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第三十九話 思わぬ友人

ルトヴィアスの立太子式まであと10日と迫った晴れた日の早朝。ルードサクシード王宮に、訃報がもたらされた。リヒャイルドの末の妹にして、隣国リルハーゼルの王子妃が急死したのだ。

「…まだお若いのに…」

アデラインは目を伏せた。

5年前、17歳で嫁いでいった王子妃は、まだ22才。小柄で口数が少ない姫で、アデラインは挨拶を交わすくらいの面識だった。

「病死とのことですが…リルハーゼルは昨年ごろから王族がもめておりますから…」

オーリオは言外に暗殺を匂わせた。

「リルハーゼルの駐在大使は何と言っているんです?」

ルトヴィアスは長衣の袖の釦を留めながら、オーリオに尋ねた。事が事だけに、その顔に笑みはない。傍では侍官や女官が、慌ただしくルトヴィアスの着替えを手伝っている。

本来なら、これから宰相夫人が主宰を勤める園遊会に、アデラインとルトヴィアスは一緒に出席する予定だった。けれど突然の叔母の訃報に、ルトヴィアスは朝着込んだ園遊会用の長衣から、喪服へと衣装を変えている。

「内情を探ってはいるようですが…今は何とも…」

「リルハーゼルとは関税交渉の件もあります。慎重な対応が必要ですね」

釦を留め終わり、顔を上げたルトヴィアスは為政者の顔をしていた。肉親を亡くしたとは思えないほど冷静で、淡々としている。

そのことに、アデラインは胸を痛めた。

――…ただ悲しみに浸ることすら出来ないなんて…。

ずっと皇国にいたルトヴィアスにとって、王子妃は馴染みのない叔母だったのかもしれない。けれど何より、叔母の死をただ悼むには、ルトヴィアスの身分は高すぎるのだ。

侍官が、ルトヴィアスの肩に黒い外套を羽織らせる。アデラインは一歩進み出た。

「…私がします」

女官が持っていた外套留めの紐を手に取ると、アデラインはルトヴィアスの両肩の外套と紐をくくりつけた。ミレーがするような飾り結びは出来ないが、服喪の簡素な結びなら、アデラインでも結ぶことが出来る。

手を動かすアデラインを黙って見守っていたルトヴィアスが、ひそりと囁いた。

「…一人で大丈夫か?」

アデラインは顔を上げた。

見上げたすぐそこに、心配そうに揺れる碧の双眸があった。

緊急の御前会議で、ルトヴィアスの園遊会出席は取り止めだ。けれど園遊会自体は予定通り行われるため、アデラインは一人で出席する。

今日の園遊会は、各国の大使をはじめ、国内の貴族も数多く招かれており、アデラインが苦手な同年代の令嬢達も多い。ルトヴィアスは、それを心配しているのだ。

――…苦手だと言った覚えはないけれど…。

葡萄パンの件と同じように、顔に出てしまっていたのかもしれない。

アデラインは微笑んだ。

「勿論、大丈夫。心配しないで」

「……」

アデラインの返事に、けれどルトヴィアスが安心した様子はない。 頬を固くし、唇を噛み締めている。

――…そんな顔しないで…。

ルトヴィアスは、アデラインが年が近い同性に恐怖にも似た苦手意識をもっているのは、自分のせいだとひどく責任を感じている。確かに、アデラインが人の視線から逃げ始めたきっかけは、3年前の婚約解消騒動だ。けれどそれは、ルトヴィアスが悪いわけではない。彼はただ恋をして、恋人を妻にと望んだだけだ。軽率ではあったかもしれないけれど、そもそも婚約が政略によるものなのだから、ルトヴィアスが誰を好きになったところで、誰も責められはしないはずだ。

そしてアデラインも、ルトヴィアスが誰を好きでいようが正式な婚約者なのだから、堂々と顔を上げていればよかった。陰口を言われようが、笑われようが、未来の王妃として、毅然とした態度でいるべきだった。だが、その強さがなかった。アデラインは自ら、王妃の器ではないことを示してしまったのだ。その上、地味な容姿に拍車をかけるように、陰気なドレスばかり選んでいては、侮るなと言う方が無理な話だ。

けれど最近では、ルトヴィアスの醜聞払拭作戦の効果の副産物として、アデラインに親しげに声をかける人も増えてきた。婚礼も迫ったこの時期に、国外からの賓客を前にしてアデラインを嘲笑うような真似は誰もしないだろう。

アデラインにしてみれば、ルトヴィアスが責任を感じていることの方が、よっぽど胸が痛む。

「お母様もいるもの。リオハーシュ夫人もついていてくれるし、大丈夫よ」

アデラインは努めて明るく言った。

「アデライン…」

ルトヴィアスの手が、そっとアデラインの頬を包んだ。

オーリオや女官達が、遠慮して壁際まで下がる。それでも彼らの存在を無視することは難しく、アデラインは恥ずかしさに身を縮ませた。

「…誰かに何か言われても、何も気にするな。いいか?」

アデラインだけに聞こえるように囁かれた低い美声に、アデラインは背筋を僅かに震わせた。碧の瞳に映るのが自分一人であることが、眩暈を覚えるほど嬉しい。

「…大丈夫。顔をあげて、胸をはるわ」

今度こそ、ルトヴィアスの妃として、王妃になる者として、恥ずかしくない振る舞いをしてみせる。

頬を包む彼の手に自らの手を重ねて、アデラインはすり寄った。ルトヴィアスの表情が、ようやく柔らかくなる。

「…また後で」

「また後で」

瞬くほどの短い時間見つめあって、二人は手を離した。






「まぁ、アデライン様のお髪の見事なこと」

――…『いくら美しい髪でも宝の持ち腐れね』

「今日のご衣裳も素敵ですわ」

――…『今日もなんてみすぼらしいのかしら』

「私もアデラインカラーのドレスを作りましたのよ」

――…『あんな色のドレス。私なら年をとっても着たくないわ』 

たった数ヶ月での変わりように、アデラインは開いた口が塞がらない。

園遊会の会場に足を踏み入れるやいなや、アデラインは高位貴族の令嬢に取り囲まれてしまった。そして始まった媚びの大安売り合戦。

「皆様。お嬢様がびっくりされていますわ」

アデラインの一歩後ろにいたリオハーシュ夫人が、ホホホ、とたおやかに笑い、アデラインは我に返った。

どこの世界に口をぽかんと開けて、目を皿にした王妃がいる。ひきつる頬を叱咤して、アデラインは微笑みを作った。

「褒めて頂いてありがとう。御挨拶が終わったら、またお話いたしましょう?」

まず皇国をはじめとする各国の大使に挨拶回りをするのが先だ。

令嬢達から離れると、アデラインは思わず呟いた。

「…変われば変わるものですね…」

ここまで見事にすり寄られると、はっきり言って居心地が悪い。

「変わりませんわ」

「え?」

リオハーシュ夫人を、アデラインは振り返った。彼女は扇で優雅に日差しをよけながら、にこにこしている。

「今も昔も、ドレスや殿下のご寵愛がどうであろうが、お嬢様はお嬢様。私のつまらない話を、楽しそうに聞いてくださる優しい方ですわ。皆様がそのお優しさに気付かないだけです」

「…リオハーシュ夫人…」

かつて周囲から孤立したアデラインに、変わらず声をかけてくれたリオハーシュ夫人。婚約解消騒動のことにも、アデラインのみすぼらしい装いのことにも一切触れず、空に浮かぶ雲が靴の形に似ていた話をしてくれた。その単調ながら優しい話が、どれだけアデラインを癒してくれただろう。

「夫人。私、貴女のお話をつまらないと思ったこと、一度もありませんよ?」

アデラインが言うと、夫人はにっこりと笑う。

「では後程、水の話をきいてくださいませ」

水、とは。一体どんな話だろう。想像もつかない。

「ええ、楽しみですわ」

アデラインは微笑んだ。

先に会場に来ていた宰相夫人と合流すると、アデラインは方々へ挨拶をして回った。

雨が心配されていたが、空は青く晴れ渡り、日陰にいなければ汗だくになってしまいそうな気候だ。会場のそこかしこで、扇で涼をとる婦人が見られる。

アデラインも、時折扇で涼をとりながら、各国の大使と言葉を交わす。母親とリオハーシュ夫人がいてくれたことが心強く、笑顔を絶やさずにいられた。

「それにしても、随分と垢抜けたこと」

挨拶回りも一段落した頃、宰相夫人がしみじみとこぼした。お茶を飲んでいたアデラインは、目を瞬かせる。今日の気候にあわせて、お茶は冷たいものが用意されていた。

「え?」

「『アデラインカラー』ですって」

宰相夫人は一歩下がってアデラインを眺めると、満足げに頷いた。

「…今日のドレスも素敵よ。よく似合ってる。それに、あなたの顔も晴れやかだわ。やっぱり女にとって恋にまさる美容液はないのね」

「お、お母様…」

突然何を言い出すのだ。

迷いに迷って選んだ薄い藍色の布地は、女性には地味だが、男性には明るすぎる。揃いの布地で衣装を仕立てるルトヴィアスがさすがに嫌がるのではとアデラインは心配したが、『好きな色を選べ』との前言どおりルトヴィアスは試着の際も何の文句も言わずに、出来上がった衣装に袖を通した。そしてそれは、予想外にもルトヴィアスにとてもよく似合っていたのだ。

アデラインは藍方石を花帽にあしらい、ドレスは糸の色合いを変化させて刺繍してもらった。腰紐の代わりに、工房の女官の自信作だという水晶と真珠を編んだ帯を腰に結んで垂らしてある。

『よく似合う』と、誉めてくれたルトヴィアスの微笑みを思いだし、アデラインは頬を緩めた。

「…3年前はどうなることかと思ったけれど。殿下も貴女の魅力に気付いたみたいね」

「み、魅力だなんて…っ」

アデラインは慌てて首を振る。

「ル、ルトは…殿下は……お優しいから、私を気遣って下さってるだけよ」

「………背筋が曲がっていますよ!」

トンッと、宰相夫人がたたんだ扇でアデラインの背筋を軽く叩いた。

「…っ!す、すみません」

「謙虚も度が過ぎると相手に失礼よ。アデライン」

「え?」

「私から見れば、殿下が哀れです。まったく通じていないのだから」

「あの?通じるって…何が?私、殿下に何か失礼を?」

「……我が娘ながら…」

ふぅ、と宰相夫人はため息をついて、扇を額にあてた。リオハーシュ夫人が、隣でクスクスと笑う。

「宰相夫人。そこがお嬢様の良いところでもありますわ」

「勿論、この子の良さは私が一番わかっています。…殿下には申し訳ない気もするけれど…3年前のこともあるし、これでおあいこということにしていただきましょう」

「おあいこって…」

「あら、呼ばれてるみたいだわ。じゃあ、楽しんでね!アデライン」

「お母様!」

ひらひらと扇をなびかせて、宰相夫人は行ってしまった。

「…もぅ。お母様ったら変なことを言って…」

「殿下はお優しい方のようですが…私にはただそれだけで、お嬢様にお優しくしているようには見えません」

アデラインは、リオハーシュ夫人に向き直った。母親やリオハーシュ夫人が何を云いたいのか、アデラインにはさっぱりわからない。

「…どういうことです?リオハーシュ夫人」

「本当に、何も気付いていらっしゃらないのですか?」

「気付くって…何を?」

「お嬢様を見るルトヴィアス殿下の目を見て、何も気づかれませんか?」

「………」

ルトヴィアスの目に、熱がたまっているように見える時は、確かにある。その熱は、視線を伝ってアデラインの胸を焦がす。

「…でも、それは…」

アデラインの願望ではないのか。願望が見せる、幻ではないとは言い切れない。

「私の…」

「ねえ、見て。あんなドレスでここに来るなんて、どういうつもりかしら?」

背後から聞こえた声に、アデラインは身を凍らした。

唇と指が震えるのを、必死に押さえる。

「お嬢様」

心配げに覗きこんでくるリオハーシュ夫人に、アデラインは何とか返事をした。

「…大丈夫…」

『…誰かに何か言われても、何も気にするな。いいか?』

耳に残る低い美声。

――…落ち着いて…。

誰が何と言おうと、他でもない彼が似合うと言ってくれた。だから、気にしない。俯いてはいけない。胸をはれ。

――…私は、あの人の妃よ。

彼が誇れる妃であらなければ。

深呼吸をゆっくりして、アデラインは笑ってみせた。

「…大丈夫です。行きましょう」

「でも…お嬢様。お嬢様のことを言ったわけではないようです」

「え?」

リオハーシュ夫人が視線で示した先を、アデラインも目で追いかける。

少しばかり離れた場所に、一人でその人物は俯いていた。

頭の後ろで一つに編んで垂らしている赤い髪は、鳥につつかれたようにボサボサだ。胡桃色の何の飾りもない質素なドレスは、どうしたことかひどく皺がついていた。

ひそひそと、貴婦人達が楽しげに囁きあう。

「どうなさったのかしらね」

「あら、ご存じないの?お父様がご領地から国に納める税金を誤魔化していたそうよ。それもかなりの額を。ご領地は半分召し上げとか」

聞こえてくる噂話に、アデラインは耳をそばだてる。領地没収なんて大事だ。何故、そんな話がアデラインの耳にはいっていないのだろう。リオハーシュ夫人を窺うと、彼女は困ったように首を振った。何も知らないようだ。そもそも世情に疎いリオハーシュ夫人が、何も知らないのも無理はない。

「そもそもはルトヴィアス殿下がご帰国の折に、ご領地の管理が不十分だとお叱りになったことが発端だとか」

「殿下が?」

「けれど性懲りもなく殿下に賄賂を送りつけて…それが国王陛下のお耳にはいったことからお調べが入ったそうよ」

「殿下がお屋敷にお泊まりになるってたいそう自慢してらしたのがついこないだですのに」

「いい気味だわ。大した身分でもないのに気位だけは高くてらっしゃるんだもの。ハーデヴィヒ様は」

アデラインは、耳を疑った。

――…ハーデヴィヒ様?

胡桃色の花帽から覗く赤い髪。

よくよく見れば、確かにあの美しいハーデヴィヒだ。いつも自信に満ちていた彼女が、伏せた顔を怒りと羞恥で真っ赤にしている。

――…どうして…。

ルトヴィアスに領地の管理について叱責されたというのは、あの夕食会のことだ。領地を没収されていたなんて知らなかった。

――…あのドレス…まさか…。

あの夜。アデラインは胡桃色のドレスを着ていた。寝台で横になっていたせいで、ドレスは皺がより、髪はボサボサに乱れていた。そんなアデラインを庇って、ルトヴィアスは言ったのだ。『私が好きなのです。胡桃色のドレスが。皺がはいっていると尚いい』と。

まさか、あれを真に受けたのだろうか。だから、あの夜のアデラインと同じような装いをして、ルトヴィアスの気をひこうと考えたのだろうか。

――……いいえ、違うわ。

ハーデヴィヒの、あの屈辱に堪える顔。おそらく真に受けたのはハーデヴィヒの父親の方だろう。元々、ハーデヴィヒをルトヴィアスの側室に上げようと色々と画策していたようだった。領地没収で切羽詰まったこともあり、嫌がるハーデヴィヒに無理矢理あんなドレスを着せて、園遊会に放り込んだに違いない。

「みっともないわ、あの髪」

「新しいドレスを仕立てる余裕もないんでしょうね。お気の毒だこと」

「領地没収なんて…私なら恥ずかしくて屋敷から出られないわ」

以前はハーデヴィヒと一緒に、アデラインを馬鹿にして笑っていた令嬢達。彼女達も結局、ハーデヴィヒの家の財力に近づいていただけだったのだ。

小さく震えるハーデヴィヒに、アデラインはかつての自分を重ねた。令嬢達の心ない言葉は、ハーデヴィヒの耳にも届いているはずだ。あの誇り高いハーデヴィヒが、どれほどの屈辱を感じていることか…。

「アデラインお嬢様?」

「あなたはそこでお待ちになっていてくださる?」

リオハーシュ夫人に言い置いて、アデラインは静かにハーデヴィヒに歩み寄った。アデラインに気付いたハーデヴィヒは顔を強張らせ、膝を折る。

「…ごきげんよう、ハーデヴィヒ様」

ハーデヴィヒにかけた言葉が、思いの他冷たく響き、アデラインは自分でも驚いた。

他人事とは思えない。けれど、彼女から受けた仕打ちを、忘れることも出来ない。少しでも口角をあげようと努力したが、唇はどうしても微笑みの形にはならなかった。

「…本日はお招き頂きありがとうございます。お声をかけていただき恐縮でございます…」

顔を伏せたまま、ハーデヴィヒはボソボソと挨拶の言葉を述べた。アデライン相手に頭をさげることも、彼女にとってとてつもない屈辱に違いない。このままここにいても、つらい思いをするだけだ。とはいえ、帰るきっかけがなくては、ハーデヴィヒも帰りづらいだろう。

「…お顔の色が、悪いのでは?もしご気分が優れないのなら退出されては…」

「いいえ!」

ハーデヴィヒは、勢いよく首を振った。

「いいえ、父より…ルトヴィアス王子殿下にお会いして、直接先日のお詫びをするよう申しつかっております。このまま帰るわけにはいきません」

やっぱり、とアデラインは思った。ルトヴィアスに会うために、ハーデヴィヒは陰口に堪えてこの場にとどまっているのだ。

「……ルトヴィアス殿下の本日のご臨席はありません」

アデラインが静かに告げると、ハーデヴィヒは顔を上げた。

「…う、嘘よ。だって予定では…」

「ご臨席のご予定でしたが、ご政務が立て込んでいるため、急遽取り止めになりました。いくら待っても、今日は殿下はお出ましになりません」

ハーデヴィヒの美しい顔が、驚愕と絶望の形に歪んだ。ルトヴィアスが園遊会に欠席することは、すでに周知の事実だ。それを知らなかったということは、誰もハーデヴィヒに話しかけなかったということだろう。

もはや、ハーデヴィヒがここにいる意味はない。これ以上彼女が、心ない言葉に傷つく必要はないのだ。

「ですから、今日はもう…」

「…っ私を殿下に会わせないつもりね」

ハーデヴィヒが、膝を伸ばし、真っ直ぐに立った。アデラインは上背が高いハーデヴィヒに見下ろされる。

「え? 」

「私を側室にするのが嫌なんでしょう?顔だけじゃなく中身まで陰気な女ね!」

その声は、会場内に響き渡った。周囲が静まり返り、視線が自分達に集中するのをアデラインは感じ、息を飲む。国外の賓客が揃うこんな場所で騒ぎを起こすなんて、ルードサクシードの威信に関わる。

けれどハーデヴィヒは、そんなことはかまわないようだ。ぎらりとアデラインを睨み付け、詰め寄ってくる。

「あんたのせいよ!あの日全部うまくいっていたら…っあんたさえあの夕食会にいなければ!今頃私は殿下の側室になっていたはずだったのに!」

ざわざわと、波のように騒ぎが広がり始める。会場のすぐ外で控えていたはずのライルとデオが、足早に近づいてくるのが遠くに見えた。

「お嬢様。参りましょう」

リオハーシュ夫人がアデラインを庇うように、ハーデヴィヒとの間に割り込んだが、ハーデヴィヒはその肩を乱暴に押し退ける。

「邪魔よ!」

「きゃっ!」

リオハーシュ夫人はその場に倒れ、顔をしかめた。

「リオハーシュ夫人!」

アデラインは夫人に駆け寄った。手のひらに血が滲んでいる。ハーデヴィヒは興奮して、分別をなくしているようだった。

「あんたなんかより、私がずっと美しいわ!私の方がずっと側室に…いいえ、王妃にー…っ」

ハーデヴィヒが何を言おうとしているか察して、アデラインは青ざめた。それを言ってしまったら、彼女は反逆罪に問われることになる。そうなれば、アデラインでは庇いきれない。ハーデヴィヒの言葉を掻き消すために、アデラインは声を張り上げた。

「――控えなさいっ!!」

ピタリと、人々の動きが止まる。ハーデヴィヒも、口をあけたまま固まった。

今度は声を押さえて、アデラインはもう一度言った。

「……控えなさい。ライル、デオ」

アデラインの背後で、剣の柄に手をかけていたライルとデオが唸る。

「…ですが、お嬢様」

「その者は…」

「私は何も聞いていません。場所をわきまえなさい」

納得いかない、という顔をしながらも、ライルとデオは柄から手を下ろした。

「……はい、お嬢様」

「…申し訳ありませんでした」

二人は跪く。王家に忠誠を誓う二人にとって、ハーデヴィヒの言おうとしたことは聞き捨てならないものだっただろう。けれど、騎士が剣を抜いてしまえば、騒ぎが大きくなり過ぎてしまう。

――…ごめんね。二人とも。

仕方ないとはいえ、人前で叱責などされては彼らも気分が悪いだろう。後で謝らなくては。

「歌姫が参りましたわ」

場違いなほど明るい声で、宰相夫人がにこやかに周囲に声をかけた。

「我が国一番の歌姫が竪琴の調べにあわせて歌いますの。どうぞお聴きになって。こちらですわ。さぁ、どうぞ」

多少強引ではあったが、おかげでアデラインとハーデヴィヒの回りにできていた人垣が、徐々に移動していく。

宰相夫人が片目を瞑って合図するのに、アデラインは小さく頷いた。

――…ありがとう。お母様。

アデラインは、ハーデヴィヒに向き直り、まっすぐ、彼女を見据える。

ハーデヴィヒが、気圧されたように半歩下がった。

「な、何よ…」

ライルとデオが剣を抜こうとしたことで、ハーデヴィヒは少し頭が冷えたらしい。けれど彼女の勝ち気な性格が、大人しく引き下がること許してくれないようだった。必死にアデラインを睨み、対抗してくる。

以前のアデラインなら、きっと負けていた。目を逸らして、逃げ出しただろう。けれど不思議と、アデラインは落ち着いていた。

「あなたはどうして側室になりたいのです?その美しさを誇るため?権力を得て、私のように血筋しか取り柄のない女を見下すため?」

ルトヴィアスは『お前一人だ』と言ったけれど、自分のためにルトヴィアスに、恋をし愛し愛される機会を失わせるつもりはアデラインにはない。いつか、ルトヴィアスは側室を迎えるだろう。けれど、相手は誰でもいいわけではない。血筋、家柄、教養、王族になる心構え。王族の側室に相応しい女性でなくてはならない。

「な、何なの偉そうに…私は…私はあんたより…」

「ええ。貴女は美しいわ。私よりずっと」

でも、それらの条件より何より、一番大切なのは、ルトヴィアスにも心があることを知っている女性でなくては。

睨み付けてくるハーデヴィヒの目線を、アデラインは静かに受け流す。まともに受けとる必要はない。これは喧嘩ではないのだ。王妃が家臣と喧嘩などしてはならないのだから。

「けれど、それだけで側室になれると貴女が考えているのなら、殿下のお側にあがることは、正妃として私が許しません」

まるで『王子の側室』という地位を宝飾品のように欲しがるハーデヴィヒが、ルトヴィアスの心を思いやれるとは思えなかった。完璧と言われるルトヴィアスにも、(もろ)く、弱く、傷つく心がある。その心に寄り添えない人を、ルトヴィアスのそばに近づけたくはない。

冷静なアデラインに対して、ハーデヴィヒは見るからに狼狽えていた。格下だと見下していたアデラインにこうまで言われるとは、想像もしていなかったのだろう。

「……デオ。ハーデヴィヒ様はお疲れのようだから、お屋敷までお送りしてさしあげて」

「かしこまりました」

デオがハーデヴィヒに近付き、手を差し出す。けれど、ハーデヴィヒはその手をはねのけた。

「さわらないで!」

ハーデヴィヒは俯いて、アデラインと目をあわせようとしない。彼女はまだ、認められないようだった。自分が、アデラインに『勝てない』ことを。

「…ア、アデラインカラーなんて言われて調子にのらないことね」

彼女が何とか絞り出した声には、犬が逃げ出す時のような、そんな哀れさが滲んでいた。

「そんなくすんだ色の辛気臭いドレス、本当は誰もいいなんて思ってないわ!」

ライルが、剣の柄に手をかけるのが横目に見えて、アデラインは慌てた。

「ライル!」

制止しようと手を上げたその時。

「まぁ、シルムイドの絹ではありません?」

「…え?」

突然横からかけられた声に、アデラインだけではなく、ライルも、ハーデヴィヒも毒気を抜かれ目を瞬かせた。

声の主は、昔馴染みのようにハーデヴィヒに近づくと、皺だらけのドレスに顔を寄せる。

「貴女のドレス。皇国のシルムイド地方で織られた極上の絹ですのね。 皺が寄っても失われないこの光沢…素敵ですわね」

にこにこと、ハーデヴィヒに笑いかける彼女は、それこそ絹のような黒髪を緩やかに編んで肩に流している。肌は雪のように白く、目は綺麗な青紫で、夕暮れの湖のように煌めいていた。瞳の色にあわせた薄葡萄(うすぶどう)(いろ)の優雅なドレスが、とてもよく似合う。

――…なんて綺麗な人…。

けれど、初めて見る顔だ。

――…いったい誰?

これだけ美しいのだから、一度挨拶をすれば忘れないはずだが。

「そ、そうよ!シルムイドから取り寄せた極上品よ」

ハーデヴィヒは、突如現れた美女に対抗するように声を張る。けれど紫水晶の目の美女は、そんなハーデヴィヒを無視して、今度はアデラインに向き直った。

「お嬢様のドレスは、フロートの絹ですね?」

「え?」

アデラインは肩を揺らした。

確かに、アデラインのドレスは、ルードサクシードのフロートという街で織られたものだ。どうして彼女は分かったのだろう。目利きの商人でも、見分けるのは難しいだろうに。

「耳の真珠はレーデン。藍方石はアストリカ産。水晶は…オリピア王国のものでしょうか?」

「…よく、おわかりになりますね」

すべて正解だ。アデラインは、美女の博識ぶりに驚くことしか出来ない。

青紫の双眸を、美女は優しく細めた。

「お嬢様の本日のお召し物は、すべてルードサクシード国内に産地をもつか、そうでなければ古くから産業交流がある地のものですわね。失礼ながら、フロートの絹は、シルムイドの絹より、大陸基準では安価品。公的な行事に相応しいかは、きっと意見が別れるでしょう」

「………」

確かにそうだ。けれど、何故それを今言うのか。美女の目的がわからず、アデラインは困惑した。もしやハーデヴィヒを加勢して、アデラインを貶めたいのだろうか。

けれど、そうではなかった。

「それでもそのお召し物を選ばれたお嬢様に、母国への強い誇りを、私は感じますわ。国を愛してらっしゃるのね」

美女は、そう言ってアデラインに対して微笑んだ。その微笑みは、美しいだけでなく、親しみを感じさせ、アデラインも自然に笑みを返す。

「……っどいて!」

アデラインの肩にわざとぶつかって、ハーデヴィヒは足早に立ち去っていった。

デオが、眉をよせて小さく舌打ちする。

「あの女…っ」

「デオ、いいの」

「ですがお嬢様」

「いいから、お送りしてさしあげてね?」

「…っかしこまりました」

頭を下げ、デオは小走りにハーデヴィヒを追いかけて行った。

「大丈夫ですか?」

「はい。ご親切にありがとうございます」

アデラインが振り返ると、美女がリオハーシュ夫人を助け起こしていた。

「リオハーシュ夫人。早く手当てしなくては…」

アデラインが手をとろうとすると、リオハーシュ夫人はすっと手を引っ込めた。

「お嬢様はお触りになってはいけません」

「夫人?」

「ドレスが汚れます」

「そんなこと…」

「各国の方々との大切な交流の場です。私のことはお気遣いなく。手当ては裏でしてまいりますわ」

リオハーシュ夫人は、美女に笑いかけた。

「私が戻るまで、お嬢様のお相手をお願いしてよろしいですか?」

美女は少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。

「私でよければ」

「ではお嬢様」

軽く膝を折って礼をとると、リオハーシュ夫人は行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、青紫の瞳の美女が呟く。

「良いご友人をお持ちですね」

「はい…あの…助けて頂いてありがとうございます。…失礼ですが…」

アデラインがおずおずと言うと、美女は笑って一歩下がった。

「ご挨拶が遅れ申し訳ございません。皇国より参りました通訳官のビアンカ・エムハンブラと申します。

未来のルードサクシード王妃陛下にお会いできて光栄でございます」

うやうやしく膝を折る彼女は、まるで蝶のように軽やかだった。

その姿に見惚れながら、アデラインは頷いた。

「通訳官…どおりで…言葉がお上手だと思いました」

「恐縮でございます」

皇国の大使はルードサクシードの言葉に堪能なため通訳は必要ない。けれど複数の通訳官が皇国から随行することになっており、彼女はそのうちの一人なのだろう。

これほど美しいのに語学力もあるとは、女神(てん)は二物を与えないというのが疑わしく思えてくる。二物どころか、三物 、四物と持っている王子様が身近にいるところをみると、女神は依怙贔屓(えこひいき)が過ぎるのではないか。

「とても発音が自然ですわ。ルードサクシード出身のお知り合いが?」

アデラインが尋ねると、ビアンカは少し焦ったようだった。

「…あ、はい…あの…そうなんです。…ルードサクシード出身の……知人に、言葉を教えてもらって…その方にルードサクシードの話をよく聞いていましたので一度訪れてみたいと、ずっと思っていました」

目を伏せるビアンカは、その知人を思い出しているのかもしれない。

――…知人と言っているけど…恋人なのかも…。

こんなに美しい人なら、恋人がいてもおかしくない。焦っていたのは、恋人のことを尋ねられては恥ずかしいからだろう。

苦手なはずの同じ年頃の同性にも関わらず、ビアンカとは気安く話せるのがアデラインは嬉しかった。

「そうでしたか。ぜひ滞在中に色々見て回ってくださいね。よろしければご案内いたしますわ。王宮の中はご覧になりました?」

「…アデラインお嬢様」

「はい?」

「…」

ビアンカは、何か迷っているようだった。

――…いけない、私…。

うかれて、彼女に役目があることを忘れていた。

「ごめんなさい。通訳官のお仕事がありますものね。勝手に私がつれ回しては…」

「いいえ、あの…」

ビアンカが目を伏せると、長い睫で目元に影が生まれる。いや、目元だけでなく、彼女の表情には影が落ちていた。

「…お嬢様のお好みになる色は『アデラインカラー』と呼ばれているそうですね」

明るく笑ったビアンカは、明らかに話題を変えた様子だった。けれど本来彼女が何を話すつもりだったのか見当もつかないアデラインは、気付かないふりで新しい話題にのる。

「あ、はい。…恥ずかしいです。あの…自分から呼び出したわけではないんですよ?私は、その…鮮やかな色は似合わなくて、それでくすんだ色ばかり…」

「落ち着いていて、深みがあって、とても素敵な色だと思いますわ」

社交辞令だとしても、ビアンカのような美女に言われれば照れてしまう。アデラインは気恥ずかしさに赤くなった。

「…あ、ありがとうございます…」

「お嬢様は控えめな方ですのね」

ビアンカが楽しそうにクスリと笑う。

「けれど、さきほどの令嬢を叱責されたお姿は、凛として、堂々として…ルトヴィアス王子は、良いご正妃をお迎えですね」

「あ、あの…そんな…」

そんなに手放しに褒められては、身の置き場所がなくなってしまう。首もとに汗が滲んで、アデラインは焦ってしまった。

「…とんでもないです…」

「やだわ、そんなに照れなくてもよろしいのに。お可愛らしい方」

くすくすと、ビアンカは笑った。そんな風に笑うと、上品な大人の女性かと思っていたビアンカが、途端にあどけなく可愛らしく見える。

「よろしければ、王宮をご案内いただけますか?」

「ええ、勿論よろこんで」

思わぬところで出来た友人に、アデラインの胸はうかれていた。


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