第13話 名前
こつんと靴音が響かせる。小さいが確固としたその音を深く響かせる。それはひとえに強く踏み出してしまっただけのことだった。
部屋に響くただ一つの強い音。普段ならば絶対に立てることのない足音に知らず自分が緊張していたことを知る。自覚すればするほどまるで時の歩みが遅くなったかのようにレエーナは、感じた。
世界から音が消える。時がゆっくりとなりスローモーションのように世界の動きが遅延する。それは自らの緊張のせいだろう。
これから勇者という存在に会う。彼は隔絶した力を持っている。機構聖剣の正統な伝承継承者。この国において彼に並び立つ武を持つものなどおらず。彼の聖剣の一振りは魔の軍勢を退散せしめる。
だからこそ緊張していた。かつんと強く足音を立ててしまった。それに反応して彼が振り返る。思わず顔を下に背けてしまった。
何をしているのだとレエーナは思う。だが、既にやってしまった。だから、まずは挨拶だ。挨拶の為に頭を下げれば問題はない。
「あなたのお世話をさせていただきます。どうぞなんでもおっしゃってください」
そう勇者の前で優雅な一礼を披露し、侍女に考えさせた台詞を告げる。それから深く息を吐いて意を決して勇者を見た。
――勇者を見た。
――いいや、ただの少年を見た……。
黒髪の少年。あの時、聖剣に導かれ何処からより来たりし救世主。肌の色は濃すぎるというほどではないが自分たちよりも幾分かは色が付いており、違う世界の住人であることが伺える。
だが、そんなことなどレエーナにとってはどうでもよかった。一目でわかった。彼は違うのだと。その瞬間、これからやるべきこと、どうすればいいのか言われたことが全て頭の中から吹き飛んだ。
「シャーリー!!」
「お呼びでしょうか姫様」
「今すぐ、これからの全ての予定を中止にしなさい!」
「は? しかし――」
「大臣たちへは後程、私が直接謝罪に行くわ。だから、すぐに私の名前で中止を伝えてきなさい。そうね、理由は私が勇者様と寝るということにしておきなさい。誰も文句は言わないはずよ」
「……かしこまりました」
理由を聞かずシャーリーはすぐに部屋を出ていく。すぐにやれと言ったことはやる。理由を聞かずにやってくれる。
彼女が出ていったから次はユーマである。
「あ、あの、何を」
「貴方はこちらに来なさい!」
「は?」
「いいから早くする!」
そういってもわけがわからずに目を白黒させるユーマの手をレエーナは掴み取って、そのまま引きずるように客室の隣にある寝室のベッドへと彼を押し込む。
「貴方に必要なのは休息だと判断したわ。ご安心なさい。ここには何もないし、これから誰かに会うという予定もないわ」
「いや、あ、あの」
「口答えはなし。貴方に必要なのは十分な睡眠と休息。旅を出てまともに眠ってないわね?」
「…………」
沈黙は肯定と同じことだ。そうでなくともレエーナにはわかる。昔から人の顔色ばかりを窺って生きて来た。また、相手のこれからの行動を予測する方法として相手を見てその全てを知るという技術を母から習っている。
だからこそわかった。一目見た瞬間にユーリが無理をしていることをレエーナは理解したのだ。それがどういうものなのかは、彼の顔を見ればよくわかる。
まず旅の疲労。肌の張りが初めて会った時と比べて見る影もないほどになくひどく荒れているし、多少痩せている。目元の隈は寝不足の証。
どう見てもこのままユーマをこの先の予定に駆り出すことなどレエーナにはできなかった。一目でわかったのだ。価値もなく浮いている自分とは対極に自らに与えられた価値でつぶれそうな彼が。
「眠るのに早い時間でしょうけれど、夜には外せないパーティーがあるのでそれまでお休みなさい」
「…………」
「望むのなら手を握ることも、同衾もしてあげるから休みなさい」
「い、いえ、だいじょうぶです! でも、寝れるかは……」
「そう。なら目を閉じるだけでもいいわ。休みなさい。いいわね」
「……はい」
ユーマは目を閉じる。
確かに彼女の言うことは正解であった。最近眠れていない。特に、クロンダイクと戦った後はまるっきり眠れていない。
眠れば痛みが夢で蘇るのだ。眠るのが怖いというのもある。安全だという言葉が信じられない。だからこそ、夜はいつも眠っているようで眠っていない。眠ったと思ったら起きて、眠ったと思ったら起きての繰り返しだ。
ろくな睡眠ではない。疲れなど取れないし、眠ったという感覚も薄い。それがこの異世界に来てからのユーマの睡眠という奴だった。
だからこそレエーナの申し出はユーマにとってはありがたかった。名前も知らない王女の提案が。
――ああ、そうだ。
「なまえ……」
「え?」
「なまえ、お、おしえてくだ、さい」
顔を背けたまま彼女にそう告げる。彼女は今どんな顔をしているだろうかユーマに見る勇気はなかった。自らの顔が赤いことがわかるからなおさら振り向けない。
言われた彼女はというと、
「――――」
思わず何を言われたのかときょとんとしていた。名前? そういえば名乗っていなかったことにレエーナは気が付く。
「レエーナ・アル・リードヴェルン、それが私の名前よ勇者様」
「勇者、じゃない……悠馬、佐藤悠馬。こっちじゃ、ユーマ・サトゥだ、俺の、名前」
それは絞り出すような声だった。ベッドに寝転がり、背を向けたまま彼はそうまるで絞りだすように言ったのだ。
震えているのがレエーナにはわかった。彼が何を求めているのかレエーナにもさすがにわかる。名を呼んでほしいのだ。
思えば、名乗る暇もなく彼は送り出された。それが通例だからだ。勇者の名など知らなくても良い。勇者という記号さえ知っていればそれでいいのだという。
どういうわけか存在するそんな通例。だからこそ、彼は名前を早々呼ばれたことはないのだろう。この世界にひとり、名前も呼ばれないとうのはいったいどのような気分なのだろうか。
――良い気分じゃないのは確かね。
それはユーマの様子を見ればわかる。だからこそレエーナはその名を呼ぶことにした。どうせそのうち夫になるかもしれないのだから名前は知っていた方が良いし呼んだ方が良い。
それだけで彼が楽になるのならと。
「ええ、ユーマね。よろしく」
「…………」
名を呼ばれた瞬間、ユーマは頭を聖剣でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。顔がにやけるのが止められない。ただ名前を呼ばれただけ。ただそれだけだというのに。
シオンに呼ばれたときもそうだった。いやそれ以上だった。自分を覆うありとあらゆる枷や楔のような重苦しいものが全部どこかに吹っ飛んでまるで自由に空でも飛んでいるのではないかと思うほどだった。
人生でこれ以上の幸福はないんじゃないかと思ってしまうほど。心臓が高鳴り、耳にうるさいほどに鼓動が響いてくる。
顔なんて朱を通り越して赤なんてものじゃなく紅じゃないかと思うほどに火照り、くらくらとするほどだった。
脳内で彼女の言葉を反芻する。反響する自らの名前。凛とした声が頭蓋を反響し何度も何度も脳を突き刺し刺激する。
こみ上げる喜びに打ち震えへたすれば失禁してしまいそうなほど。喜びがあとからあとから湧きあがり、心を溢れて身体を満たして外へと流れ出るんじゃないかと思うほどだ。
今日ここに来て、初めて思う。異世界に来てよかったと。ただ名前を呼ばれただけだが、それほどまでの衝撃と喜びだった。
腕をつかまれたこともある。ああ、もっと堪能すればよかったなどとは口が裂けても言えないものの、掴まれた感触は今も残っている。それをずっと感じるように抱き込む。
溢れる喜びを隠しきれているだろうか。こんな風になっているのはみっともないだろうかと心配になるが、心配になった先から喜びに押し流されてそんなことどうでもよくなってしまう。
突き抜ける喜びは天を羽ばたく鳥のように羽ばたきを上げてどこまでもどこまでも飛んでいけるかのような充足感を与え、死にそうなほどの心臓の高まりは太陽のような熱量を全身へ巡らせていく。
今ならばどんなことでもできるようなそんな気がした。
「俺、頑張るよ。必ず魔王を倒してみせる。そして、そして、そ、その時は――」
「良いから、今は眠りなさい。時間になれば起こしてあげるから」
「な、なら――手を、握ってもらえないでしょうか」
「――いいわ」
後ろでに差し出した手を彼女の手が包み込むのがわかった。どくんと心臓がはねた。顔の紅潮は留まるところを知らず、まだ赤くなるのかといわんばかりに赤くなる。
握られたところから電流が走って、神経を貫いて脳を焼き尽くさんとしているかのように感じるほどの歓喜が湧きあがる。こんなにうれしいことはない。
そして、いつしかユーマの意識はあたたかな闇へと沈んでいく。寝不足と疲れ、極度の興奮に眠気が一気に押し寄せユーマの意識を押し流していった。
「ふぅ、やっと眠った」
ようやく寝息を立て始めたユーマにそっと呟く。難儀な勇者様だとレエーナは思った。
「……これじゃ駄目ね……」
そしてそれだけにこれではどうにもならないことがわかっていた。彼はきっと頑張ってしまう。無理をしてしまうだろう。
それも自分なんかの為にだ。彼の言葉にはそんな意思がはっきりと感じられた。
「こんな私に、価値を感じてくれるの?」
それは嬉しく思うと同時に、酷く愚かなことであるとレエーナは思うのだ。
――戦うことが嫌いなのだろう。戦うことが好きではないのだろう。苦しいのだろう。
歴代勇者とユーマは違う。伝え聞いた勇者伝説。その中の歴代勇者たちとはっきりと彼は違うとレエーナは言える。
歴代勇者たちは良くも悪くも戦が当たり前だった。命のやり取りが当たり前だった。死することを目指し、本能で国を奪うということを刻み付けられているかのような武者たち。
それが歴代の勇者だった。だというのに、今代の彼はそんな彼らとは違う。どう見ても命のやり取りが普通とは思っていない。
今握っている手を見てもわかる。柔らかな手だ。蝶よ花よと育てられた貴族の子女のような手。戦う者の手ではない。
だというのに彼は文句も言わずに戦っているのだ。ただ一人の希望にならねばならぬ運命を背負わされたたことに文句くらい言っても良いはずだといいのに。
「優しい人。本当に……」
もしも、彼がもう少し自分を中心に考える人であったのなら、異世界の危機など自分には関係ないと役目を放り捨てることもできただろう。
もしも、何も考えぬ阿呆であったのなら、言われるままにただただ行動して思い悩むことぼろぼろに傷つくこともなかっただろう。
もしも、突き抜けた馬鹿であったのなら、何も考えずにただ己が道を邁進しただろう。
そのどれであってもここまでひどいことにはならなかったはずだ。彼には本来、我々を助ける義理も義務もなにもないのだから。
現実はただの少年だ。普通に笑い、普通に泣き、普通に怒ることのできる普通の少年だとレエーネは感じた。それでも戦う決意をして戦ってくれている。
とても尊い。けれど、無理はしてほしくないと思う。
「ふふ、柔らかい髪」
少しだけ彼の髪に触れてみる。柔らかな髪だ。黒い髪は珍しいからついつい気になって触ってしまった。くすぐったそうに彼は寝返りをうつ。
彼の寝顔をレエーネは見る。
「うん、顔は悪くないわね。人柄もよさそう。それに優しい」
結婚してみるのも悪くないかもしれないと思う。まだ会ったばかりだというのにそう思えるくらいにはユーマは頑張っていることが伝わるから。
何より自分に価値を感じてくれている相手を好ましく思うのは当然だった。
「あまり無理はしてほしくないわね」
言っても聞かないだろうと思いながらつぶやく。
「姫様」
そっとシャーリーが部屋に入ってくる。声を落として、
「どうだった?」
「はいつつがなく。予想通り誰も断ることがありませんでした」
当然だろうとレエーナは思う。女と男が一緒に寝るといえば誰もが想起する事柄は決まっている。性行為。性交渉。つまるところ子づくりとかそういうものだ。
婚前の男女がそういうことをするのははしたないと思われるのがふつうであるが、今回の場合は少々事情が異なるのでそうは思われない。寧ろ喜ばれるほどだ。
レエーナも属する王派閥は勇者の取り込みをしようとしている。そのためにレエーナを使っている。肉体関係など望むところなのだ。それは勇者が王女を気に入ったということになる。
肉体関係を結んだ相手の言葉を無下に扱うことなど普通はない。特にこの少年は見た目からして、お人よしであると大臣連中は見抜いた。そういう男は女と関係を持ってしまえば逃げないのをよく知っているのだ。
だからこそ誰も中止を告げても反対しなかった。
「勇者様は?」
「眠ったわ。このままにしておいてあげましょう」
そんな複雑な事情をユーマに説明する気はレエーナにはなかった。そういう部分は自分が担当する。そう決めていた。
それが自分に価値を与えてくれた彼への恩返しになるだろうと思って――。
さて、ついに姫様との邂逅でございます。
無事に名前も聞けましたね。名前くらいで凄まじい喜びようですこの勇者。
まあ、私がこうやって上げる時は大抵落とす前触れみたいなものなのでここから堕ちること確定です。
もっと暗躍も書きたいがあまり書きすぎてもあれなので、次回の拷問描写の為にいろいろと頑張るとしよう。
次回はちょっとした出会いと再びの旅立ち。今度は軍隊を伴ってアクシアへ。アクシアの復興の為の護衛とその先を解放するために出発と言った感じです。
燃料となる感想やら、評価やら、レビューやらよろしくお願いします。




