プロローグ 召喚
どんなに時がたっても、どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しいことがあっても、どんなことがあっても。
頭と心に焼き付いて、いつでも色あせない光景を人は誰しも一つは持っているはずだ。
感動。感激。感嘆などの正の感情。あるいは恐怖などの負の感情。
ありとあらゆる感情によって魂に焼き付くほどの色褪せない光景というものを人は持っている。
鮮烈で、強烈で、脳髄を打撃されたかのような衝撃が全身を一瞬にして貫通し心にその光景を焼き付けるのだ。いつまでも。いつまでも。
それは何よりも大切な記憶に分類される。いつかドラマで見た、最後のローマ兵のように。二千年の時が過ぎようとも色あせることのない想いと同じだ。
それは、あの日の光景。聖剣によって異世界に召喚された時の光景だった。
今でも鮮明に思い出せる。
光の奔流が渦巻く中、輝く黄金の粒子が大広間を彩っている。そこには大勢の人物がいた。国の重鎮、貴族、それを守る騎士と呼ばれるものたち。
まるで物語の中のような光景。けれど、その時、僕にはただ一人しか見えていなかった。一目惚れというのだろう。
実際、焼き付く要因となった衝撃とはまさにそれだった。恋に堕ちた。一瞬にして、心奪われたのだ。だからこそ、成し遂げようと決意して僕は勇者になったのだ。
今でもあの時の光景を覚えている。陽光が照らす大広間の中、渦巻く黄金の粒子、陽光を受けて輝く彼女の姿を覚えている。
美しかった。彼女の為なら、彼女が喜ぶのであれば。何より、彼女が失ったものを取り戻せるのであれば。
僕は、どんなことでもできると思った。どんなことでもしてやろうと思った。彼女の望むことを体現して見せると。
彼女が望んだのは平和であり、そして、勇者だった。
だからこそ、僕は彼女の為に勇者になった――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――来て。
――こっちに。
――あなたが、必要です。
夢の中で声が聞こえていた。意味だけが伝わる音としか思えないような
佐藤悠馬を呼ぶ声だ。呼び声が絶えず響いて――。
「起きなさい悠馬! いつまで寝てるの!」
「んぁ?」
――その日は珍しく母親の声で目を覚ました。起きたら母親の顔という非常に珍しい光景に混乱しながら枕元の時計を見る。
すでに七時を回っていた。それはいつも起きる時間よりも一時間以上も遅れていることを示している。
つまり寝坊したということであるが、その理由がわからず混乱する。
「また夜更かしでもしたんでしょ。まったく」
「いや、別に」
なにせ何もしていないのだ。いつも通りの時間に寝た。それは間違いない。変わったことと言えば変な夢を見ただけだ。
まあ、そういうこともあるだろう。そう思いながら母親を部屋から追い出して、制服に袖を通す。
――来て。
また声が響く。
「なんなんだよ」
幻聴が聞こえる。普通に考えれば何かの病気なのかもしれない。だが、精神を病むには昨日まで普通だったので、いきなり幻聴が聞こえる意味が分からない。
――お願い、どうか。
だがその時、聞こえた声は先ほどまでとは違う声だった。女の声だ。先ほどまで聞こえていた意味だけが伝わるだけの音ではなく女の声だ。
とてもきれいな声だった。透き通っているというのだろうか。透明な水晶のような声だった。
聞き惚れるというはこういうことなのだろう。今までの音だけの声が嘘のようにきれいな声が脳内を反響して響き渡る。
頭蓋を反響し、脳髄へと突き刺さり、神経を通じて全身へと音が貫通する。悠馬は初めて痺れたと感じた。
全身を貫くほどの衝撃。それほどまでに美しい声だった。
「ああ、こんな声のひとが呼んでいるのなら、良いぜ」
悠馬は呟いていた。ただ美しい声に聞き惚れ、そんな人が頼むのであるならばと。
そして、彼は意識を失った。
「――――」
意識の覚醒は悠馬の感覚においてはすぐだった。少なくとも多くの時間が流れているようには思えない。感覚上は。
どこかに寝かされているようだった。絨毯を引いてあるようであるが、床は硬い。体を起こすのと同時に目を開いた。
「なん――」
見知らぬ場所。石造りの広間。何が起きたのかわけがわからず疑問を口にしようとして悠馬は、息をのんだ。
目の前に少女がいた。彼女を見た瞬間、認識した瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が悠馬を貫く。
光の奔流が渦巻く中、輝く黄金の粒子が広間を彩っている。その中心に彼女はいた。
光り輝く粒子の中、彼女は何よりも輝いて見えている。
女神。そう思った。
光を受けて輝く金糸のような髪は柔らかくウェーブし、彼女の僅かな動きに波打つ。
白磁の肌は光を纏っているかのように白く輝き、青の瞳が澄み切った青空の色を映し出す。
美しい。ただただそう悠馬は思った。それ以外に感想など無粋。
呼吸すら忘れるほどに美しい少女。まさに女神の如き少女がそこにいた。
彼女が手を差し出す。
思わず、その手を凝視して、恐る恐る震える手でその手をつかんだ。手袋に包まれた手は柔らかかった。女の手なんて、母親以外に触れたことなどない悠馬は、その緊張を隠すので精一杯だ。
彼女に手を引かれて立ち上がると、
「よくぞ参られた、勇者よ」
「え――」
声が響いた。それは玉座に座る男の声だった。ここで初めて悠馬は彼以外にも多くの人物がここにいることに気が付く。
いかにもな貴族姿の者たち。それから騎士と呼ばれるような剣を帯びた者たち。そして、玉座に座る杖を手にした王の姿。
「突然のことで驚かれているだろう。だが、そなたは機構聖剣に選ばれた勇者なのだ。今、世界は魔王と呼ばれる存在に脅かされている」
「ここは――」
王の言葉など耳に入らず、目の前の少女に見とれて何も気が付かなかったが、いや忘れていたがそこは見知らぬ場所だった。
現代日本ではない。石造りの広間に存在する玉座に貴族や王族のような人物たち。
ここは、どこだ。そう思う。何が起きたのか。一切合切が不明。しかし、戸惑っている暇は悠馬には与えられなかった。
「さあ、機構聖剣の担い手よ、勇者よ、剣を取るのだ。その力を振るい、魔を殺し人類を救うのだ」
有無を言わせぬ王の声。圧倒的上位者が下す命令に悠馬は従うしかないと思わされた。
しかし、剣とはなんだ。そう思って彼女を見る。少女は、後ろを見てくださいと指し示す。
振り返ると、自分が眠っていた場所、魔法陣のような光り輝く陣の中央にそれはあった。
それは剣というのにはいささか巨大に過ぎた。この場にいるほかの者たちが持っている剣とは数倍の差がある。
さながらそれは多くの剣が組み合わさって一本の大剣になったとでも言わんばかりの剣だった。剣の根元に存在する宝玉には何か光り輝くものが渦巻いている。
一見しただけでただの剣でないことがわかる。
その時、初めて理解した。佐藤悠馬という人間は、小説や漫画、アニメやゲームのような世界に召喚されたのだと。
そして、何を望まれているのかを理解した。
――ふざけるなよ、そんなの僕には無理に決まってるだろ。
全人類の命を背負えとこいつらは言っているのだ。ただの一人、関係のない悠馬を聖剣が使えるからと呼んで魔を倒し、人類を救え。
ほかに勇者がいるかは不明なものの、それでもこの国の人間の命を背負えと言われている。そんなことをただの一般人でしかない悠馬に背負えるはずなどない。
そもそも、見知らぬ土地、見知らぬ場所。世界すら変わった場所で生きていけるのかすら不明。そのうえで、魔と戦えと言われている。
ただの一般人にそんなことなどできるわけがない。人どころか動物すら殺したことのない悠馬にそんなことなどできるはずがないのだ。
悠馬は勇猛果敢な物語の主人公ではない。特別な力もない。目的を達成するためにありとあらゆる理不尽をはねのける圧倒的な意志力もない。
人類を背負い、救うという身の丈を超えた超級の試練に対してやってやるぞという気概すら存在するはずもない。
この聖剣がそれらを補うとして、恐怖が消えるわけがない。そう怖いのだ。佐藤悠馬は何よりも恐れている。痛みを受けることに。殺すことに。
戦うということはそういうことだ。痛みを受けて、痛みを与えて、殺し殺される。そんな覚悟など持っているはずもない。
だから、動けるはずがなかった。足が震える。武者震いなどでは断じてない。感じているのは恐怖だ。重すぎるほどに感じる恐怖。
「どうした勇者よ取るのだ。もはやお主しかおらぬのだ。聖剣が担い手を呼ぶのはこの時よりただの一度。お主しかおらぬのだ。剣をとれ。剣を取り、魔王を殺すのだ」
しかも、王様の物言いからすれば、ただ一度の失敗すら許されない。
聖剣が担い手を呼ぶのはこの時よりただの一度。つまり次はない。失敗すればこの世界は滅ぶのだ。そんな責任を無関係の人間に背負えという。
無茶苦茶だった。そして、その無茶苦茶でもしなければならないほど追い詰められているのだと悠馬は悟る。
周りを見た誰も彼もが期待の表情を浮かべているのだ。
そう期待だ。ようやく助かるのだと安堵している者すらいる。
「はあっ……はっ……」
思わず息が荒くなる。
全人類の命を救え。それにはただ一度の失敗、死すら許されない。
そんなもの背負えるはずがないだろう。そんな責任を背負えだなんて筋が違うだろう。
「…………」
それでも――この剣を取らなければと悠馬は思った。
背後を振り返る。
そこには少女がいる。どうして取らないのかと不安そうな表情。彼女は求めているのだ。王が言った勇者という存在を。
「――――」
悠馬は天井を見上げて深く息を吸って吐いた。
そして、振り返る。
そんな悠馬の突然の行動に、少女は驚いたように目を見開いている。
「任せてくれ。俺が必ず全てを、救ってみせる」
きっと誰もが求める勇者とはそういう存在だ。
傲岸不遜に笑いながら、全てを救って見せると豪語し立つ男。
それが求められた姿。
「――――」
それに彼女は頷いた。とても嬉しそうに。綺麗な笑顔だった。それを見た瞬間、ああ、こうして良かったと思った。
恐怖は確かにある。失敗できない重責に押しつぶれされそうで息苦しく心が締め付けられている。気を張っていないと吐き出したりしそうなほど腹が痛むし、ぐつぐつと煮え立っているかのうようだ。
見ず知らずの人間の為に命を賭けるほどの献身的な気持ちなんてない。むしろ足が震えて今にでも逃げたいほどだ。
できれば楽をしたい。そう思うのが人間なのだから当然だろう。
だが、それでも悠馬は剣を取り勇者になろうと思ったのだ。彼女に一目惚れした。それが理由だった。
名も知らぬ少女。おそらくは王女であろう彼女に一目惚れした。彼女が望むのなら、やってやろうと思った。彼女の期待に応えないで何が勇者だろうか。
だから、震える手を足を隠しながら悠馬は剣の柄に手を伸ばした。
「――――!!」
握りしめると同時に風が吹きすさぶ。
黄金の輝きが舞い上がり、何かが体の中に入ってい来るのを感じた。それは知識だとかそういうもの。これの使い方。
機構聖剣。ただそう呼ばれる魔を殺すためだけの存在の使い方を悠馬は一瞬にして理解した。
重力制御によって軽々と持ち上がる。それだけでなく己の身体能力が上昇していることを瞬時に理解する。
それは、
――気持ちが悪い。
たまらなく気持ちが悪かった。今にも吐きそうなほどだ。自分自身という身体が異物化したかのような違和感。何より脳内を蹂躙する機構聖剣の使い方が、異質な知識が何よりも気持ちが悪い。
頭を割られているのに痛みを感じずに、手を突っ込まれて脳をいじくりまわされているかのような感覚。何もないのに気持ち悪いという感覚だけが這い上がってくる。
だが、それでも必死に悠馬は堪える。勇者が情けないところは見せられない。何より心配そうに悠馬を見つめる彼女の視線が彼にそんな姿を取らせることをよしとはしなかった。
好きな女の前で格好つける。それは男の本能ゆえに。
こみ上げる吐き気、異物感、気持ち悪さ全てを我慢して、その大剣を引き抜いて振るって見せる。
「おお……」
ぶぉんと大気が引き裂け剣風が渦巻く光を巻き上げて散らす。光が舞う中に勇者が立っている。
その場にいる誰もが思った。これで世界は救われる。
誰もがその姿に希望を見た。新しき機構聖剣の担い手、異邦より召喚されし黒髪の勇者。機構聖剣を手に威風堂々と立ち、不敵な笑みを姿に人々は希望の光を見る。
必ずや伝説は成し遂げられる。魔を打ち滅ぼし必ずや世界は救われるだろう。
――やってやる。やるしかないんだろう。何より、彼女がそう望むのなら僕は勇者になってやる。
この日、リードヴェルン王国に新たな機構聖剣の担い手たる勇者が誕生した――。
リハビリに一本書き上げるべく更新を開始。
週間でやっていこうと思うのでよろしくお願いします。
何の力もない少年が異世界に召喚され、力を与えられ、全世界を救うという責任を背負わされ、一度の失敗すら許されない勇者であることを強要される。
その苦悩や辛さを描いて行ければいいと思っています。表では勇者としてふるまいながらも主人公が弱音を吐きながら前に進むというのが好きなので、盛大に弱音を吐かせます。
ゆっくりとやすりで削るように削れていく主人公の心。
それでも前に進むのは愛しい少女がいるから。
ストーリーもひねらず王道を意識しつつ私の色が出せていければと思います。




