第20話 前へ
――よくも殺したな! 信じていたのに!
――助けてくれるって信じていたのに!
――この化け物!
それは死の光景。自らが殺したあらゆる全ての憎悪がそこにあって、こびりついた生と死が夢という形でユーマの精神を蹂躙していた。
覚えている。あの断末魔を。
覚えている。あの悲鳴を。
覚えている。あの光景を。
夢に見る。あの地獄の光景を。平和な現代を生きている者ならきっと生涯のうちに見ることがないあの生々しい光景をユーマは忘れることができない。
吐き気が今も止まらない。震えは、今も収まらない。違うんだ、やったのは聖剣だと思おうとしても生々しく温かい血の感覚は手に染みつき、鉄と肉の焼ける臭いを鼻は忘れてない。
同時に全てが遠くに感じる。音が遠い。匂いが遠い。あらゆる全てが鈍化している。ただそれでもはっきり聞こえるものがあった。
――何かのひび割れる音が聞こえる。
何よりも大きく、ずっと、ずっと聞こえている。誰にも聞こえない、ユーマにだけに聞こえる音がとても大きく耳に残っている。
そして、それすらも覆い潰すほどに
――殺せ殺せ殺せ
聖剣の憎悪は深く強い。
気が付けばどこかの暗がりにユーマを歩いていた。必死に前に進む。泥のような、あるいは沼のような感覚を引きずってユーマはただ前に進む。
――それ以外にやるべきことがないから。
――それ以外にできることがないから。
一歩進むたびに杭が突き刺さるかのような痛みが走る。そのたびに、ここで歩むのをやめてしまおうとユーマは思う。
辛く苦しいことは嫌だ。だって、そうだろう。誰でも辛いことや痛いことは嫌だ。
だが、これはユーマにしかできないと言われた。期待もされた。だから、歩くことだけはやめることができないのだ。やらなければ世界は滅ぶ。
別にこんな世界どうなってもいいのかもしれない。救う義理も義務もない無関係の世界だ。
――いや。いいや、違う。
もう無関係ではない。この世界に召喚されてしまった以上無関係ではいられない。世界の滅びはユーマ自身の滅びでもあり、何よりも。
――レエーナが、いる。
惚れた女がいる世界だ。滅ぼされていいはずがない。それは彼女も死ぬということだから。彼女が死ぬところなど見たくなかった。
彼女だけでなくシオンやルシアン。関わった人たちが死ぬところなどユーマは見たくなかった。
だから、前に進む。
一歩。
杭が身体を貫く。
一歩。
杭が身体を貫く。
痛みで心が張り裂けそうになる。
痛みで身体が動くことをやめそうになる。
心がやめていいんじゃないかと叫びだす。
身体がそれに従ってしまいそうになる。
けれど、けれど――。
――歩みを止めない。止められない。
なぜなら、痛みに貫かれるたびに、彼女の顔が見えるのだ。
愛おしい彼女。レエーナの顔が見えるのだ。期待してくれた彼女。笑顔を浮かべてくれた彼女の顔がはっきりと光となって心に浮かぶのだ。
何より声が聞こえるのだ。
――ユーマ。
そうただの一言、名前を呼ぶ声が聞える。だから、ユーマは歩くことをやめない。そうしなければ彼女と釣り合わない。
やらなければいけないという強迫観念がユーマを突き動かす。
「まったく無茶をするよな」
誰かの声が響く。それは自分の声だった。どこからともなく自分の声が聞こえる。
「そうまでしてなんの得があるんだよ」
「ない」
「ないのか。じゃあ、なんでそうまでして進んでんだよ」
進むのは辛いだろう。苦しいだろう。嫌だろう。誰も辛いことなど嫌に決まっている。苦しいことなど御免に決まっている。そんなことしたくないのが普通だ。
そうだというのになぜ進むのか。合理的ではない。人間らしくもない。勇者だから? そんなの勝手に押し付けられた役割だ。やりたくないなら放り出してしまえばいい。
どうせもともとは関係のない世界のことなのだ。異世界の人類の命運なんて背負えるものではないし、背負う義理も義務も本来はありはしない。関係のない話なのだから。
だから、放り出してやめるといっても誰も止めることはない。当然の権利だ。ユーマが持つ権利として当然あってしかるべきもの。
「実際そう思っているんだろう? いくら取り繕ってもさぁ」
「…………」
「なあ、やめちまえよ。一般人にしては頑張ったほうだろ? 頑張ったからもうやめても大丈夫だろ。レエーナに、無理はするなって言われただろ? ここでやめても誰も責めねえよ。見ろよ」
暗闇が晴れてそこに広がるのは地獄だった。あの地獄だ。聖剣が作り上げた地獄の光景が広がる。そして、マザー・シャーマンの姿もそこにあった。
恐怖で息が出来なくなる。視界が回る。頭痛、吐き気、あらゆる負感情が押し寄せて、膝を屈する。屈した膝は地面に縫い付けられたかのように固く動かない。
――もう嫌だ、やめたい。
それを見るとぶり返す恐怖。痛み。苦痛は、精神を蹂躙し、ストレスは負の感情を呼び起こし、あらゆる身体の健常性を奪っていく。魂がゆっくりとゆっくりと腐っていく。
佐藤悠馬は主人公ではない。ただの一般人だ。ただ偶然選ばれて、聖剣に使われるだけの一般人だ。人類を背負うほどの力などなく、運命にあらがって殺戮を止めるほどの意志力もない。
運命に引きずられるまま、流されるままに聖剣に振るわれているただの一般人。村人Aとかそんなレベルの男。
物語の主人公のように自らの意思で前に進めるほど強くない。ただ期待されているから、その期待を裏切りたくないと思ってやる。やっている。
人に良く見られたいというそういう人として当たり前の感情で行動しているに過ぎないのだ。勇者としてちやほやされる、誰もが注目するのはいい気分だ。前の世界ではなかったから特に悪くないと感じられる。
ただ、同時にそういう期待や注目は重い。期待されればされるほど失敗できないという焦りがユーマの中に生じる。それはやりたくないと思ってしまうほどに大きい。
背反する2つ。矛盾する感情。正と負。人間なのだから当然、両方持ち合わせている。そして、どちらに傾くかはその時々だ。
「もう良いだろ?」
そして、いつの間にかそこにいたもうひとりの自分がそう言う。自分でも恐ろしいほどに優し気な声色だった。どんなものよりもするりと頭の中に入ってくる自分の声。当然だ、それは自分が言っているに過ぎないのだから。
ただ、それがさも他人が言っているかのように聞こえているだけに過ぎない。責任転嫁しようとしているに過ぎない。これはただの逃げだ。逃げて、保留にしたところでどうしようもないというのに、ユーマは保留しようとする。
やりたくないこと、決められないこと、まだ期間があるから大丈夫だろうと、好きなことに逃げる。それがユーマという少年だ。
だから今回も逃げようとした。逃げようとしている。だからこそ、
「もう諦めちまえよ。誰も責めないだろ? あんな地獄を見て、僕はこんなにも悲しんでます。辛いです、苦しいですって言っちまえよ。だれもが おまえに同情する。やめていいって言ってくれるさ――そうだ、シオンを押し倒しちまえよ。忘れさせてくれっていったらヤらせてくれるだろ。あんな良い女抱かないなんて男じゃないだろ」
甘い誘惑の言葉がささやかれるのだ自分の声で。それは自分の望みであるから。押し込めていた望みだ。やめたい。
やりたくない。逃げたい。女とイイことしてみたい。飯がまずい。現代のご飯が食べたい。地面が固い、ベッドがかたい。疲れた。戦いたくない。ゆっくり眠りたい。何もしたくない。
あらゆる不平不満、ストレス。溜まったそれは激流のようにユーマの心を押し流していく。弱い方へ、楽な方へ。
それでもそんなユーマを引き留めるものがある。それがレエーナだった。彼女がいる。彼女が好きだからこそ、ユーマは頑張ってきた。好きな人にいいところを見せたくて。好きな人と釣り合うために。
惚れたからこそここまでやってきたのだ。だからこそ、流されそうなユーマは引き留まろうとするのだ。あれだけのことがあっても、出会った時のあの光景を覚えている。
光り輝く大広間で出会った女神のように美しい少女との出会いをユーマは今でもはっきりと克明に思い出せる。
その人に約束した。だから前に進む。
そんなユーマの意思をもう一人のユーマは鼻で笑う。
「はは。レエーナに惚れた? 確かに美人だ。あんなのをものしてみたいよな。けどさ、それを理由にしてるだけだろ。惚れたからやる。約束したからにはやり遂げる。だから、やらなければいけない、やり遂げなければいけないって、ていのいい理由に使っているだけだろ」
――彼女たちが死ぬのは見たくない。
そういうが、ユーマもわかっている。それはほかならぬ自分の言葉だから。
「今更だろ。なあ、いい加減認めちまえよ楽になるぜ?」
そうすることが一番いいように思えてくる。いいや、そう思っているからこその言葉なのだろうとユーマは頭の片隅でそう思う。
けれど、やはり同時に思うのだ。諦めたくないと。矛盾しているかもしれないが、辛い、きつい、苦しいが、それでも諦めたくないと同時に思うのだ。期待に応えたいと願ってしまう。
それはやはりレエーナがいるから。シオンがいるから。褒められたい、好かれたい。そんな単純な理由。それでも、手を伸ばす。
ふと、その手が誰かに握られた気がした。
「シオン……?」
「あぁ、起きた? 大丈夫? 落ち着いた?」
夢はいつの間にか終わっていた。まだ夜のようだ。シオンがユーマの伸ばした手を握っていた。
ぼろぼろだった。全て聖剣が治療したユーマと違って彼女はひどく満身創痍だった。至る所に包帯が巻かれている。
「――――」
「喉が渇いた? 水、飲む? お腹すていない? スープがあるから食べる? どこかいたいところはないかな?」
しかし、彼女は献身的にユーマの世話を焼く。自分の方が怪我で辛いはずなのにだ。
「……水を……」
「うん、はい」
起き上がって水を貰う。渇いた喉に染みわたるように飲み干してしまった。
「…………」
「まだいる?」
「大丈夫……ありがとう」
「どういたしまてかな。じゃあ、ユーマは、もう少し寝ると良いかな。まだ夜だし。ひどい顔してる」
「……あぁ……」
再び横になるが、眠れそうにない。また夢を見そうで眠れそうになかった。あんな夢はもう見たくない。
「眠れない?」
「……」
ユーマは頷いて答える。
「そっか。それなら少しお話ししようか。…………ねえ、ユーマ。ユーマはもう勇者、やめたい?」
「――――」
シオンの問いにユーマは言葉を詰まらせる。
「なん……で……」
「ユーマが見ていられないから」
今にも死にそうなほどひどい顔をしている。戦っているときの慟哭をシオンは聞いている。
「ユーマがやめるなら、代わりにルシアンが何とかするって。聖剣ほどじゃないけれど聖弓は同じ物だから。きっと魔王を倒せるだろうって。だから、つらいならやめていい。無理をする必要はないよ。泣いている子供に無理やりやらせるほど、私もルシアンも残酷じゃなかな」
「…………」
頷いてしまいたいとそう思ってしまった。もう戦いたくない。辛いことは嫌だ。けれど、やはり思い浮かぶのはレエーナの顔。
聖剣がなくてもどうにかなるのかという不安。マザー・シャーマンは四天王と言っていた。あれと同じようなのがあと4人もいるのだ。ルシアンも強いがひとりでどうにか出来るとは思えなかった。
だからユーマは、首を横に振った。
「――――。そっか……」
一瞬、シオンは泣きそうな顔になってすぐにそれを隠してユーマの頭をなでる。
「いい子だね。ユーマは。でもね、ぼろぼろになって、泣きながら進むのがえらいんじゃないんだよ……? 辛いならやめてもいい。ユーマはこの国の人じゃないでしょ。逃げてもいいんだよ?」
諦めるのは簡単だ。
逃げるのは楽だ。
けれど、ユーマは首を横に振る。
脳裏に浮かぶレエーナの顔が離れない。どんなに辛いと思っても消えてなくならないのだ。
辛い、きつい、苦しい。人生で一番不幸なんじゃないかと思うこともある。どうして自分だけこんな目に合うんだという憤りに似た恨みもある。
心ではずっとやめたいと叫んでいる。やめたい。何もしたくないと。
だが、やはりレエーナの顔が思い浮かぶ。目の前にいるシオンの顔もそう。
期待された。だから、やるのだ。
「俺は、勇者、なんだ」
いっぱい殺した。これからも殺すのかもしれない。それでも、それでもここで逃げたら自分は本当に駄目になってしまう。
それがわかる。だから、
「魔王を倒すよ……」
どんなに辛くても前に進む。いいや。前に進むしかない。
どんなに辛くても、苦しくても前に進むしか道はないのだから。他の道などありはしない。あってもすぐに魔王に滅ぼされてしまう。
だから、やるしかないのだ。
――何かのひび割れる音が聞こえる。
勇者として、人類を救うために。殺したのならそれ以上を救わなければ償えないから。
苦しくても、辛くても、諦めなければなんとかなると信じて。
――何かのひび割れる音が、聞こえていた。
ただ聞こえないふりをしていた――。
「……行こう、魔王を倒しに」
旅を続ける。
勇者は、進む。心をきしませながら――。
選ばれただけあって勇者の素質はあるユーマ君。でも一般人なので、心を削りながら前に進むことになります。
次回は、少し日常かな。そのあとくらいに新キャラ出せればいいなと思っています。
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