宰相令嬢の困ったお茶会
書籍1巻発売御礼 番外編
寒い日だった。
空は青く、よく晴れているのに気温がなかなか上がらない。
冬の気配をのせた冷たい風が、赤く染まった葉を木々の枝から引き剥がす。
「今日は寒いこと」
「北の山岳地方では雪が降ったそうですわよ」
「まぁ、もう?」
王宮のとある部屋では、高官を夫に持つ名だたる貴婦人達が集まってお喋りに花を咲かせている。
彼女達に囲まれて、アデラインは微笑んだ。
「雪が降ったら、雪見のお茶会をいたしましょう。何か雪になぞらえたお菓子をご用意しますね」
ルトヴィアスが立太子して2ヶ月。
王宮に居を移したアデラインは、身分こそ『王太子の婚約者』のままだが、実質的な王太子妃として公務を行っている。
今日もその公務の一環として茶会を開いていた。定期的に茶会などを開いて、夫人達と交流するのも王太子妃の務めなのだ。
アデラインの言葉に、その場にいる誰もがニコニコと頷いた。
「素敵ですこと。是非にお招き下さいませ」
「おかげで冬がくるのが楽しみですわ」
「寒いのは嫌ですけれどね」
「あらあら」
ホホホ、と飾りがついた扇を開き、夫人方は口元を隠す。
彼女達と同じように扇で口を隠して嫋やかに微笑むように見せかけて、その陰でアデラインは口を大きく開け閉めして、頬の筋肉をほぐしていた。
(ほ、頬が痛い……)
大きな円卓に座る面々は、皆アデラインより年上だ。中には、以前ルトヴィアスから婚約を解消されかけたアデラインを嘲笑した人物―――彼女はどうやら自分の娘を王太子妃にしたかったらしい―――も含まれている。
そんな事情もあり、アデラインは実はガチガチに緊張していた。
片時も気が抜けず、茶会が始まってからずっと微笑んでいるので、顔の筋肉が強張って痛みを訴えている。
こういう時は、本当にルトヴィアスの頭上から猫をかりてきたい。
とはいえ、彼も最近では諸外国からの客でも来ない限りは猫をかぶらないのだが。
(……あら?)
アデラインは視界の端に見えたものを確認したくて、窓に顔を向けた。
それを見た貴婦人達が、追いかけるように窓の外に目を向ける。
アデライン達がいるのは、北側にある内庭が見下ろせる二階の部屋だ。
あまり広い庭ではない上に、この季節は庭師達がどんなに頑張っても頑張っても、庭は落ち葉に埋め尽くされてしまう。
見所など一見ないその庭の垣根に、可憐な花が幾つも咲いていた。
(可愛い……)
花に癒され、緊張でガチガチだったアデラインの心が少しばかりほぐれた。
「変わった花が咲いていますわね」
アデラインの隣に座っていたリオハーシュ夫人が、宝物を見つけたような顔で呟く。
「何の花かご存知ですか?」
アデラインはリオハーシュ夫人に訊き返した。
庭で咲いている白い花は、遠目ではあるが幾重にも花弁を重ねて椿のようにも薔薇のようにも見える。
何という花なのだろう。
「葉は山茶花に似ていますけど……」
リオハーシュ夫人は首を傾げる。
白い花は、お茶会の話題をあっと言う間に拐った。
「白い山茶花なんてありましたかしら?」
「さあ……我が屋敷の山茶花は赤い花弁ですわ」
「椿ではございません?」
「小さな薔薇では?」
「この季節に薔薇は咲きませんでしょう?」
貴婦人達が口々に予想する中、リオハーシュ夫人がおっとりと言った。
「今日のお嬢様のお召し物に合いそうですわね」
その一言に、視線がざっとアデラインに集まり、アデラインは思わず身構えた。
「え……あの」
アデラインの今日の衣装は、白に近いくすんだ桃色で、『アデラインカラー』の代表のような色だ。
やや濃い色の糸で、裾と袖に花の模様が刺繍してあったが、胸元には何の飾りもなく、首から下げた真珠と淡い桃色珊瑚の首飾りを主役に据えた衣装だった。
貴婦人達が頷き合う。
「確かに。お髪にさしたらよくお似合いでしょうね」
「本当。今日のお召し物も素敵ですわ、お嬢様」
「最近では皇国でも『アデラインカラー』が流行り始めているんだそうですよ」
「お嬢様の可憐な魅力に、他国の王族も注目していますわ」
「あ、あの……そ、そんな……」
アデラインは口ごもる。何を言ったら良いのか分からず、冷や汗が額に滲む。やはり、社交は苦手だ。
(でも頑張らなくちゃ!)
ルトヴィアスの婚約者として、堂々としなくてはならない。
「あら、見てくださいな。皆様」
一人の夫人が、再び窓の外を指差す。
誰もいなかった庭に、人がいた。
明るい金髪に、青鈍色の外套を翻したその人は、後ろ姿だが見間違えようもない。ルトヴィアスだ。
「王太子殿下だわ」
「まあ」
「ご政務はどうされたのかしら」
貴婦人達が色めき立つ。
ルトヴィアスが猫をかぶっていたとわかり、宮廷の多くの女性が寝込んだが、その殆どの女性が早々に立ち直り、またルトヴィアスの鑑賞を楽しみとしている。
最近では『あの冷たい流し目で睨まれたい』と言うご令嬢も少なくないそうだ。その話を女官から聞いて、アデラインは自国の宮廷にやや不安を覚えた。この国の行く末が心配である。
(ルト……どうしたのかしら?)
アデラインは立ち上がり、窓辺に寄った。
ルトヴィアスはアデラインに気付くことなく、落ち葉だらけの庭をズンズン進み垣根の前で立ち止まる。そして垣根に手を伸ばし、白い花をやや力任せに摘んだ。
ルトヴィアスは踵を返すと、侍官や騎士達が慌てて追いかけて来た中、来た道を帰って行く。その後をやはり慌てて侍官や騎士達が追いかけ、庭にはまた、誰もいなくなった。
「……」
「……」
「……何だか、忙しないこと」
ポツリと、リオハーシュ夫人が呟き、周囲の夫人達も無言で頷く。
「……せ、せっかちな方ですから」
アデラインは苦笑いしながら、自らの椅子に座り直した。
(……珍しいわ)
ルトヴィアスが花に興味を示すなんて、滅多にないことだ。彼の部屋には女官がいつも季節の花を飾っているのだが、ルトヴィアスは大して見もしない。
(白い花が好きなのかしら?)
あの摘んだ花はどうするのだろう。
部屋に飾るのだろうか。一輪だけ、というのも何だか寂しい気がするが……。
アデラインがあれこれ考えていると、扉の向こうがにわかに騒がしくなった。
何事だろうと、ミレーを呼ぼうとした時。少し慌てたような女官の取り次ぎの声が響いた。
「王太子殿下のお越しでございます」
『え?』と、その場にいた誰もが目を丸くした。
ルトヴィアスが庭にいたのは、ついさっきだ。時間的に言って、庭から階段に回り、まっすぐここに来たとしか考えられない。
アデラインが椅子から再び立ち上がるのと、扉が開いたのは同時だった。貴婦人達は慌てて立ち上がり、膝を軽く折り、頭を下げる。そうしながらも、彼女達は密かにルトヴィアスを観察していた。
ルトヴィアスは微笑むわけでもなく、かと言って不機嫌そうに眉を寄せているでもなく、ただ静かな表情でまっすぐアデラインに向かって歩いてくる。
手には、庭に咲いていた白い一輪の花。
あまりに絵になるその光景に、アデラインは息を飲んだ。
少しだけ髪が伸びたルトヴィアスは、今までの聖職者のような雰囲気に変わって、艶を纏うようになっている。政務で疲れているのか少し気だるげで、それが何とも言えない魅力だった。
(……画名『月の化身と一輪の花』……)
自室の壁に、いや寝台の天蓋に飾るのはどうだろう。そうすればきっと、毎晩ルトヴィアスの夢を見ることが出来そうだ。
(……いいえ、ダメよ)
アデラインは思い直す。絵に見とれて眠れず、慢性睡眠不足になるのがおちである。
王宮で寝起きするようになり、ルトヴィアスと過ごす時間も増えた。いい加減、彼の美貌にも慣れてきたと思ったが、やはり慣れてはいないらしい。
アデラインがあれこれと考えを巡らせるうちに、未来の夫はアデラインのすぐ目の前で足を止める。
「あ、あの。ル……殿下?どうなさいました?」
周囲の視線が気になって、アデラインはいつものようにルトヴィアスを愛称で呼ぶことを控えた。
ルトヴィアスは無言だった。無言で、アデラインを見下ろしている。
(……や、やっぱり『ルト』と呼んだ方が良かったかしら……)
アデラインの額に、また冷や汗が滲む。
『次に「殿下」と呼んだら、大階段で口にするぞ』
以前、アデラインの髪に口づけながらルトヴィアスが口にした恐ろしい罰則が、頭に過る。
まさか、とアデラインは嚥下した。もしや、自分は取り返しのつかない失態をしたのではないだろうか。
ルトヴィアスの手がすっと伸びてきて、アデラインは大階段まで連行されるのかと怯えて身構える。
しかし、ルトヴィアスは持っていた花を、そっとアデラインの耳の上で編まれた髪に差し込んだだけだった。
「……え」
「動くな」
短い命令。
彼の長い指が、アデラインの頬を包み、軽く顔を上げさせる。
確認するようにアデラインを覗きこんだ翡翠の瞳が、優しく溶けて輝いた。
「……よし」
満足げに、ルトヴィアスは口角を上げた。
そして、くるりとアデラインに背を向ける。
「……邪魔した」
ルトヴィアスはスタスタと貴婦人達の前を通りすぎ、そのまま部屋から出ていった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
何?今の。
リオハーシュ夫人が、控えめに口を開く。
「……殿下は……あの花を見かけて、お嬢様に似合うと思われたのでしょうね」
「…………」
アデラインは答えられなかった。
つまりはリオハーシュ夫人が言う通りなのだろう。
何だろう。じわじわと焙られるような、この恥ずかしさは。
蜂蜜漬けの次は蒸し焼き……いや、燻製か。
大階段で口づけされるのとでは、どちらが心臓に負担が少ないだろう。
「……フフ」
一人の夫人が笑う。そこから、フフフ、と暖かな笑いがその場に広がった。
「何だか可愛らしいわ」
「仲がよろしくて羨ましいこと」
「婚礼の日取りが早く決まればよろしいですわね」
みるみる赤くなる顔を扇で隠して、アデラインは歯噛みしたい気分で言葉を口から押し出す。
「あ、ありが……とう……ございます」
その後のアデラインは、興味津々な貴婦人方からルトヴィアスとのあれこれを根掘り葉掘り尋ねられ、社交が苦手なんて思い出す暇もなかった。
白い花からひらりと落ちた花弁は、円やかな心臓の形をしていた。
今回は大人しかったルトですが、いつか大階段でやらかしてくれると私は信じています。




