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大正鬼嫁婚姻譚  作者: 石田空
鈴鹿編

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24/54

疑惑

 みずほは杏奈と女中室で食事を摂りながら、彼女と世間話をしていた。

 入っている具は大きさがバラバラで、おそらくは残り物を煮てつくったスープなんだろう。それでも充分おいしいということは、この家の人間はずいぶんいい物を食べているということになる。みずほはスープを味わいながら、そうひとりで分析していたら、杏奈が「そういえばみずほさんは」と尋ねる。


「ここにいきなり女中奉公なんて。特に小福屋なんて、新聞にも好き勝手書かれているじゃない。やれ武器商人とか好き勝手ね」

「私は、独立するためにはお金が必要だったから、仕事をあまり選んでいる余裕がなかったから……でも、あの噂っていったい……?」

「うーん、元々小福屋って、客層は富裕層だったから、今羽振りがいいとしたら、勝手に軍事に結びついているのかもしれないわね。うちで扱っているのって、元々古美術とかで、最近の商売人がこぞって手を出しているきな臭い方向には手を出してなかったはずなんだけれど。社長って結構手堅い、よくも悪くも昔気質の人なのよねえ。悪く言ってしまえば本当に遊びのない面白味のない人。古美術なんてもの取り扱っている人間にしては、大博打みたいなものには絶対手を出さない」


 ばっさりと悪い噂を否定され、みずほも面食らう。

 たしかに新聞は、火のないところに平気で煙を立てることはあるが、そんなゴシップまがいな噂はどこから来たのか。

 だが、古美術売買を生業にしているなら、宝蔵から鬼の首を発掘してきてもおかしくはないのかと考え直す。

 みずほが考えをまとめている中、杏奈はぺらぺらと話を進めていた。今の話題は、この家のどら息子についてだ。


「奥様、既に病気で亡くなられてててね、坊ちゃまは結構長い間放置されてたの」

「放置されてたって……お世話は誰が?」

「本当だったら乳母なり家庭教師なりを付けるんだけれど、ほとんどは坊ちゃまの癇癪に耐えきれなくって、三日ほどでお暇してしまったの。仕方ないから、うちの母が私を連れてきて、私が坊ちゃまと一緒に遊んでいて、母が他の面倒を見てたの。飴と鞭ね。私とお母さんが交互に面倒を見ていたら、坊ちゃまも安定してきたから、以降は家庭教師が勉強を教えられるようになったの」


 あのどら息子が杏奈に弱い理由がわかった。杏奈は姉みたいな存在な上に、一番情けない頃を知っている人間なために、上から出られないのだ。実際、女中たちとの世間話に話題にするくらいだったら、そりゃ立場も弱くなる。

 食事を摂り終えてから、寝室で寝泊まりする際にみずほは尋ねる。


「すみません、厠はどちらになりますか?」


****


 夜になれば、この屋敷もすっかりと静かになる。

 女中頭に聞いた地図を頭に思い浮かべながら、みずほは屋敷の中央となる応接室へと足を運んだ。

 幸いにも、今日はここの主人は仕事が忙しくて戻ってこないらしい。今晩のうちに、なんとか目ぼしが付けられればいいが。

 足を踏み入れた応接室を、ぐるりと見回す。

 革張りのソファーに大きな油彩画と、調度品はどれもこれも金がかかっているのがひと目でわかる。成金と揶揄されている割にはぎりぎり下品にならない程度にきらびやかな趣向で、社長の趣味はいいのだろうと思いながら、みずほは壁に手を当てる。

 この屋敷の中央部から気配を探るにしても、果たして宝蔵から出てきたような鬼の首が、そう易々と気配を剥き出しにするだろうか。

 そうは思いながらも、みずほは長い御髪に仕込んでいた簪を引き抜くと、それを壁に当てて気配を探った。

 魑魅魍魎が脅え上がるほどの気配であったら読めるかと思ったが、以前に遣り合った藤原千方と同じく、結界でも張っているのか、途中で遮断されてしまう。

 足で探すにしても、どうしたものかと考える。

 少なくとも、杏奈に教えてもらった女中が出入りすることを許された場所には、鬼の気配もなければ、魑魅魍魎の気配すらなかった。

 それにもし、殺気立った気配があったとしたら、それにみずほはすぐに気付ける。

 ……こんなとき、朔夜がいたらよかったのに。

 少なくとも彼は、気配を探ることはできずとも、からめ手など使わずに簡単に鬼を滅することができるのに。そうみずほは頭に浮かんだものの、すぐに首を振って考えを打ち消す。

 いくらなんでも、それはないだろう。

 鬼に同族を殺す手伝いをしろ、なんて。

 相変わらず朔夜が何者なのかはわからないが、彼がおそろしく強いことだけは、みずほもよくわかっていた。

 そのとき。


「あっれえ、君、昼間にいた子だよねえ。いっけないんだあ、こおんなところに入り込んじゃってさあ。ねえ、許可取ったの?」


 軽薄な声が飛び、みずほは内心「しまった」と思う。

 あのどら息子である。彼はここの屋敷のひとり息子だから、みずほと違ってどこに入るのも許可などいらない。

 みずほは簪を袖口にしまい込むと、振り返った。


「……申し訳ございません。厠を探していたんですが、迷子になってしまいまして」

「へえ……ここ女中室から厠まで反対なんだけどなあ……相変わらずそう言って誤魔化すんだねえ」


 そこで、みずほはザラリとした違和感を覚える。

 昼間、無理矢理腕を掴まれたときにわかったのは、彼自身はただ若い男特有の力を持っているだけの、特に武道の心得のない人間だということ。もし武道を多少なりとも嗜んでいる人間は、無作法に人に触れることがない。礼儀に反する上、仮に相手から逆襲される際にすぐに受け身を取ることができなくなるからだ。

 しかし、今目の前にいるどら息子はどうだろうか。

 みずほに気配を気取られることもなく、ドタドタとした足取りでここまでやってきたのだ。ありえない。

 なによりも。

 彼はいったいなにを言っているのか。


「……あなたは誰ですか?」


 みずほは袖口に隠し持った簪を確認しながら、彼に尋ねる。

 やがて、目の前の彼は、ぐにゃりと気配を変えたのだ。

 人間的にはともかく、力的には武道の心得のある人間には及ばないはずのものが、身の危険を感じるほど、禍々しい気配に。

 その気配は、生半可な魑魅魍魎であったら我が身可愛さにすぐ霧散してしまうほどに強く、凶悪だ。


「……だま、やっと会えた」


 それは奇妙な声だった。

 どら息子の優男な体から発するには、あまりにも低過ぎる声だったのだ。

 みずほは袖口から簪を取り出し、それを逆手に握った。


「……何者ですか、あなたは」

「ああ、覚えておらぬか……だまは」


 そう言って、どら息子の体を使った何物かは、みずほの肩を掴む。

 その掴み方に、みずほは寒気を覚える。

 ……相変わらずこの男の人に対する触れ方は、傍若無人で目の前の女を玩具とした思っていないようなものだが、この何者かはそれに加えて、有無を言わせない。

 みずほの肩は、ギリギリと軋んだ音を立てた。


「いっ…………たぁ…………!」


 みずほは悲鳴を上げる。

 血が流れても、怪我をしてもみずほは人に見られない限りは動じない。だが、骨が軋むほどと痛みと、折れるほどの衝撃は駄目だった。……骨折の完治までには、時間がかかるのだから。

 みずほが逆手に持っていた簪は、カランカランと音を立てて落ちた。


「ああ、やはり。貴様は何度誘っても釣れぬ女であったな」

「……いったい、私を誰だと思っているのですか!?」

「ああ……貴様、そういうことか」


 肩を無理矢理外されたのか、腕がぷらんとぶら下がるだけで、動かない。

 利き手じゃない方は動くが、それでどうする?

 屋敷の人間を起こす? 否。この中身は、普通の人の手に負えるものではない。最悪、誰かが死ぬ。

 この中身を追い出す? 否。仮にみずほが血を流したとしても、その退魔の血だけでは、この鬼を滅するのは無理だ。

 何者かは、みずほをそのままソファーに組み敷いた。

 ソファーの皮の柔らかさを背にし、みずほはぞっとする。


──やれ、不愉快だ。不愉快だ。この男はこればかり


 ふいに、みずほじゃない感情が滑り込んできて、みずほは内心動揺する。

 今の声が、何物かわからない。

 この何者かもわからない男のことを、知っている……?

 思考は、何物かに無理矢理ワンピースを裂かれたことで、すぐに停止した。


「ああ……今は邪魔者もおるまい。やあっと……手に入れた」


──不愉快だ、ああ不愉快だ、不愉快だ


 みずほの中で叫ぶ声は、とうとうみずほの喉を突いて出た。


「私を妻だと言うならば、どうして助けに来ない…………っ!?」


 喉を突いて出た大声に、みずほは驚いた。

 ……自分は、あれを未だにどういう扱いをすればいいのかわからずにいる。

 隣にいるのが当たり前で、なにかあったら助けてくれる、居心地のいい存在……。

 気を許してはいけない、気を許してはいけないという理性とは裏腹に、いつの間にやらすっかりと、自分の心の中央を占めている男。

 途端に、なにかが飛んできた。

 窓を大きく破って、白い衣冠の袖が揺れた。


「やっと俺を呼んだか、我が妻よ」


 そう軽口を叩いてから、直刀の鞘で、大きくどら息子を殴りつけたのだ。

 ソファーは大きく形を傾け、みずほはそのまま弾き飛ばされるのを、朔夜は抱きかかえた。


「あ、あの……私……」

「……ひどい目にあったな」


 みずほのワンピースが裂かれているのに視線を落とすと、朔夜は自身の烏帽子を取り、それを彼女の胸に宛がう。みずほは迷わず、彼の烏帽子をぎゅっと抱き締めた。

 朔夜を見た途端に、何物かが顔を歪めた。


「……き、貴様……! 貴様まで、どうして生きている……!?」

「貴様がここに立っている以上、俺がここに立っていてもちっともおかしくはないだろう?」

「おのれ……おのれおのれおのれ、貴様…………!!」


 先程まで、支配的な眼差しで、みずほを物ともしていなかった何物かが、途端に豹変する。

 しかし朔夜は涼しい顔だ。


「どうやら、この男は自分自身のことを鬼だと思い込んでいるみたいでなあ……この男、この家の者だろう? 殺したらまずいか?」

「あの……どういうことでしょうか……この方、昼間は普通の人だったんですけど、今出会った途端に、襲ってきたんです……」

「あくまで想像だが、この男は鬼の首に触れたんじゃないか? そのときに思考を刷り込まれた。鬼の首本人と似たようなことを言っているし、思い込みで自分は鬼だと思っているがなあ……本物はこんなものじゃない」


 みずほは少しだけ脱力したが、理屈はどうにか理解できた。

 思い込みというのは厄介なのだ。自分は強いと思い込むことで、人の倍の力を発揮することがあるし、自分は賢いと思い込むことで、人の倍の物覚えをすることもある。

 要は鬼の首に触れたせいで、鬼に洗脳されてしまったのだろう。

 ……ところどころ、気になることは言っていたが、今はこの男から鬼の洗脳を解くことが先だ。

 どのみち、この屋敷で何度も女中が辞めていたのだって、鬼の洗脳が関連しているのだろうから。


「……殺してはいけません。この人、この屋敷のご子息なんです。洗脳を解くことはできませんか?」

「あいにく、俺は術者でもなんでもないから、力任せにしか解決できんのだがなあ……努力はしてみる。しかし、あちこち壊れているが、大丈夫か?」


 それでみずほは辺りを見回す。

 ……どうしてどら息子が鬼の首に洗脳されているのかはわからないが、彼の女癖の悪さが招いたことなのだから、どうにかしてこの男の洗脳を解いてから、事情聴取をするしかない。そのときに、ついでに彼に責任を取ってもらおう。


「……賠償は、本人にしてもらおうかと思います。はい」

「お前さん、怒っているだろ。鬼の首のせいとはいえど」

「当たり前です」


 何者かは、そのまま大きく跳びかかってきた。

 その跳躍は、人間の体を無視した動きだ。それこそ、以前に対峙した四鬼のような動き。それを朔夜は鞘で軽く受け止める……いや、軽いはずはない。何物かの圧を受けるたびに、直刀がギリギリと音を立て、鞘が軋みを上げるのだ。

 何度も何度も受けたあと、朔夜は軽口を叩く。


「我が妻はようやく俺を尻に敷く気になってくれたらしいが、どうも使い方が荒くてなあ……俺が術者ではないことを恨め」


 そう言うと、何度も何物かが襲い掛かるのを、簡単に鞘でいなすと、その鞘を放り投げたかと思ったら、直刀を引き抜いた。

 その刃がきらめいたかと思ったら、どら息子を斬ったのである。

 みずほはぎょっとする。


「な…………! 殺すなと、言ったじゃないですか……!」

「俺は術者じゃないからなあ。術者だったらもうちょっと軽く洗脳を解くことはできるんだが、俺には無理だ。だから」


 どら息子がひっくり返ったソファーの上に落ちたと思ったら、彼からは一滴も血が流れていないことに気付く。

 たしかに、彼は袈裟懸けに斬られたように見えたのに。みずほは烏帽子を持ったまま、まじまじと見る。よくよく見ると、彼の首の周りが、薄皮一枚分の傷があることに気付く。血は流れていない。


「ええっと……?」

「鬼の首に、鬼の首だと自覚させた。そして今の体は偽物だと。それで刷り込みは切れたはずだ」


 理屈はわかるような、わからないような。

 ボロボロになった応接間を見渡していたら、どら息子が「ん……」と喉を鳴らしたことに気付く。

 朔夜をどうやって説明しようと思って彼を見るが、朔夜はさっさと服を衣冠から文士の装束に切り替え、みずほから烏帽子を取り上げると、自身の羽織りを着せる。


「ん……」

「あのう、起きてくださいませんか? お話を伺いたいのですが」


 どら息子が部屋の有様と、不法侵入した異人の存在に悲鳴を上げかけるまで、あと一分。

 彼から事情を聞き出すまで、あと五分の話だ。

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