第三十一話 去った時間
全ての運命は、生まれと運で決まる。 僕はつくづくそう思っていた。 親が優秀な立場に立っているなら、子もそれなりの人生を歩むだろう。
親を幼くして亡くした僕は、孤児院に入らされた。 運良く、山道を町の近くを歩いていて保護された。
義父さんが、次期王として見繕ってくれなければ、僕は、たぶん、一生あそこにいたと思う。
だから、生まれは悪かったが、運からは見放されていなかった僕は、精一杯頑張った。
強盗から僕を守って死んだ両親を見たから、僕からも流れる血を見たくはなかったけど、義父さんの期待に添えるよう頑張った。 したくもない動物狩猟もやった、爺ちゃんと剣の稽古だってやった。 全部、将来の国を支える技術になるんだと思って、半ば我を封じて努力した。
そうやって、やっと、王の座に立った。 立った経緯も、王に見合う技量も良いのか、と問われれば素直に頷けないが、ここまで来た。
だが、生まれも育ちもごく普通の、人間界からやって来た人間が、こうしてここに立つ。 あのワイザを破った者が。
だから、つい、ためしてみたくなった。
この努力の差を、埋められるなにかが、この人間にはあるのではないかと。
気づけば、海斗は飛び降りてきて、振るわれた刀を剣で受け止めていた。 すぐにそれを弾くと、デッキに向かって続く急な坂を後ろ向きで下った。
海斗はそれに続き、前に出した右足で速度を調節しながら下っていった。
デッキには、シールの兵たちでいっぱいだった。 それを2人はかき分け、降り、つばせった。
両者の顔には、奇妙な笑みが浮かんでいた。
「どうやって要塞にたどり着いたのか知らないがよく来たねぇ……! その苦労を癒す時間も場所もないけどいいのかい……?」
「さっさと済ませてさっさと帰ってさっさと眠ってやらァ! 時間も場所も、それで十分なんだよォ……!」
サライは歯をにっとおおっ広げにむき出し笑った。
「その場所も、奪い取ってしまいそうだけど、守る算段は……ついた、かいッ!?」
そう言い放ち、海斗の鳩尾を思いっきり突き蹴った。
苦しげな顔で、滑り、されども倒れず鋭い眼光をサライに向け直した海斗に、周りのシールの兵たちは、刀を構え向けた。 ところが、誰1人として、斬りかかろうとする者はいなかった。 全員、汗ばみ海斗を見るか、仲間に目配せをするだけだったのだ。
そして木刀を抜き、二振の刀で、獣のような雄叫びをあげながら、海斗はサライにかかっていった。 耳を塞ぎたくなるような剣撃の音が、風の音の中で鳴り響くようになったのに、いっこうにサライに加勢しない兵たちをみて、ウルウはいよいよ首を傾げ、手すりから身を乗り出した。
「なぜ……なぜあの男を斬ろうとしない!! 全員でかかれば一瞬だろうが!! そんなこともわからんかアホどもめ!!」
兵たちはウルウを一斉にみたが、次第に、しおれていく花のように下を向き始めた。
胸にも、目にも怒りがこもっていく熱さを感じたウルウの手に、自然と手すりを締め上げていく力も込められていった。
まだ一国を潰す覚悟ができずにいるか、この兵器国家め……。 やはりこいつらに兵器なんて過ぎたものなんだ。 良き兵器は良き人材に渡ってこそ、価値が出る。 この要塞も、国を落とすという役目をくれてやったのにも関わらず、内部を司るヤツらがこの有様ならその価値も腐るというもの。
だからウルウは、歯を食いしばって、懐に隠し持っていた一枚の書類を取り、天を仰ぐように掲げた。
「お前たちわかってるだろうな……!? この契約書に書かれたことが!! 反逆と認められる行為をした瞬間、即貴様らが隠す事実を世に放つと!!」
兵たちは、それを恐れるような、不安そうな目で見つめていた。 中には、またしおれるようにしたを向く者もいた。
海斗とサライも、つば競合いながら見ていた。
ウルウは言葉をついだ。
「だからその男を殺すか捕まえよ!! そいつは人間!! 貴様ら悪魔が束になればそんなことたやすかろう!!」
そう叫べば、デッキと内部をつなぐ大扉がバンッと激しく開かれた。 すると、そこから刀を構えたトリタカが飛び出し、雄叫びながら海斗へ向かって駆けて行った。
大きく目を見開いた海斗は、振り下ろされた刀を交差させた刀で受け止めた。
ウルウはほくそ笑んだ。 使える駒が出てきたと。
トリタカの顔は、笑っていた。 しかし海斗は、その顔に葛藤が塗り混ぜられていると、わずかに感じ取った。
「アリフトシジルの救世主……!! お前、自分のことまで救えるかよ……!?
なぜ1人で来たッ! お前は! なんでも1人で変えられると思ってんのか! そんな傷だらけの身体でッ!!」
そうトリタカが吐き捨てたすぐ、思い切り力を込めて海斗を弾き押し、のけぞらし、反撃の体制をとろうとしたときに、ポケットから一枚札を投げはなった。
驚く海斗の目が見えた瞬間、炸裂し、ぼはっと広がり、風につられて伸ばされ去る煙から、海斗が跳ね飛び出てきた。 服はもっと焼け焦げ、皮膚は破れてあちこちから血を流し、満足に立つこともできなくなったのか、片膝をついた。
トリタカはその姿を目にし、さらなる追撃を加えた。
サライも混じり、札と剣撃が海斗を襲った。
いくつもそれらが海斗を傷つけたあと、煙が辺りを薄く広がった中で、2人は一斉に得物を振り下ろした。 海斗は余力精一杯にバッテンに交差させた刀で、受け止めた。
幾度となく、途切れることなくガタガタと震えるそれらを挟んで、三人は歯をむき出しにして睨み合った。
トリタカが片目を細めた。
「これでも諦めねェだなんて、よっぽど夢見がちな人間と見た。 諦めることも知らなかったガキからまるで成長してねェのかお前は」
海斗の頬を、多くの地と、血が混じった汗が下る。 その顔は苦しみの中で笑んでいた。
「こんなもんで俺がおっ死ぬだなんて思ってる、あんたらの方が夢見てらァ。 どうやらすぐに諦めちまう兵をお持ちなようで。 ずいぶんと苦労も疲労も溜まってるんじゃねェか? えぇ?」
「まだ、なにかを救おうとしてんのかい……国も、捕虜になったやつも、もう終わろうとしてんのになァッ!!」
トリタカは海斗の鳩尾を蹴り飛ばした。
余力を絞り切るように、膝をつくのに耐えた海斗は、いくらかしりぞいたあと、2人を睨んだ。
その目を見て、トリタカは蹴った鳩尾の感触をまだ覚える足をちらと見て、バルバロッサを思い出した。 こんな風に蹴って、それから見ていない女のことを。
「……なにか悪ィかよ。 国民を思わねェ王なんて王じゃねェ。 2人を助けることに、諦めねェ理由なんざそれで事足りらァ」
トリタカはそれを聞いて鼻で笑い、サライは若干苦い顔でうつむいた。
「ハッ……こっちで捕まえてんのは、シウニーっていう騎士だけだ。 バルバロッサは見てねぇよ」
海斗は目を大きくさせたが、すぐに戻した。 てっきり、ここに囚われているのかと思っていた。 思いもしなかった言葉に、驚いてしまった。
そんな刹那の変化を2人は見逃さなかった。
「死んだのかもな。 中央街にも、ワイザんとこのヤツらも、客に紛れて歩き回ってやがった。 さっきみてぇに鳩尾を思いっきし蹴ってやったし……動けねェところを、捕まえられたのかもな」
これで、海斗の救うべきものが、1つ減った。 ワイザとの戦いで、命をかけ守った存在が消えるというのは、大きな衝撃だ。 それを証明するがごとく、海斗の目は、2人を突き刺しているだけで、見てはいないような感じがした。
「お前は、なにも救えねェんだ。 何1つ、これからは、守れない。 奇跡的に勝ち取った勝利を1つ掲げたところで、なんの意味はねェんだ。 そもそも、その勝利は、この破滅を導いてる時点で、大して意味もなかったのかもな」
トリタカは、シウニーの言ったことを思い出していた。
彼女は本気で言っていたろう。 何1つ嘘をついているような顔もせず、声も出さなかった。 本心だったろう。
だが、海斗は人間だ。 そして子どもであり、諦めぬ気持ちや正義感が強いだけで、ぶつかった状況を変える力は、少なくともこの魔界では小さなものだと思った。
しかし、海斗は、ぎゅっと目に力を込め直したように、2人を鋭く見た。
「俺にとっては意味がある勝利だったさ」
2人の目は少しばかり膨れた。
「国を守ろうとしたヤツを、叩いて、目覚めさせることができた。 もう2度と見えねェと思ってやがった景色を見せることができた。 それだけでも、意味がある」
海斗は、刀の切っ先を2人に向けた。
「あいつが死んだんなら、あいつが愛した景色を守ってやる。 王ってーのは、死んだ者をいつまでも愛おしく、悲しんでやるんじゃなく、意志を継ぎ、民を導くもんだ」
2人は、ハッとした。 そして、同じデータを送り込まれたかのように、一緒の情景を思い広がせた。 シッターの姿だった。
サライが養子になってから、しばらく経って2人を屋根の上に誘ったのだ。 「これから2人が、守っていかなくてはならないものがある」と言って。
窓の横のはしごをのぼって、屋根に立った。 サライは下を振り返り見て、普段走ったり遊んだりしている街の道が、アリ一匹しか通れないほど小さく、細くなっていることに多少の恐怖を覚えた。
トリタカに視線をやると、シッターの方に、頬を引きつらせて細めた目を向けている途中が見えた。
そのシッターは、2人を背にあぐらをかくと、2人は、なにを守らねばならないのか、理解した。
彼が見つめたものがそれだ。 この大地と、国と、自分たちをほがらかに包んでくれる、夕日そのものだった。
サライの目は膨れた。 見たこともない、おいしそうな料理を目一杯口に入れるように、光を取り込もうと、無意識に膨らんでいた。
トリタカは着荷入り込む光になれず、つかのま目を細めた。
シッターは口を開けた。
「守るべき者、わかったかい?」
サライは、シッターの横にあぐらをかきながら、
「うん。 この夕日でしょ?」
と、笑顔で言った。
しかし、帰ってきた反応は思ったものではなく、優しく笑ったのだ。 その笑いが絶えぬうちに、トリタカは反対側に座った。
「違う。 この夕日を、いつでも心置きなく見ることのできる平穏を、お前たちは守るようになるんだ」
サライはしばらくシッターの横顔を見つめた。
「……義父さんはそれを守ってるの?」
「そうだ。 だから国を強くしてる。 わたしは……王の座に座っているんだ」
トリタカは、視線を下に落として、口を開いた。
「……なら俺は、兵器軍に入って、みんなを守ってやればいいってことだ」
シッターは微笑み、頷いた。
サライは、2人を見続けた。
わかったようで、よくわからなかった。 夕日を見るための平穏を守ればいいと、義父は言ったが、トリタカはみんなを守ると言った。 まったく別のことではないのかと思った。
そのときは、本当にそう思っていた。
だが違う。 歳を重ねていけばいくほど、その意味は、ときに胸を高ぶらせ、ときに背に重くのしかかってきた。 平穏をまもるということ、それすなわち誰かを守り続けることだ。 そんな簡単なことに、あの時気づけなかったことが恥ずかしく思う。
そして、いま、それを自分と同じくやり抜こうとする人間が、目の前に立つ。
彼はもう血だらけで、息も上がっていて、いまにも崩れ落ちそうだ。 しかし立つ。 刀よりも鋭く尖り、あの日の夕日よりも強く燃える眼差しを、絶えず向けてくる。 もはや、彼自身が夕日のようだった。
デッキの床に、血が何滴も何滴もしたたり落ちる。 茶色を赤く染めていく。 それすらも、自分の目には日に見えた。 どれだけ痛めつけても、絶えず光を放つ。 こぼれ落ちたものも皆を照らす日のようだった。
そしていま、僕は悟った。 僕は、彼には勝てないと。
平穏を守ろうとする者が、……いつでも夕日を、当然のように見ることができる世を繋いでいこうとする者が、平穏を壊せるはずがないと、悟ってしまった。
もはや、アリフトシジルは、彼中心に回っているのかもしれないと、思った。
「……それが、君が思う王の在り方」
気づけば、口が言葉を紡いでいた。
あのあとの、義父の人生の歩き方は、偉大だったと思う。 懸命に国を営み、民に寄り添い方を並べて笑う、そんな姿をしながら。
しかし、病気になった。 不治の病だった。 何万人かに1人かかる、そんな病だった。 原因が、個人の遺伝に関わるものだから、薬がなかった。 それも、子にも遺伝する可能性は異常に高かった。
症状は、五感を順々に殺していって、喉笛を殺し、最後は命そのものを殺すものだ。
義父は、まず味がわからなくなった。 次に触覚が、嗅覚が、聴覚が、視覚が。 そして、間も無く声が出せなくなるときに、ベッドに寝込む義父を見下ろす僕に向かって、こう言った。
「お前が、わたしの本当の子供ならと願わなかった日はない。 でも、今日は、自分の子じゃなくて、心から良かったと思える」
それが、最後の言葉になった。
間も無く義父は死に、王は僕となった。 しかし、僕に国を営む力は未熟であり、義父の死は隠匿され、王が変わったことは世に知らされなかった。 それが何年と経ち、ワイザたちに気づかれてしまった時には、もう遅かった。
僕は、やりたくもなかった、他国の平穏を壊し、自分たちの平穏を壊すということを、命ぜられた。
サライの、海斗を捉えた視界が、揺れ始めた。
「……正解だ。 百点満点だ。 なにも言い返せないよ。
生まれて20年も経っていない人間に、王になって一ヶ月も経ってない人間に、王として負けてしまったよ、トリタカ、どうしようかな」
海斗の身体からは、まだ血が流れ落ちていた。 サライの顔からは、涙が床を濡らした。
「僕は……僕はまだ、義父さんの死を受け入れられてない。 だから、王としても未熟なままなんだ……まだ、王から守られる立場でいようとしてるんだ」
トリタカは、ぼたぼたと涙を溢れ落とすサライを、見えずにいた。 苦い目をして、そらしていた。
言いたいことは、辛いほどわかった。 自分も、周りの奴らに同調してしまい、死を隠匿したのだ。
騎士として、やることはなんだ。 民を、王を守ることだと小さい頃から自分に言い聞かせていたではないか。 なのに、自分の選択で王を苦しめて、どうするんだ。
だからトリタカは、なにも言いだすことができないでいた。
周りの兵たちも、同じく、もとから薄かった海斗を斬る覚悟を、完璧に失ってしまって、得物を持つ腕は、徐々に下がっていった。
その光景を見たウルウは、怒りに心をねじらせ、また契約書を高くかかげた。
「なにをしている!! もう奴は虫の息だ!! 殺せるぞ!! すぐに殺せ!!」
しかし、そう叫べど動かないサライたちに、眉間に深いシワを掘って、「殺せ殺せ」とまた叫ぶ姿を見かねて、彼女の近衛兵たちがなだめ始めた。
だが止まぬその声をうしろに、サライは、濡れた眼差しを海斗に強く向けた。
「どうしようかな、海斗。 バルバロッサ姫を救う時も、なにかあの人の心を変える言葉を言ったはずだ。
僕も、それが、欲しいんだ」
海斗はしばらく見つめ返したあと、怒り高ぶるウルウを見た。
「あいつが持つ契約書を俺が斬り破る。 それしかねェ」
すれば、サライは、心底嬉しそうに、細めた目から溜まった涙をあふれさせて、口を開いた。
「それだけで、僕は救われたよ」
もう、嘘を世界に話すと、サライは覚悟した。 そのときだった、海斗の足元に、ウルウが持つ契約書をつれた短刀が刺さったのは。
ルシファーは、白の屋根の上で、こちらへやって来る要塞を見つめていた。 まだ遠く、小さいとはいえ、弱く微笑むルシファーに、横に立つサタンは気味が悪いと思った。
「……大丈夫ですかね〜」
そして柔らかく口を開いたルシファーは、さらに言葉をついだ。
「あそこに魔王様は向かったんでしょう〜? 私たちも行ったほうが〜……」
が、サタンはその言葉を弾き飛ばすように、
「私たちは絶対に助けちゃならねぇよ」
と、語気を強めにして言った。
それには流石に「えぇ〜」と返されたが、すぐにまた言い繋いだ。
「あれはあいつが原因だ。 その所為で……姫もいなくなった。 そんなの、自分でケツ拭けってこった」
「でも、中央街を誘ったのは姫らしいですよ〜?」
サタンは、要塞を見つめていた。 その横顔を見たルシファーは、彼女の意図を感じ取った。
「……まだ、なにか、思うところがあるんですね〜?」
サタンはゆっくりとまばたきした。
「あいつがナニモンなのか、あいつが、王にふさわしい人間なのか、見極める。
あれが途中で落ちたら王として一旦は認めてやる。 でも……もし、ここまで辿り着いちまって、あいつもまだ生きていたら……」
ルシファーの顔は、もう、笑んではいなかった。
「殺す」
「……今夜は満月ですよ〜。 綺麗ですね〜」
「……話聞いてるか?」
ルシファーは、朗らかに笑った。
「月が光に満たされる、満月……最も特別な月の形。 そんな特別な形を見せてくれる日は、なぜだか、このくらい特別なことが起こるような気がするんですよ〜」
サタンは少しの間ルシファーの横顔を見て、彼女の視線を伝うように、月に視線をやった。
通り過ぎた風が2人の、赤と白の髪を揺らしていった。
「そんなもんか?」
飛んできた短刀と契約書を一瞥して、ウルウの方を見た。 彼女も驚いているのか、掲げていた手を丸くした目で見ていた。
そして、視線を上げると今度は海斗が目を丸くした。
綺麗な月にかぶさるように、翼を広げた女がいた。 二色に光る目が、こちらをずっと見つめてきていたのだ。




