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第十五話 道は決まった

翌朝。

空は晴れ渡り、道の安全も確認されたため一行は出立することになった。

「今日の馬車ですが…その、父の馬車に乗りたいのですが…」

朝食の席で、アデラインがおずおずと言うと、ルトヴィアスは一旦食事の手を止め、アデラインをジロリと見やる。が、またすぐに目線を皿に戻して食事を再開した。

「俺と同じ馬車に乗りたくないならはっきりそう言え」

「そんなわけでは…っ。私はただ…」

アデラインの声を遮るように、ルトヴィアスが立ち上がる。

「勝手にしろ」

そう言い捨てて、ルトヴィアスは部屋から出ていってしまった。

一人残されたアデラインは、がっくりと肩を落とす。

またルトヴィアスを怒らせてしまった。こんなはずじゃなかったのに。

「…やっぱり、先にあの話をするべきだったわ…」

けれど、アデラインが本気だと証明するためには、口だけでは駄目だと思ったのだ。

扉がトントンと鳴り、ミレーの声がした。

「お嬢様よろしいですか?」

「ミレー?どうぞ」

入ってきたミレーに、アデラインは尋ねる。

「どう出かけられそう?」

今日の昼食に休憩で立ち寄る街で、アデラインは行きたいところがあった。その為の諸々の手配を、ミレーに頼んであったのだ。

ミレーは困った顔で、小さく頷いた

「先方には繋ぎをつけました。…けれど…一つ問題が」

「何?」

「護衛が…」

「あ…」

身から出た(さび)とはこのことだ。アデラインは苦々しく目を閉じた。

もともとアデラインの護衛としてに騎士団から2人騎士が配属されていたのだが、先日ルトヴィアスの護衛として配属されていた騎士が2人不祥事で謹慎になった。その穴埋めとしてアデライン付きの騎士がルトヴィアス付きに異動したのだ。

不祥事をおこした二人とは…そう、アデラインに無礼を働いたあの2人だ。

「昨日は屋敷の護衛がいましたので不都合はなかったのですが」

「出立したらその護衛はついてこないものね…」

護衛がいなくては外出は出来ない。無理に出て、もし何かあったらルトヴィアスにも宰相にも迷惑をかけるし、ミレーの責任問題になる。外出は諦めるしかない。

「…いいえ、出かけるわ」

「お嬢様?」

「護衛ならいるわ2人」

「え?」

「とにかく食べてしまうわ。空腹では馬から落ちるって言うものね」

炒り卵をフォークに山盛りにのせると、アデラインは口に頬張った。





突然あらわれた王子の婚約者にして宰相令嬢に、馬に水をやっていた2人は凍りついた。

それにかまわずアデラインは黒髪の青年に笑いかけた。ルトヴィアスに蹴られた頭には白い包帯を巻いている。

「あなたがデオで…」

続いて馬の手綱を握っていた赤髪の青年に微笑む。

「あなたがライルね?」

「何をしてる。宰相令嬢の御前だぞ」

アデラインの背後から騎士団長が凄みをきかせると、デオとライルは慌てて跪いた。

「あ、いいの。やめて。服が汚れちゃうから」

慌ててアデラインが言ったが、2人は立ち上がらない。更に頭を深く下げた。

「先日は、ご令嬢と知らぬことながら大変な無礼をはたらき申し訳ありませんでした!」

「ならびに殿下へのおとりなしまことに…」

ミレーが横から進み出た。

「貴方達の話を聞く必要はありません。黙りなさい」

「…は」

「はい」

ミレーの迫力に気圧されて2人は口ごもる。アデラインはミレーに目線で礼を伝えると、デオとライルに話しはじめた。

「お願いがあるの。昼の休憩で外出をしたいのだけど護衛がいなくて…あなた達についてきて欲しいの」

2人は眉をしかめた。

「…あの…ですが」

「我々は謹慎中の身で…」

言い淀む2人に、アデラインは身を乗り出す。

「これは任務ではありませんから謹慎は関係ありません。私の個人的なわがままに付き合ってもらうだけなので謝礼も出します」

アデラインの後ろで、団長がジロリと睨みをきかした。

「私としては反対したが、お嬢様たってのお話だ。ただしお嬢様の身に何かあったら騎士号剥奪どころじゃすまんと心しておけ」

「は、はい!」

「はい!」

2人が生唾を飲み込む音が聞こえて、アデラインは今更ながら気の毒になった。自分達の謹慎処分の原因であるアデラインを護衛するなど、気がすすまないだろう。けれど人手が足りないのだ。アデラインは振り返ると団長に謝罪した。

「あなたも無理を言ってごめんなさい。わがままを許してくれてありがとう」

騎士団長は、以前は一騎士として公式行事でアデラインの護衛をしてくれた人物だ。前団長の勇退で団長に就任後も、時々アデラインの警備の確認に来てくれる。

「いいえ。私が行ければいいのですが…。気をつけてお出かけ下さい」

「お嬢様、お時間が」

出立の時間が迫っている。

「ああ、いけない。じゃあ、ライル、デオ、また後で」

「は」

「は…い」

戸惑い気味の二人の騎士を残して、アデラインは馬車に急いだ。

「あの二人は信用できますかしら」

ミレーは不安そうに呟く。

彼女の不安はもっともだが、アデラインは何も心配していなかった。

「騎士号剥奪も有り得た状況での謹慎処分だもの。私への恨みがあったとしても幸運をふいにするとは思えないわ」

「そうではございますが…」

ミレーは、ライルとデオを信用出来ないらしい。それも仕方ないだろう。先日の一件を聞いたときのミレーはといえば、まさに火山か噴火するかのように怒り狂っていた。アデラインを大切に思っていてくれればこそ、アデラインに乱暴な真似をしたライルとデオを、ミレーは許せないのだ。

けれどアデラインは、ライルとデオに対して恨みじみた感情は特にない。むしろ、謹慎などさせることになり悪いことをしたと思っている。

身元さえはっきりしていれば採用される衛兵とは違い、騎士は一定の学識と剣術、馬術などの技能が求められる。数度の試験と面接を経て候補生が選抜されるが、候補生期間の生活費は自己負担な上に、研修は厳しい。研修に耐えられずに脱落する者や、最終試験を受ける為の単位を全て取得出来ず、万年候補生に甘んじる者、生活費が底をつき辞めていく者も少なくないときく。

ライルとデオも、それらの試練を突破するために血が滲む努力をしたはずなのだ。

一歩間違えば、アデラインがその努力を無に帰してしまうところだった。

「それにしてもビックリしました。お嬢様がこうまでして外出されたがるなんて」

アデラインの後ろから、ミレーがクスクス笑う声が聞こえる。

アデラインは肩越しに訊ねた。

「はしたない?」

「いいえ。安心いたしました。お嬢様でも恋をすると着飾りたくなるのだと」

「え?」

アデラインは耳を疑った。今ミレーは何と言った。

「殿下の前で美しく装いたくてドレスを作るのでしょう?」

「ち、違うわ!」

アデラインは仰天してミレーを振り返った。

次の街で、アデラインが行きたいのは仕立屋だ。そこで新しいドレスを買うことになっている。

けれどそれはルトヴィアスに見せたいからというわけではない。いや、厳密に言えばそうなるのかもしれないが、それは恋愛感情が絡んでのことではない。

昨日のこともあり、ルトヴィアスに対しては再会当初より、ずっと良い感情をアデラインは持っている。猫かぶりにしても慣れてはきたし、悪い人ではないと思う。

けれど恋しているかと問われれば、違うと断言できるし、それでいいとアデラインは思っている。恋愛感情は時に目を曇らせる、とよく聞く。アデラインの目的のためには、それは避けるべき事態だ。

アデラインはミレーに必死に説明しようとする。

「私はただ…殿下に相応しくなろうって…」

「ああやっぱり」

「違う、違うのよ。そういうんじゃなくて」

「はいはい、わかりました。わかりましたよお嬢様」

何もかもわかっている、そんなふうにミレーは笑った。アデラインがどんなに否定しようと無駄なようだ。

正面入口前の広場には、幾つもの馬車が並んでいた。

娘を見つけた宰相が、足早に近づいてくる。

「よく眠れたか?」

「ええ、お父様。私は大丈夫」

父親の目をまっすぐ見て、アデラインは微笑んだ。

宰相が昨夜の夕食会のことを気にかけていると、アデラインはわかっている。

――…お父様の為にも…。

アデラインは胸に抱く決意を新たにした。

「お父様、お願いがあるのだけど。昼に外出したいのだけどいいかしら?」

「昼に?しかし…」

「ミレーも一緒よ。護衛も手配出来てるわ。ねえ、いいでしょう?」

宰相は思案顔だったが、ややあって頷いた。

「…それでお前の気分転換になるのなら、気を付けて行ってきなさい」

「ありがとう!」

宰相はアデラインを(いた)わるように肩に手を置くと、馬車の中にエスコートしてくれた。

ざわめきが聞こえ、アデラインは馬車の窓から外を覗いた。ちょうど、ルトヴィアスが屋敷から出てきたようだ。アデラインは息をつめてルトヴィアスを見つめる。そんなアデラインには気付かずに、ルトヴィアスは馬車に乗り込んでしまった。

――…殿下、私。

唇をひき結ぶ。

決意を握りしめるように、手を胸にあてた。

――…私、貴方の妃になります。






アデライン自身が、劣等感に押し潰されて、その無様な姿を人に嘲られるのはかまわない。けれどそのことでルトヴィアスにまで恥をかかせるとなると話は別だ。昨夜の夕食会で、ルトヴィアスは周囲と一緒にアデラインを笑うことも出来たはずだ。むしろそうした方があの場は丸く収まった。大公の不興を買うこともなかっただろう。

けれど、ルトヴィアスはそうはしなかった。

彼はアデラインが嫌いなのに、そしてあの場の誰もと同じことを考えていただろうに、アデラインの婚約者として、アデラインの矜持を守ってくれた。

それが愛情ではなく、義務感からの行動だとしても、彼は醜い劣等感ごと、アデラインを受け止めてくれた。アデライン自身でさえ、目を背けていたアデラインを。

――…私は?

アデラインはどうだろう。

ルトヴィアスを一度でも正面から見ただろうか。

優しく穏やかな理想の王子様ではないからと、逃げ回っていなかったか。愚かなアデラインをすべて見透かすような、あの強い眼差しが怖くて、目をそらしてばかりいなかったか。

彼は公平で、誠実で、尊敬出来る人だ。猫をかぶっていることを差し引いても、彼が優秀で才能豊かであることには違いない。

猫をかぶるのはまともに接する必要がないからだと、周囲を見下すようなその理由も、今では本当なのか怪しいところだ。

少なくもアデラインが知る彼は、身分や容姿で人となりを判断する人ではない。アデラインには想像もつかないが、猫をかぶる理由は、他にあるはずだ。

『本当にそれでいいのか?』

昨夜、ルトヴィアスに問われて、一瞬迷った。

迷ったということは、いいはずがないことをアデラインは心の奥では分かっていたのだ。

ルトヴィアスの『たかだか容姿に何をこだわってるんだ』という言葉に激昂したのも、一番容姿にこだわっているのが自分自身だと、実は分かっていたからだ。

アデラインはずっと、すべてを美しくないせいだと思っていた。美しければ何もかもうまくいったと思っていた。けれど、本当にそうだったのか。

いいや、そうではない。そんなことはなかったはずだ。アデラインは、何もかもを容姿のせいにして、いじけて、諦めた。逃げていたのだ。

ルトヴィアスは、それをアデラインに気付かせてくれた。

アデラインは、美しくない。

着飾ったところで、美しくなれるわけでもない。

顔は変えられない。

どんなに願っても。

だからといって、いじけて、諦めて、逃げ出してもいい理由にはならない。では、どうすればよいか。

『卑下するな』

あの夜、ルトヴィアスは答えもくれていた。

いいや、本当はずっと昔からアデラインは知っていた。

『背筋を伸ばしなさい。俯かないで。花帽を落としては貴婦人の恥ですよ』

遠く幼い日に母が言ったのは、行儀作法のことだけではなかった気がする。それに今ごろ気が付いた。

――…顔を上げよう。

俯いて、人の目から、自分から、逃げるのは止めよう。

たったそれだけだけど、でも、俯いていたせいで見えなかったものが見えるようになるはずだ。

少なくとも、投げられた泥は避けられる。

アデラインのせいで、ルトヴィアスが泥をかぶるなんてこと二度とさせやしない。

――…失恋してよかった。

本来の意味の失恋とは違うが、ルトヴィアスへの恋愛感情がなくなったことは、今となっては幸いだ。ルトヴィアスのことが好きだったら、アデラインはただ彼の心が欲しくて、そしてそれが叶わないことを嘆くばかりだった。鬱々とした名ばかりの妃として、一生を過ごしたはずだ。

かつて父がアデラインに言った。愛されれば、王妃になれるわけではないと。

――……愛されなくても、王妃になれる…。

その事実に、あの日のアデラインは人生が終わったかのように絶望した。でも、人生は終わらなかった。そしていまのアデラインなら、あの言葉に希望を見いだせる。

この先一生、女として愛されなかったとしても、それが不幸な人生なわけではない。アデラインには、幸運にも与えられた義務がある。

「…王妃になるわ」

決意を言葉に、アデラインは前をむいた。馬車が昼食休憩の街に止まったのは少し前だ。宰相は既に馬車から出て行った。

トントン、と馬車の扉が外から叩かれる。

「お嬢様、ライルとデオが参りました」

ミレーだ。アデラインは待ってましたとばかりに立ち上がり、自分から扉をあけた。

「じゃあ行きましょう」

「かしこまりました」

ミレーが差し出してくれた手を支えに、馬車から降りる。

青い空には、雲一つない。風はほんの少し冷たかった。

王太子妃に、いずれは王妃になる人生を、ただ重圧に押し潰された惨めなものにするか、それとも重圧に耐え、凜然と前を見据えたものにするか、それはアデライン次第だ。

ルトヴィアスに、認められる妃になろう。誇り高い彼が、隣に立つことを許してくれる妃に。

もう俯かない。背筋を伸ばして、花帽を落としては、貴婦人の恥。

――――道は、決まった。

なら、あとはもう、歩くだけだ。




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