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誓いのその後5

「おい、ちょっと」

声をかけられたのは、アデラインが階段を登ろうとした時だ。

振り向けば、黒髪の侍官が大きな荷物を両手に抱えて往生していた。

――……顔を見られたら大変だわ。

アデラインは急いで深く俯いた。

侍官の顔に覚えはないが、向こうはアデラインを知っているかもしれない。

もし流行病で臥せっているはずの宰相令嬢だと気付かれれば、困ったことになる。

「手伝ってくれないか?舞踏会の方に人をとられて手が足りないんだ」

断れば変に思われるかもしれないと、アデラインは思った。

デオも同じ考えだったようで、「ああ、えっと……」と口ごもりながらライルに目配せする。

それに頷いて、ライルは進み出た。

「俺が」

咄嗟に、アデラインは彼を引き止める。

「でも、あなた怪我が……」

平気な顔で任務についてはいるが、ライルは大怪我をしたのだ。重い荷物など持っては、怪我が悪化しかねない。

「だからこそ、デオがお嬢様の傍を離れるわけにはいきません。万が一があれば、俺では対応しかねますから」

小声で素早く言うと、ライルはアデラインの横を通り過ぎ、侍官から荷物を受け取った。

「どこに持って行けばいいんです?」

「向こうだ。突き当りを曲がって……」

侍官が説明しようとすると、背後から荷物を持った若い侍官達が歩いてきた。

「これ何往復するんだよ」

「貴族は舞踏会で楽しんでるってのに、不公平だよな」

文句を言いながら通り過ぎる彼らを指さし、黒髪の侍官が言った。

「彼らについて行ってくれ」

「わかりました」

ライルは返事をし、そしてデオに耳打ちする。

「今のうちに行け」

「わかった。行きましょう、お嬢様」

「ええ」

そうして立ち去ろうとした時――――。

「おいおい、どこに行くんだ。ほら、お前も運べ」

黒髪の侍官はデオを引き止め、荷物を押しつけようとした。

「え?お、俺も!?」

「当然だ。向こうにもまだたくさんあるんだ。ほら、運べ運べ」

急き立てる侍官に、ライルが珍しく慌てた様子で割って入る。

「いや、こいつはお嬢……そ、その方を部屋までお送りしないといけないんだ」

「そ、そうそう!!あ、後で戻って来るから!!」

しどろもどろに言い逃れようとしたデオを、先程通り過ぎた若い侍官達が振り返って責め立てた、。

「そんなこと言ってサボる気なんだろう?」

「そういや、見ない顔だな。新入りか?」

「新入りのくせに、もう恋人ができたのかよ」

「ええ!?こ、恋人って、そう言うわけじゃ……っ」

面白そうに近づいてくる彼らから、デオはアデラインを背中に庇う。

ところが、これがまずかった。デオの行動が、かえって彼らの好奇心を刺激してしまったらしい。

「何だ何だ?そんなに大事なのか?」

「そりゃ相手は高位の女官様だぞ」

「どんだけ美人なんだ?ちょっと顔拝ませてくれよ」

一人の侍官が、そう言ってアデラインの顔を見ようと背を屈ませる。

「やめろ!!この方に近づくな!」

荷物を放り出したライルが、侍官を突き飛ばした。

「何だよ!ちょっと顔を見ようとしただけじゃないか!」

腹をたてた侍官も荷物を放り出し、ライルに掴みかかる。

「顔が見せられないってのかよ!?怪しいぞ!本当に女官か?」

「あんたには関係ない!さっさと離れろ!」

侍官達とライルが揉み合いになる。

黒髪の侍官が、慌てて声を上げた。

「こ、こら!喧嘩はよせ!――誰か!!誰か来てくれ!!」

衛兵を呼ぶ大声が、廊下に響く。

アデラインは青ざめた。このままでは衛兵や騎士が駆け付け、大騒ぎになってしまうかもしれない。そうしたら、アデラインの身分がバレるのも時間の問題だ。

――……ど、どうしよう!?

不意に伸びてきた腕に肩を掴まれたのは、その時だ。

抗う間もなくアデラインは抱き寄せられ、深緑の長衣に顔を埋める。その長衣からは、よく知る香りがした。

「何事だ?」

頭上で聞こえたのは、間違いなくルトヴィアスの声だった。

――……ルト!?どうして!?

音楽はまだ聞こえている。舞踏会は続いているはずなのに、何故主催者とも言える彼がここにいるのだ。

「お、王太子殿下!?」

ルトヴィアスの登場に侍官達は腰も抜かんばかりに驚いて、慌てふためきながら頭を下げる

「あ、あの、か、顔を隠した怪しい女官をいたので……」

「これは私の女官だ」

ルトヴィアスが、悠然と微笑んだ。

それは猫をかぶっている時の聖人じみた微笑みではなく、威圧的で不遜な、妙に艶がある壮絶に美しい微笑みだった。

「ということにしておいてくれ」

「え?」

侍官達が戸惑う気配がする。

ルトヴィアスはアデラインの肩を抱く手に力を込め、まるで周囲に見せつけるようにアデラインのこめかみに口づけた。

「――…………っっっっ!!」

喉までせり上げた悲鳴を、アデラインは何とか飲み込む。

何かが割れる音が聞こえたのは、おそらく侍官の誰かが持っていた荷物を落して、中に入っていたものが壊れたのだろう。

――……な、なな何を……っ!

人前で、何てことをするのだ。

アデラインは耳まで真っ赤になりながら、ルトヴィアスの上着を強く掴むことで抗議した。けれど、ルトヴィアスは知らんぷりだ。

「え、ええ、え?え?」

「あ、あの、えっと!?」

あてられたように顔を赤く染めた侍官達に、ルトヴィアスは笑みを深くする。

「他言無用。意味は分かるな?」

「は、はいいいいいい!!」

「片づけを手伝ってやれ」

背後に控えていた自らの護衛騎士に指示をすると、ルトヴィアスはアデラインの肩に手を回したまま歩き出す。

「ル、ルト……っ」

足早に歩きながら、アデラインは隣を見上げた。

「ど、どうして?」

「それはこっちのセリフだ」

早口で答えたルトヴィアスの横顔は、明らかに怒っている。

「ルト……あの」

「ライル、デオ」

ルトヴィアスは後ろをついてくるアデラインの護衛騎士二人を振り向くと、床を指さした。

「ここで待て」

「は……」

「はい……」

二人が頷くのを確かめることなく、ルトヴィアスは手近な部屋の扉を開き、アデラインをそこに押し込んだ。

大きくはないその部屋には、誰もいなかったが灯りがともされていた。舞踏会の招待客の、休憩用に用意された部屋だったのだろう。

乱暴に扉を閉めるなり、ルトヴィアスはアデラインを怒鳴りつけた。

「俺は、お前を追いかけて来たんだ!お前がそんな恰好で、大広間の壁際でこそこそしてるから!」

アデラインは目を丸くする。

「私に気付いてたの?」

「気付かないと思うのか!?」

気付いて当然とでも言いたげだが、気付かないのが普通だろう。アデラインは女官の姿をして、俯いて顔を隠していたのだ。げんにルトヴィアスの他に誰もアデラインに気付いた様子はなかった。もし誰かしらが気付いていたなら、それこそ今頃大騒ぎだ。

「何を考えてるんだ!?早朝の人通りが少ない時間とはわけが違うんだぞ!?あんな人が多いところにのこのこ出てくるなんて!もし顔を見られたら!?その傷はどうしたのかと尋ねられたら!?お前が」

そこでルトヴィアスは一度口を閉ざし、声を落した。

「……お前が、誘拐されたと知られたらどうする?下手をすれば、俺達の婚約が解消になることくらいはお前だってわかるだろう?」

「……」

アデラインは呆然とした。

ルトヴィアスが真剣に怒っていることも、何故怒っているかも理解できる。これはアデラインが全面的に悪い。謝るべきなのはアデラインだ。

けれど、アデラインの口からは謝罪の言葉は出てこなかった。

「……アデライン?」

目を丸くしたままポカンとしているアデラインに、ルトヴィアスが眉を潜める。

「おい?」

「……ルトって、本当に私のことが好きなのね」

零れた呟きに、ルトヴィアスは眉間の皺を深くする。

「はああ?」

これを見て、アデラインはようやく我に返った。

今の自分の発言は、ルトヴィアスを疑っていたと白状したようなものだ。

「し、信じてないわけじゃなかったの!でも夢みたいっていうか、あ、あなたを信じられないわけじゃなくて実感が湧かないだけで、その、私は私に自信がなくて、だから……その……ハーミオーネ嬢がどんな人か気になって、それで、あの……」

言い訳は徐々に勢いを失くしていく。

ルトヴィアスが呆れたように息を吐き出し、腕を組んだ。

「俺が心変わりするとでも思ったか?それで女官に変装して舞踏会に?」

「ご、ごめんなさい……」

アデラインが項垂れて謝ると、ルトヴィアスは苛立ったように頭を掻き毟る。

「まったく……」

「あ、あの!!でもね!!」

慌てて、アデラインは顔を上げた。

「実感できた、気がするの。あなたが私を本当に好きなんだなって……」

ハーミオーネ嬢へ向けるルトヴィアスの眼差しの優しさは、直視するのが恥ずかしいくらいだったし、ルトヴィアスはあれほど多くの華やかな人々の中で、顔を隠し、女官の制服を着ていたアデラインに、それでも気付いてくれた。見つけてくれた。

アデラインより美しい人も、賢い人も沢山いただろうに、それでもアデラインをまっすぐに追いかけてきてくれた。

「えっと……」

ほつれた髪を指先で耳にかける。まっすぐ見上げるのは気恥ずかしくて、アデラインは上目遣いにルトヴィアスを見た。

そして、はにかみながら微笑む。

「ありがとう」

「……」

顔を顰めていたルトヴィアスは、何か言おうと口を開き、けれど結局何も言わずに口を閉じた。

「ルト?」

「……お前、本当はわかっててやってるんだろう?」

「え?何を?」

「……もういい」

ルトヴィアスは溜息をつきながら天を仰ぎ、そして苦笑した。

「ホント、敵わないな」

その呟きはアデラインの耳には届かない。

「え?何?」

アデラインが訊き返すと、ルトヴィアスは苦笑したままアデラインを見た。

そして優しくアデラインの腕を引く。

導かれるようにしてルトヴィアスの肩口に顔を埋めたアデラインは、垂れ布ごしに髪を撫でられ、頬を染めた。

聞こえてくる鼓動が自分のものなのかルトヴィアスのものなのか、判別するのは難しい。

でもその規則的な音はひどく心地良くて、アデラインは目を閉じた。

少し前まではルトヴィアスの目を見るだけで、彼の指先に触れられるだけで、心臓が爆ぜて死んでしまいそうだった。

――……今も、恥ずかしいけれど……。

でも心が満たされていく。それは否定のしようがない。

「ルト……。ごめんね?疑って」

改めて謝ると、耳元でルトヴィアスが低く囁いた。

「いや。……少し安心した」

「安心?」

「嫉妬してくれるんだなって」

ルトヴィアスの口振りから察するに、彼はアデラインが嫉妬などしないと考えていたようだ。

アデラインは、目を開く。

――……どうして?

妬むまいと己を律するように心がけてはいるが、それができるならこんな恰好で、こんなところにいやしない。リオハーシュ夫人が『恋をすれば、誰だって嫉妬します』と言っていたように、恋と嫉妬は切り離せない感情なのだろう。

「お前があんなことを言うから」

「あんなこと?」

何のことかと、アデラインはルトヴィアスの胸を少し押し戻すようにして、顔を上げる。

綺麗な緑の瞳がすぐそこにあって、それは優しげにアデラインを見下ろしていた。

「『私は平気です』って、そう言っただろう?」

「え……」

アデラインは、記憶の糸を懸命に手繰り寄せた。

――……言ったわ。

ハーミオーネ嬢がルトヴィアスの舞踏会の同伴者になったとオーリオに聞かされた時、謝る彼にアデラインは確かにそう言った。恐縮するオーリオに気を遣わせまいと思って口にした言葉だが、本気で平気だったわけではない。不安になったし、何も悪くないハーミオーネ嬢に嫉妬もした。

「あ、あれは……!」

「わかってる。お前は俺の婚約者として、ああ言うしかない。嫌だと思っていても、それを口に出すことをお前は許されない。お前に口をつぐませているのは俺だ。だけど……我慢できるんだなと、思った。できてしまうんだな、と」

こん、とルトヴィアスの額が、アデラインの額にあたった。

「俺はきっと、俺以外の男がお前の手をとるなんて耐えられない。円卓をひっくり返して花瓶を壁に投げつけるくらいはする」

「何?それ」

ついアデラインは小さく噴き出した。

ルトヴィアスが円卓をひっくり返す姿を想像して、それが何だか妙に喜劇的に思えたのだ。

「冗談だと思ってるだろう?」

「え?」

思わず笑いをひっこめたアデラインに、今度はルトヴィアスが噴き出す。

「お前は本当に自覚がないな。――――俺は、既に一度やらかしたぞ。オーリオを殺しかけた」

「ええ!?」

「見てたじゃないか。お前が止めなかったら、色々まずいことになってただろうな」

そう言われ、アデラインはかつてルトヴィアスが厩舎の前でオーリオの首を絞めたことを思い出した。

「でも私……あの時オーリオとは話をしただけよ?」

手をとられた覚えはないのだが。

「ドレス」

ルトヴィアスは端的に言った。

「ドレス?」

「帰国してすぐの晩餐会で、お前、オーリオが選んだドレスを着ただろう?」

「……え」

そんなことがあっただろうか。

――……あったわ。

あった。たしか、そのドレスが問題で、ルトヴィアスが婚約を解消するとか言い出したことがあった。

ルトヴィアスは少しばかり面白くなさそうに、口を尖らせた。

「他の男が選んだドレスなんて着るな、と言ったはずだぞ俺は。忘れたか?」

「忘れてないけど……。……え?あ、あれって」

開いた口が塞がらない。てっきり、あれは婚約者以外の男が選んだドレスなど着ては外聞が悪いからと、そういう意味で言われたのだとばかり思っていたのに。

――……嫉妬、だったの?

「じゃ……じゃあ、ルトってもうあの時には私のこと?」

嫉妬してくれたということは、既にあの頃にはアデラインのことを思ってくれていたということだろうか。

――……そんなに前から!?

目をパチパチと瞬かせるアデラインに、ルトヴィアスがまた苦笑する。

「違う。もっと前からだ」

「ええ!?」

「国境で会った、あの時」

ルトヴィアスが、思い出を辿るように瞼を閉じる。

「――今思えば、多分あの時には始まってたんだ。俺の中では」

噛み締めるような、その言葉。

彼の金色の長い睫毛が作り出した美しい影を見ながら、アデラインは茫然とする。

――……まさか、そんな。

ルトヴィアスが急に不機嫌ななった時や、彼の不可解な言動を振り返ると、思い当たることがいくつかあった

――……もしかして、あれも?……あの時も!?

嫉妬や、その類のことだったということか。つまり、ルトヴィアスは行動で意思表示をしてくれていたのだ。正直に言えば、もう少しわかりやすくて素直な意思表示をして欲しかったと思わないわけではない案件も多々あるが、ともかく彼が出していたサインを、アデラインはどれもこれも曲解して受け取っていた。

ルトヴィアスが自分のことを想ってくれるなんてありえない。彼が優しいのは婚約者としてだと、先入観から何もかもを捻じ曲げて見ていたのだ。

ルトヴィアスと心が通じ合って、でも現実感がないのは自信のなさのせいだとアデラインは思っていた。まさに、まさにその通りだったというわけだ。

気持ちの持ちようが、まさかここまで物事に影響を及ぼすとは。

――……言葉って、大事。

言葉では伝えきれないこともあるだろう。

眼差しや温もりでしか、伝えられないこともある。

でも、やはり声に出して伝えなければ、伝わらないこともあるのだ。

『嫉妬してくれるんだなって』

『我慢できるんだなと、思った。できてしまうんだな、と』

ルトヴィアスの言葉が、耳の奥で反響した。

その言葉の端々に、不安や、微かな寂しさが込められているのが分からないほど、アデラインも鈍くはない。

――……伝わって、いないのかも。

彼からの求婚の靴も受け取って、一緒に歩いていくと誓った。

けれど、それではアデラインの気持ちのすべてが、ルトヴィアスに伝わっていないのかもしれない。

だから彼は不安になっているのかもしれない。寂しいと、思っているのかもしれない。

思えば、アデラインはいつも“妃として相応しく”行動することに必死で、その行動をルトヴィアスがどう受け取るかなど考えたこともなかった。そもそも、ルトヴィアスにバレてはいけないと恋心を隠してきたくらいなのだ。言葉にしろ行動にしろ“明確な意思表示”が足りていないのは明らかだった。

でももう、隠す必要はない。

「……ルト」

「ん?」

ルトヴィアスが、瞼を上げる。

現れた碧の双眸を見つめて、アデラインは告げた。

「私、()()()()()が好き」

「………………」

ルトヴィアスが硬直する。けれど、アデラインは気にせず続けた。

「だって、とても綺麗だもの。きっと女神様はあなたの顔を特別念入りにお創りになったのだと思うわ。それから、髪もまるで金糸みたい。目は宝石ね」

「……アデライン?」

ルトヴィアスは困惑した表情だ。

アデラインが何を言わんとしているのか、図りかねているのだろう。

「でもね」

女神に愛された美しいその顔を、アデラインは両手で優しく包む。

「もしこの綺麗な顔が焼け爛れたとしても、髪や目が無残に失われてしまったとしても、私は貴方が好きよ」

「――――……」

驚いたように、ルトヴィアスが目を見開く。

傲慢不遜に見えて、繊細で誰より傷つきやすいルトヴィアス。

だから今、彼に伝えたい。どんなに彼が好きか、彼を見つめてきたか。あなたが不安になる必要などないのだと――……。

でもそれは、行動で示すのは難しく思われた。

それなら、言葉を連ねるしかない。

アデラインはにっこりと微笑んだ。

「あのね、あなたが鳥とかシヴァとか――……好きな物とか興味がある話になると、子供みたいに目をキラキラさせるのが好き」

「……子供」

「実は照れ屋なところも可愛いくて好き」

「……可愛いってお前」

「お酒。本当は苦手でしょう?でも強がって平気な顔してるのも可愛い」

「……何で知ってるんだ」

「優しいところも好き。私に歩幅を合せてくれたり、私が呼ぶと背をかがめて耳を傾けてくれたりするのが好き」

「……そんなこと」

「そんなこと当たり前だろ、って思ってるでしょう?そういうところも好き」

「……お前な」

額に手をあてて俯こうとするルトヴィアスのいつもの動き(くせ)を、けれどアデラインは許さなかった。

ルトヴィアスの頬を包む手に、力を込める

「ダメ。こっちを見て」

「……アデライン」

咎める様な視線に、アデラインはフフ、と微笑み返す。

表情を隠したい時に無意識にするその癖も愛しいと言ったら、彼はどうするだろう。

「それから、身分に関係なく人に公平に接するところが好き。女官や侍官を見下さないで、ちゃんとお礼を言うところが好き」

「…………もういい」

「誇り高いところも好き。ルードサクシードの王族として王太子として、恥ずかしくないようにあろうって努力しているところが好き。尊敬してる」

「…………やめろ」

ルトヴィアスの声も、そして表情も剣呑そのものだったが、アデラインは怖いとは思わなかった。

アデラインを睨む彼の顔は驚くほど真っ赤で、そしてそんなルトヴィアスの表情を見るのは初めてだったからだ。

いつもからかわれてやり込められる側だったアデラインとしては、正直、愉快でたまらなかった。

「ルト。大好き」

「……」

遂に、ルトヴィアスが黙り込む。

逃げるように視線を逸らした彼が、また可愛らしくて堪らない。

ちゃんと伝わったのだな、と思った。

それが嬉しかったし、勝ち誇るような気分でもあった。

けれどその優越感も、長くは続かなかった。

ルトヴィアスは目を伏せ、そして長く息を吐いた後――。

「……アデライン」

長い睫毛で縁取られた瞼が上り、強い眼差しがアデラインを貫いた。

本能的に退こうとしたアデラインは、けれどそうする前に抱きすくめられ、そして唇を塞がれる。ルトヴィアスの唇で。

先程までアデラインに満ち満ちていた余裕は、一瞬にして空の彼方に吹き飛んだ。

口づけは、初めてではない。

けれどどこか余裕のない口づけは、以前に増して甘い気がした。

繰り返すごとに糖度が増している気がするのは何故だろうか。

蜜のような甘い何かに溺れて息ができない――そんな恐怖に怯えたように震えると、ルトヴィアスは意外にすんなりとアデラインの唇を解放してくれた。

「――……ル、ルト」

「お前、本当に覚悟しとけよ」

呼吸が整わないアデラインの乱れた前髪を、ルトヴィアスが指先でかき上げる。

「一生かけて、思い知らせてやるからな」

不穏なことを恨めしげに言った彼の頬は、まだ少し赤かった。





舞踏会の翌日。

昼過ぎの珍しい時間に、ルトヴィアスがアデラインの部屋にやって来た。

「どうかしたの?」

「休憩」

短く言った彼はアデラインが座る長椅子に、アデラインに並ぶようにして腰を下ろす。

これにアデラインが首を傾げたところに、扉が勢いよく開け放たれた。

「殿下――!!お嬢様の部屋に逃げ込もうったってそうはいきませんよ!!」

オーリオである。

大股で部屋へと入ってきた彼は、憤怒の形相でルトヴィアスの前で腕を組んだ。

「どういうことですか!?舞踏会であれだけ派手に啖呵を切ったくせにお付きの女官に手を出してるとか、愛人に女官の格好をさせて王宮に引き入れたとか、何でそんな噂がたってるんですか!!あんた一体何をやらかしたんだ!?」

怒りのあまり敬語もかなぐり捨てるオーリオとは対照的に、ルトヴィアスはどこ吹く風だ。円卓に置いてあった焼き菓子を指でつまむと口に放り込み、ボリボリと咀嚼する。この様子に、オーリオのこめかみの血管がブチリと切れた。

「殿下ああああ――――!!」

「あ、あのオーリオ……」

ルトヴィアスの隣で、アデラインはビクつきながら両手を胸の前で重ねあわせた。

「そ、その女官がどうのって噂って……?」

「昨夜の舞踏会の後、殿下が女官を相手にしけこ……親しい様子だったのを見たと言う者がいたんだそうです!そこから噂が広まって……!」

アデラインは頬を引き攣らせる。

――……そ、それって。

間違いなく、ルトヴィアスとしけこ……親しい様子だったという女官は、アデラインのことだ。

確かに、あの状況ではそう思われても仕方がない。

「他言無用と言ったのになぁ」

呟きながら焼き菓子を頬張るルトヴィアスは暢気なもので、二つ目の焼き菓子に手を出している。

――……い、今更だけど、いくら私の正体を隠すためとはいえ、あそこまでしなくても良かったんじゃ……。

例えば『私の女官だ』とだけ言って、アデラインをあの場から連れて行ってくれれば事は足りたのではないか。

とは言え、もはや後の祭り。やりかたはどうあれ、ルトヴィアスがああしなければアデラインの身分が露見して、大騒ぎになっていたのかもしれないのだから、この件で彼が責められるのはお門違(かどちが)いである。

「あ、あの……オーリオ。実は」

アデラインはルトヴィアスを庇おうと恐る恐る声を上げたが、怒れるオーリオの耳には届かないようだった。

「何が他言無用ですか!!勿論あなたが今更そんな馬鹿なことをするわけないことは分かってます!でも火のないところに煙はたたないんですよ!いいですか殿下!そういう誤解をうけるような行動をしたのが問題なんです!!」

「あの……」

「立太子してまだ一日だというのに!貴方はこのルードサクシードの王位を継ぐ者としての自覚がないんですか!?婚礼の前から愛人だ側室だって……心無い噂に、またお嬢様が傷ついたらどう責任をとるおつもりなんですか!!」

「…………」

アデラインはいたたまれず冷や汗を流す。

ハーミオーネ嬢の件でアデラインが傷つかないようにと、オーリオは色々と配慮してくれたというのに、その苦労をアデライン自身が無に帰すようなことをしてしまった。

――……やっぱりやめておけばよかった!

女官の恰好で舞踏会に忍び込むなんて軽挙をしたばっかりに、ルトヴィアスの評判には傷が付くし、きっとまたルトヴィアスとアデラインの不仲説も流れるだろう。

その対応に追われるだろうオーリオの苦労を思えば、申し訳がなさ過ぎて会わせる顔がない。

「今回は大丈夫だと思うぞ」

二つ目の焼き菓子を飲み込んだルトヴィアスが、足を組んで悠々と背もたれに身体を預ける。

オーリオは、苛々とした表情で自国の王太子を見下ろした。

「何が大丈夫だって言うんですか!?」

「今回の噂。アデラインは欠片も傷つかないと思うぞ。なあ?アデライン」

にぃ、と楽しそうに笑うルトヴィアスを横目に、アデラインは畏まる。謝るなら今だ。今しかない。

「あの……ごめんなさい。オーリオ。その……その女官って……」

大きく息を吸い込み、意を決して告白する。

「私、なの」

「…………はい?」

「ご、ごめんなさい。反省しています。もうあんな馬鹿な真似はしません……」

アデラインの言葉に、英明なオーリオは瞬時にすべてを察したようだった。

「お嬢様ともあろう方がなんてことを!!」

愕然とするオーリオとますます小さくなるアデラインの姿に、ルトヴィアスが大声を上げて笑った。





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