第4話 姿
「ほら、起きて、勇者様。良い天気だよー」
「ん、ぁ……」
シオンに揺さぶられてユーマは目を覚ます。ここがどこなのか目の前の人物が誰なのか一瞬わからなかったが、すぐに思い出す。そして、吐きそうになったのを何とか堪えた。
状態は最悪といえる。慣れない場所で寝たために全然眠れた感じがせず疲れも残っているようだった。
「大丈夫? とりあえず、はい、お水」
「あ、ああ、ありがとう――」
それでも泉の冷えた水を飲むと幾分かはすっきりとする。それと同時にずんと腹の中に重たいものが落ちて来たように感じる。
使命、やるべきことの責任を思い出したのだ。それだけで体の重さが倍になったかのように感じる。
「当然かな。あとはい、これ桶。これで顔洗って」
言われるままに顔を洗えば、何とか動けるようにはなる。どのみち、敵が出ればきっとどんな状態でも敵を殺せるだろう。そんな予感がユーマにはある。聖剣は敵を許しはしない。
「……」
「さあ、朝ご飯だよ。昨日の残りでごめんだけど」
「良いよ」
「ほんと、ごめんね」
食事を済ませて野営地を引き払い街道を進む。草原に隠れるように伸びる街道は時折蛇行しながら先へ先へと続いて行く。
整備されて久しいのかほとんど消えかけているがそれでも歩きやすさという点では何もないよりはマシであり、感覚としては段違いと言えた。
街道を見ていたユーマは目的地を聞いてないことを思い出す。会話なくただ歩くだけというのも気まずいので、聞いてみることにした。
「えっと、この街道はどこに続いているんだ?」
「この先はグラント州のトミントゥールかな。こうなる前は人の交通の多い商業都市だった場所だよ」
「どれくらいかかるんだ?」
「ここからで、このペースだからあと二日くらいかな。その前にいくつか村があったんだけど、ほとんど消えちゃったから」
彼女が歩きながら地図を広げる。手書きのそれにはいくつか街道の分かれ道があったことを示しており、そこから先にはバツ印が付けられていた。
そこが消えた村という奴だろう。
「本当なら、村で休みながらいきたかったんだけどね。仕方ないかな」
「でも、一つは残ってるんだな」
ちょうどトミントゥールと王都の中間地点に存在する村が一つだけバツ印を免れていた。
「ああ、ここだね。ソノラ。神代の時代から建っている塔があって、代々そこにある秘宝を守り続けているって言われている村かな。手練れが多いからたぶん残っているんだと思う」
「へぇ」
「こっちからなら塔が見えるかな」
街道を外れてこっちこっちと手招きするシオンについて丘を上がる。一気に見晴らしがよくなると同時に山脈に隠れていた巨大な塔が視界に入る。
巨大な白亜の塔。現代の高層ビル以上に大きなその塔は、シオンの言葉に嘘がないことを示しているようだった。あれならば本当に神代とかいう時代から建っててもおかしくないと思わせてくれる。
「すごいな……」
どこまでも続いているかのような塔。そんな現代では見ることができないような光景は、自らの置かれた状況を一瞬ではあるが忘れさせてくれた。
「んふふふ、そうでしょ、そうでしょー」
シオンが嬉しそうにさも自分が作りましたよとでも言いたげに自慢げにしているのかがわからなかったが、確かに巨大な塔を見ていると自慢したくなる気もわかるような気がした。
「あそこにも寄るけど、今はその前のアクシアって街に向かっている途中かな。あそこだよ」
「あそこか」
シオンが指さした先には石の城壁に囲まれた街があった。王都と比べるとかなり小さいとユーマは思う。城壁の中には畑もあった。
城壁の外側にも畑があったであろう痕跡や家の残骸が見て取れた。
「もともとはあそこまで街があったんだけどね」
魔の到来とともに、人々は頑丈な壁を村や街の周りに張り巡らせてその中で暮らしている。外に出ればいつ魔に襲われてもおかしくないからだ。
口減らしなども多く行われ、狭い壁の中で暮らせるだけの人間が細々と暮らしている。これがこの世界の現状。
「ひどいな」
「うん……。でも、おかしいな。普段ならここからならもっと人が見えるはずなんだけど」
見えないと彼女は言った。
確かに街には見えるはずの人かげというものが見えない。朝から仕事をしているはずの鍛冶場の煙も見えないとなると本格的におかしいということになる。
「まさか」
否応なく最悪の想像が脳裏にかすめていく。
「…………行こう。確かめないとかな」
シオンの提案に頷いて先を急ぐ。
件のアクシアへは昼頃にたどり着いた。近づくだけでわかったことがある。
「襲われた、のか」
アクシアの街は魔に襲われたということだ。
街の近くということで比較的街道が露出している箇所が多いが、その全てに足跡や爪痕が見られた。魔が歩いていた証拠だ。
それもシオン曰く、地面の抉れ具合からして大群が走っていたということらしい。さらに言えばひどい臭いが漂ってきている。
吐き気を催すその臭いは腐臭であり死臭だ。死の香り。大量のひとが死んだというまぎれもない証拠だった。
それは聖剣がカタカタと震えだしたことからも確定事項だった。この先に魔がある。ユーマの頭の中では仕切りに誰かの声が殺せ、殺せと叫ぶのだ。
「いる――」
魔がいる。
「街の中に居座ってるってこと?」
「たぶんな」
「んん――、さすがにこの臭いの中じゃ嗅ぎ分けるのは無理かな。さすが勇者様」
「俺じゃない、聖剣が言ってるんだ」
とにかくここから先は警戒すべきだ、とそうシオンに言おうとした瞬間、ユーマの身体は勝手に彼女を突き飛ばしていた。
「――――」
シオンが倒れる。それを待たずに自ら飛び出るように引き抜かれた聖剣は振るわれる。彼女の鼻先をかすめるように聖剣は振るわれ背後から襲い来ていた魔を切り裂く。
彼女の前髪をわずかに切り裂いて、魔だけを切り裂いた。皮膚を裂き、肉を斬り、骨を断つ。また肉を斬り、皮膚を裂いて抜ければ魔は二つに両断される。
聖剣が機能を発揮するまでもなく。容易く切り裂かれた魔は黒い霧のように散っていった。
「く――」
どさりといきなりのことに呆然と地面に倒れた彼女を助け起こすことすらユーマはできず、飛び出そうとする聖剣が彼女を踏まないように何とか避けて疾走を開始する。
聖剣に身体を操られるままに、今の自らに許された最高速度での疾走をユーマの身体は開始する。
音をおいてただの一歩でゼロから百へ。
裏霞・飛翔。
ユーマは知る余地もないが、聖剣に記録された飛ぶように地面を疾走する歩法を行使する。
ゼロから一と順繰りに加速を積み上げるのが普通の加速という行為であるが、この歩法はゼロから一気に百、つまりは最高速度に自らを加速させる歩法である。
両の足を速く動かす必要はない。タイミング良く自らの身体を前に押し出す為に一瞬だけ地面を蹴るのだ。
たったそれだけでユーマの身体は疾走する。
地面を蹴る音が連続して鳴り響く。
鳴れば鳴るだけユーマの疾走は最高速度のはずの百を超えて加速していく。最高速度の更新を果たし続ける。
疾走は止まらない。真っ直ぐに敵へと向かっていく。
がちがちと歯がなる。自らの疾走の尋常ではない速度もそうであるが、何よりも敵の姿が問題だった。それは人の成れの果て。
ユーマの知識に照らし合わせればゾンビと呼ばれるようなそれだった。ドロドロに腐り溶けかかったそのおぞましい姿はそれだけで恐怖を想起させる。
何より人型。まぎれもない人だったものを斬るという感覚がユーマに恐怖させる。だが、聖剣は止まらない。
ユーマがどんなにやめてくれと乞い願おうとも、敵を殺す為の殲滅兵器は止まらない。
街中へと入り、靴音が石を蹴る硬質なものに代わるのと同時に、聖剣はユーマの腕と腰を連動させ、疾走の力を乗せて己を振るわせる。
斬――!!
「あぁ?」
ゾンビがわけもわからないという声を漏らす。それはいわば生前の行動の反射のようなものであった。
なぜならば、武器を構えていたはずの腕が肘から先が綺麗さっぱりなくなっていたからだ。
だらりと流れ出すどす黒く変色した血。
ゾンビにも感覚はある。ただ死んでも活動し続けるのがこの魔。脳は疑似的な生の中でも活動している。
全身に震えが伝播しそれが脳へと届いた瞬間、濁流のように痛みが全神経から全ての行動を押し流していった。
「ぎゃあああああああ――!!?」
悲鳴のような音を上げるゾンビ。皮膚も肉も骨も断ち切ってきれいさっぱり腕がなくなっている。肉体的苦痛もそうであるが精神的苦痛もまた尋常ではない。
それでも当然の行動として倒れ伏し痛みに悶えながらもゾンビは自らの腕を探す。なくしたものを補おうと痛みの激流の中でわずかに残った思考が腕を探してくっつけようと動く。
ただし、それは自意識からではなく、何もないただの反射的行動だった。そんな人間的な行動をどろりと溶けかけの死体が行っているという事実は、ただただ強烈な違和感と忌避感をユーマへと刻み付ける。
それでも、聖剣は止まらない。手首の返しを利用した聖剣の一撃が信じられないくらいの切断力を発揮してゾンビの首を切り裂いた。
同族意識はあるらしい。殺された同族に対してゾンビたちがユーマへと殺到する。
一番に駆けてくるゾンビは武器を持っていた。それは剣。それは不思議な音色を鳴らす剣だった。
当然、それが何かユーマは知らないが、きぃいぃぃんと音を鳴らし赤熱するそれに似たものをユーマ走っている。そう機構聖剣だ。
その中の機能の一つが脳内で呼び起こされる。ユーマの常識に照らし合わせて名称をいうのであれば高周波ブレード。あるいは超振動刀だ。
あれはこの機構聖剣を模して造られたという機構剣だった。共鳴剣と呼ばれるものだ。
原理はとても単純。柄や鍔部分、あるいは直接刃に内蔵された振動発生装置による超振動を刃に伝道させるだけ。
ただそれだけでただの剣が斬鉄を成す名刀へと早変わりする。
この共鳴剣の場合、柄にある共鳴円筒が流す死想曲によって刃を振動させ望外の切れ味を実現する。
機構聖剣の技術と鍛冶の天才と呼ばれる種族ドヴルの鍛冶技術がなければ完成することがなかったとこのリードヴェルンで呼ばれる武器の一つ。
流れている曲をユーマは知らないがこの層では比較的有名な吟遊詩人アネッセンが謳う『魔人の夜』である。
静かに早いテンポで繰り広げられる音の増減による不安定さが心にさざ波を立てる。ハーモニーが奏でる調和のとれた音色が急激に切り替わり否応なく心に感情という名の刃を叩き付けてくる。
一人の男が夜の魔人として復讐を告げる悲恋の物語。死想曲としては定番中の定番だ。
特にその第二楽章、夜の復讐の場面は常に畳みかけるような音楽が鳴り響く。音によって刃を振動させる共鳴剣にとってこの音の畳みかけは最高の相性。
触れれば最後切れるということは機構聖剣に扱われるユーマならば当然知っている。そんなものがあるということがユーマにさらに恐怖を抱かせる。
だが、それでも聖剣は止まらない。どんなに恐怖を抱こうとも聖剣が止まることはない。
――何かがひび割れる音がしていた。
「――――」
かたかたと身体の震えはひきつった笑みを出力する。それでも身体は勝手に動いて続けざまに迫ってくるゾンビの大群を斬っていく。
一瞬、コンマ数秒の邂逅で寸分たがわず綺麗に首だけを切断してみせているのだ。しかもくっつければ今にも元通りにくっつくのではないかと思えるほどに綺麗な切断面である。まさしくそれは絶技。
「かっ、はぁ――っ」
そんな極限域の動きに当然のようにユーマの身体はついて行く。心肺機能を含めあらゆる機能が聖剣によって強化されていくのがわかる。
それは自らの変容を示す。それは多大な苦痛を以てユーマを襲うのだ。自らが違う別物になっていく感触は、嫌悪とともにあらゆる負の感情を呼び覚ます。
だが、それでも止まれないのだ。
「GRAAAAAAAAA――!」
次第に斬っていくものがゾンビから獣じみたものに変わる。街の中心部に向かうにつれそれは顕著になり、すでにゾンビは消えて獣じみた魔が立ちふさがっている。
ここを襲った魔だった。聖剣の刃は分割し飛翔し、回転し、刺突し、立ちふさがるありとあらゆる敵を殺していく。
ユーマの通った後には、いや聖剣の通った後には、何も残らない。血の川が出来上がり、死体の山が築きあげられているのだ。
「やめろよ――」
もう向かってくるなよ。勝てないのはわかってるだろ。
だというのに魔は向かってくるのだ。
「GRAAAAAAAAA――――!!」
そして、この土地を支配している魔が姿を現す。
強大な力を持つことがわかる。人型ではあれど人の何倍も大きなその姿。さながらミノタウロスのようなものだとかすむ思考の中でユーマは思った。
「――――」
聖剣は行く。
振るわれる剛腕。その瞬間、聖剣の機構が、歯車がガチリ、ガチリと音を鳴らして機関を駆動させる。
――それは確かな熱量を持って。
――それは確かな冷気を持って。
――それは確かな駆動を持って。
それは起動する。熱量を生み出す。あらゆる全てを飲み込む業炎が刃に生じ、振るわれた刃とともに放たれた。
――殺せ、殺せ、殺せ。
竜を象る焔は一瞬にして、魔を焼き尽くすのだ。どんなに強大な敵だろうとも意味はない。
敵を焼いた聖剣が冷気を吐き出し、一瞬にして、街の中心部が凍り付く。
そして、聖剣は停止した。
「――は、はは、ははははははは」
――なんだこれは、なんだ、それは。なんだよ、これは。
狂ったように笑うしかない。いや、狂えたならばどんなに良いだろうか。何も考えずに済んだらどんなに良いだろうか。
だが、ユーマは狂うほどの狂気を持たないし、何も考えずにいられない馬鹿でもない。ただの一般人だ。普通の人間だ。
それでもやらなければならないのだ。
「なん、なんだ、よ……」
ユーマは倒れる。許容量を超えた事態に意識が勝手にブラックアウトを選択した。
立たなければと思う。だが、身体が動かない。強化されているとは言えど、酷使された身体は動かない。
「勇者様――――!!」
最後に見たのは、駆け寄ってくる彼女の顔だった。
そして、その瞳に映る、血塗れの自分の姿だった。
――殺せ、殺せ、殺せ、魔を殺せ。
そして、いつまでも聖剣の声が響いていた――。