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大正鬼嫁婚姻譚  作者: 石田空
鈴鹿編

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30/54

日常

 家に帰ってきてから、しばらくの間は警察から依頼もなく、みずほは鍛錬と見回りの日常に戻っていたが。

 大獄丸と対峙して以降、朔夜の様子がどうにもおかしかった。

 よく腕を組んで、中庭を眺めていることが増えたのである。もちろん、みずほは見回りの際に誘えば着いてくるし、食事も共に取るが。

 みずほ自身もまた、おかしいと考えこんでいた。

 大獄丸が自分と誰かを混同していたが、結局それは誰なのかがわからないままであった。

 先祖の坂上田村麻呂と鈴鹿御前。そのひとり娘は小りんということまでは、みずほも話として聞いているが、それ以外で大獄丸も知っている女性となると、学のないみずほにはさっぱりわからなかった。


「あのう……朔夜さん?」

「ん、もう行くのか? 松葉の店に」

「ええ。行こうかと思っていますが。松葉ちゃんの様子を見に」


 このところ、町から魑魅魍魎の様子が見当たらない。しかしそれは嵐の前の静けさにしか、みずほには思えなかった。

 大獄丸のような恐ろしい鬼まで現れたのだ。あれだって、朔夜とふたりがかりでなかったら、倒すことは敵わなかった。そもそもいきなり現れた宇治の宝蔵がなんだったのかは、謎のままなのだから。

 そう思いながら、町の様子を見る。

 それでも表向きは平和なものだから、一時は女学生たちがすぐに家に引っ込んでしまっていたのが、少しだけ寄り道で出歩く様も見られるようになった。

 いいことなのか、悪いことなのか、わからない。

 このままなにも知らずに、平和を謳歌できればいいとは思うが。みずほはそう思いながら、いつもの道を通って【純喫茶やしろ】へと向かう。

 扉をカランと音を立てて開けたら、晴れやかな顔の松葉と目が合った。


「いらっしゃいませ! あら、みずほちゃん久し振りねえ。最近全然うちに来なかったのに」

「こんにちは、すみません。最近家の用事でなかなかこちらに来られませんでした……」

「そっか。警察の家も大変なのねえ。ほら、座って座って。注文はどうする?」


 いつも溌剌としていて、魑魅魍魎に付け入る隙を与えない松葉ではあるが、今日はいつにも増して機嫌がよく、大袈裟なほどに上機嫌を振り撒いている。みずほは少し困った顔で朔夜を見ると、朔夜は久し振りに穏やかな顔でみずほを見た。


「気になるなら、聞いたらどうだ」

「そう、ですねえ……あのう、なにかありましたか。松葉ちゃん」

「あら、なにが?」


 まるで聞いて欲しかったみたいに、甲高い声を上げる。よっぽど自慢したいなにかがあったらしい。

 松葉がにこにこしているので、みずほはおずおずと質問を重ねてみる。


「いえ、松葉ちゃんずいぶんと機嫌がいいなと思ったんで。なにかいいことがあったのかとばかり」

「あら! そう見えるのね。困っちゃうわ!」


 困ってない。ちっとも困ってない。

 松葉はにこにこにこと顔を緩ませて、さんざんもったいぶってから、ようやく口を開いた。


「私……伊藤様と逢引することになったの!」

「あら、すごい。おめでとうございます」


 松葉はいつも熱い視線で伊藤を見ているが、当の伊藤はフィールドワークですぐいなくなったり、新しい資料に夢中になったりで、古代史以外のことに興味がなさそうに見えた。

 もし松葉の熱視線が少しは意味があったのなら、みずほも嬉しいと思ったのだが。


「今度、一緒に博覧会に行かないかと。伊藤様もその博覧会に一枚噛んだらしくって。古代史のことは全然わからないけれど、教えてくださると聞いたから、楽しみにしているの」

「ま、まあ……それは、すごいですね?」

「ええ、ええ……! 古代史の研究発表らしいから、もし機会があったら、みずほちゃんも行ってみてね!」


 手をぶんぶんと振られて、みずほは目を白黒とさせる。

 おそらく伊藤は、松葉がいつも自分の話をにこにこ聞いているから、古代史に興味があると勘違いしたのだろう。彼女が興味あるのは伊藤本人だが。

 本人が幸せなら、それでいいんだろうか。みずほはそう首を捻る。

 ひとまず珈琲とワッフルを注文し、待っていると。

 再び扉がからんと開いた。入ってきた人物を見て、みずほはキョトンとしてしまった。現れたのは先日まで潜入していた福井邸のどら息子の照彦だったのである。

 彼の性格さえ知らなければ、仕立てのいいスーツに端正な顔つきと、女学生たちの視線を奪う彼は、「へえ……」と言いながら店内を見回していた。


「結構いい店を知ってるんだねえ、ふたりは」

「あの……坊ちゃま……? どうしてここに」

「ちょっと止めてよー、みずほちゃんも。もううちを辞めたんだったら、杏奈ちゃんみたいな呼び方。普通に照彦でいいからさあ」


 ときおりこちらに視線を送ってくる女学生たちに手を振り、黄色い声を振り撒く照彦を見て、みずほはまたも杏奈と女中頭に怒られないだろうかと心配していたが。

 朔夜はにこやかに声をかける。


「まあ、俺が連絡をした」

「朔夜さんが、ですか? なんでまた……」

「小福屋の社長とやらが、そもそもの大獄丸の騒動の元凶だろうが。もし夢渡が原因で、社長の行動を操られていたとしたら。今は無事かと心配したんだが」

「あ……」


 それにみずほは喉を詰まらせる。

 そもそも、退魔師ができることなんて、せいぜい魑魅魍魎や鬼と戦うことであって、根本的な解決はなにひとつできない。

 夢に出てくる存在が原因で、前回の大獄丸の騒動が引き起こされたのだとしたら、またも誰かを夢越しに操られる可能性が消えていないのだ。

 相手が女性だということと、宝蔵を持っているということ以外は、未だになにもわかっていない。

 朔夜の言葉に、照彦は「ああー……」と唸り声を上げる。


「親父様、最近どうにも会社のほうに泊まってばかりで、家に戻ってこないんだよなあ。あまりに戻ってこないもんだから、女でもできたんじゃねえかと勘繰られたけど、女の気配はない。次はやばい商売じゃないかってことだけど、今のところ不審な新規取引もないと来たもんだ。ただ……うちの連中にひとりずつ事情聴取したけど」

「どうだった……?」

「女の気配はないみたいなんだ。興信所にも確認取ったしなあ。でも独り言が増えたって目撃情報は続いている。……朔夜さんの言う通り、うちの親父様、夢渡で操られていたらしい。最近は独り言もふっつりと切れたらしいけどな」

「ふむ……ありがとう、坊ちゃん」

「だからー、それ家の中だけにしてくれよ。外でまで坊ちゃんはなあ……」


 ぶちぶちと文句を言う照彦は、みずほと朔夜の向かいの椅子を引いて、腰をかける。

 それにみずほは不安げに朔夜を見た。


「やっぱり……糸を引いていた人は、まだどこかで……?」

「多分なあ。このところ、この町で次々と魑魅魍魎が起き上がっていたのは、誰かが起きるときの気配で一緒に起きたと見ている。でも、本人も起き上がりたくとも、封印がまだ強固で、なかなか起きられないんだろうさ。でももう夢の行き来ができるくらいには封印が弱まっている。あと一歩で、それが起きるんだろうが……封印が完全に解けるまでに居場所を見つけて叩かなけりゃ、この町。本気で消し飛ぶぞ」

「……た、大変じゃないですか……ですけど、そんなのどうやったら……」


 肉体こそないものの、誰かの夢を渡って移動している相手。それを捕まえて倒すというのは、みずほには想像だにしていない。

 朔夜は心底困ったように眉を顰める。


「本来、夢渡を行う相手とは、陰陽師に術で相手を縛り上げて逃げ足を止めてから倒すのが一番だが、今代にはそもそもそんな術者がいないからなあ。あれもそれが承知の上でやっているんだろうが。厄介極まりない。それこそ俺のときと同じく、中にいるってわかっている奴ごと殺すしかないんだが」

「そ、そんな乱暴な……今の時代でそんなことやったら、普通に警察騒ぎになりますよ……」

「だろうなあ。お前さん家の人間がどれだけ誤魔化せるんだって話だ」


 そうやり取りをしていたところで、珈琲とワッフルを運びに松葉がやってきた。


「お待たせしましたー珈琲とワッフルです……あら、みずほちゃん。この方は?」


 松葉はきょとんとして、照彦を見る。照彦はにこにこと笑って手を振る。さんざんひどい目に合ったとはいえど、今は杏奈と女中頭の目が届かないところでは、なかなか性根は治らないようだ。


「ええっと……お仕事で出会った福井照彦さん」


 いくら誤解とはいえど、悪名高い小福屋の名前を出すべきではないだろうと、そう紹介する。

 彼の性根のへたれ具合を知らなければ、少女小説に入れ込んでいる女学生が見事に引っかかりそうな笑顔を浮かべている。


「俺にも珈琲ちょうだい。あと君の笑顔」


 なにを言っているんだ、お前は。

 その場にいた人間は皆思ったが、松葉は商売たくましく、にこやかに笑って伝える。


「かしこまりました。珈琲と一緒にワッフルとシベリアもございますが、いかがですか?」

「じゃあそれもお願い」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 しっかりと二品追加注文を勝ち取っていった松葉に、みずほは相変わらずな彼女の強さと逞しさを感心しながら見送り、珈琲をいただく。

 朔夜は相変わらず珈琲をなにも入れずに飲むことに挑戦してみるが、今回も挑戦失敗し、黙って牛乳を足し入れている。

 そんな中、先に店内にいた客が店を出ていく……会計を済ませずに。


「あ、お客様、困ります。お会計を……!」


 店長が慌てて追いかけようとするものの、それより先に店員が飛び出して行ってしまった。店に入ろうとしていた客が扉の前でひっくり返って尻餅をつく。


「もう、食い逃げ……!」


 慌てて松葉が追いかけようとするものの、それを手で朔夜が制する。


「接客があるだろう。そこの客の介抱をしてやれ」


 そのまま朔夜は、勢いよく食い逃げを追いかけて行った。みずほは呆気に取られつつも、松葉と一緒に尻餅ついて目を回している客のほうへと向かった。


「まあ、伊藤様! 申し訳ございません!」


 どうも食い逃げに突き飛ばされたのは、常連客の伊藤だったようだ。慌ててみずほも照彦も呼んで、空いているソファーへと伊藤を寝かせる。可哀想に尻餅ついただけでなく、扉の角で頭を打ったらしく、目を回している。


「あー……すみません。自分、食い逃げを捕まえられなくって……」

「いいんですよ。今朔夜さんが追いかけていきましたから……」


 彼の足だったら、あと数分もすれば連れ帰ってくることだろう。

 松葉がお詫びにと珈琲を出しているのを、ようやく目を回していた伊藤もよれよれと起き上がって飲みはじめる。

 それに松葉は心底ほっとした顔で、「また追加注文ありましたらおっしゃってくださいね。一杯目はサービスですので」と言って去っていく。

 松葉がいなくなったのを見計らって、みずほは伊藤におずおずと尋ねる。


「あのう……伊藤先生。大獄丸ってご存じですか?」

「大獄丸ですか? 千年前、鈴鹿山を根城にしていたという伝承のある鬼のことですか?」


 やはり、伊藤は驚くほど詳しい。みずほはほっとしながら、言葉を続ける。


「はい。大獄丸は、女性のことが好きだったんでしょうか? だま……とか呼ばれている人の話を小耳に挟みまして、いったい誰のことなんだろうと首を傾げていたんです」

「はあ……ずいぶんと逸話が混ざっているようですが。ひとつひとつ話をしてみましょうか」


 正確には大獄丸本人が、みずほを誰かと勘違いしていたのだが。それは伊藤に教えるべき話ではない。

 伊藤は珈琲を飲みながら、風呂敷から書類を取り出して、読みはじめる。


「たしか大獄丸は、鈴鹿御前に懸想し、あの手この手で彼女と添い遂げようとした話があります。これも伝承によって詳細は違うんですが、今は割愛しますね。大獄丸が好きだとおっしゃっているのは、おそらくは彼女だと思いますよ」

「はあ……でも、鈴鹿御前のどこに、だまがあるんでしょうか……?」

「鈴鹿御前というと、一番有名なのは坂上田村麻呂と夫婦として各地で鬼退治をしていたという話なんですが、その坂上田村麻呂に関係する女性でおられますよ」

「え……?」


 いきなり話が飛んだことに、みずほは目をぱちくりとさせた。

 鈴鹿御前の関係者なのかくらいには思っていたが、まさか坂上田村麻呂と関連しているとは思ってもいなかった。


悪玉御前あくだまごぜん。坂上田村麻呂の母親とされている女性がおられますよ」

「悪玉……」


 もし、坂上田村麻呂の母ならば、みずほからも先祖に当たる。たしかにそれだったら辻褄が合うんだが。

 なにかが引っかかる。

 伊藤は暢気に「その悪玉にも面白い話がありましてねえ……」と続けようとしたところで、ようやく朔夜が戻ってきたので、話は打ち切らざるを得なかった。

 悪玉御前。

 彼女がいったい何物なのかは、みずほも伊藤から聞けずじまいだった。ただ坂上田村麻呂と関係する女性。とだけはわかった。

 大獄丸は、どうして自分を悪玉御前と混同したのだろう。

 肝心の本人は、今はもういない。

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