第二話 夢物語の終わり
ルトヴィアス王子が見初めたのは皇国の近衛騎士団の団長の姪で、彼女本人も騎士団に籍を置いているのだという。
美しいだけではなく、語学力に優れ、その細腕で長剣を自在に操る才色兼備の女性らしい。
「何が才色兼備ですか。どうせその女が色仕掛けでルトヴィアス王子を誘惑したに決まっています」
アデラインの母はそう言って、噂の女騎士をこきおろした。
アデラインはというと、ルトヴィアス王子が選んだ女性のことを詳しくきいて、妙に納得してしまった。
そういう女性がお好みなのか、と。
ろくに話したこともない将来の夫の、好きな食べ物や好ましく思う女性の傾向さえもアデラインは知らなかったのだ。
皇国は女性も帝位に就ける国だ。女性が男性に追従する慣習が根強いルードサクシードや周辺国とは違い、貴族議会や領主など社会的に高い地位を有する女性も少なくないという。
現にルードサクシード宮廷に訪れる皇国の外交大使は、五十路ながら美しい理知的な女性である。きっとルトヴィアス王子が見初めた女騎士も、凛とした魅力を持つ堂々とした女性なのだろう。
けれどアデラインはと言えば、美しくもなければ、血筋以外には何の取り柄もない。長剣など手に取ろうとしたこともなかったし、おそらく持ち上げることも難しいだろう。アデラインに出来るのは、自分の欲の為に算段する人々の中で、無難な話に無難に微笑むだけ。
あまりにも惨めで、アデラインは哀しくなった。
ルトヴィアス王子が婚約者以外の女性と結婚を望んでいるという醜聞は、あっという間に国内を駆け巡った。国内世論はアデラインの母と同じように、相手の女騎士がルトヴィアス王子を誘惑したのだと、女騎士を批判する声が多数派だ。幼くして人質に出されたルトヴィアス王子に、ルードサクシード国民は同情的だったからだ。
そもそも皇国は最初からルードサクシード王室に自国の娘を嫁がせる算段だったのだという陰謀説も囁かれた。
そして、女騎士の誘惑にしろ、皇国の陰謀にしろ、それらに籠絡されたルトヴィアス王子に、果たして将来の国王たる資格はあるのかと、その素質を問う声も多く挙がった。幼くして皇国に置かれたからこそ、既に王子は皇国の色に染まってしまったのではないか、と。
いずれにせよ、ルードサクシード国内では聖ティランアジール皇国に対する反発が日に日に強まった。
予想以上の反発に慌てたのは、当初、王子と女騎士の結婚に前向きだった皇国議会である。建て前上としても、皇国とルードサクシードは現在友好国だ。それというのも、ルードサクシード王室が先の戦争の責任を全てかぶり、皇国への友好という形の恭順を示しているからだ。皇国への不満がルードサクシード王室への不満へと変わり、内乱にでもなれば皇国は事実上の属国を失うも同然。
皇国議会はあっさりと手のひらを返し、結婚への反対を表明した。
それでも意志を曲げないルトヴィアス王子に、強硬姿勢だったアデラインの父も、女騎士を側室としてルードサクシードに迎える提案をするまでに譲歩した。
しかし最終的に、事態は思わぬ形で幕を閉じることになる。
当の女騎士が自ら修道院に入り、ルトヴィアス王子との関係を断ち切ったのだ。
「ようやく己の罪に恥いったようね」
知らせをうけたアデラインの母親は、安心したように紅茶が注がれた茶杯に口をつける。
アデライン自身は、喜ぶにも喜べず、複雑な思いで視線を落とした。
修道院にいくべきなのは自分の方なのではないか。そうすればルトヴィアス王子が女騎士を娶るための障害は1つ減る。
女騎士の身分が低くとも、そこは皇国の高位貴族の養女になれば体裁は整えられるだろう。正妃が無理でも側室として王室に入れば、才色兼備の女性だというから時間をかければ周りの理解を得るのは難しくないはずだ。やがては王妃になるのも夢ではない。
けれど件の女騎士は、愛する人も、騎士の称号も捨てて修道院にはいった。何て潔いことだろう。
――…それに比べて私は…。
愛されるどころか、気にとめられてさえないのに、それでも『婚約者』という身分に必死にしがみついている。
ルトヴィアス王子とのわずかな繋がりを後生大事に握りしめる自分が情けなくて、アデラインの心は鬱々と沈んだ。
こうして、世紀の大醜聞とまで言われティランアジール・ルードサクシード両国を騒がした事件は、やがて徐々に収束していった。
けれど、何もかも元通りとはいかないことに、アデラインが気づいたのはしばらくしてからだった。
「ごきげんよう、ハーデヴィヒ様」
久しぶりに出席した知人のお茶会で、アデラインは仲がいい友人を見つけて挨拶をした。
アデラインとは違って赤い髪も鮮やかな美しいその友人は、アデラインを振り向くとニッコリと艶やかに微笑んだ。
「まぁ…ごきげんよう、アデライン様」
「お久しぶりですね。お元気でした?」
「私にそんなお気遣いは無用ですのよ、アデライン様」
「え?」
突然、ハーデヴィヒの美しい瞳がいつものように輝くのが、何故か妙に恐ろしく思えて、アデラインは一歩退いた。そんなアデラインを更に追いつめるように、ハーデヴィヒが一歩を踏みこんでくる。
「私に話しかけないで、と申し上げているのがわかりません?本当に愚図なお方」
明らかな侮蔑の言葉に、アデラインは固まった。ハーデヴィヒはそんなアデラインを鼻で笑って見下すと、わざと肩にぶつかって去っていく。よろめいたアデラインは、その場に手と膝をついた。
――…な…に?
いつも明るくて楽しいハーデヴィヒの話を聞くのが、アデラインは大好きだった。ハーデヴィヒもアデラインにいつも親切で、ドレスや化粧、髪型の流行をよく教えてくれた。こんなふうにあしらわれるのは初めてだ。
――…私…何かしてしまったのかしら…。
ハーデヴィヒの言う通り、アデラインは自分の行動が人より遅いことを自覚していた。おしゃべりも聞き役が多いし、緊張すると言葉に詰まる。自分では気づかないうちに、ハーデヴィヒの気に障ることをしたのかもしれない。
「みっともないわ」
くすくす、と囁く声に、アデラインは顔を上げた。すると、数人の令嬢たちが顔を背ける。
――……どうして?
彼女達も、アデラインと仲良くしてくれていた友人だ。ついこないだまで、お互いの家を行き来していたのに。ひそひそと、また別の場所にいた令嬢たちが囁く。
「あれでは王子に捨てられても仕方がないわよね」
「そりゃあ、王子殿下だって男ですもの。政略的に決められた婚約者より、華やかで美しい女騎士を選びたくなるのも無理ないわ」
自分が蔑まれているのだと、アデラインはようやく悟った。
「王子もお気の毒だ。名家の娘とはいえ、あんな地味な女を妻にしなければならないなんて」
「本当に、同情するよ」
ひそやかな笑い声。足が震えて、アデラインは立ち上がれない。
老若男女問わず、その場にいる全員が自分を嗤っているような気がする。
――――夢から覚めたのだと、アデラインは理解した。
優しい人々に祝福され、美しく優しい王子と幸せな結婚をする。そうなるであろうと、ずっと思っていた。けれど、それは夢に過ぎなかったのだ。今までアデラインが生きていたアデラインに優しい世界は、全て夢だったのだ。
鋭く冷たい人々の嘲笑に、アデラインは怯えて震えるしかなかった。
それから3年。
聖暦1185年。