第1話 初陣
召喚された勇者である少年、佐藤悠馬――この場合はユーマ・サトゥと呼ばれることになるのだが――そんな彼に与えられた任務はそれほど多くはなかった。
むしろ少ないとすらいえる。正確に言うのであればこまごまとした詳細やら目的は違うものの、おおむね一言にくくることができる。
――魔を倒せだ。
魔と呼ばれる存在。ユーマの知識に照らし合わせればモンスターと呼ばれるような怪物たちを倒すこと。それが彼に与えられた任務の全てだった。
魔に囲まれた村を救えなどという詳細の違いはあるもののやるべきことは魔を倒せ。ただそれだけだ。
必要な戦闘技術などはすべてて機構聖剣からインストールされる。彼が頭の中に感じている気持ち悪い知識の類はすべてそれだ。
だから訓練などない。そもそも悠長に訓練なぞやっている暇などないのだ。聖剣を引き抜いた後は王様と共にお披露目が行われた。
国民たちが見守る中バルコニーに立って、その存在をアピールするのだ。不安を払うための方策であり、勇者の存在を知ってもらうためでもあった。
そこで巻き起こったのはすさまじい大歓声。バルコニーが揺れるほどの大歓声がユーマを迎える。それはまさに期待の大きさと重さを示している。かけられた期待の重さにつぶれそうになった。
そして、休む間もなく出発だった。一目惚れした王女の名前すらユーマは聞く暇などなく、そもそも自分の名前すら名乗る暇すらなく案内がいるからと城から出発を余儀なくされたのだ。
「普通、パーティーとかじゃないのか。それか少しくらい休む暇とか説明、それとあの子の名前くらい教えてくれてもいいじゃねえか。名乗ってもないぞ」
そうぼやく。別段パーティーとかしてほしいわけではないのだが、少しくらいは休む時間がほしかったのだ。こんな状況に放り込まれて混乱している。
正直なところユーマは喚きだしたい気分なのだ。それをしないのは勇者としての姿を望まれていると感じているからである。名も知らぬ彼女の為にユーマは勇者であらねばならぬのだとそう己にかしている。
そもそも、訓練やらパーティーやらは差し迫った現状であるがゆえにない。勇者なれど王族相手に名乗ることなどないし、王族が名を平民かも不明な異邦人にみだらに名乗ったりすることはない。
召喚してすぐさま使えるからこそ呼んでいるのだから、遊ばせておく暇などないのである。必要最低限の説明も案内役に任せればロスなどない。
ようは顔さえわかっていればいいのだ。あとは勇者という記号で呼べばいいだけの話なのである。
「で、案内がいるはずなんだが」
できれば話しやすい方が良いと思いながら辺りを見渡す。
視界に入ってくるのは石造りの建物だ。背後には城。武骨な城。尖塔がいくつも建っており、そのどれかにあのひとがいるのだろうかとユーマは思いを馳せる。
それから視線は再び前に戻る。石造りの街並み。ヨーロッパ諸国を思わせる建物がずらりと立ち並ぶ。そこを行く人々も多種多様であった。
多くは人間と呼ばれるようなものだろう。着ているものは随分と粗末に見えるが現代人から見れば明らかに古い時代。粗末なのも当然だ。
違いというものはあまり見られないように思えるが、俯瞰しただけではわかるはずもない。
「お、お待たせいたしました!」
「――――」
漸く来たのかと一言でも文句でも言おうかと振り返る。そんな勇気や文句を言えるような心の強さはないのだが、気概だけは持って振り返った。
視線に声の主は映らない。視線を下げると耳が目に入った。
――え? 耳?
普通目に入るのは髪とか頭頂部、帽子だとかそんなものだろうと思っていたのだが視線を下げるとともに視界に入ってきたのは耳だった。
三角の端の方に穴の開いた耳。時折ぴくりぴくりと動く様は偽物ではないとユーマに教えてくれている。
いわゆる獣人という種族なのだろうとユーマが理解したのは、思わずその耳に手を伸ばしてからだった。
「ぎにゃあああああ!?!?」
「おわっ!?」
ユーマの案内役であろう少女は触れた瞬間、盛大な悲鳴をあげて耳を抑えて蹲る。彼の指先に残った感触は、温かさだった。
それからこの反応。
「それ、本物か」
「本物以外に何があるのかな!」
「いや、偽物かと思った」
「この見事な耳の毛並みを見て!?」
頷いてやると盛大にああ、ぁああと崩れ落ちる。
「お、おい、大丈夫、か?」
「大丈夫じゃないかなぁ……自慢の、自慢の毛並みだったのに」
さて、どうしようとユーマは困る。女の扱いなんぞ知らない。女なんて母親以外ろくに絡んだ記憶がないのでこんな場合どうやって慰めればいいのかわからない。
とりあえず褒めればいいのだろうか。謝る? わからないので両方? わからない。誰か正解を教えてくれと思うが誰も遠巻きに見るばかりで正解を教えてくれそうなやつはいない。
「あー、あああ、くそ。えっと、すまない。知らなかったんだ。俺の元いた場所には君みたいな子はいなかったからさ。そ、それに、良い手触りだったぞ」
「…………」
どうだ、と内心びくびくしながら反応を待つ。
「……ほんと?」
「あ、ああ」
「それもそうかなぁ!」
――あ、チョロい。
脳内をそんな言葉が横切っていった。とってつけたような言葉で機嫌を直したうえに、よっぽど褒められたのが嬉しいのか彼女の腰のあたりから伸びる尻尾がひゅんひゅんという擬音が似合いそうなほど振るわれていた。
あれも本物なのか、と漫然と思いながら手を伸ばしてしまいそうになるのを堪える。先ほどの二の舞を演じるほどユーマは馬鹿ではない。
「ええと、それじゃ勇者様行くかな」
「あ、ああ、そうだ名前」
「そうだね、わかっていた方が良いか。ええと、ラーケのシオン。勇者様の案内役を仰せつかった奴隷だけど、精一杯働くからよろしくかな」
「あ、ああ、よろしく。俺は――」
「ああ、私みたいなのが勇者様のお名前を聞くなんて分不相応だよ。そんなことしたらきっと殺されちゃう」
名乗ることすら許されないのか!? と驚愕する。
「ささ、勇者様、とりあえずこれを着た方が良いかな。勇者様の服は上等そうだけど、旅には向かないだろうし」
「あ、ああ」
名乗ることすら許されないという事実に愕然としながらも彼女が渡してくる服へと着替えを行う。着替える場所は城門脇の詰め所を借りた。
マントに動きやすい恰好。革の鎧にブーツといったもの。着方がわからないとなった時は着替えさせられたが、非常に恥ずかしかった。
「うんうん、似合ってるかな。さすが勇者様。さあ、行こっ」
そんな風に言われるままに着てみたわけなのだが、着心地が悪い。素材が良くないというか、ごわごわするし臭いも良いとは言えない。
だがせっかく用意されたものである。嫌な顔をするわけにもいかず曖昧な笑みを浮かべたまま歩き出した彼女について行く。
街に出ると誰もがユーマを見ていた。黒髪というのは珍しいし、機構聖剣という普通の剣の数倍以上の大剣を背負っていれば嫌でも人目を引き付ける。
今から世界を救いに行くと知られているために道行く群衆の視線は期待のまなざしばかりだ。ただ必要以上に近づいてこようとはしない。少なくとも大剣が届く範囲を避けるように遠巻きにされているような感覚をユーマは感じていた。
「何やら遠巻きにされているような」
「ああ、それも当然かな」
「当然?」
何が当然というのだろう。
「勇者様に触れることは禁じられているんだよ」
「禁じられ、なんでだ」
「それは私も知らないかな。なんでも昔の王様が定めた法律らしいし。とにかく敵対したら駄目なんだって」
「おまえは、いいのか?」
「私? 私は奴隷だし、案内役だから」
訳が分からないが、それが説明されることはなさそうだった。
ともかくやると決めたのだ。やり遂げる。
「ああ、そうだ。この国の王女様の名前ってわかるか?」
「王女様? ええっと」
「ああ、いいやっぱりいい。自分で聞く」
「?」
やはり名前は直接聞いた方が良い。誰かに聞くよりも。
そんなユーマの考えに不思議そうな顔をするシオンであったが、彼から何も続きがないことから首をかしげてつつも先を歩く。
街の中は非常に汚い。糞尿などがそこら中に捨てられていたのだ。まだ水洗トイレなどない時代。トイレのごみはすべて路上に捨てるのだ。
マントが必要な理由がよくわかった。内心でがくぶる震え、早足になりながらさっさと城門を抜けて街の外へと出る。
どこまでも広がる大地がそこにはあった。日本では見ることがなかなかないような光景に思わず見とれるものの後ろで無慈悲にしまった城門に不安を感じる。
ただそれを表に出すわけにも行かない。シオンがいる。勇者としてのふるまいをしなければと必死に言い聞かせて声が震えないようにしながらシオンへとこれからどうするのかを聞く。
「そぉ――それでこれからどうするんだ?」
思わず声が上ずりかけたのを必死に修正する。気が付かれてはいないようだった。
「まずはお仕事。ちょっと待つかな」
シオンは背負っていた袋から小さな袋を取り出す。
「せええの!!」
それを放り思いっきり蹴り上げた。ぐしゃりと何かがつぶれる音が響き、ぼとりとそれは堀の向こう側へと落ちた。
「さあ、来るかな!」
『GRAAAAAAAA――!!』
咆哮あげてそれは現れた。化け物だった。怪物だった。異形だった。狼のような生き物。だが、普通の狼と違う。
巨大であるし牙や爪が長く、体毛が刃のように硬化している。全身が殺戮の為に向いている。餌を狩るためではない殺戮の為だ。
「ここらへんにいる一番弱い魔かな。血の匂いで寄ってくるの。さあ、勇者様」
「――――」
がちがちと歯が鳴りそうだった。マントで隠れた足はがたがたと震えている。
――これで一番弱い? 戦え? 無理だろ。十数匹の群れだぞ。
何よりも煌く獣の瞳を見た瞬間に、抗う気力のことごとくを奪われる。鋭い瞳がユーマを射抜く。
それは何よりも敵意の発露だった。後ずさったと思った瞬間、身体は勝手に剣を抜いていた。
――殺せ。殺せ。殺せ
――魔を殺せ。
「な――」
声が響いた。その瞬間にやるべきことが脳内を貫く。知らずユーマは駆けだしていた。
『GRAAAAAAAAA――』
咆哮とともに駆けだす狼のような魔。バイアと呼ばれる狼型の異形は、殺戮の権能をあらわにしている。強靭な爪と牙。それから全身を覆う刃の体毛。
殺戮を可能とする全身凶器が己らの天敵たる機構聖剣の担い手を殺さんと疾走する。数は16匹。一人が相手をするには数が多すぎるくらいだ。
だが――。
――刃が走る。
機構聖剣は魔を殺すための生きた殲滅兵装。連綿と受け継がれてきた殺すための武装。ゆえに、その機能の全ては殺戮の為。
ただ一人で全てを殺すための殺戮兵器。
聖剣に変化が生じる。刃に線が走り、そこからわかれた。幾重にも分割され飛翔するのはやはり刃だった。組み合わされていたものがほどけるように刃が飛翔する。
彼の周囲に浮かぶ刃は都合15本。
「これは――」
命令もなくただ飛翔する刃はまっすぐにひとりでに舞って、迫りくるバイアへと襲い掛かる。 異なる弧描く刃たちは、自在に、握る者もなく次々に襲い来る。 同時に、時に呼吸をずらしながら群れのボスたる一匹以外のことごとくを刺し穿った。
ユーマは驚愕する。聖剣の機能に。そして、聖剣から感じられる意思に。
この程度など余裕であるといわんばかりに飛翔した刃は戻らずそこにある。小さくなった聖剣。それでも普通の剣よりは巨大であることに変わりはないものの最初に比べるとひ弱に感じる。
だが、それで十分と言わんばかりに機構聖剣とバイアは激突する。
怒りを込めて真正面からぶつかってきたバイア。普通ならばユーマは吹き飛ばされるだろうが、強化された肉体と重力制御が相手の衝撃を逃がし、重さを変えて突撃を無意味へと変える。
――怖い怖い怖い怖い!!!
そんな激突でユーマが感じているのは恐怖以外になかった。身体が制御されていなければ即座に剣を放り捨てて逃げ出しているかその場にへたりこみ震えているかのどちらかだ。
歯はがたがたと恐怖で鳴り、ひきつった笑みとなる。怖すぎてもはや笑いしか出てこない。こんなのと戦い続けて人類を救う。
もはや最初の一歩でユーマの心は折れかけていた。
「――――」
彼を見つめるシオンの視線が、何よりも城門の上から彼の戦いを見つめる兵士、そして期待してくれた王女の想いが折れることを許さない。
惚れた女の想いに答える。かっこいいところを見せたい。情けないところは見せたくない。そんな想いでなんとかユーマは耐えていた。
泣き出しそうな恐怖。背中に感じる期待の視線がないよりも心穿つ。それでも――。
――それでも、やるんだ。
惚れた女が望んだ勇者になる。決めたことだった。だから、怖くても無理してでも前に進む。彼女の、彼らの理想であるために。
――ぴしりと何かのひび割れるような音が聞こえた。
「――――!!」
聖剣を振り切る。吹き飛ぶのはバイア。力強い踏み込みを二歩。振るわれる大剣の薙ぎ払い。その瞬間、更なる権能を聖剣は発揮する。
剣身が超振動を発し赤熱する。バイアの身体へ触れた瞬間、紙でも切るかのように容易く骨すらも両断する。
原理は単純だった。超振動による振動剣。高周波ブレードと言ってもいい。超振動による死想曲の響きとともに聖剣の切れ味は極限となりバイアを切り裂いた。
皮を裂いて、肉を斬り、骨を断つ感触が腕の神経を伝わり脳内を攪拌していく。吐き気がこみあげてくる。
皮膚が裂けて、内容物が飛び散る。それらがすべて目の前にいたユーマにふりかかる。それとともに絶命してバイアは倒れた。
「――――っ」
そのあまりの呆気なさに呆然とし、そしてそのあまりの感触に吐き気がこみ上げてきた。強すぎる嫌悪感に視界が回る。
――気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
今すぐどこか水に飛び込みたい。身体にかかった血がただただ気持ち悪くて仕方がなかった。吐き気は、相変わらずしている。鉄臭い匂いに、最後の瞬間のバイアの悲痛な鳴き声は脳を攪拌し続けている。
そんな自分を、ユーマはまるで後ろから見ているようだった。実感がない。自分がやっていること。理由もなく、生き物を殺しているという実感がわかない。
ふわふわとした夢のようにも感じる。だが、夢のようでありながら同時に手や頬に飛び散った自分と変わらない赤い血が、生暖かい血がたまらなく不快だった。
死が臭いとして鼻を伝わって。それは脳を揺らす。根底にある価値観をダイレクトに揺らす。
殺すと同時に、自分の中の何かも、死んでいく。崩れていく音が聞こえていた――。
書き上げることができたので更新。三話くらいまではなんとか毎日更新したいが無理っぽかったら週間で。
主人公の心をやすりで削っていく物語です。ひび割れそうになる心でも前に進む主人公。
どうかその様を見守ってください。