第8話 逃亡不可
「眠ってしまったね」
食事を終えてすぐにユーマは眠りについた。
――僕を救ったのは、不思議な勇者様だった。
ラーケを連れた勇者。それはルシアンがいまだ人間の領域にあらず一本の木のようになる前の話だ。森の爺様たちに聞いた通りの勇者御一行の話。
数百年前。二百年、あるいはもっと。人間とラーケが忘れて、エルマードとドヴルだけが覚えている勇者の伝説。
その通りの姿にルシアンは驚いたほどだ。むろん、それを表に出すことはしなかったし、言動の全ては正直な本心でもある。
黒髪の勇者。それはこの世界における勇者の標準。この世界に存在しない黒い髪は魔を打ち滅ぼす色とされている。
勇者はただ一人で戦い。そして、魔王を封印する。そんな伝説をルシアンは聞いて育ったと言っていい。それはエルマードの中でも人間よりのルシアンの一族であったからだろう。
幼いルシアンはひとりで魔王を倒すほどの勇者にあこがれを抱いた。たったひとりで魔王を倒し封印するのだ。どれほど強大な力を持っているのだろうかと。
そして、そんな勇者に会えるとは思ってもいなかった。会ってみて酷く落胆したのをルシアンは覚えている。
無論それは勇者へのユーマへの落胆では決してない。この世界への落胆だった。
――どうして泣いている子供に武器を持たせているんだという落胆。
「彼は、いつもそうなのかい。シオン」
「あなた…………それは言えないかな。彼の名誉の為に」
「それは言っているのと同じだよ」
「…………うん、だから助かっちゃったかな。私じゃ、こうはいかないから」
馬鹿な話をして、彼が少しでも今の状況を忘れられるようにするなんてことはシオンにはできない。そういう性格はしていないし、何より男と女だ。考え方が根本から異なっている。
シオンは奴隷種族であるラーケだ。どうしても後ろから支えるという発想になる。考えを変えようだとかそんなことは思うよりも支えるだ。ただ黙って支える。
だから、シオンにはわかっている。自分では、ユーマをどうにかしてあげることができないのだと。
「やっぱり男には男かな。うん、良いお友達になってくれたらユーマも少しは気負わずにいられるかもしれないし」
「どうかな。これでも一時しのぎかもしれないよ。殴ってでもやめさせた方が良いのかもしれない」
実際そうすべきであるとルシアンは思っている。そうでなければユーマという少年は壊れてしまう。肉体もそうであるが、何よりも心が耐えられない。彼は戦う者ではない。ただ、そう繕っているだけなのだ。
「でも、それで世界が滅んだら、もっと気にしちゃうよユーマは」
「お人よしだ。自分も大切だけど、期待されちゃうとやっちゃうんだろうね」
だからこそ放っておけないのだこのユーマという勇者は。目を離したらきっとどこまでも行きつくところまで行ってしまうのではないか。
そんな風に感じてしまう。
「まったくどうしてこんな子に責任を押し付けるんだろうね」
世界は責任を背負わせなくていい人物に責任を背負わせる。背負わせるべき者に背負わせないで、背負わなくていい彼に背負わせているのが良い証拠だ。
「……それは私が教えてほしいかな」
「そうだね。僕もだよ」
大人として子供に頼るしかないというのは甚だ不本意だった。だが、それしか手がないのだ。彼がいなければルシアンは死んでいたのだから。
「僕は君にこういうことしかできない。頑張れユーマ」
――君の尊い覚悟。
――右手を伸ばす、その意思をどうか持ち続けてほしい。
――そして、君がいなければ何もできない僕たちを許してほしい
ぱちりと薪が爆ぜる。火花が天へと昇っていく。
時間はゆっくりと過ぎていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
塔の中に朝という感覚はない。一様に暗い暗がり。朝か夜かの違いは起きているか眠っているかの違いくらいだ。
それでも朝か夜かを判断できるのはラーケの鋭敏な感覚があってこそだった。シオンが朝と言えば大抵が朝で、彼女が夜といえば夜。そういう風に休憩を数度はさみながら一行は塔を上へ上へと昇っていく。
戦った敵は数知れなかった。いったいどれほどの数が溢れているのか。それとも最初からこうだったのかはわからないが、ユーマは都合二十を超える敵と戦っていた。
――きつい……。
暗がりから襲ってくるという敵に備えながら歩くというのは急速な消耗を彼に強いている。どこに何がいるのかわからないという状態では気が抜けない。
いかに聖剣がどこからなにが来ようとも迎撃し敵を確実に抹殺するからといってユーマが警戒しない理由にはならなかった。
何かの間違いで聖剣が動かなかければ? そんな不安が常に付きまとっている。
この機構聖剣というものに扱われてから数日が経っているが、いまだにこれは得体のしれない武装である認識が強い。
この聖剣の仕様書ともいえるような知識はユーマに強制的に植え付けられているが、それすらもこの機構聖剣の成り立ち、来歴は不明なのだ。
神々が作り出したという話からいきなり始まる。あとはただ戦える。魔を殺す。魔を殺せ。
頭が痛くなる。常に魔を殺せ、魔を殺せと騒ぎたてる聖剣を信じることなどユーマにはできそうにない。だが、これがユーマの生命線なのだ。機構聖剣が動かなければユーマは死ぬ。
魔の気配を探ることも見つけることもできない彼は聖剣だけが頼りなのだ。頼りであるが、信用できないのなら集中力を持続させて備え続けるしかない。それが無意味であってもだ。
特に夜などほとんど眠れていない。一日の疲れで倒れるように眠りにはつくが、すぐに目が覚める。心配で眠れない。不安で眠れない。恐怖で眠れない。
敵を倒しても倒しても沸いて出て来るかのような魔の大群。
本当に全部倒しているのか。不安と心配と恐怖でごちゃまぜになって眠ることができない。
「――ここが最上階だ」
それでも昇り始めてから数日。一行は塔の最上層である十層へと来ていた。
「ユーマが言うには、武器があるんだよね」
「僕もそれは知らなかったな。そうなのユーマ?」
「…………」
「ユーマ?」
「……え……あ、ああ、そうらしい……」
「――大丈夫?」
ユーマの顔をシオンが覗き込む。
「だ、大丈夫だ。行こう。この先にルシアンの兄さんを殺した奴がいるんだろ?」
「たぶんね。今までの階層にはいなかった。いるならこの先だろうね」
「そうだとしたら結構危ないかも」
最上階。階段を上がった先にあったのは扉だった。重厚な扉だ、傷一つない。それはつまり魔が力づくでこじ開けて入ったわけではないことを示している。
知能がある。それでいて、待ち構えているとみて間違いない。
「油断は禁物かな」
「…………」
「それじゃ、開けるよ――」
ルシアンが扉を開く。それと同時に、聖剣は内部の敵の存在を感知して飛び出していた。
同時にいくつかの事象が生じる。
第一に暗がりに薄明かりがともった。松明の揺らめく光が扉の奥を照らしている。そこは広間のような広大な空間だった。円形の広大な空間。奥には弓が台座に突き刺さっている。
第二に、前、左、右から紫電が迫る。牙のようにきらめく雷撃がユーマを刺し穿たんと放たれていたのだ。それは魔の権能のひとつだった。
第三、雷撃とともに暗がりの中から笑みを浮かべた魔が現れる。人型の獣。そういうのが正しい生命体。ラーケとは違う魔の獣人。
それに対してユーマは地を蹴った。否、聖剣の判断によって勝手に地を蹴っていた。
雷撃は地を這うように迫っている。それを躱すには跳ぶのが早い。
その瞬間、敵が目の前に現れていた。一瞬で広大な距離をゼロにした。漆黒の獣が浮かべる笑みは獰猛な捕食者の笑み。
それにひきつった恐怖の叫びをあげながらも聖剣は冷静に身体を動かす。人間は地面がなければ踏み込みも方向転換もできない。それはつまり攻撃ができない、回避ができないということ。
だが、聖剣が跳んだのは躱すためであり、こうして接近してくると読んだからだ。ユーマの足裏に硬い何かが当たる。
それはあらかじめ分離していた聖剣の刃だった。それを足場にして聖剣が振るわれる。
「――――」
ニィイィイと笑みを深める獣。数日前に食ったエルマード以上に上質な獲物の登場にただただ笑みを深める。
振るわれる聖剣の腹を正確に叩いて跳ね上げると同時にその衝撃を利用して背後へ、距離をとる。
「やるじゃねカ、勇者」
「しゃべった!?」
魔がしゃべったことにユーマは驚愕する。今まで倒した魔は知能もさほどないしゃべることのない獣や虫のような連中だったからだ。
いや、予想していなければいけなかったのだ。いずれはこういう敵が来るかもしれないと。
「魔王様に仕える者の一人、クロンダイクだ。名を聞かせろ勇者」
「……ユーマ」
「そうかァい、なにしに来たァ?」
「僕の兄の仇うちだよ。クロンダイクとやら。彼は関係ないけど、僕じゃ勝てないからね」
「ナンダ、そりゃ。兄? エルマード? ああ、あれか。アレは良い相手だったゼェ。そうかァ。ならァ。オマエも楽ァのしませてくれェオォオォ!!」
咆哮とともに突っ込んでくる獣――クロンダイク。
その速度は既に音を置き去りにしている。人間の動体視力では対応すらできない。だが、聖剣はその動きにも対応して見せる。
一瞬にして背後に回り振るわれる丸太よりも太い剛腕と爪撃。されど、その一撃を聖剣は自らを背後に回すことで受け止め。正面に回す動作とともに股下からクロンダイクを切り裂かんとする。
それをクロンダイクは背後に下がることで躱そうとする。
「ナァニ!?」
だが、聖剣が伸長する。刃が細くなると同時に組み替えられ聖剣が伸長する。
地面へ飛び込むようにしてかろうじてその一撃をクロンダイクは躱す。身体の表面を傷が走ったが浅い。
「あぶねえあぶねェ。やっぱ聖剣ってのは面白いぜェ」
「無防備だよ――」
クロンダイクの無防備な背にルシアンの矢が放たれる。快音。弓を扱う者ならば憧れる弓の鳴り。大気を穿ちながら飛翔する矢はまっすぐにクロンダイクへと向かう。
しかし、硬質な皮膚と体毛に覆われたクロンダイクにとってそれは躱すほどのものですらない。まったく効かないが不快ではある。なにせ勇者という極上の相手との闘いを邪魔されたのだから。
「邪魔だァ」
「ガァ――!?」
クロンダイクが唾を吐いた。大気を突き破る轟音が響き渡り、ルシアンの腹に大穴を空け、さらにその背後に現れたクロンダイクが広間の奥へと蹴り飛ばす。
「ルシアン!」
それにシオンが駆け寄ろうとする。明らかに重症。治療の為に走るが――。
「あん? もう一人いたのかよ。なんだ、ラーケか。ああ、ちょうどいい、女じゃぇねの」
ぺろりとした舐めずりするクロンダイク。感じられる情欲。猛る股間の一物は、女は犯すと言っている。だからこそ、まずは気絶させようとクロンダイクが腕を軽く振るった。
「――っぁ!」
何かがへし折れる音が響き渡った。広間を転がっていくシオンの身体。
「おいおぃ、よけんなよォ。手がくるっちまて楽しむ前に殺したらどうすんだ」
「やめろおおおおおおお!!」
ユーマが叫ぶ。同時に機構聖剣が動いていた。
死想曲の鳴りを響かせ赤熱する機構聖剣。
「そっちが先かァ! いいぜェ、来ォい!!」
爪撃を放つ。
一つ二つ、三つと連撃と化す爪撃。
その中に光線――咆哮砲を織り交ぜながらクロンダイクの連撃が走る。爪撃は地を割り、壁に長大な傷をつける。振るわれた先からまるで暴風であり、近づいているだけでユーマの身体が傷ついて行く。
――いたい、痛い、痛いいたいいたいいたいいたいぃぃぃぃいいい!
身体を走る浅い傷にユーマを悲鳴を上げる。むろん、それは声にならない悲鳴だ。悠長に悲鳴を叫んでいるひまなどない。
さらに咆哮砲は、当たった場所を融解させていくのだ。かするだけでもどろどろに融けてしまいそうな熱量。当たらずとも莫大な熱量がユーマの身体を焼いて行く。
太陽でも生まれたかのようにそこには莫大な熱量が噴出していた。炎に触れずとも肌が焼ける感覚はじゅくじゅくとユーマの心を膿ませていく。
もはやその熱量自体が致死の猛毒。拡散する熱量だけで人は近づくだけで炭化し石は溶け、鋼鉄ですら水のように流れていくだろうことは想像に難くない。
そんな莫大な熱量。突っ込むことすら無謀。それは、どのように強い男でも勇者だろとも例外ではなく。人間という括り、タンパク質にて構成される人間だからこそ不可能。
タンパク質は高熱で変性する。ゆえに、人体に高熱は禁忌。人が平温でしか生きれぬ理由がそれだ。例え英雄だろうと人間としての物理法則には逆らえない。
40度を超えれば問答無用でアウト。だが、ユーマの身体は止まってくれない。必死に逃げようとするユーマの意思を無視して、聖剣という名の己を振るわせる。この程度など問題ないだろうとでも言わんばかりだった。
赤熱する機構聖剣が振るわれる。だが、それはいまだに敵を殺すに至らない。敵の反撃を許し、そのたびにユーマを地獄の苦しみが襲う。
――やめろ。もうやめてくれ、いやだぁ。
聖剣を振るったところでそれに一歩も負けない爪。いや、切り裂かれたところで再生しているのだ。すさまじい再生速度。
――無理だ、勝てるわけがない……。
ルシアンがやられた。シオンがやられた。機構聖剣が通じていない。無限の苦しみ。全身の痛み。こんな相手倒せるはずがない。
ユーマの心が恐怖に染まる。二人がやられた時に感じたはずの義憤の炎など一瞬にして鎮火する。もはや今ユーマの心を占めるのは逃げたい、生きたいという必死の願いだった。
そして、その願いは、かなえられない。
――殺せ殺せ殺せェ!!
聖剣が魔を求めて魔を殺さんと猛る。
背反する二つの命令に身体は引き裂けそうな痛みと相手の攻撃から生じる激痛を絶えずユーマに与え続ける。
狂いそうな痛みの中。されど意識だけは失えない。聖剣が意識を失うことを許さない。
聖剣は、ユーマを逃がさない――。
逃げることは許されない。どんなに苦しかろうとも、どんなに痛かろうとも勇者に逃げることは許されない。
次回クロンダイク戦は決着です。
あと上神か三上さんからレビューを戴きました。ありがとうございます。お礼は必ずや。
今後ともよろしくお願いします。
ではまた。