めたのだ。ここで死んでどうする。でも。この薄膜は、どうやったら打ち破れるのか。
悪玉として持つ神通力は、全て天照大神由来のものであり、彼女の力を持ってしても、第六天魔王の息の拭きかかった神刀の力を跳ね飛ばすことなど困難。
そうひとりでずっと考えているとき。
ふと、思い出した。
小通連は鈴鹿の神刀であり、彼女の力が届かなければ、この力は解ける。
そして世界を隔絶させる術を、悪玉を従えていた女神は持っている。
そう気付いたみずほは、額に力を集めた。あまり彼女の持つ鬼の力を引き出したくはないが、田村みずほは十七年もの間、神通力を使ってこなかった。その上、彼女は千年もの間、神通力を使わず生きて死んできたのだ。大きな力を使うのだとしたら、鬼の力を引っ張り出すしかできまい。
やがて、みずほは息ができないだけでなく、額がだんだんと熱を持つのを感じた。そっと額に触れると、角が生えている。禍々しいそれは、人間を嫌い抜いた結果生やしたものだったが、今は違う。
これ以上の悲劇を起こさないために、鈴鹿を滅さなければならないのだから。
鈴鹿は顔を歪めた。
みずほは、ぐっと額の角に、力を込めた。
──隠れろ、隠れろ、世界から……私を隠せ…………!!
途端に、空が暗くなった。
日が欠けている。いや、隠れていっているのだ。
今日は日食だとは、新聞にも書かれてはいない。
天照大神は、かつて弟神との不仲で、天岩戸に隠れてしまったことがある。世界からは日の光が消え失せ、闇に覆われた。困った神々は、宴を開いて乱痴気騒ぎを繰り返し、それを覗き込んだ天照大神を引きずり出すことで、世界に日を取り戻したのだという。
悪玉は天照大神の眷属だ。世界から自分の存在を、日の光と共に隠したのである。
小通連の力は解け、みずほの顔を覆っていた薄膜は消え失せて、替わりにひと振りの刀が転がった。みずほは、体全体で息をして、どうにか息ができなかった分を補う。
「みずほ!?」
朔夜の悲痛な声に、みずほは反省する。この人の前で、そう何度も何度も無茶をしないと誓ったのに、ちっとも守れやしない。この人は目の前で何度も自分が死ぬのを見ているというのに。
日の光はなくとも、どうにか鈴鹿の居場所はわかる。このまま背後に回り込んだら……何度も何度も彼女に出し抜かれていた分を、わずかでも取り戻せるかもしれない。
みずほは息を潜めて、そろりと鈴鹿の元へと向かった。鈴鹿は、突然世界が真っ暗になったことに、未だに混乱しているようだった。
「おのれ……おのれ、おのれ、あの女……!!」
「……お願いですから、もう。終わりにしましょう?」
みずほは獅子王を携えて、彼女の背中から一気に貫いた。獅子王には悪玉の力である日の光を通し、焼いた。いくら鈴鹿は地獄の炎で熱には強くとも、日の力にはそこまで強くはあるまい。彼女は自身の肉体を取り戻すまでに千年もかかったのだから。もう、千年も時間をあげることはできない。
肉を貫いた感触、鈴鹿の美しいかんばせが、ひどく歪む。
「……き、さまぁぁぁぁ!!」
「お願いです。もう千年もかけて、この国に魑魅魍魎を撒き散らさないで!」
再び日の光で彼女を焼く。鬼は人よりも傷の治りが早いが、それよりも早くに燃やしてしまえばいい。
第六天魔王の娘は、みずほを睨んで次から次へと体を復活させていくが、みずほはそれよりも早く、彼女を焼いていく。
「どうして……貴様はわらわの邪魔ばかりを……!? ぬし様を奪い、わらわの足を引っ張って、なにが楽しいのか……!!」
「……あなたは、最初から最後まで、あなたのことしか、考えてないじゃないですか。本当に朔夜さんの気持ちに……ううん、坂上田村麻呂の気持ちになって、考えたことがあるんですか?」
みずほは、彼女の気持ちが嫌というほどわかったゆえに、余計に彼女を止めなくてはいけなかった。
悪玉だけではない。みずほも、その前の娘も、その前の前の娘も……千年間、ずっと孤独を抱えていたのだから。
人と違う体。人と違う力。笑っている人の傍にいても、その人と違うがためにいつも疎外感を抱えていた。
どんなに好きになっても、決してその気持ちは返ってこない。無償の愛を与えるには、自分は孤独が過ぎて与えられる分がこれっぽっちもなかったのだ。
だからこそ、千年もの間、自身の子孫を使って悪玉を蹂躙し、田村麻呂復活にだけ全てをかけた彼女の気持ちは、わかってしまう。孤独を埋めるためには、なにかにすがることしか、信仰を持つしかできなかったのだろうから。
でも。その気持ちがわかってしまう、理解できてしまうからこそ、許してはいけなかった。
もし子孫の誰でもいい。それを大切にしていたら。家族でも友達でもいい。田村麻呂以外に大切なものがひとりでもできていたら、こんな大それたことなんて、起こしようがなかったじゃないか。
鈴鹿は、田村麻呂以外になにかを得なければならなかったのだ。
一方みずほは、朔夜のおかげでいろんなものが見えるようになった。
彼に愛されたことにより、自分を大切にしてくれるものが見えるようになった。義兄弟や家族、友達、いろんな人……。そのおかげで、より一層この町を守りたいという思いが強くなった。
決して、独りよがりになっていてはいけなかったのだ。
みずほは、額の角に力を集め、更に鈴鹿を焼いていく。鈴鹿の回復力と、みずほの日の光。最初は拮抗していた力は、だんだんと日の光が勝っていく。やがて。
鈴鹿は真っ黒に焦げたまま、とうとう体の瓦解がはじまった。
「ぬ……しさま…………」
黒く焼けただれた腕は、すっかりと炭化してしまったが、それは闇の中真っ直ぐに朔夜のほうに伸ばされていた。しかし、朔夜は首を振った。
「……お前さんは、そろそろ眠ったほうがいい。六道で休め。ひとりでな」
「…………」
鈴鹿の声は、もう焼けて出なくなっていた。代わりに、本当にわずかばかり残った水分が、彼女の炭化した瞳から涙を溢した。
ピキピキピキと、炭化した体は崩れていく。
いったい、彼女のおかげでどれほどの犠牲者が出たのだろうか。
魑魅魍魎に脅えていた人々、魑魅魍魎に襲われ、食われた人々。鈴鹿の私欲に利用された人々。乗っ取られていた田村家。
感慨深さを残すこともなく、炭化した体は脆くも崩れ、そのまま空気に溶けて消えていった。魑魅魍魎の気配も、探っても、もうどこにも感じることはない。
みずほはようやく額に集めた力を抜いたところで、日の光がようやく町に戻った。久々に大技を使ったがために、みずほはどっと汗を噴き出して、その場に座り込んでしまった。
「……ようやく、終わったか」
「……はい」
「俺に見られたくなかったのか、それを」
朔夜に言われて、みずほはようやくまだ角が額に生えっぱなしだということに気付いた。思わずぱっと手で額を遮るが、朔夜は笑って彼女の手を掴んで、彼女の角を見えるようにした。
「べ、別に、いいものでは……ありません……っ」
「似合ってるじゃないか」
「そ、そういう問題では……」
朔夜は彼女の額の角に軽く唇を落とすと、みずほはどっと顔に熱を持つのを感じた。羞恥のせいなのか、角はしゅるしゅると彼女の額の中に消えてしまった。
鈴鹿は倒せたとはいえど、町ははっきり言って滅茶苦茶だ。鈴鹿が神通力で大暴れをしたがために、街路樹は薙ぎ払われ、敷石という敷石は引っ繰り返されてしまった。おまけに田村家は燃えてしまったのだから、しばらくの間は根無し草と来たものだ。
だが。風だけはどこまでいっても気持ちがいい。
なにもかもの重責から解放されるというのは、風を心地よく感じる余裕を生むということだろうか。
「これから、どうすればいいんでしょうね」
「そうさなあ……だが、今代は平和だからな。生きてさえいれば、なんとかなるだろうさ」
「朔夜さん、軽過ぎますよ」
「そうかい? 重いよりはいいだろう?」
なにもかもを失ったものの、守れたものもある。
今はただ、そのことを喜ぼうと、みずほはようやく口元を緩めた。
****
第六天魔王の娘は、男に蹂躙されてからというものの、六道に帰ることも許されず、ただ男に呪詛だけを撒き散らして生きていた。
大獄丸を嫌いながらもその情婦に治まっていたのは、それ以外に居場所がなかったからだった。
唯一ときめいた相手がいたが、その相手には既に心に決めた女がいた。
どうして、と鈴鹿は思った。
自分ばかりどうして奪われる。自分はばかりどうして選ばれない。自分ばかりどうして。どうして。
ただ愛されたかった。ただ愛してみたかった。
彼女の子孫は、彼女に脅えこそすれど、愛してはいなかった。唯一愛した男には拒絶された。どうしてか、彼女は六道に落ちてからも、なにもわからなかった。
「……千年ぶりかえ、鈴鹿」
「……父上」
地獄道に落ちたところで、血の色の蓮と共に、千年ぶりに父親の顔を見た。人間道にいたときは、人間は田村麻呂以外は皆いもかなにかに見えていたのは、この父親のくっきりとした顔立ちのせいだろう。
大きな鉤鼻、蓄えた髭、狩衣を着て立っているだけでも、威圧感が漂っていた。どれだけ強い人間の武士でも、それこそ田村麻呂くらいしか、この威圧感を纏うものはいなかった。
「禊は済んだか」
「……父上、わらわにはわかりませぬ。どうしてわらわを千年もの間、人間道から帰してはくれなかったのですか」
「知れたこと。そちは欲しい欲しいばかりで、誰にもなにも与えなかったではないか。恨み言ばかりで」
「……わらわが奪われるのは、よろしかったと?」
「そうは言っておらぬ。地獄道に陥る亡者はろくでなしばかりじゃ。それを次期に統べるものまでろくでなしじゃ、どうしようもないからな」
あっさりと父にそう言われ、鈴鹿は言葉を噤んだ。
そういえば、悪玉もなにかそんなことを言っていたような気がするが、鈴鹿も腹が立っていたために覚えていない。
第六天魔王は言う。
「早う着替えよ。どうせ亡者たちの世話をせねばならぬ。貴様もここを継ぐならば手伝うがいい」
鈴鹿は久し振りのことに、途方に暮れた。
自分の千年間は、本当になんだったのだろう。ただの徒労だったのだろうか。それとも休暇だったのだろうか。わからない。わからない、なにも。
ただ、もう鈴鹿は人間道への欲は、不思議と綺麗さっぱり消え失せていた。
鬼女の恋は濃い。しかし禊の済んだ彼女は、もう鬼女ですらなかった。
ただの鈴鹿。ただの六道を守る女である。
****
京都で宇治の宝蔵と思わしき蔵の探索をさせてもらった伊藤と松葉は、泊まる宿で資料をまとめていた。
ここは食事は東京に比べれば薄味だが香りがいいものが多く、なによりも茶が美味い。それを飲みながら、松葉は興味ありげに資料を見ていた。
「先生、坂上田村麻呂は鈴鹿御前と一緒に黄泉の国に行ったとありますけど……」
「ああ、田村草子の最後の章ですね」
「再び目覚めた大獄丸を倒したあと、鈴鹿御前と黄泉で幸せに暮らしたってありますけど。これって一緒に死んだってことですよね? 子供もいるのに、どうしてふたりで死んで幸せになったんでしょうか?」
松葉は少しだけ納得いかなそうな顔をするので、伊藤は「そうですねえ」と言う。
「あくまでも想像ですが、代替わりがなったからではないでしょうか。ふたりの刀はりんという娘にたくしたので、もう大丈夫と」
「うーん……私は金持ちの都合はよくわからないんですけど、代替わりができたら、幸せなんですか?」
「一番の問題は、命よりも他にあります」
「他、ですか」
空っぽになった伊藤の湯飲みに、松葉はお茶を継ぎ足すと、伊藤は微笑んで「ありがとうございます」と言った。
「刀もそうですが、ここで生きたということを、子供に残せたということでしょう。もちろん子供をつくることだけが、残すことではありません。坂上田村麻呂は大量の伝説をつくり、そのどれが真実でどれが創作かはわかりませんが、ひとつだけわかることがあります」
「創作か真実かわからないのに、それでもわかることですか」
「坂上田村麻呂が生きていた、ということですよ。我々一般人が世に名を残すことは難しいんですから、鉄道も鉄の船もない時代に日本各地に名前を残せたのが、どれだけすごいことかわかるでしょう?」
「はあ……」
松葉は感嘆の声を上げた。
「要は真実や嘘はどうでもよくって、あったということそのものが肝心ってことですね?」
「そうです、重要なことですよ、すごく」
伊藤に教えてもらいながら少しずつ勉強していくと、不思議と純喫茶と家の周り以外しか知らなかった松葉の視界が広がるのがわかる。
あったということが肝心。その言葉は、我ながら胸に残ったのだった。




