小さなファイト
窓の外。あのイチョウの葉が全て枯れたら、私は死んでしまう。なんて、どこかのドラマのような台詞をセンチメンタルな気分で呟いてみる。ただの子宮頸がん。私が17歳で診断された病名は、早期発見もあって、今の医学では生を脅かすものではないけれど、もう少し遅れていたら、子宮を摘出しなければならなかった。もしも子どもが産めない体になってしまったらーー
「そのワニの人形、いつも大切にしてるわね」
「落ち着くんです。なんでかわからないんですけど」
「ふふふ」と顔をほころばせた看護師さんは、お昼の入院食を私の目の前に配膳し、「めしあがれ」と、また微笑みを浮かべた。
「今回は早く、上皮内がんの状態で見つかったため円錐切除を行います。こうすることで、子宮を温存できるため子どもを産めないということにはなりません」
遠い。数十メートル先の会話を聞いているみたいだった。両親と先生が手術について、恐らく同意書にサインとか、手術を終えたあとの滞在や通院についてとか、色々話していたけれど、ふわふわ自分が浮かんでしまっているような霊体気分を経験していた。
「娘のためにお願いします」
トントン。
日が暮れた個室に、波紋のように響くノックは、あの看護師さんのものだ。
「オススメの化粧水、持ってきたの」
「あっ、ありがとうございます……」
「私の妹も使っててね。肌の質感も似てるし、合うと思ったの」
半分聞いて、半分聞いていない。そんなまま、ぼんやりと手渡された化粧水を眺めていた。
「怖くなっちゃった?」
「えっ……」
「いいのよ。前日には、みんな思うものがあるもの。それが初めてだったら尚更ね」
お見舞いに来てくれた友人や心配してくれる両親、手術を請け負ってくれる先生にまで、言いあぐねていた不安が、何故だか看護師さんの前でポツリポツリと、かさぶたが剥がれていくように、ひとつひとつ溢れていった。
「……もし、失敗しちゃったら……血がいっぱい出ちゃったら……赤ちゃんが産めなくなっちゃったら……考えたら……怖くて、怖くて」
看護師さんは黙って、時にうなづいて、今までで、一番柔らかい笑顔で聞いてくれていた。
「はい、これ。大切なんでしょ」
それは昨日の夜。のんきな顔にイライラして八つ当たりをしてしまった、大切なワニのぬいぐるみ。捨ててしまったはずだった。
「例え、綿が出てもね。縫い合わせれば、病気なんて治っちゃうのよ」
ほつれた口元と破けた腕が、色は違うけれどフェルトで直されていた。
「きっと成功する。私がきつく言いつけとくから。ヒールで足踏みつけてやるわってね」
そう言って、受付で鳴っていたナースコールを取りに部屋を出ていった。
まだのんきな顔でこっちを見ている。これから私は大仕事があるのに。一人、いや、この個室には二人。看護師さんがかさぶたの傷口を撫でてくれたように、色が変わったフェルトを、そっと撫でた。ちょっと痛がっているかもしれない。そう思って顔を覗いてみたけれど、やっぱりのんきな顔をしている。悪いのは私だけど、手術が終わるまで、ごめんねは取っておこう、そう決めた。