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第三十七話 盗撮は己の心の弱さを撮影する行為なり

「あぁ……なんて美しいのでしょう……」


 女の声は、カーテンが締め切られた薄暗い部屋にふわっと浮かび、まどろみ、消えた。 部屋の中央の机に置かれた、まろやかな蜜色の光を広げているランタンの横に、女は視線を落としている。

 ばらばらと写真が乱雑に置かれている。 それは机だけではなく、壁中にも針で止められている。

 女は紫の瞳を細めた。


「魔界初の、人間の魔王……」


 ため息ひとつ、それから壁に視線を歩かせ始めた。

 写真には、同じ人物が、様々な角度から撮られていた。 木陰で休んでいる横顔、噴水で誰かと話しているのだろう上半身、自室の椅子にもたれながらよだれを垂らして爆睡している姿……それらすべてを、寒々と沈む紫の中に、燃えたぎらん炎を込めながら見つめていく。

 ランタンの火が、もうっと揺れた。


「……欲しい」


 その火は、彼女の怪しい笑みをぽってりと照らしている。


「唯一無二の温かみ、存在……欲しい……、手に、入れたい……!」


 彼女は、交わった手で、どうしようもなく高鳴り始めていた胸を、つぶれんばかりに抱き、背を丸めた。

 長らく、これほどまでにときめくものを目にしたことがない。 心の底から、欲しい──そう願ったのはいつが最後だったろうか。 万人に、飽きず輝く笑顔をふりまく金銀財宝が。 突如として他人が押しつける賛美が、我が胸を満たすにことたりるわけもなく。 しかしここに、こうして満たすに足りる男が現れた。

 あぁ、長くかかった。 彼がアリフトシジルにやって来てからいままでずぅっと、彼のありのままの表情が知りたくて、つい写真におさめてばかりいたけれど。 今日、ついに今日、私、あなたの目の前に現れに参ります。

 どうか……どうかこの「強欲」。 あなたの腕で抱きとめてくださいまし。



「最近、写真、いいな〜って思ってですね」


 昼には少し遠い時刻で、海斗ははやく仕事を終わらせようと書類整理を進めていた。 するとバルが部屋にはいってきて、いつものように机の横に座ったと思ったら、写真を広げ、眺め始めたのだ。


 海斗は横目に、「ふ〜ん」と、また書類に目をやって、サインした。 かなりいろいろ撮っているようで、夜景やら夕日やら、誰かの笑顔も見えた。

 しかしそんなことにいちいち反応していたら、仕事が進まないと、海斗は次の書類を手に取った。


「いろいろ撮っちゃってるんですよね〜。 多分、効果とかアタックポイントとか書いたらカードゲームできますよ、店頭で買うよりも安価ですよ」


「あぁはいはい」


 バルの話を聞いていたら、書類の内容が頭にはいってこないと、適当に返事をした。


「でもなんか分かります。 カメラが高価だからと渋ってても、いざ手に入るとハマっちゃうんですよね〜。 私もちょっと昔そうでした」


 その代わりと言わんばかりに、バルの対面で書類片手に座っているシウニーが口をあけた。


「でしょー。 10万はちょっとなー、って思ったんだけどー、買っちゃったら後悔しないっていうかー」


 海斗の手に握られている書類のはしに、ぐっと深い影ができた。


「うっせェなお前ら! ガールズトークなら他所よそでやれ他所で! こっちゃあ仕事に集中してェんだ!」


 シウニーは、「えー」と声を漏らした。


「いいじゃないですか〜、切羽詰まってる時の合間に楽しい会話した方が、気持ちが晴れやかになって仕事への意欲があるでしょうがー」


「うっせ、お前を写真に撮って、喋るし歩くし生えてる髪は赤いしで世にも珍しいまな板として中央街にばら撒くぞ」


 シウニーは噛み締めた歯を出し、怒りを混ぜた嫌そうな顔をした。

 口をへの字にした海斗は足を組んだのを、バルは気だるげそうに見ながら口を開けた。


「魔王様もしたらいいのに。 貸しましょうか? もうひとつ持ってるんで、ちょっと型落ちのやつですけど」


 海斗は机に、たったいま読み切った書類を置き、サインしながら、

「いいよ。 俺ァレンズ越しで写真に焼くより、この目でちゃんと映して記憶に焼き付ける方が好きなんだよ」

 完成された書類の束に移し、席を立った。


「俺の分おーわり。 あとはシウニー、お前の分だけだ」


 2人の視線を背中に受けながら、海斗は振り返ることなくドアノブを回した。


「ちィと外出てくるわ」


 バルはまばたきして、こちらに向いたシウニーと目を合わせた。

 まさか、本当に自分たちの会話がうざったくて、怒ってしまったのだろうか。 いや、しかし、そんなことはありえまい。 だっていつもこうして、仕事をしている魔王様の前で会話しても、とりたてて怒ってくるようなことはなかったのだから。

 そんなこと、シウニーもわかっているはずだろうに、彼女の片目はひきつっているように見えた。 不安なのだろうか。

 私は、気にしなくてもいいと言ったが、彼女のことだ、いくらか気にするに違いない。


 バルは、本に落とした視線をしばらくしたあとに、海斗が背を向け座っていた窓ガラスの方に向けた。 違和を感じた。 誰かが、ついさっきまでここを覗き込んでいたような感じが、胸にこびりついたまま彼女の視線はただよっていた。



 最近になって、どこからか見られているような気がしてならない。

 海斗は片目を引きつらせた。

 どうにも気持ち悪い視線が、ここで送る生活上で度々感じるようになっている。 仕事をしているとき、昼食をとっているとき、寝床に入るとき。 アリフトシジルにいる日に、それを感じなかった時が、近く、無い。 何者の仕業なのだろうか。 もしかすれば、自分を快く思っていない、例えば、ワイザのような者が自分を暗殺するために送り込んでいるのか、はたまた前にあったような頭の悪い泥棒か。

 そして海斗は、バルとシウニーを思い出した。

 だからこそ、カメラがいまは気色悪い。 あのレンズ越しに、許可も出していないのにずっと覗き込まれているような感じが、気色悪くてしょうがない。

 海斗は左手側に連なる窓の外に横目を流した。

 あの2人にはいやらしい口をきいてしまったが……気にしてないだろう。 特にバルの方は、いつものことだと言うだろうし。


 そして、どこから感じるか知らない視線を気にしつつ、外に出た。 静かな朝の日が、意外にも眩しく目をおおってしまった。

 自分が思い描いていた魔界とはまったく別物の姿に、いまだ慣れぬ。 気を抜けば、どこまでも平和が続いていそうになるから、困ったものだ。 バルがいまは危険な状況に置かれていて、自分も要注意人物として見られていることから、遥か遠くにいるようだと、海斗は口をほころばせた。


「魔王さま〜!」


 姿を見ずとも、呼ぶ声だけでラーファだと気づいて、城から伸びる大通りからはずれた広場から走りくる彼女を、腰を落として迎えた。 ただ、どうしてか不安そうに眉を曲げていて、海斗は、はてなと思ううちに、上着にくるまるように膝のあいだに身を隠した。

 どうしたのかと、声をかける前にラーファは、

「遊んでたらなんんか、見られてるような気がして……っ」

 やってきた方を指差した。

 海斗は、え、と思いはじかれるようにそちらを見た。 数ある木の中で最も手前にあるそれの根元に、ラーファの赤いボールが転がっていた。 しかし、周囲を何度見てもそれ以外にかわったものはなく、遠くから国民の喧騒が聞こえるだけであった。


「……なにもいないぞ……」


 しかし、膝から伝うラーファの震えは本物であった。 ただ遊んでいて、こんなに怯えるということは、魔王になって短い期間であるが、なかった。 それにこの子は、小さいながらもさとい子だ。 自分の勘違いだと気づくのも早い。

 優しく抱きとめてやってもなお震えがふるえがおさまらないということは、そういうことなのだろうと、海斗は胸がきゅっとなるのを感じた。 ただ、なにも見えないのも事実であり、これいじょうなにもできることはないと、海斗は奥歯を噛み締めた。


 顔のすぐ横で、シャッター音が鳴った。 ゆっくりとそちらに向いてみると、顔のほとんどをカメラで隠れた、黒を主色しゅしょくとした服を着た女が中腰で立っているのだ。

 海斗は、またシャッターを切られそうになったのを見て、女の両ほほを力強くはさんだ。


「なにやってんだ犯人」


 怒った海斗の顔を、女はカメラにおさめた。


挿絵(By みてみん)


 ラーファは、犯人だと聞いておそるおそる顔を上げてみると、驚いた。 犯人というにはあまりにも見知った人物だったから。


「マモンさん」


 マモンはカメラから顔をひょっこりと出し、ラーファに、にっこり笑んだ。


 この盗撮女が、マモン。

 海斗の口は、思わず無意識に小さくひらいていた。 確かに、マモンの姿としてよく描かれる、あのペストマスクのようなものを髪飾りにつけているのが見えた。 不信の感情がまだ全身から離れない。 が、さっきよりも明らかに落ち着いた表情に変わったラーファの顔を見て、ひとまずは胸をなでおろした。

 海斗は、マモンとふと、目があった。 すると照れたように視線をずらしたではないか。 こんな至近距離で大胆に他人ひとの顔を撮っておいて、その反応はなんだと、口をひらいた。


「……なに。 なんで俺の顔撮っといて照れてんの」


 マモンは、口を開こうとしたが、ちらっと海斗を見た途端、またそらした。

 なんだこいつと、海斗は言葉をついだ。


「やっぱこいつ犯人じゃね? ラーファ、こいつ獄中にぶちこむべきじゃね?」


「あ、あれなんですよ! ちょっと前から視線が気になって、それを相談したのがマモンさんなんです〜!」


 海斗たちは、ラーファが遊んでいた木陰に座った。 前々からラーファはどこからか視線を感じていたらしく、マモンにどうしたらいいか訪ねたのだと、マモンにしがみついて喋ってくれた。 人前に出るのがあまり得意ではないマモンは、この木の上でカメラを回しながら見守っていたのだという。

 海斗は優しいと思った。 悪魔だの大罪だの呼ばれてはいるが、案外優しいところがあるのだと感じた。

 が、恥じらうようにふせ、横目でこちらをじとりとみてくる横顔を見、恐怖を覚えた海斗はその感情を殺した。


「でもラーファもかぁ」


 ラーファは首かしげ、丸い瞳で海斗を見上げた。


「俺も実は、たまに見られてる感じがしてよ。 ねっとり見られてるというかなんというか……すごい気味悪くてさ」


 ほぇ〜、と声を漏らすラーファの上で未だこちらを見るマモンに目を向けた。


「ちょうどこんな感じのまどろみ極まった視線だよ」


 城の扉が開く音がして、近くの木にとまる鳥が鳴きながら飛び立った。

 目をやると、サタンを後ろにつけたバルが見えた。

 サタンがこちらに気付いて、どこに行くんだと大きく声で問うと、足を止めたバルが、得意げに微笑みながら首から下げたカメラを手に取った。


「中央街に行って、昼食を写真に収めてくるんですよ」


「昼食を?」


 近づきながら海斗は言うと、バルはうなずいた。


「おいしいもの撮って、データ化してネットに投稿するんですよ」


 海斗は、悪魔も人間もやることは変わらないんだと、片眉を落とした。 それに一刻の姫がそんなことをしていいのだろうか? まだ目もつけられているというのに、大丈夫なのだろうか。


「で、そのメシをおごる代わりにサタンを護衛に」


 サタンは興味なさそうに、視線を遊ばせていたが、わっと海斗の方を向いた。


「はぁ? んなわけ……」


「え、なんでわかったんですか? パフェ買ったげるって言ったら喜んで付いてきましてですね」


 割り込んだバルの肩を、サタンは掴み、弱く振った。


「言わんでいいって! なんで言うの! どうして言う必要があったの!」


「ストロベリー&マカロン on the パフェでしたっけ?」


「言わんでいいって! なんで言うの! どうして言う必要があったの!」


 海斗は、サタンの手に、そった手を重ねた。


「そうなんだーへー、憤怒の赤ってストロベリーの赤なわけですね? また1つ勉強になりましたわー」


 淡く頬を赤くさせたサタンは、なにも言わず海斗をただただ睨みつけた。

 すると、3人の雰囲気を、ぱんっと押しのけるように、腹の虫が鳴った。 見下げると、赤く鳴ったラーファがすぐにうつむいた。

 バルは薄く笑んで、手をはらいのけ、腰を落として視線を合わせた。


「じゃあ……行きましょうか」


 やおらバルを見たラーファは、小さくうなずいた。


 マモンが隠れていた木の、一番近くにある木の、葉の中から、青と桃色それぞれ2つずつの目が、見合った。 バルがラーファの手を取り、海斗も付いてくることになって嫌がるそぶりを見せたサタンを見てから、そうした。

 目を戻す頃にはもう一番後ろのマモンが住居の陰に隠れるところで、あとは、国民たちの喧騒だけが聞こえるばかりとなった。

 風が1つ、吹いた。 葉揺れのカサカサという音の中で、なにかを呟いて、彼らは木をするすると降りて、土の中に溶けていった。

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