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第十二話 王子の八つ当たり

アデラインを見ると、ルトヴィアスはどうしようもなく苛々してしまう。

あの始終何かに怯えたようにおどおどした態度。

頼りなく、とても王妃が務まるようには思えない。

王家に、しかも王太子に嫁ぐことで発生する責任と義務を自覚しているようには、とても見えなかった。

――…この10年何をしていたんだ。

妃になるための教育は受けたはずだが、明らかに実になってはいないではないか。

教本を開きもせずに、優しく美しい王子様のことばかり考えていたのだろうか。

その光景を想像すると、ルトヴィアスの胸にもやもやと黒雲がたちこめる。

特にルトヴィアスを苛立たせるのは、アデラインが俯いてばかりで、まともにルトヴィアスを見ないことだ。

ルトヴィアスから逃げるように目を伏せるアデラインを見ると、もう我慢がならない。

そこまで気に入らないなら遠ざけてしまえばいいと自分でも思うのだが、どうしたことかそれはする気になれなかった。

無意識にアデラインの気配を探す自分に、ルトヴィアスはまた苛立った。いったい、自分は何がしたいのだ。

苛立ちは言葉と目線を刺々しいものに変え、それを恐れたアデラインが俯き、そしてそれにまたルトヴィアスが苛立つという奇妙な悪循環が発生しているのだが、ルトヴィアスはそれに気づくことがなかなか出来なかった。

ルトヴィアスが、どうやら自分に問題があるらしいとようやく気付いたのは、昨夜のことだ。

騎士を真正面から叱りとばしたアデラインは、普段俯いてばかりの彼女と同一人物とは思えなかった。

更に自分に無礼をはたらいたその騎士の減刑を訴え、まっすぐにルトヴィアスを見据える眼差し。知性と教養が宿る黒い瞳は、自分の立場も責任も、十分に理解している。

今までの彼女は何だったのか。

猫を脱いだ自分に怯えていたのかもしれない、とようやくルトヴィアスは思い至った。

確かに、限りなく初対面に近い再会後すぐに、八つ当たりじみた怒りをアデラインにぶつけたのは悪かった。

相手は正真正銘、深窓の令嬢だ。男とまともに話したこともないだろうに、いきなり睨まれ毒づかれては怯えるのも当たり前だ。

けれど、とルトヴィアスは首を傾げた。どうにも、すべて自分だけのせいとも思えない。

彼女の、他人の顔色を伺うような態度は、ルトヴィアス以外の誰に対しても変わらないからだ。隠れるように息を殺すのは何故なのか。何故、俯くのだろう。まるで自らを恥じるように。

何か込み入った事情でもあるのかと、ルトヴィアスは疑ったが、蓋を開けてみればなんてことはない。


『私の顔が地味だから!だからきっと騎士達は覚えづらいんです!』


アデラインの半泣きの顔に、ルトヴィアスは不覚にも吹き出してしまった。

――…それで俯いていたのか。

納得すると同時に、正直、呆れてしまった。

どうも、アデラインは自分の容姿に自信がないようだ。いや、自信がないというよりは、自分の容姿を恥じている。

確かに、アデラインは一般的な美人の条件にはあてはまらない。けれど不器量では決してないし、自分を卑下するほど気に病むなど、ルトヴィアスにとっては理解が難しい。

容姿など、年齢と共に衰える張りぼてのようなもの。そんなものに振り回されるなど、愚か者以外の何者でもない。

けれど女とは、そのはりぼての美しさのために、呼吸困難に陥るほどコルセットを縛り上げる謎の生き物だ。

特にアデラインは若い。

アデラインが深刻に自分の顔形を悩んでいるなら、吹き出したりして申し訳ないことをした。しかも、慰めも相当下手だった。

それを謝ろうと思って、天馬に興味があるというアデラインをシヴァの厩舎にルトヴィアスは誘ったのだ。

けれど今までの態度が散々だったこともあり、なかなか謝るきっかけを掴めずに時間だけが過ぎてしまった。

――…結局、会話らしい会話もできなかったな…。

騎士に伴われて遠ざかるアデラインの後ろ姿を、ルトヴィアスは横目で見送った。

「…邪魔をしてしまいましたかな?」

「え?」

宰相の言葉に、ルトヴィアスは我に返る。渡された書簡はほとんど読めていない。

「早速のお誘い。娘に代わって御礼申し上げます」

深々と頭を下げる宰相を、ルトヴィアスは気まずく見下ろす。

そういえば、目の前の家臣はアデラインの父親だった。アデラインが幼い頃から天馬を見たがっていると、昨夜何気なく教えてくれたのも彼だ。

ルトヴィアスはしっかりと猫をかぶり直し、控えめに微笑む。

頭がきれる宰相の前では、少しの油断で猫を暴かれかねない。

「時間があいたもので…アデラインも少しは暇潰しが出来たんじゃないでしょうか。雨もあがりましたし、明日には出立できそうですね」

実はおたくのお嬢さんにかなりキツイ態度で接しています、なんて懺悔も出来ずに、ルトヴィアスはアデラインの話題を切り上げようとした。

けれど宰相の口から出てきたのは、またしても娘の名前だった。

「アデラインは…あのとおり内気に過ぎる娘です。殿下や内政に口出しすることもございません。どうぞご随意にあつかわれませ」

その言葉は、まるで娘を政治の駒として上手く使えと言っているように聞こえ、ルトヴィアスは眉をひそめた。

何故か不快だった。自分がアデラインにつらく当たっていることは棚にあげて。

「…アデラインは貴方の娘でしょう?」

「いかにも」

「なら、娘を幸せにしてくださいとか、他にも云いようがあるのではないですか?」

暗に批難したが、宰相は涼しい顔で返答を返してきた。

「私人としてより公人の立場を優先させることにしております。娘もそれは良くわかっております」

「…」

アデラインが哀れだった。人の顔をした魑魅魍魎がたむろする宮廷に、身一つで放り込まれるのだ。父親くらい、無条件でアデラインの味方でいてやってもいいはずなのに。

「…殿下のそのご様子で、安心いたしました。私が下手に案じなくとも娘をお守り頂けそうですな」

宰相が、満足げに微笑む。それは柔らかく、穏やかな、どこか懐かしさを感じさせる表情だった。

ルトヴィアスは幼い頃にも彼と接する機会が多かったが、こんな笑顔を見たのは初めてだ。ルードサクシードが誇る名宰相は、どちらかといえば冷たい印象が強い、厳格な男なのだ。

宰相のその表情に、ルトヴィアスは内心舌打ちをした。

「…私を謀りましたね?」

ルトヴィアスがため息ととともに窺うと、宰相は首を振った。

「いいえ、本心ですとも。勿論かわいい一人娘の幸せは願っておりますが、娘がどんな人生を送るかは娘次第」

「…」

詭弁だ。

けれど宰相にそれを訴えても、きっと上手く煙にまかれてしまうに違いない。

「それに…貴方はお若いのに政治の機微にお詳しすぎる。逆にそれが危うく見えていましたが…情に流される一面もあるようですな。結構結構」

「……」

つまりは娘を託す婿としてだけではなく、為政者としてのルトヴィアスの人となりまで見ていたというわけだ。

これだから政治家という人種は信用ならない。

ルトヴィアスはわざとらしく咳払いすると、書簡を巻き直した。

「部屋に戻ります」

「お供いたします」

歩きだしたルトヴィアスの後ろを、宰相がついてくる。

どうにも彼の前では猫がかぶりにくい。宰相が一枚上手と言うことか。

「…それに、貴方は我が娘を既に守ってくださっている。それこそ命懸けで」

「…」

宰相が言わんとしていることがわかり、ルトヴィアスは立ち止まった。

「…そんなふうに言われると困ります。まるで私が立派なことをしているようだ」

「立派ですとも。貴方がどれだけ苦心して娘を守っているか、娘に言ってきかせてやりたいくらいです」

「宰相」

ルトヴィアスが肩越しに目線をやると、宰相は目礼で応えた。

「わかっております。娘には決して」

「ええ、そうしてください」

アデラインに伝える必要はない。感謝されたくてしているわけではないし、伝えたところで、アデラインのルトヴィアスに対する苦手意識は変わらないだろう。

それにしても、何故自分は後先考えず、その場の感情に任せてアデラインの前で猫を脱いだのだろうか。今更ルトヴィアスに怯えるアデラインの機嫌をとって、それなりの夫婦関係を築くのは億劫だ。気が短い自分に、そんな気長なことが出来るはずがない。

いっそ後継ぎは側室に生ませた方が手っ取り早いし、アデラインのためにもなるのではないか。

――…アデラインのため?

ルトヴィアスは首を傾げた。

自分はアデラインを気遣っているのか?

それこそ今更だろうに。

「…一つだけ。よろしいですか殿下」

「…宰相?」

ルトヴィアスは、振り向いた。穏やかな、見守るような、それでいて自らの無力さを噛み締めるような宰相の表情。やはり見覚えがある。

ふわりと風が吹く。 雨雲が飛ばされて、晴れ間が覗いた。

「娘を愛して頂きたいとは申しません。愛情は人に言われて育つものではありませんから」

ああ、やはりこの宰相には、ルトヴィアスの心情などお見通しなのかもしれない。

それでも娘の政略結婚に踏み切るのは、彼の政治家としての決断なのか。それとも…。

二代の国王に仕え、戦乱の時代を生き抜いた男の心情を窺い知るには、ようやく20才のルトヴィアスはまだ幼すぎる。

「けれど娘は、アデラインは、ああ見えて矜持の高い娘です。どうかあの子の誇りだけは、丁重に扱ってやって頂きたい」

ルトヴィアスは首を傾げた。

アデラインの矜持が高いとは、どういうことか。逆ではないのか。

「…高いようには見えませんが?」

「高いからこそ、自らを卑下するのです。至らぬ自分があの子は許せない」

娘を思う、人間的な顔。

ルトヴィアスはやっと思い出した。

――……父上…。

ルトヴィアスを皇国に送り出した日の父王も、こんな顔をしていた。

子供を案じる父親は、皆こんな顔をするのだろうか。

「…心に留め置くことにします」

「ありがとうございます」

「ああ!こちらにいらっしゃった!」

突然かけられた声にやや驚きつつ、そしてまた内心舌打ちしつつ、ルトヴィアスは声のした方へ向き直った。

近付いてきた小肥りの中年男は、へらへらと分かりやすい愛想笑いを浮かべている。

「お部屋にいないので随分さがしましたよ殿下」

「それはすいません。今戻るところなのです」

理知的な微笑みで、ルトヴィアスは線引きをした。必要以上に関わらないように注意する。

滞在するこの屋敷の主人である小肥りの男は、ルトヴィアスにとりいろうと昨日からまとわりついて、煩くてかなわない。

それは宰相も同じようで、不快感を隠すためか、彼は見事に顔から表情を削ぎ落としていた。

「殿下は急ぎ処理する書簡がございますので、では失礼」

「いやいや、お時間はとらせません!今日の夜のことなのですが…」

しぶとく食い下がる主人の話に、ルトヴィアスと宰相は仕方なく耳を貸すことにした。

――…そういえば、初めてだったな。

昨夜、アデラインがルトヴィアスの前で笑ったのだ。

再会してから、いつも泣きそうな顔か、作り笑いしか見ていなかったのに。いや、それもルトヴィアスが彼女を虐めていたせいなのだが。

声をあげて笑ったアデラインは、まるで物陰で人知れず咲く野バラのようだった。

見つけた人間は、足を止めずにはいられない。とてつもなくいいものを見つけた気分にさせた。

――…もし、またシヴァに会わせてやったら…。

アデラインは笑うだろうか。

シヴァの鬣をすくアデラインは、明るい顔をしていた。

――…いや、それじゃ足りないか?

シヴァに乗せてやるのはどうだろう。それがアデラインの幼い頃からの夢だというから、笑顔を見せるかもしれない。

けれど天馬特有の気紛れな飛行と高さに、果たしてアデラインが耐えられるのか。ルトヴィアスが過去にシヴァに乗せたことがあるただ一人の女性は、もう二度とごめんだと目を回していた。

「…というわけで、夕食はそのように取り計らってもよろしいでしょうか?」

急に水を向けられて、ルトヴィアスは上の空で頷いた。

「ああ、かまいませんよ」

隣で宰相がギョッと目を剥く。

「殿下、よろしいのですか?」

「夕食くらいかまわないのでは?」

話はよく聞いていなかったが、この煩わしい男が満足して大人しくなるなら、夕食を一緒にとるくらいいいのではないか。

「感謝いたします!娘も喜びます!それでは早速手配を…」

主人は喜色満面で、踊るようにして行ってしまった。

――…娘?

娘とは、出迎えの際に主人の後ろに控えていた香水をぷんぷん匂わせた女のことだろうか。その娘と夕食がどうして関係がある。

「…ご令嬢のハーデヴィヒ嬢が、殿下と是非お話をしたく夕食を一緒にいかがですかと…」

「…何ですって?」

「…ご側室を迎えるのはお止めしませんが…王室の外聞もございます。せめて結婚後にしていただけると…」

「…」

妙齢の未婚女性と二人で食事など、そういう噂になることは間違いない。それはまずい。かなりまずい。

自分が下手を打ったと、ルトヴィアスはようやく気がついた。

醜聞がまた増えるのは願い下げだ。

手を額にあてる。考え事をするときの、ルトヴィアスの癖だ。

「…貴方と…アデラインも同席すると…夕食会の形に何とか持っていけないでしょうか…」

「…かしこまりました…」

宰相は一礼して、主人を追いかけて行った。

ルトヴィアスはため息を吐く。

とりあえず、自分は書簡を片付けなければ。今日も忙しい日になりそうだ。

――…あの女に関わると碌なことがない。

心の内で、ルトヴィアスはまたしても、アデラインに八つ当たりした。



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