第28話 この先へ
落下する。落下する。落下する。
否、それは墜落といった方が正しい。正常な場所から、異常な場所へと墜落する。その速度は、ありえないほどゆっくりのようであり、尋常ではないほど速いとも言えた。
ユーマの意識は、夢に沈む彼の意識は不思議とはっきりとしていた。闇に沈むのではなく、光に堕ちているからだろうか。
それは大いなるモノの内側だ。大いなるもの。正しきもの。正義の執行者。救世主。機構聖剣に宿る意思がそこにいた。
何よりも巨大。ユーマと比べれば、アリとゾウほどの差がある。感じるのは一つ、怒りだ。嚇怒が陽炎となって燃えている。
その憤りは、怖ろしいことにユーマにも共感で来てしまう。
――なぜ、世界はこうも争いで満ちている。
――なぜ、世界はこうも悲劇に満ちている。
理不尽。不条理。あらゆる神の悪戯による悲劇を機構聖剣は、憎み憤っている。そんなものは認めない。人間よ栄えよ。
刻まれた至上命題のままに、嚇怒の炎を燃やし続けている。まさしくそれは太陽と言えた。圧倒的なまでの、宇宙の中で輝く太陽であった。
意を決して、元よりそれ以外にできることがない。ここで焼かれるまで待ち続けるのならば話は別であるが、ユーマにその選択肢はない。
意志を奮い立たせて、ユーマは、今自らの内部に発生した確固たる存在の領域の主へと、言葉を投げかける。
「おまえは、聖剣なのか――」
その瞬間、挑むという気概にでも反応したか、莫大な熱波となって返答が返ってくる。何よりも力強い意志のようであった。
「――そうだ。我が担い手よ」
ユーマの意識など木っ端の如く消え失せてしまいそうなほどの威光。気を抜けば、そのまま押しつぶされてしまうほどの重圧が叩きつけられる。
いや、おそらくは聖剣にはそのような意思すらないのだろう。ただ、そう在るだけ。それにユーマの意識の方がついていけていないのだ。
なんという巨大な存在だろうか。なんというほどに凄まじい存在なのだろうか。このような存在を御すことなど不可能だ。
ユーマはただ一目見てそれを悟った。だが――。
「どうして――」
震えながら。
ユーマは、震えながら、今にも逃げ出してしまいそうになるのを必死に我慢して問いかける。聖剣に問いかける。
「なぜ、僕なんだ」
なぜ、選んだのか。何も出来ない自分を。こんなにも弱い自分を。
「オマエだからだ。我が担い手よ」
聖剣は応える。
「僕、だから?」
「そうだ。おまえは、愛している」
愛がある。
それが最後のピースになる。魔王という人類を滅ぼす存在を殺すために。倒しきれず眠りにつかせるだけではない。その先、恒久的平和を勝ち取るために。
だが、そんなことユーマにはわからない。
「愛……?」
わからない。それがどうしたというのか。
「愛だ。愛せ。おまえが愛を示した時、世界を救うことができる」
全ては世界を救うため。怖がろうとも、恐れようとも、震えようとも、たとえ何があろうとも聖剣は、ユーマを逃がさない。
世界を救うため、その全存在を使い潰す。ユーマという存在が、蝋燭のように消えてしまうまで。その命の焔にて、機構を駆動させあらゆる全てを滅ぼすのだ。
全ては世界を救うため。この世界を救うため。
さながらそれは、ゲームをやっている子供がなりふり構わず主人公に敵を殺させて、ゲームクリアを目指すようなもの。
それがどのような過程を経るかは、全てユーマ次第だ。
「無理だよ……」
そんなことはできない。ユーマは既にボロボロだ。満身創痍。身体が、ではない心が、既に限界に達しようとしている。
恐怖、痛み、苦しみ、あらゆる責め苦にユーマは耐えられない。
「ならば、護れなくても良いのか」
だが――聖剣は逃がさない。
聖剣の意志が腕を振るえば、浮かぶのはレエーナの顔、シオンの顔、ユーマが関わってきた人々の顔だった。
「おまえがやらなければ、彼らが不幸になる。そんなこと、貴様に認められるのか、我が担い手よ。私には、無理だ」
創出する嚇怒。赫炎がごうごうと燃え盛る。それは全てを焼き尽くす地獄の業火。
「認められない。なぜだ。なぜ、何故、認めねばならぬ。誰かが理不尽に死ぬことを、どうして認められよう」
認めない。
理不尽な死を。
認めない。
不条理な出来事を。
認めない。
ヒトを脅かすあらゆる脅威を認めない。
地獄の業火が燃えている。正義の心が今、あらゆる全てを凌駕して燃え盛っている。佐藤悠真という存在を食らいつくしてなお敵を殺すために。
認められない。世界を救う為に。ヒトを栄えさせるために。
「貴様は違うのか」
「それは――」
認められるはずがない。レエーナが、シオンが、ルシアンが、ミーミルが。彼らが死ぬところなど見たくない。
「ならば、立て」
座り、うずくまり、止まることなど許されない。勇者に許されているのは前に進むことだけ。それ以外は許可されていない。
迷宮を踏破しろ。大地に根差し、宝を用意し人々を食らう化け物たるダンジョンを殺しつくし、安寧をヒトに捧げろ。
敵を殺せ。遍く空を黒い雲で覆う敵を殺せ。蒼穹を取り戻し、人々の心に光をともすのだ。
魔王を、滅ぼせ。諸悪の根源。魔を生む存在を殺せ。滅ぼして、今度こそ、世界を平穏へと導くのだ。
これより先は、殲滅神話。
片翼が片翼を殺しつくすまで続く比翼の殺し合い。
機構心臓を起動させろ。
救世機構を駆動させろ。
愛を以て。心を以て。
「その果てに、貴様は、世界を救うだろう」
その言葉を最後に、ユーマの意思は浮上する。灼熱の嚇怒から離れた瞬間、絶対零度の水底に放り込まれたかのように錯覚した。
だが、確かに感じる温かさがあった。それを頼りに浮上すると、身体は目を開いた。
「――――」
あたたかな陽光を感じる。
それと同時に見えたのは――。
「――しお、ん……?」
「おはようユーマ」
柔らかな笑顔がユーマを迎える。ずっと見ていないように感じていた。
――ああ……。
自分が待ち望んでいたものはこれなんだと、そう思う。敵だとか、聖剣だとかそんなものじゃなくて、大切だと思える相手の笑顔。
ただそれだけで、悲しいことも、苦しいことも全部、流されて行ってしまうようだった。
「大丈夫?」
「……うん……」
「そっか。良かった。おきれる、かな?」
「だいじょうぶ……」
体を起こす。寝る前と変わらず身体は全快だった。何も問題などなく、本調子以上に絶好調。いや、今や自分はかつての自分とははるかに違うということがわかってしまう。
自分の身体の性能がわかる。かつてよりも勇者になった、と表現するべきか、レベルが上がったというべきか。
現代人の感覚からすれば後者なのだが、ユーマからしたら前者だった。自分はもはや別の存在になろうとしている。
勇者という轢殺機構に。目の前に立ちふさがるあらゆる全てを圧殺する存在に。
「ユーマ? やっぱり本調子じゃない?」
「大丈夫、ありがとう」
「そう? 何あったらすぐに言うんだよ?」
さながら母のような母性。
「…………」
ぼぅっと、シオンの顔を見つめる。
変わらないその笑顔に感謝する。
「なにかな?」
「何でもない。いつも通りだなって」
「そうかな? でも、ちょっとは変わったよ。もうユーマ一人に無茶はさせない」
それは決意を秘めた言葉だった。力強く、覚悟を乗せた言葉。ユーマは、それがありがたかった。本当に、ありがたかった。
だからこそ、思うのだ。
「大丈夫だよ、オレが何とかするからさ」
彼女だけに戦わせられない。大切だからこそ、守りたいと思うのだ。
それがわかるからこそ、シオンは内心で涙を流す。とても、嬉しくて、悲しい。この誰よりも優しい少年を想うと胸が締め付けられる。
過酷な運命を背負わせてしまった少年に、何もできない自分にただただ口惜しさだけが募っていく。だからこそ、それを押し殺して笑顔を彼に向ける。
「うん、頑張ろうね。私、全力で支えるから」
「ボクも支えるよ」
「ルシアン……」
「なんてったって、君とまだ娼館に繰り出してないからね!」
「おい――」
ルシアンは相変わらず軽口ばかりだ。だが、その軽口が今はありがたかった。
「さて、それで? 勇者様も起きた。理に行っていた貴様らも起きた。さて、全員起きたところで、これからどうするんだ?」
「それなんだけど、一度、王都に帰ろうと思うんだけど、どうかな?」
「そうだね。少し休憩と報告も兼ねて戻るのもいいかもしれないね。聖弓があれば、一瞬で、戻れるし、ここに来ることもできる」
「休み、か……」
聖剣は今すぐにでも行けというかと思ったが、不思議と聖剣は黙ったままだった。自覚した聖剣の存在をユーマは明確に感じるが、何をするかはユーマに任せるというのだろうか。
「駄目かな、ユーマ?」
「ううん、戻ろうか」
一度、王都へと帰還する。
聖弓の力を使い、一瞬で王都までユーマたちは戻った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者が再び城に戻ってきた。魔王が有する四天王という幹部たちの一人を倒したのだという。死の谷となっていた領域を解放した。
また一つ、人類を救った。その多大な貢献の報告。確かに、空がまた少し明るくなった。それは紛れもない前進の証であり喜ばしいことでもある。
だが――ユーマを見た時、レエーナが思ったのはそんなことではなかった。嬉しさは、少しだけあった。またあの優しい少年が生きて戻って来た、その事実への安堵にも似た嬉しさ。
だからだろうか、報告を聞いた瞬間に、足早に出てきたのは。いいや、違うとレエーナはすぐに否定する。決して会いたかったからではないだろう。他の貴族にちょっかいを出される前に休ませるためだ。
そう自分に言い聞かせるように内心で反芻してからエントランスで勇者を迎えた瞬間、あらゆる感情は滑り落ちていった。
視た瞬間に理解できた。また、彼は無茶をしてきたのだということだ。
何か言うことがあったはずだった。何か、言わなければならないことがあったはずだった。けれど、その全てを忘却して、二人で部屋に入って隣り合って座っても、レエーナは口を開けずにいた。
「…………」
「えっと、あの?」
ユーマが黙りこくったレエーナが、どうして黙っているのかわからずに困惑しているのすら、彼女は触れることができない。
「あの――」
「……そうね、お話ししましょうか」
「え、あ、はい!」
結局、何を言うこともなく他愛もない世間話に興じる。必死に、レエーナに楽しんでもらおうといろいろと考えて話すユーマに合わせて、彼女は相槌を打っては笑みを作る。
決して謝らないように。彼がこうなってしまったのは自分の責任。だから、決して謝らないように。彼の覚悟を踏みにじらないように、必死になって取り繕う。
「……あなたは、それでよかったんですの?」
しかし、ふと一言、呟いてしまった。
「えっと……何が、ですか?」
「いえ…………」
そうなってしまえばもう問わないわけにはいられなかった。
「貴方は……本当に、それでいいの?」
「はい」
「…………それは、本当に貴方の意志?」
「これは、これだけは、オレの、意志だよ。オレは……オレは、君の為に、君だけじゃない、シオンや、オレの大切な人たちが幸せになれるようにする。これだけは、オレの意志だから」
――ああ、なんて。
そうなってまで戦う理由なんて、本当はなかったはずなのに。そうなるようにしてしまった。
彼は勇者だった。初めて出会った時の優しい少年は、どこにもいなくなっていて、勇者がそこにいた。それは、確かに望むものだったのかもしれない。
けれど――わかってしまう。彼はそういう人間ではない。そうなるように強要されて、彼は、優しいユーマは健気に、それに応えようと無茶をしている。
無茶をして、無茶をして、無茶をして。
その存在が消えてしまうまで。
その目的は、今はもうわかっていた。彼は、そういう人間なのだ。
――何の価値もないレエーナを護るため。
――シオンを護るために。
まったく、王や貴族どもはこの勇者に対して本当に、わかりやすいほどに最善手を打っていたわけだ。彼は、期待通り世界を救うためにその身を犠牲にするだろう。
思惑通りに王女や奴隷を好きになったから。
許されることならば、彼をこのまま逃がしてあげたく思う。けれど、それはできない。
だから――。
「来て」
「え――」
レエーナはユーマを寝室へと招く。
「ユーマ、私を抱きなさい」
「は――え、え、いあ、あえ、いや」
「少しでも、忘れられて、欲望のままに私を貪りなさい」
しゅるりと身にまとっていたドレスが床に落ちて、レエーナの美しい身体が露わにされる。思わず唾を飲み込むほどの美しさに目が釘付けになった。
これは、必要なこと。
何の後ろ盾もない王女が、王と貴族を相手にするための。
――本当に、私はひどい女ですわね。
自分の価値を上げるために、そして、そのうえで魔物どもと相対するのだ。魔王を倒したあとのユーマの幸せのために――。
はい、というわけでぼかしてますがヤリました。
ご褒美ですね。ユーマ君にとってはとてもご褒美ですね。
もっと上げます。絶望とは、希望があるからこそ、存在するものゆえに。




