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第五話 食事のマナーは家で使わずとも覚えておけ

 数分したら、海斗のもとに料理が運ばれてきた。

 赤くて丸いおぼんで運んできたのはエレイナではなく、同じようなエプロンを身につけた、水色の短髪の女性で、少し驚いた。

 女性はにこやかに料理を置いていく。白米、味噌汁に卵焼き四切れ。

 エレイナが言っていた通り、さっと作れるものであった。

 でもありがたかった。海斗は女性に感謝を伝えて、手を合わせ箸を手に取ると

「では、姫に話をしにいきますので、こちらに待っていてくださいね」

そう言いながら、キッチンからエレイナが、エプロンを脱ぎながら出てきて、それをデシャップにたたみ置いて、にこやかに海斗の横を通っていった。


「お、お願いします」


 振り向いて、廊下に消えるエレイナを目で追った。

 海斗はまたもや疑問に眉をひそませた。

 廊下にさしかかる際、笑顔で振り向いてきたが、振り返りなおすとき一瞬だけ悲しそうな表情が見えたのだ。

 あの人にも……なにかあるのか。

 そう思わずにはいられなかった海斗であったが、まずは出されたものは冷める前に食わねばならぬ、と食べ始めた。

 味噌汁をすする音のあと、うんま、と小さな声がした。



「ラーファ……苦しい時は言いなさい。どんなささいなことでも大丈夫、ここに『我慢しろ』なんて言う人はいないから」


 私はある日の昼、ひざをすりむいた。痛くて……でも、がんばって涙こらえてうずくまってた。

 木陰でお昼寝してるエレイナから離れて、かわいい黄色のちょうちょが飛んでるのを見つけたから、それからずっとその子と走ってった。

 そしたら、上ばっかり見て、下の石に気づかなくって、踏んで転んじゃった。

 すりむいた右膝からにじんで、流れる血を見たら怖くなって、痛くって。うー、ってうずくまってたら、いつの間にか姫が横にいて、だっこして近くの蛇口に運んで、洗ってくれた。

 エレイナが寝ている木よりも太い木の根元まで、また抱きかかえてくれて、ばんそうこうをはって、頭をなでてくれた。

 きもちよかった。痛さなんて、そのときだけはすっかり忘れることができてたと思う。

 そしたら、さっきのことを言ってくれた。


「でも、けがしたの、わたしが悪いし」


「そんなときは誰が悪いとかはないの。ラーファは遊んでて怪我をした、たったそれだけのことよ」


 そう言ったときくらいから、なでる手で髪をといてくれた。


「だから、痛いときには痛いって言えば良い。苦しいってときは苦しいって言えば良いの。それで誰かが迷惑そうにすることはないから……ね?」


 姫様の顔を見上げたら、わらってた。なんとなく安心できたし、うれしかった。だからわたしも、ちっちゃく笑いかえしたの。

 でも、ちょっぴりごめんって思ったのは、秘密。やっぱり、どこか悪いことをしたって、思っちゃってた。

 だから姫の顔を見るのが、すこしだけつらかったりした。

 だけど、姫が言ってくれたことは、よく覚えてる。

 どんだけ楽しいあそびがあっても、どれだけおいしい食べ物をたべても、それだけは忘れない。

 それくらい、強い、魔法の言葉だった。



「姫と……遊びたくて」


 アイナはラーファに詰め寄り続けた。

 ラーファは、初めは口をつぐんでいたが、アイナの圧に耐えきれなくなって、ここに来た理由をいつの間にか吐いていた。

 しかし、理由を聞き出せたのに、アイナは依然として鋭い眼光を弱めることなく詰め寄っていて、困り果てた。

 それはラーファのような子供が受け止めるにはあまりにも大きく、強すぎて、これ以上の言動を封じ込めていた。

 しばらく無言が続いたあと、やがて、アイナは大きなため息をついた。

 一瞬叩かれたりするのかと、ぴくりと怯えたラーファに、

「姫は忙しいんだ、そんなことをする暇はない」

とバッサリ言い切った。

 しかし、ラーファは納得いかなかった。


「でも! なにも忙しそうな音なんて聞こえないよ! きっと何もしていないよ! 姫も……姫も誰かと遊びたいはずだもん!」


 精一杯の勇気で、眉を強くひそめて言い返した。鋭い眼光の前でできる、最大規模の抵抗だった。

 しかしアイナは、言い終わったと同時に、勢い強く右手でラーファの口を掴み塞いだ。握りしめたという方が適切なくらい随分と荒々しくて、ラーファは驚いた。

 苦しかったが、今度は弱く、アイナを睨んでみせた。自分との意思と関係なく、涙袋が濡れ始めた。


「ここで叫ぶな、姫に聞こえたらどうする。 どうあっても、姫はお前とは遊んでくれないんだ」


 アイナの顔は深刻そのものだった。上からそそぐ蜜色のランプの灯りが、顔に暗い影を生み、時折揺らした。

 次第に、ラーファの瞳全体に涙がにじんできて、だが、なぜかこの状況にあって、不思議と怖さがぼやけて無くなった。──涙が身体の外に出してくれたのかと、ラーファは錯覚した。

 しかしただ涙を流すだけで、どうしてだかうめき声一つも出せなかった。無性になにか言い返したいという思いだけが、胸中で火の如く揺らめいていた。

 アイナの視線の鋭さは、丸みを帯びることはなかった。


「今日の朝あれほど言ったな、私は。エレイナ殿も言ってくれたのではないか? なのに、なぜ言いつけを守らないんだ」


 ラーファの視線が徐々に下がっていった。恐怖は完全になくなったのに、突如、わけも分からずアイナの瞳を見れなくなってしまっていた。


「……わかっているだろう。今日、姫がなにをなさろうとしているのか」


 言い方は、少しばかり柔らかくなりはしたが声の重さは依然として変わらず、ラーファの行動理由を許しはしない。

 わかってるの。でも、でもだからこそ、私はそうしたいの……!

 だが、ラーファは意思を曲げようとしなかった。やってはいけない、なんて言われても、やめることなどできはしない思いがあった。結局姫は結婚してしまい、もう二度と国に帰ってくることはないと、子供ながらにわかっていた。誰に確認せずとも、そういう結果になることは理解していた。ならば、最後にいつものような生活を送らせてあげて、見送るというのが、自分たちの役目ではないのかと、ここに来たのだ。

 そんな思いを知らぬまま、最後の特大の釘を刺したアイナの手はどけられ、ラーファをどこかに連れていこうと手を膝に、立とうとした。


「やっぱり来てたの……ラーファ」


 声をかけられてラーファは驚き、アイナはかがんだ状態で止まった。

 向けばエレイナが、腹の前で手をかさね、眉を下げて、悲しげな顔で立っていた。

 アイナはエレイナを見つめたまま直立した。


「エレイナ殿。ちょうどいいです、ラーファを連れて行って欲しいのです。私の言うことはなかなか聞いてくれず……困り果てていて」


 エレイナはアイナに視線を滑らせた。


「もちろん、連れていきます。でも、それはあとで」


 アイナは眉をひそめた。


「何故です?」


「私も、姫に話があってきましたので」


 アイナの目つきが悪くなった。

 まさか、ラーファに続いて貴女まで。

 もちろん、「それはできません」と突っぱねた。誰が相手でも、通してはならぬと、決めていたから。

 だから「急ぎ、姫に解決していただきたいことがありまして」という言葉にも、「だめです、いくら貴女でもそれは」と、姿勢を崩さなかった。

 すると、この会話の暗い空気感を断ち切るように、扉の方から声がした。


「アイナ、そこにいるのですか」


 アイナの心ノ臓が跳ねた。

 その声が誰の声なのか、この国に者ならばだれもがわかる。アイナは理解とともに、飛びつくように振り返って、半開きになった扉から半身だした姫の姿を確認した。


「ではアイナ、少し調べて来てほしいものが……あぁ、エレイナ達もいましたか。じゃあ、ちょうどいいですね」


 エレイナはまばたきした。

 え、私……?

 なぜ自分を、という疑問は浮かんだが、自分と同じように、姫も自分を探していたのだ、と思うとなんだかほっとした。

 それで何だろうか、何を思って自分を探していたんだろうか、そう思案していると

「あの男性は……いったい誰ですか?」

 怪訝そうな顔で、そう問うてきた。

 エレイナは目を大きくさせた。

 見ていたんだ。

 そして、アイナにはダメだと言われたが、姫自身が知りたがっているのだからこれほどタイミングの良いチャンスはないとも思った。海斗がいま置かれている状況を話すに絶好の機会だ。

 歩き出したエレイナは、横に並んだアイナに視線をちらとやると、少し気まずそうな横顔が見えた。

 しかしいまは一刻を争う……海斗も、姫も。

 姫の時間が来てしまえば、彼は一生ここから出ることは叶わなくなるかもしれないのだから。


「彼はですね……」


 だから、エレイナはいつもの遠慮がちの姿勢を崩して、思いきって前に出た。

 ラーファもアイナを横目に気にしながら、エレイナのあとに急いで続き、二人は姫の部屋に入った。

 アイナは廊下の壁へと、ふらふらと歩いた。廊下が一人だけの空間になってしまって、巨大な虚無感のようなものが襲いかかってきた。

 最後まで守ることができないと思うと、足から力が抜ける。

 女ばかりの国で、必死に争い、繋いできた脆い「生」。国の生が終われば、民の生はいつまで続くのか、想像しただけで怖くなった。

 鳩尾にぽっかりと穴があいたような気がした。

 そして深く呼吸し、壁にもたれ、目の前の扉を見つめ続けた。



「陛下」


 教会のような大部屋に続く、重厚な木の扉がゆっくりと開かれ、一人の橙色の髪色をした女があらわれた。心底楽しい悪巧みを考えていそうな、笑みを浮かべていた。

 玉座まで伸びるレッドカーペットを挟むように並べられた背の高い松明が、順々に灯っていく。

 すると、女の視線の先に、年老いた男の顔がぼんやりと浮かびあがった。

 松明のすべてに、火は行きわたったが、まだ周囲はくらいままだった。

 女はケーペットの半分まで足を運び、ひざまずいた。


「兵士、二千、準備できました。皆、指示を待っております」


 男のうしろに座る、一匹の巨大なモグラが、しっぽを波立たせた。男は頬づえをしたまま、動かずに口をあけた。


「……予定よりも少し早い。いましばし待て、ウルウ。そこまで焦る必要はあるまい」


 男はうしろのモグラを、シワが彫られた手で撫でた。

 この女は、出来はいいが少し予定をくりあげておこなおうとするクセがある。

 男はこのクセを気に入っているところもあったが、ある面では損をするものかもしれないとしきりに思っていた。だが女の顔をみると、目を細めて満足げにほほえんでいるではないか。

 その顔に、男は中堅を脳裏に浮かばせた。「待て」という命令に「なぜ?」とも思うことなく、自分の命令を忠実に待つ姿はまるで犬のようだと、彼は刃物で斬られたあとが残る左の義眼の上を掻き、ほくそ笑んだ。

 撫でられるモグラの身体は、気持ちよさそうに小さく身震いした。


「運命は決まっているのだ。急ごうが遅れようが、道をそれることはあるまいて」


 ここまで順調に、すべてを運んできた。いまさらなにかが変わることはない。そんなこと、国民全員がとっくに理解していることだった。

 男はそれ故に自信があった。

 急ぐことはない、予定通りに進む、と。

 ウルウも彼の言葉を飲み込み、

「そうでございますね」 

と立ち上がって、続けた。


「では予定通りの時間に。挙式は約三時間後でございますね」


「その通りだ」


 ウルウは頭を垂れた。


「かしこまりました……あなたの運命が、素晴らしきものでありますように」


 そして扉の方へと歩いていって、廊下に出、男を振り向いて頭を下げた。

 すると扉は徐々に徐々に閉まっていって、ズンと重々しく閉まり切るまで、そのままでいた。

 松明は灯ったままで、男の後ろにたばねられた白髪を薄く火色にそめている。

 男は伸ばした髭をさすった。


「あと、三時間後……」


 この魔界で戦い続けたこれまでの「生」が、男の頭のなかで炸裂した。

 戦い、戦い、戦い続け││権力を見せつけ手に入れた栄光の光景が、ふつふつと湧き上がってきて、吹き出すように口角をあげた。

 それは全て欲望のために積み重ねてきた「生」だ。誇りだ。何ものにも変え難い、大事なものだ。

 それがついに、最後の花を開かせようとしていた。


「アリフトシジル……あの国を手に入れ、ワシは魔界を統べるのだ……」


 その巨大な欲の花を目の前に、男は笑みのやめどころを失った。 



運命の時間まで、あと三時間──。

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