第百九十九話 お金の貸し借りはできるだけしないように
「魔王様、とてもお優しい方でしたね。 女王」
「優しかったですね……とても、とても。 初対面なのに遠慮することなく、自身の領域に持って行こうとするところも、また、魅力的な部分でもありました」
パイモンと、彼女の従者である緑の頭髪の女性、この二人が並列で城内の廊下を歩く。
彼女達は海斗が統治する国から自国へと戻ってきていたのだ。
両者は穏やかな顔、静かな声で会話する。
窓から侵入する昼の柔らかな光、なだらかな時間の進み…………
彼女達を覆う全てのものが、この国を表しているようであった。
対し外では皆、忙しなく動いているのが窓からの光景でよく見える。
何か重いものが入っていそうなダンボールを三個重ね持ち、走る者。
開発の余地があると見込んだ土地に、コンクリートなどが満たされた容器を持って行って住みやすいように整備しようとする者。
クリップボードとペンを持って、上記の者達を統率し円滑に物事を運ばせようとする者。
その彼女に、自分はどうすれば良いか事細かに聞く者ーーーーなど、様々なことを成し得ようとする者達がいた。
彼女達は自分達の国を繁栄させようと必死なのだ。
休む暇など無い。
多少の娯楽はあるが、それは本当に各々の仕事が終わってから。
そしてもちろん、彼女達が持っている物資は、海斗の国からの支援で授かったものーーーー魔空間を経由して届けられた大量のそれは、国民全員が大切にし、国の繁栄のために使われる。
あまり植物が育たない 『半不毛』 の地と化しているこの国でも、なんとかして豊穣の地にできないかーーーーという努力を捨てずに汗を流す民達が、パイモンは果てしなく好きで、且つ誇りに思っていた。
「……あんな人が上に立っているとなると……余計に胸が苦しくなります」
「女王……」
そう感じると同時に、パイモンは支援を願い請う事に苦しみを感じていた。
完全なる自立を国が出来ていないという事実で、物資の支援を頼むーーーーこれを国は何千年と続けてしまっている、これがどれだけの負い目か。
いつまでもいつまでも、親のスネをかじり続けるような感覚。
バル達は気にしなくても良い、と言ってくれているが、どれだけ優しい言葉を投げかけられようとも責任の重さからは逃れられない。
でもって彼女達自身は何も恩を返せていないのだ。
それがまたパイモンの心にヒビを付けた。
「……でも! もうじき緑生い茂る土地になると思いますよっ?」
「本当ですか女王!? 何故そんな予想を立てられるので!?」
しかし痛みながらも彼女は気丈な動きを見せた。
立ち止まり、言葉を発しながら改めて窓の向こうを眺め、上がった口角により頬が膨れて目を細くさせる。
こぼれだしそうな母性を表現する今の彼女の顔ーーーー
何も、何一つ周囲に負い目を感じさせないもの。
それを見た従者は発言に対する驚きを生じさせたが、同時に安心感も生まれた。
「いえ……確かな証拠はありませんが、もう何年も努力を重ねているのです。 あと少しで緑が生い茂るご褒美も、今まで通り過ぎてきた時間が与えてくれるのでは無いかな、と思ったのです」
「……女王……」
また再び、パイモンは優しく笑ったーーーー笑顔の上にまた笑みを重ねてみせたのだ。
その表情は安心の具現化。
従者はそれを目に入れて、落ち着いたように息を漏らした。
「あ、なんかごめんなさい! すごい、うわ本当にすごい恥ずかしい事言っちゃいましたね!? ごめんなさ、うあぁ!」
「だ、大丈夫ですよ! そのくらい思ってくれているっていう事ですよね!? 優しさの塊を露呈させたんですよね!?」
「あぁぁぁ!! 下手にフォローしないで! 今の私は 『パソコンに保存してある秘蔵のエロい画像を親に見られた時』 みたいな心境だから! 『あ、うん、大丈夫よ。 年頃だもの』 とか言われるとますますヘコむから! 回復の見込みなしだからぁっ……!!」
「は、はい! すいません! じゃ、じゃあ私、物資の運搬に行ってきますねー!!」
くねりくねりと、自分が発した言葉に羞恥を感じるパイモン。
しかし時すでに遅し。
口から出て行った言葉は回収できない……それがまた多大なる面映さを発生させた。
そんなパイモンの姿を見て慌て出す従者。
羞恥の度合いを少しでも軽くするため、彼女は何とか絞り出した用事を口にして去っていったーーーー
取り残されるパイモン。
体勢は頭を抱えている……未だに恥ずかしいのだ。
顔も、腕も、腹部も、脚も。
しかし、従者が去ったら、激しい動きを止めた。
恥ずかしさを表現することを突然にやめたのだ。
今のパイモンは頭を両手で押さえている格好で静止していた。
そして、従者の姿が完全に見えなくなるとーーーーゆっくりと、腕を下ろしてくねらせた身体を真っ直ぐ立たせた。
視線は従者が走り去っていった方向へ。
表情は笑みも無く、面映さも無い、むしろ憂き目を僅かに塗って。
「…………ごめんなさい」
動かずに。
悲しみを……自分に対してでは無い、心身共に苦労をかけてしまっている従者を含めた国民全員に対する謝辞の感情を瞳に込めながら。
「……本当に、あと少しの辛抱ですから…………」
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「いや〜、改めて久しぶりやなぁ海斗! 元気にしてたかぁ!?」
「元気にしてなかったらあんな国治められるかよ。 活気に呑み込まれてすでに辞職してるわ」
「まぁそりゃそうやな! 国背負う事自体が変人のやる事なのに、あの国背負うのはもっと変人にしか務まらんわ!」
「褒める言葉に貶しのメッキを仕立てるんじゃねェよ! どうせなら褒めろ! 果汁百パーセントで褒めろ! 『精神疲労飛んでけ』 してくれよ!」
海斗と翠仙の斬り合い。
あとほんの一瞬で結末が訪れようとしていたところに、札生は現れた。
それによって斬り合いは終了。
殺気立った顔を元に戻した翠仙は、部下達と共にどこかへ行ってしまったーーーー
ので、そこでできたボーナスタイムで、彼らは地下街の団子屋でくつろいでいた。
「どうしたんですか魔王様。 疲れてるんですか? 愚痴なら聞きますよ?」
「疲労の原因お前ェッ! 仕事よりお前らの対応で疲れてるからァッ!!」
「え〜、またまたぁ。 寧ろ癒してるでしょう。 こんな美少女達に囲まれてるんですから」
「そうですよ〜。 美少女にボケてもらえる。 美少女にツッコんでもらえる。 それのどこが不満なんですか」
「お前らが起こしてくる事件が疲労の元なんだよ! 何もかも体力を削ってくるんだよ!」
串団子を食べながら会話を交わす。
口を閉ざす合間合間に摂取する糖分のなんと心地いい事か……
海斗は疲労を訴えつつそれを感じながら手を進める。
バルとシウニーは御構い無しにあるものを片っ端から食べ、ルシファーは笑顔で食し、ヒルデは無表情でゆっくり食べていく。
札生は彼女達が織り成す会話を耳にして、笑いながら。
「おい! 誰かこいつに言ってやってくれ! 姫と呼ばれるに相応しい言動をしろって!!」
「えぇ〜? 意味不明な行動をとる……それが姫の平常運転では?」
「なにもおかし、い、ことでふぁごさふぃまふぇん」
「それ支えてるつもりだろうけど遠くから貶してるから! 意味不明って言っちゃってるから!」
「それくらい信頼されてるんですね私〜」
「それでいいのかお前はァッ!!」
海斗の愚痴は彼女達に届く事はなかった。
依然としてのほほんとした空気は切れる事無くーーーー団子を食べる時間が続いた。
海斗の心労はどうあれ、仲がよろしくて非常に結構、となる光景だ。
仲睦まじい五人だ。
「ええのう、そんないい合える仲で…………でもな、仲良しこよしではこの先つまづく。 だから、あえてここで現状と向き合ってほしいんや」
……ただ、そんな時間も終わりを迎える。
札生が、重くした自身の声によって、それをぶった斬った。
ひたすらゲラとしての位置にいた彼が、突如顔つきを変えた。
「海斗。 お前は分かっとるかもしれへんが……」
「……?」
「お前は、この世界にいるほとんどの権力者から狙われとる」
「……」
三つ刺されただんごーーーーそれを全て食べきった後に残った裸ん坊の串を、人差し指と親指に挟んで小さく弄ぶ札生。
視線は向かい側の店に。
決して海斗の方に向かずに言葉を発した。
海斗は海斗で、等間隔でテンポよく団子を啄ばんでいたのをやめ、視線だけを札生側の地面に当てた。
決して前のめりにならず、通行人に興味を持たれないように出来るだけ無関心そうな素振りを徹した。
バル達もそんな意図を少なからず拾い、耳を傾けつつ団子を食べ進めた。
「具体的な人数やら国やらは省くけんども……大層な量や。 しかも質も良いときた。 そこでなんや、お前はまた喧嘩しようとしとる。 訳はさっき聞いたけんども……なにもこれ以上、罪を悪化させるような事はせんほうがええんとちゃうか?」
「……」
札生は彼を心配した。
魔界での生活を脅かす者達がいる事、その重大さに気付いていない事。
海斗の姿をまじまじと目の当たりにした事がある札生だからこそ、彼を真に危惧した。
それは深く、深く、深くーーーー彼が進もうとしている道の険しさを言い表しているのも同然。
その程度は薄っぺらい者では無く、分厚く、著しく険しいものであった。
「なんにもよくねェよ」
「……」
しかし、海斗はその剣山のような道に歩む事を拒否しなかった。
「札生。 俺は罪を重ねる事に対して、自分の立場を危うくさせてるなんて思った事はねェよ。 この世界の誰が俺を憎もうが殺したいと思おうが、それに嫌悪感はない」
「……それでも」
「それに」
「?」
「……狙われる事には慣れてる」
真っ直ぐどこを見るでも無く、ただ空間に視線の焦点を置いた海斗はそう言った。
串団子を口にいれずに、両肘をそれぞれの太ももに置いて。
ここで札生は、この話を彼に目を向けた。
顔の角度こそ最後まで変えなかったが、僅かながらの一驚で目の色を染めた。
己よりも年下が抱く決意。
彼にとっては敵は正体不明であるのにも関わらず、対抗の姿勢を変えないでいる。
「……そうか……そうやなそうやな! お前はそんな奴やったわ! そんなんでなけりゃあやっぱ国背負えんわな! あーあ、心配して損した。 心配料として団子二千円分よこせや」
「お前も俺の財布を更地に変えに来たのか……!?」
しかし札生は自分の思いを口にする事無く、先ほどの顔色に戻して再びゲラに戻った。
無意味な、詮無い会話も付けてーーーー
「あ、じゃあ私達にも無条件で二千円分追加でー」
「やめてくれェッ!! 財布が更地通り越してマントルにまで届くわァッ! もうちょっとお前らの財産も切り崩してくれよ!」
「じゃあシウニー出してくださいよ。 私財布持ってきてないんで」
「私も持ってきてないですよ。 お二人は?」
「邪魔になるだけなので〜」
「無論」
「こいつら悪魔だよ! いや元から悪魔だけど今になって本性見せつけてきたよ!!」
そして彼らもまた、ギャーギャーと声を大きく騒ぎ始めた。
先ほどの重圧のある会話内容はどこ吹く風ーーーー
なにもかもを吹き飛ばして、全てをひっくり返して喋り出すその対応力……札生もそれには目を見張る。
それと同時に、彼は新しい串団子に手を伸ばす。
甘味には笑顔が似合う。
だからこそ、海斗達はこれを前にして最大限に笑う事ができるのだろう。
彼はそう痛感しつつ、瞳を細めた…………
悲しそうな、けれども悲壮感を含みながらーーーー
手を伸ばした串団子は、彼が頼んだそれの最後のものだった。
「あ、兄貴ィッ!!」
その串団子の一つ目を頬張った時に、彼の耳に新たな声が届き切った。
男性の声。
間違いなく海斗の声ではない、少しだけえぐみのある色。
彼はその声がする右方向へと目を向けるーーーーと、彼の部下の一人が息を荒げて走って来ているのが見えたのだ。
札生は彼を見て、口に入っていた団子を速度早めに飲み込んだ。
「ここにーーーーここにいましたか兄貴……ッ!」
「なんや。 今日は特に予定は無いはずやろ」
「そ、そうなんですが……!」
息も絶え絶え。
彼は立ち止まるや否や、両膝に手を乗せて顔を疲労で歪ませた。
そして札生は質問した後、二つ目の団子を食べ始めようとしたーーーー
「そ、それが! わしらのアジトの一階が、なんかの爆発物で……!!」
「なァ…………!?」
しかしその動作は、部下の発言により中断された。




