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第三十三話 王子の決意

自分がいないと気付かれれば、間違いなく大騒ぎになるだろう。父王から直接叱責を受けることになるかもしれないし、最悪の場合、シヴァを取り上げられるかもしれない。

そんな覚悟の上での無断外出だったので、厩舎の前で仁王立ちしているオーリオが目にはいっても、ルトヴィアスは平然としていられた。内心、げんなりとはしたが、彼に魔物のような顔で出迎えられるのは想定内だったからだ。

「一人で王宮の外にでるなど!何を考えてらっしゃるんです!」

ルトヴィアスがシヴァから降りるのを待つことなく、オーリオの説教が始まった。

昨日までなら猫をかぶって適当な謝罪の言葉で煙に巻いたのだが、オーリオに対しては今日の昼間に猫を脱いでしまった上に、あやうく殺しかけた。そんな彼に対して猫をかぶるのは今更だし、はっきり言って面倒くさい。

ルトヴィアスは憮然としたまま、シヴァの背中から地上に降りた。奇妙な浮遊感で、すぐには歩けない。空からおりると、いつもこうなのだ。

「殿下!聞いてらっしゃるのですか!?」

「……」

それだけ大きな声が、聞こえないわけないだろう。ルトヴィアスがジロリと視線をやると、オーリオはひるむどころか睨み返してきた。

「お立場をおわきまえください。供もつけずに出歩くなど…何かあった時に責任を問われるのは専従の騎士達ですよ。皆青くなって貴方を探しています!」

「……」

足元がおちついてきたのを見計らって、ルトヴィアスは手綱を引いて、シヴァを厩舎の中に導いた。

そのすぐ後ろについて来るオーリオは、普段沈着冷静な彼からは想像できないほど憤っている。余程腹に据えかねたらしい。

「毒を盛ってきた輩が、直接襲ってくることも十分考えられるんですよ!?自分がどんな危険をおかしたかわかっておられるんですか!?」

「……」

「殿下!!」

シヴァの背に馬具を固定している革紐を、ルトヴィアスはほどきはじめた。

「俺が見つかったと、言いに行かなくていいのか?」

ぶち、とオーリオの頭の血管が切れる音が聞こえた。

「――っええ!行きますとも!気の毒な騎士達を安心させてやりたいですからね!」

そう言ってオーリオはルトヴィアスに背を向ける。その背を見ずに、ルトヴィアスは言った。

「……悪かった」

オーリオが足を止める。 そして振り返った。

でも、その顔を見て謝れるほど、ルトヴィアスは大人ではなかった。

目は馬具に据えたまま、少し声量を上げ、もう一度繰り返す。

「……心配をかけて、悪かった」

「……」

「それから…」

ルトヴィアスは、ようやくオーリオの顔を見た。

「…首。悪かった。大丈夫か?」

「…大丈夫なわけないでしょう?しっかり青あざになっております」

オーリオは丈が高い襟首を指で引き下げて、ルトヴィアスに首もとを示す。そこにはルトヴィアスの手のあとが、くっきりと残っていた。

自分がやったくせに、直視するのがつらくて、ルトヴィアスは顔を歪める。

「……けれど、私も言い過ぎました」

オーリオは首もとを整えると、まっすぐルトヴィアスに向き直り、そして頭を下げた。

「ご無礼をいたしました。何卒ご容赦ください」

「…」

理由はともあれ殺されかけたのだから、もっとルトヴィアスを責め立ててもよさそうなものを。

己の非を非と認めるその姿は、真摯で潔い。顔も雰囲気もアデラインとはまったく似ていないのに、どことなく二人は重なる。近い血がながれているからか。それとも彼らが師弟だからか。

頭を上げたオーリオは、既に頓着なさそうな顔をしている。

「それで…アデラインお嬢様とはお話ができましたか?」

「…何故…」

アデラインのところに行ったとわかったのかと訊こうとして、首に桃色の肩掛けが巻かれているのに、ルトヴィアスは気が付いた。

――…返し忘れたな…。

その肩かけが女物だということは一目瞭然だ。だからルトヴィアスの外出先がマルセリオ家だと、オーリオは察したのだろう。または、肩かけがアデラインの持ち物だと、元々知っていたのかもしれない。

「……話せた」

「ようございました」

「……お前は平気なのか?俺とアデラインが結婚しても」

問い質したことはないが、まず間違いなく、オーリオはアデラインを女性として特別視している。彼にしてみれば大切に守ってきたお姫様をルトヴィアスに横取りされるようなものだろうに、何故『よかった』などと言えるのだ。

オーリオは、冷静な表情を崩さなかった。仕事の報告のように、淡々と彼は告げる。

「もとより王妃になる方だとわかっております。それに、ご心配されなくても、もう私はふられていますから」

「…何?」

「以前お嬢様に提案いたしました。国も身分も名前も捨てて逃げようと。私はその覚悟があると」

「…」

巷の劇場の安い恋愛劇のような台詞だが、この男がそんなことを言ったのか。

ルトヴィアスがどんな顔をしたらいいか困っていると、オーリオはそこでようやく初めて、感情を表に出した。少し自嘲気味に笑い、肩を竦めたのだ。

「本気にもしていただけませんでしたよ。私が冗談を言ったのだと思ったようです」

「…そうか」

その光景が目に浮かぶ。あの無害そうに見えて破壊力抜群の笑顔で、アデラインはオーリオの告白を一刀両断したに違いない。きっと彼女は、従兄が自分を想っているなど、想像すらしたことがないのだろう。ルトヴィアスは無愛想な秘書官に、初めて心の底から同情した。失恋もまともに出来ないとは、気の毒すぎる。

けれどオーリオはもう諦めきっているらしい。さっぱりとした口調で言い切った。

「昔からお嬢様が貴方のことしか見ていないことは、分かりきっていたことです」

ルトヴィアスは苦い思いで、口の端を上げた。

アデラインが見ていたのは、ルトヴィアスではなく猫の方だ。

「いいや。あいつが俺に献身的なのは、惚れてるんじゃなくて義務感だ。真面目だからな、あいつは」

『妃はお前一人だ』と言ったルトヴィアスに対するアデラインの返事は、『嫌いではない』だった。

――…『妃としてお役に立ちたいんです』とも言っていたな。

あくまで彼女は『妃として』、ルトヴィアスに応えた。

ルトヴィアスが欲しい応えではなかったが、政略結婚の相手への評価としては悪いものではない。アデラインがルトヴィアスを異性として見ていないのは分かりきっていたのだから、嫌われて避けられていたのではないと確認できただけでも、よしとするべきだろう。

オーリオは怪訝な顔をした。

「義務感?……話が出来たと仰いませんでしたか?」

「言ったが?」

「どんな話をしたんです?」

何故、そんなことを尋ねるのだろう。ルトヴィアスは、不思議に思って眉を上げる。偶然にもオーリオと同じような表情だ。

「…どんなって……俺を嫌いなわけではないとか」

「嫌いなわけではない?」

オーリオは怒ったように眉を寄せ、前のめりになった。その妙な迫力に、ルトヴィアスはややのけぞる。

「どうしたんだ。お前」

「他には?」

「…俺が側室をとらないと言ったのは嘘だったのかと訊かれたな」

「…殿下はお嬢様には伝えてあるんですね?」

何を、とは尋ねなかった。話の流れからして、ルトヴィアスの気持ちのことだろう。

「ある」

「失礼ですが、何と?」

「…そこまで訊くのか?」

「聞きたくありませんが状況整理のための確認必須事項です」

まるで武力扮装の戦況報告のようだと、ルトヴィアスは思った。

「……側室はとらないと言った。妃はアデライン一人だと」

「……残念ですが…おそらくお嬢様には伝わっていないと思います」

オーリオはため息と共に言ったが、ルトヴィアスは首を振って否定した。

「そんなわけあるか」

側室をとらない、妃は一人だけ。それをどう曲解すれば、愛情表現以外のものになるというのだ。

――…アレで伝わらないならどういえば伝わるって言うんだ。『好き』だの『愛してる』だの言えと?

こちらが照れていては伝えたいことは何も伝わらない、という対アデライン外交の基本を忘れたわけではないが、自分がそれを言っている姿を想像して、ルトヴィアスはどこか薄ら寒く感じた。

「なら、伝わっているとしておきましょう。ではお嬢様の気持ちは?」

「だから俺を嫌いじゃないと言っていたと言っただろう?」

「………」

「……何なんだ。その愕然とした顔は?」

「嫌いじゃないんですよ?」

「だから?」

嫌いじゃないから、好きだというわけではないだろう。そこには海底と山脈ほどの隔たりがある。

オーリオは、頭痛でもするのか、こめかみに指をあてて目を閉じてしまった。

「……傍目から見れば一目瞭然だというのに…自分達でややこしくしているとは…」

「何か言ったか?」

「………従兄として申し上げます…」

オーリオは、すっと視線を上げてルトヴィアスを捉えた。その瞳は静かで、理性的だった。

「昼間言ったことですが…貴方がお嬢様を振り回している自覚がないのなら、お嬢様を大切にできないのなら、いっそ手放して頂いたほうがお嬢様の為です」

「……」

そっと、アデラインが首に巻いてくれた肩掛けを、ルトヴィアスは握り締めた。微かに彼女の匂いが漂う。

――…さすがに…あれはやり過ぎだったかもな。

どうしても、触れたくなった。

本当に拒まないか、試してみたい気持ちもあった。

重ねた唇は、緊張で固く、そして震えていた。それでも、その柔らかい感触はルトヴィアスを満たしてくれたし、真っ赤になって恥じらうアデラインは、とてつもなく愛しかった。

もしかしたら、しばらくアデラインは口をきいてくれないかもしれない。二・三日なら甘んじてそれに従おう。だが、それ以上は逃がす気はない。

ルトヴィアスはオーリオをまっすぐ見返した。

「……手放さない。大切にする」

「……」

黙ってルトヴィアスの視線を受け止めていたオーリオは、やがて瞬きと共に頷いた。

「とりあえず…哀れな騎士達の前に出ていってやってください。それからお休みの前に目を通して頂きたい書類がございます」

てきぱきと予定の調整を始めたオーリオを、ルトヴィアスはしげしげと眺めた。

オーリオは、父王の耳にルトヴィアスの無断外出の件は届けていないようだ。意外な気がした。どちらかと言えば、ルトヴィアスの失態を魔物の首をとったかのように喜びそうに見えたのに。ルトヴィアスの猫の件も、彼は周囲に言いふらすつもりはないようだ。むしろ騎士や侍官に口止めをしている様子だった。

――…そういえば、初めてだな…。

アデラインでさえ、猫を脱いだルトヴィアスに仰天したのに、オーリオは臆してさえいなかった。睨み返されたのは初めてだ。

やがてはマルセリオの名前を継ぎ、ルトヴィアスの側近として要職につくだろう男。

「殿下、聞いてらっしゃいますか?」

「……明日からの食事だが」

「はい?」

「部屋でとる」

ルトヴィアスの発言の意図を、オーリオは掴めなかったらしい。首を傾げて尋ねてきた。

「……と、言いますと?」

「毒味したものを食べる」

オーリオが、息を飲んだのが聞こえた。

「…それは…」

「アデライン専従の毒味係も配置しろ。人選は任せる」

「…私に?」

珍しくオーリオが戸惑っている。ルトヴィアス自身、妙な気分だった。

アデラインのことを思えば、オーリオは目障り以外の何者でもない。さっさと地方にでも飛ばしてしまえば安心できるし、昼には本気で殺そうと思った。

けれど今、そうするには惜しいとルトヴィアスは思っている。遠ざけるのも、殺すのも、惜しいと。

「…俺が王になることに、お前は反対か?」

オーリオは、黙りこんだ。黙りこみ、ややあって口をひらいた。

「…人を信じられない方が、人を治められるとは思えません」

「―…そうだな」

オーリオの言うことはもっともだ。

ルトヴィアスは今まで差し伸べられてきた手を、すべて拒絶してきた。一度すがってしまえば、一人では立てなくなるだろうと、わかっていたからだ。

だが、ルトヴィアスは遠からず背負うものが増える。オーリオが言った通り、背負いきれずに倒れるその時に、倒れるのはルトヴィアス一人ではない。国と、そして―…。

栗色の髪が、月に照らされて鈍く艶めいていたのを思い出す。

白い頬。

夜色の瞳。

道連れに、するわけにはいかない。

夜明け色のドレスを思い出す。

『殿下が、この国が、誇れるような立派な妃になります』―――その決意は、王家への忠誠心からか、妃としての義務感からか、そんなことはこの際どうでもいい。アデラインから真っ直ぐ向けられた想いに報いるには、それに相応しい『王』であらねばならない。 彼女が『妃』として傍にいてくれる覚悟をきめているなら、自分は彼女が誇れる『(おっと)』になろう。

そのためには、ルトヴィアスは揺らいではならない。支柱が必要だ。

目の前の男は、その支柱になってくれるだろうか。支えてくれるだろうか。

たった一言を言うのが、ルトヴィアスには唾を飲み込むよりも難しかった。生きるために、疑うことばかりを覚えた。人の顔の裏を読んでばかりいた。それと反対のことをするのが、こんなに勇気が必要だとは。

――…信じろ。

支柱は、寄りかかってこその支柱だ。

ルトヴィアスがまず信じなければ、オーリオはルトヴィアスに忠誠など捧げてはくれない。誰だってそうだ。自分を信じない人間に、誰も命を捧げたりはしないだろう。

少し前まで、ルトヴィアスはそんなことを考えたこともなかった。人を信じるなど、無駄な行為だと思っていた。愚か者がすることだと。自分はそうはならないと。

でも、アデラインを見ているうちに、必ずしもそうではないのかもしれないと感じるようになった。

何故だろう。アデラインはルトヴィアスに何かを偉そうに教示したことなど、一度もないのに。彼女がただ、傍にいるだけで、世界の色が変わって見える気がするのだ。

アデラインとの関わりの中で、自分の中で変革が起こり始めていることを、ルトヴィアスは自覚していた。

それはきっと、悪いことではない。けれど今まで他人と距離をとっていたルトヴィアスにとっては、ひどく恐ろしくて、難しいことでもある。

それでも踏み出さなければ。

「…人選を任せる。お前の目を信じる」

ルトヴィアスは、噛み締めるように言った。

オーリオは、ややあってから、深く頭を下げた。

「心して、承ります」





翌朝。

シヴァの世話をし、執務室に向かう途中で、ルトヴィアスはその花を見つけた。

ルトヴィアスに花を愛でる趣味はないが、白や赤橙色のひらひらとした花弁がいくつも重なるその花を、ただ素直に綺麗だと思った。アデラインにも見せたい、とも。

けれど女性に花を贈ったことなどない。我ながら柄にもないことをしようとしている。昨日初めて口づけをしておいて翌日に花を贈るなど、どこの国の王子様だ。…否、まぎれもなく自分は王子なのだが。

はっきり言って恥ずかしい。恥ずかしい、が…。

――…きっと、喜ぶ…。

はにかみながら微笑むアデラインの顔が浮かんで、ルトヴィアスは意を決した。後ろにつき従っていた侍官に向き直り、要望を口にした。

「これをアデラインに贈りたいのですけれど」

「かしこまりました。庭師をお呼びいたします」

アデラインが喜ぶなら、己の些細な羞恥心など溝に捨ててしまおう。

しばらくして侍官に伴われて現れた庭師は、恐縮したように何度も頭を下げた。

「これは…王子殿下様…」

「この花が欲しいのですが、かまいませんか?」

「もちろんでございます。はい、すぐに…」

あたふたと腰に下げていた花鋏を手に、庭師は花を摘み始めた。

「…花の名前は何というのですか?」

贈る花の名前くらいは覚えておかなければ。

「『金英花』でございます。これは八重咲きの珍しい品種でして」

にこにこと、庭師は答えた。

――…金英花…。

花の名前を、口の中で繰り返す。聞いたこともない。そもそもルトヴィアスの知っている花など、母が好きだった小米花くらいだ。

「花言葉を知ってらっしゃいますか?」

「花言葉?」

「はい。金英花の花言葉は……」

庭師にそれを聞いて、ルトヴィアスは困惑した。

――…女々しい…。

なんて女々しい花言葉だ。

そんな花言葉の花をアデラインに贈るのか自分は。溝に捨てたはずの羞恥心が、いつの間にか戻ってきてしまった。やっぱりやめておこう。ところが…。

「アデラインお嬢様が喜ばれるでしょうね」

ルトヴィアスより年下の若い侍官は、悪意のない笑顔でそう言った。

「……そう、ですね…」

「お手紙を添えられてはいかがですか?」

「……」

逃げ道を塞がれた気がして、ルトヴィアスは内心項垂れる。

腹をくくろう。アデラインはきっと喜ぶ。それでいいではないか。

アデラインが花言葉を知らないことを願うのみだ。

――…それに、俺にふさわしい花言葉だ。

悩みに悩んで花束に添えた手紙には『庭に咲いていた』とだけ書いた。



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