第十七話 いい夢よりも怖い夢の方が覚えてる
ーー続いてのニュースです。 眠ったまま、目覚めなくなる、という原因不明の病気がはやっているようです。 どうやら、変な夢を見た、と知人に訴えている方たちが、突如として起きなくなっているというものでありましてーーーー。
レトロなブラウン管は、夕方のニュースを映し出していた。 男のアナウンサーが、発生した病気について報道している。
男はそれを横目に、たまに嬉しそうに口をゆるませ、紫、青や緑がいりまじったキノコを大量にすり鉢に投入し、すりこぎで、丹念にすっていく。
コメンテーターが、共演者とともに 「不思議ですねー」 と口にすると、男は手を止め、テレビに視線をぶつけた。 病気ならば、早急に薬を作らなければなりませんねーーーーそうアナウンサーが言った瞬間、男は、胸をくすぐられるほどのおかしさが湧いてきて、笑みを浮かべた。
*
バルとアイナの足音と話し声が、城内の廊下で小さく響いていた。 二人の両手に抱えられているは書類の束。 アイナの方が少し多いそれは、海斗に届けられる書類であった。
「私今日、真っ暗な森の中から出られなくなる夢を見たんですよね……。 夢だとわからず、ずっと国に帰ろうとしていました」
「アイナも見たんですね。 私も見ましたよ〜。 ゲームセンターから出られなくなって、ストファイをやり続けた夢を」
「なんですかそれ……」
アイナは、苦笑しながら眉をひそめた。
二人は、海斗の部屋に行くまでの暇を埋めるために、今日見た夢を語っていた。 二人とも、印象に残る夢を見たという。
「そういえば、変な夢を見た者が、急に目覚めなくなってしまう病気が流行っていると、昨日のニュースで言っていました」
今度はバルが眉をひそめ、興味を示した。 仕事で手があかなかったバルはそのことを知らなかったのだ。
アイナ曰く、どうやら、変な夢を見始めてから八日後に目覚めなくなるのだと。 「へ〜」 と、バル。
どこかから出られなくなるという夢は、よく見ますけどねぇ……と、ちょうど海斗部屋の前に着いたとき、バルが呟いた。 アイナも、そうですねと頷いたら、バルが扉をあけた。
「魔王様〜、仕事もってきましたー……よ?」
そこからは、海斗の机の上に置くだけ……なのだが、海斗を見た途端、バルが足を止めてしまった。 バルが壁になって入れないアイナは、バルの肩から部屋を覗いた。
すると、椅子に座っている海斗に抱きつき、胸に顔をうずめているラーファの後ろ姿が見えたのだ。
アイナは不思議に思った。
「……なんで、抱きついているんですか?」
そうバルが、眉間にしわ寄せ尋ねると、困った顔をした海斗が、ラーファに落とした視線をバルに、ゆるりと向けた。
「最近、変な夢を見てるらしいんだよ……」
*
ベッドに座らせられたラーファの紅潮させた頬と、潤んだ瞳を、バルとアイナは心配そうに、まじまじと見つめていた。 ラーファから聞かされた短い話を、海斗はその間に話し終えて、今度は見た夢の内容を、問いかけていた。
ラーファ自身、決壊した川から溢れ出す水のごとく、夢を言葉にしたかった。 しかし、なかなか堤防を越えられず、それよりも、夢そのものを言ってはならないように思えてしまって、言い知れぬ不安と興奮で押しつぶされそうになっていた。
三人はそれをどこか悟っていて、急かすようなことはせずに、じっと、やわらかくラーファを見つめていた。
そんな状態がやや続いて、ラーファはやっとの思いで口を開いた。
「一回目が......たくさんのバイクに乗ったゾウに追われて……。 次の日は、おっきな紫の箱の上にいて……まわりは真っ暗で、怯えてたら、いきなりお星様みたいに、いっぱい松明が浮かんできて……」
スムーズに言えない言葉を、しかし、ラーファは確実に伝えようとした。
海斗たちは、その言葉を遮ることなく聞いていた。 女の顔をした、不気味なお面(能面だと推測される)が、十字架に拘束された自分の前で、延々と笑い続ける夢。 自分は爆弾だと思い込んで、自分を中心にして伸びる複数の導火線の火が、迫っては巻きもどすを繰り返される夢のことを。
他にも夢はあって、それを全て語り終えたラーファの目からは、見えていた恐怖の色が、先ほどよりも若干薄まって見えて、三人は少しだけ安堵した。
が、バルとアイナは、けげんそうな顔をしたーーーーラーファが語った夢の個数が、ちょうど七つだったから。
アイナが、ちらと、バルと目配せをしたあと、ラーファを見つめて口を開いた。
「夢は……その七つなのか?」
ラーファは強く頷いた。
「変な夢を数えたら、七個あったから……」
バルとアイナは思いつめた顔をしていたが、それを見た海斗はその顔をする意味がわからず、視線を右往左往させていた。
*
バルは、話がありますと、海斗を、朝日が充満する廊下へと連れ出した。 ラーファをアイナに任せたとはいえ、自分の手から離れてしまうことに、海斗は一抹の不安を覚えて、嫌そうな目をバルの背中にぶつけていた。
「で? なんだその話って。 十分部屋から離れたからもういいだろ」
そう言われたバルは、半身だけ海斗を振りかえった。
「ラーファは今、とても危険な状況にあるかもしれません」
なにが、と怪訝そうな顔をした海斗に、バルは対面して、アイナから聞いた話を全て話した。 海斗は聞いているときも、あとも、わけがわからないようで、ほぼ真顔で硬直して、整理するために目をしばらく閉じ、もう一度バルを見た。
そんな海斗を見て、バルは思いつめた目を少し細めた。
「昨日はニュースを見れていないので、詳細はわかりませんが……」
「……ラーファがそうかもしれねェと」
バルは頷いた。
海斗は、ふと湧き上がってきた笑いをこらえることができず、小さく吹き出したーーーーいたって真面目に、普通考えられないようなことを言っているから、こらえきれなかった。
「お前そんなことあるかよ。 何かにつかまった夢はたま〜に見るけど、本当の意味で夢に捕まることなんてあっかよ。 きっとなにかの思い違いだよ」
海斗は歩き出して、バルが後に続いた。
「それでも、被害者は現に出てるらしいんですから。 否定はできないでしょう」
「ないね、絶対にない。 きっとブラック会社に勤めておこった現実逃避行動だろ、絶対そいつら狸寝入りを決め込んでんだよ。 だいたいどういう理屈だよ。 結果の前には、必ず明確な原因がある。 例えば、こける時には、石かバナナの皮とかがあるっていう原因があるからこける。 そういうことだよ。 夢を見たことが原因て……原因にはならねェな」
笑いながら、左に伸びている廊下の角を曲がった瞬間、海斗は盛大にこけた。
床には、ゆとりがありすぎる白い服を着た女性が、気持ちよさそうに眠っていた。 海斗のこけてしまった原因が、気づかなかったことによる横腹への蹴りなのにも関わらず、彼女は本当に幸せそうに眠っていた。
「結果に至るための原因が、必ず見えるとは限らないんですよ」
こけたままの海斗を見つめながら、バルは言った。
*
爽やかな風が、病室の、医療用ベッドに横たわる、気味の悪い夢を見てから八回目の睡眠を味わう患者をなでた。 半分だけあいた窓から風を受けて揺れる淡い黄色のカーテンを、年のいった、白毛が混じる医師はチラと見て、患者と心電図へ交互に視線をやった。
カルテを見て、頭を悩ませる彼の助手が口を開いた。
「……なぜ、おかしな夢を見たからと言って、みんながみんな起きなくなるんでしょうか……?」
医師は、眉をひそませ、短く生えそろった顎髭をさすった。
「わからん。 ただ……これがなんらかの病気であれば、治療方法が見つからないと、世界は眠りに支配される……。 はは、悪魔が、睡魔に負けるなんてこと、想像したくはないがね」
心電図が、脈の停止を知らせたーーーー甲高い、続く音が二人に莫大な焦りを生んだ。張り詰めた緊張を少しでも緩ませたいと願った医師の発言が、一瞬で砕かれたのだ。
医師の目に、波が静まった図がうつって、すぐに患者の元へ駆け寄った。 助手も近づき、膝をおろした。
「なぜ脈が止まった!?」
困惑する医師の言葉に賛同するように助手も頭を傾げながら、患者の首元に指をあてた。 すると、みるみる眉が山のようになっていって、医師の疑問をかきたてた。 なにがあった、という医師の言葉に、助手は眉をひそめた。
「脈が……あるんです」
*
寝転ぶ女性がベルフェゴールと聞いた海斗は、バルの案内で、彼女の部屋のベッドまで担いで寝かせた。 結構な距離で揺れたのにも関わらず、幸せそうな寝顔が一ミリも崩れていないことに、海斗は、驚くような呆れるような不思議な気持ちを抱いて、バルを見た。
「ほんとにこれがこいつの平常運転なのか……?」
「そうですよ。 いつもこんな感じですよ」
バル曰く、毎日毎日こんな感じなのだという。 それを聞いてますます変な気持ちになる海斗は、ベルフェに視線を落としたーーーーあまりにも幸せそうなので、なぜか羨ましくも思ってしまった時、バルの口が開いた。
「あ、そうだ」
あ? と海斗の視線がバルに移る。
「彼女に調べてもらいましょう。 ラーファのことを」
またしても、あ? と、海斗は眉をひそめて言った。
「彼女はですね。 夢の中に入り込む、稀な能力を持っているんですよ」
「……悪魔ならできんじゃねェの?」
違います違います、と、バルは首を振って、説明を始めた。
サキュバスなどの悪魔は、淫靡な夢をつくり、今見ている夢に割り込ませ、その中に入る能力を持つ種族。 ベルフェの場合は、もうすでに見ている夢に入ることができる能力を持つ悪魔なのだと。 つまりは、前者は 「『自分が』作った夢に入り込む能力」 で、後者は 「『他人が』作った夢に入り込む能力」 であり、後者の能力を持つ者は少ないのだという。
バルは説明し終わったと同時に、ベルフェの襟首を掴んで、持ち上げた。
「つまり、ラーファが置かれている状況がアイナの言うもので、なんの対処もしてなかったら、永遠に眠ったままになってしまいます。 時間がたてばたつほど、解決しづらくなるかもしれません……。 だから、対処法として今晩、ベルフェにラーファの夢の中に潜ってもらいます」
「救える可能性はあんのか?」
「それを考える猶予、手段を選ぶ時間のほうがありません。 さ、ベルフェを起こすの、手伝ってください。 彼女……眠ったら、中々起きませんので」
そう言い終わった直後、何のためらいもなく 「ふん!」 と思い切りビンタを打ち込んだバルに、心底恐怖した。 それでも微笑みを崩さず眠るベルフェにも、恐怖した。
そのあと、海斗が羽交い締めしたベルフェの顔へ、バルはとんでもない速度で往復ビンタを繰り出した。 それによって、まだまどろみに片足突っ込んだ状態で寝覚めたベルフェを、再び担いで、海斗たちは、ラーファの自室へと戻った。 その途中でもうつらうつらとなりかけているベルフェに、容赦無くバルのビンタが炸裂した。
「魔王、様〜、はじめま〜......ベルフェご〜る、です〜……zzzzzz」
しかしそれでも文句も言わずに、ベルフェは海斗に必要最低限の自己紹介をして、またうつらうつらの往復ビンタ。
やっとの思いでついた自室の中には、アイナと一緒になって、ラーファをあやしている者がいて、海斗は目を白黒させた。
「あ、魔王様、こんにちは」
ショートの赤髪に、白いベルトのようなもので括られた片方だけのおさげが印象的な女性が、そう海斗に挨拶したあと、ラーファに笑顔をやって、イチゴの棒突きキャンディーを手渡した。
まだ何も言わずに、目を皿にして見つめてくる海斗の視線に気づいた彼女は、不思議そうな顔で見返した。
「……なんですか?」
「いや……初めまして。 ラーファの相手をしてもらって、すんませんね」
女性はありえないものを見る顔をした。
「初めまして!? 前に会ったじゃないですかぁ! ほら! 必殺技がどうのこうのって言ってた時の!!」
「いた? お前みたいなのいた?」
「いーまーしーたー! 私、一番モブの中で出てたような気がするんですけど! 『赤髪のおさげ姿の女性』 って表記で出てたんですけど!!」
そう訴えかけたが、いまだ疑わしい顔をする海斗に、イヤそうなしかめっつらをする女性。
「でも、まだ名前は言ってませんでしたね……。 シウニー。 騎士団の団員、シウニー・ブランです。 よろしくお願いします」
立ち上がったシウニーから、海斗は名前を聞いて、彼女の胸に視線を落とした。
「……必要なさそうなのに、名前にはブラって入ってんだな」
「セクハラァッ!!」
彼女の胸に、膨らみはこれっぽっちもなかった。
*
茶色いフードをかぶった男が、中央街の薄暗い路地に身を潜め、通りから行きかう人を見つめていた。 壁を背にしながら、青い袋を取り出し、ヒモをとき、中に大量に詰まった虹色の粉を見て、薄ら笑った。 そして腰に引っ掛けていたガスマスクを装着し、扇子で風邪を起こして粉を舞わせた。
どんどんと通りへ流れていく粉は、大気と混ざって、もはや見えなくなったそれは、人々の鼻に入っていった。 大人の男女、老人、幼い子供にまで……。
すると、路地を通り過ぎようとしたカップルの男が、くしゃみをした。
「大丈夫? 風邪?」
眉をひそめて心配する恋人の女に、男は 「大丈夫大丈夫」 と平気を訴えるが、その瞬間、女もくしゃみをしてしまって、二人は笑いあった。
そして去っていった二人に向けて、フードの男は、邪な笑みを浮かべ、再び袋の中へと視線をおとした。 虹色の粉が、まだまだたっぷりと入っていた。




