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第九話 人無きところに煙はたたぬ

「まだか……? 姫はまだなのか!?」


 ワイザの鋭い視線は城にぶつかった。

 あれから十分以上たった。そのあいだ、両陣営一歩も動かずに、ただただバルバロッサを待ち続けていた。

 アイナ以外の守護者にとっては悪夢のような時間だった。現れてもおかしくない時間がすでに立っている中、ずっとワイザたちから滲み出る憤りを肌で感じているのだから。最初は怪しい笑みを浮かべていた兵士も、不機嫌そうな顔をしていた。

 ワイザたちにとってはとても煩わしい時間で、ワイザの眉間に深いシワが刻まれていた。

 それに気づいたアイナは、言葉を紡いだ。


「もう少しお待ちを。必ず姫は現れますゆえ」


 ワイザは目を剥いた。


「そんなことはわかっておるわ! しかし、いくらなんでも遅すぎる! わしが来る前から準備していたのだろう!?」


 自分が婚約を持ちかけたのだ、ここにくる以外の選択肢はない。

 ただ遅かった。

 こういった式は、かなり前から用意しないものか? 昼ぐらいから用意して、夜の式には間にあわせるようにはしないものか?

 もはや、ワイザは我慢ならなかった。

 額に手をおしつけてなんとか激憤に波立つ心を沈ませようとしたが、もう無理だった。

 ワイザは左の手のひらを真横に突き出して、静かにうなる。

 すると手のひらから紫の何かが湧き出て球体を形作った。それに黒と薄い紫が足されていって、筆でそれらの絵の具をぐっちゃぐちゃにしたようなものが、高速に放たれた。

 その遥か先には小高い山嶺があった。緑生えし豊かな山だ。

 球体は、そこで炸裂した。

 まばゆい光が広がり、周囲を一瞬だけ昼にした。

 それを横目に見た多くのアリフトシジルの守護者は、怯えるように目をぎゅっと閉じた。

 光がしぼんで再びもとの暗さに戻った時、山嶺の一部がなくなっているのが確認できた。

 アイスをディッシャーでくりぬいたが如く、山頂から麓までぽっかり消失していたのだ。

 守護者たちの多くは、やはり、爆発がおさまったあとも小さく震えてしまっていた。

 しかし、アイナを含めた少人数は、まだワイザを見つめ、平然と立っていた。


「はァー……! 早く、早く姫を出せィッ! 待たされることが、ワシは一番嫌いなんだ!」


「もう少しで顔を見せることでしょう。 それまでお待ちを」


 まだそんなことを言うのか、この小娘……ッ!

 ワイザは剥いた目の視線を、冷静沈着なアイナの瞳にやり、アイナの視線と、ぶつかりあった。

 そして、先ほどから怯えている者たちの中からは、恐怖で限界をむかえようとしている者も少なからずいた。

 姫は守りたい。だけれども、このまま長引けば姫も国も危ういのではないだろうか、と。だから、早く出てきてほしいという気持ちを、認識しては霧散させた。

すると突如、アイナを鋭く睨んでいたワイザの瞳は、怒りとは違う意味で大きく開かれた。


「うん?」


 なんだ? と思うアイナの方を、彼はとっくに見ておらず、その遥かうしろを見つめていた。

 そちらにふいと目を向けたアイナも、驚いた。いや、それよりも後悔の念が強かっただろうか。

 城の方から、一つの影がこちらに向かって来ているのが見えたのだ。

 ワイザは微笑んだ。


「やっと来たか……これほど時間をかけたのだ。さぞ美しくなっているのであろうなァッ!」


 アイナは眉をひそめ、右奥歯を強く噛みしめた。

 彼女と同じく影を見た者も、イヤだと思い見ない者も、気持ちは一緒だった。

 あぁ、ついに来てしまったか。

 運命は決まっていた、とっくに決まっていた。何者にも変えられない事実であり、それはただそこにあるだけで、何度も何度も後悔を、苦痛を、激痛を与えてきた。

 それも今日、おさらば。

 しかし去ってなお与え続けてくるだろうそれらに、私たちはまた後悔するのだ。なぜ、私たちは守れなかったのだ、と。

 あぁ来る。 来てしまう。

 徐々にはっきりしだした影に、アイナは急いで背を向けた。間髪入れずに瞼を下ろし、小さくうつむいた。

 周りの者もそうだ。影がバルバロッサだと完全に視認してしまわぬうちに、彼女と同じく背を向けた。

 ワイザの表情は変わらぬまま、足音が明瞭に聞こえ始めた。石畳を足が打つ音。その音が今日ほど苦痛に思った日はなかった。

 もう、足音はすぐ後ろ。

 アイナの瞼はより強く閉じられて、バルバロッサの声を聞いた。


「おいっす~。お待たせいたしました魔王様~」


 そんな彼女の横をすらりと通り過ぎていった者の声は、思っていたのと随分かけ離れていた。

 というか離れすぎていた。

 だって声質は男。姫の性別ではない声が、さっそうとこの場を貫いたのだ。

 目を開けば、そこには先ほど会って、会話もしなかった男の背中があった。


「あんたが魔王様ですね? わたくし、バルバロッサの代理としてきました、高村海斗といいます~。

 さぁ、結婚しましょう」


 海斗は胸に右手をあて、浅く会釈した。

 ワイザはきょとんと、ほんの少し大きく、口を目を開かせた。投げかける言葉を懸命に探して、

「姫は?」

唯一出てきた言葉がこれだった。

 海斗はむっとした。


「は? 話聞いてましたか?

 姫の代わりとしてきました、婚約者の高村海斗です」


 アイナも思わず口をあけた。


「いや姫は?」


 海斗は驚いた顔でアイナを振り向いた。


「あんたも同じ反応!?

……いやさ、俺は考えたんだ。姫さんからの話を聞いてよ」


 姫の話を聞いた?

 アイナは疑問に目を細めた。

 話を聞いたからといって、なぜ海斗が出てくる必要があったのか。


「婚約すれば国には手を出さないって言ったらしいじゃねェか、あの男。

 そんな約束、こいつらが守ってくれると思うか?」


 わかってんのか? そんな表情をした海斗に、アイナは眉をあげた。

 自分が感じていたことを言われたから。

 姫は希望形で自分の言葉を否定していたが、自分はそうは思わなかった。

 必ずワイザたちは手のひらを返してくると。

 いまになってはその気持ちを押しつぶし、姫を送り出そうとしている自分にその考えをぶつけられて、やはり改めてぞっとした。


「聞けば、この国は女性ばかり。中でも一番美しい姫だけさらって終わりだァ?

 んなわけねェだろ。あのエロジジイ、絶対にお前らも自分のものにしようとしてるぜ」


 海斗の目が、自分の全てを見透かされているような気がして、アイナはついに視線を下へとそらしてしまった。

 だが、心ではそれに共感していた。

 そのとおりだ。自分もそう思う。やつらはこれで終わらない。いくらか時がたって、約束も忘れ去られるくらいになったら、絶対にやつらはなにかをしかけてくる。なにかの侵略の隙を作って、私たちを完全に瓦解させ、取りこもうとしてくる。幾度となく考えたことだ。


「んで、同人誌的な展開になるわけだ」


 海斗は平然とそう言った。

 その言葉は爆弾で、一瞬でこの場の空気を凍らせてみせた。


「……あれ。なんで全員黙るの。なんでそんな目を俺に向けるの」


 アイナたちの固まった視線に、海斗は首をかしげた。


「え、そうだろ? なんで両方ともが黙るんだよ。

 結局は同人誌なんだろ? くっ殺状況にもちこむんだろ、わかってんだよこっちは。だいたいこういうのって同人誌的なバッドエンドみたいな感じになってくんだよこのエロジジイが」


 アイナは慌てて、横に立つ赤いおさげ姿の女に、言葉をかけた。


「い、いや、そうかもしれないが。別に今ここで言うべきじゃあ……な、なぁ?」


「あ、はい。私もそうだと、思います」


 女も同じく困惑していたが、アイナの意見に頷いた。


「は? いや、今言わなきゃ。先手を打って言うんだよ。『この物語のオチこうですよね?』って言われたら、相手だってやりにくくなるだろ? それを利用すんだよ」


 赤髪の女は、完璧に閉口したアイナの代わりに止めにかかる。


「い、いや、でも言うべきタイミングじゃないんじゃ」


 海斗は目を剥いた。


「はぁ!? テメェ俺の言い分聞いたァッ!? 結局は同人誌なんだよ! 男が女と関わったもれなく同人誌的な結果になるんだよ!!

 つーか女ばかりってなに!? 同人誌ムードに適しすぎじゃん! おあつらえ向きじゃん!」


「そうかもしれないですが、いま緊張感漂うところですよ!? あんた大きなケンカ売ったの理解してます!?」


「理解してるから! その上で言ってるから! どんな状況下でも言いたいこと言えばいいんだよ! お前らが言ってないからこんな状況になってんだろ!?


 怖いんなら俺と一緒に言おうぜ! さん、はい、『おーまえの得意わーざ同人誌~』」


「いや変態の言い分みたいになってますから! こっちが負ける雰囲気醸し出し過ぎてますから!」


「別に変態でもいいよ! 動かない人混みを颯爽と抜いて、率先して動くのはいつだってみんな変態なんだよ! 世の中には、お前らには変態が必要なんだよォッ!」


挿絵(By みてみん)


「もうよいわァッ!」

 黒と赤のせめぎ合いを止めたのは、ワイザの一声だった。大きな大きな声は、赤をびくりと怯えさせ、黒を止めた。

 黒の背中は揺れることなく、ただ静かにワイザの方へと向けていた。

 ワイザは小さくため息をつき、額に右手を押し当てた。


「もうよい……貴様、人間だな。

 お前はなにがしたいのだ。なぜワシの前に立つ? お前には関係ないだろう。ここに立つ理由も、ワシらを止める理由もない。ワシらと、この国がどうあろうと」


 当然怒りもあった。なぜ止められなければならないのか、ただ純粋な怒りが。

 しかしそれよりもはっきりと、心中で形を成すのは、「疑問」。どこから人間が現れて、なぜ自分たちを止めるような言葉を吐くのか、甚だ疑問だった。

 ただそれでいて、海斗の背中はくっきりとしていた。震えてはいない、恐怖を感じているようなそぶりはない。しかしまさか、周囲にいる者たち全てが悪魔だと理解していないわけではあるまい、とますます不思議がった。

 すると海斗はワイザを振り向き、鋭い横目でワイザを斬った。


「関係ねェから、ここに立ってんだ」


 ワイザは一瞬だけ目を強張らせた。


「もちろん俺には関係ねェよ。違う世界の俺には得も損もねェ。誰が結婚しようが誰がさらわれようが、どんなに悲劇でも俺にとっちゃあ対岸の火事。勝手にしやがれって話だ」


 海斗の身体は、まっすぐにワイザのほうへと向けられた。

 やはり、怯えなどない様子だった。

 本来ならば、恐怖を与えるであろう悪魔の存在。それを海斗はものともせず、眼光の切っ先をワイザに向けた。


「ならば」


「だがよ、今は関係ねェからこそ、俺が人間だからこそ、ここに立てる。

 婚約を破棄させるために」

 ワイザはまばたきした。


「それに」


 海斗は思い出した。困惑極まった両陣営の狭間で、すぐさっきのことを思い出した。

 それは、バルバロッサの顔だった。悲劇と救済のあいだで、まっくらな闇に向かってひたすら手を伸ばし続けていた女の顔を。

 彼女は言った。たすけて、と。

 忘れない。自分では到底全てを背負い切れぬ責任を、感情を背負った彼女の顔を忘れない。


「俺ァ女の涙を見て、逃げる馬鹿じゃねェんだ」


 いま、一つの風が吹いて、薄く笑む海斗の髪を揺らした。ワイザはそれを見て、笑った。


「偽善だな」


「あぁ、偽善さ。だが人間ってのはそういうもんでねェ。つい横槍をいれちまうのさ」


 両者は微笑んだ。ずいぶんとあくどい微笑み方をした。


「よかろう。貴様が勝てばこの婚約、破り捨ててやるわ」


 横にいたウルウが、ワイザを見上げた。


「そんな、陛下! あの人間に、そこまでの情けなど……」


 ワイザは、ウルウの口を手で止めた。


「問題ない。所詮、ただの人間。情けをかけてやるくらいがちょうどいいわ」


 このやりとりをうしろから見ていたアイナは、心配と不安で次第に顔がゆがんでいった。あちらの陣営から、殺意そのものがゆらめいて広がっていくのを理解できたのだ。

 千を超える軍団が、たった一人を殺そうとする。その事実は後ろにいる自分でさえ、とてもとても重苦しく感じ、片眉を沈めた。


「海斗! その横槍、もう引っ込めることなんてできないんだぞ! 何故こんなことをした!」


 城内にいれば、こんなことにはならなかった。

 関係ないのならば、ちょっかいをかけずに姫を向かわせ、海斗は何食わぬ顔をしていればよかったのだ。

 こんな淡い期待など、いらなかった。


「あいつが、助けてと言ってきた」


 アイナたちは驚いた。


「苦しそうに、涙流しながらそう言った」


 アイナの視線は、徐々に地面に落ちていった。

 自分たちが見なかった顔をしたのか。そんな顔、どんな状況でも見せたことなんてないのに。

 しかし、アイナたちの頭には、その一度も見たことがない苦しそうな顔が、ありありと浮かんだ。


「んで、あいつの大切なもんを知っちまった。だからここに来た」


 大切なもの。それがなんなのか、全員は瞬時に理解できた。まちがいなく、自分たちのことだと。バルバロッサは、自分の運命とひきかえに国民の安全をとったと、理解していたのだ。

 苦しく変わる全員の表情。

 アイナはゆっくりと、海斗の背中に視線をやった。


「⋯⋯勝算は」


 もはや否定の言葉は届かぬと観念し、海斗の決意を受け取って、アイナは問うた。


「ねェな」


 それとは真逆に、海斗はきっぱりとした声でそう言ってのけ、思わず失笑してしまった。

 これから戦う者が、勝算はゼロ、という絶望的数字を悲観することなく言い切ったことが、これほどおかしなことだとは思わず、胸のあたりがくすぐったくなった。

 しかし悲しい感情では浮かばず、どこか、嬉しい気持ちが生まれた。


「逃げる馬鹿じゃないが、定型的な馬鹿じゃないか」


「言い返す言葉がねェ」


 それでもよかった。勝算がゼロだと思う場所に、自ら立ってくれたのだから。

 アイナの表情に、少しだけ、ほんの少しだけ余裕が生まれた。

 海斗は、木刀を強く握りしめ、一歩、前に出る。


「まぁ安心しな。自分テメェの身は自分テメェで守る。やれるところまでやってやらァ」


 そういった直後、海斗の目の前で丸い光が生まれた。

 それは小さな小さな恒星のようであり、瞬時に光を広げ、海斗を飲み込み炸裂した。

 大地と大気は大きく揺れた。上がるは爆炎に煙、風、轟音。

 けたたましいほどのそれらは、海斗をわっと余裕で呑み込み、付近にいた者たちの瞳を閉ざせ、髪をおどらせた。

 あぜんとするには十分すぎることであった。

 海斗がいるであろう場所に守護者たちの視線を集めたワイザは、穏やかに笑っていた。


「人間。覚悟はよろしい。

 しかし、お前ほど殺しやすい種族はないわ。こうして呪文も唱えることなく、お前の命は終わってしまう」


 そら見たことかと、周りの兵たちもほくそ笑んだ。

 守護者たちは、放つ言葉なく、動く理由なく、ただもうもうと煙る爆心地を見つめていた。


「言ったろう。テメェの身はテメェで守るって」


 すると声がした。

 爆心地の上のほう、黒煙が埋め尽くす場所から声がした。

 刹那、繭を破るが如く煙を裂き、海斗は無傷で現れた。

 邪悪な笑顔をして、両陣営から驚きの顔を引き出した。


「殺しやすいんなら殺してみな。

 俺を殺して、あいつを奪い取ってみろよ! クソジジィィッ!!」


挿絵(By みてみん)


 そして落ちて落ちて、ワイザのほぼ真上に落ちて、目一杯の力で木刀を振り下ろし、とっさに構えたワイザの杖とぶつかりあった。

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