第二話 いくら親友でも無理な押し付けはやっていけない
海斗の身体は、ベッドが優しく受け止め、レースカーテンから滲み注ぐ昼の日光が優しく覆った。
外では、正午を伝えるように、数匹の鳥が仲良くさえずった。
共働きの親がいない休日は、昼は早めにカップラーメンで適当に済ませ、あとはベッドに横になるというのが、海斗の生活であった。
風がカーテンを揺らし入って、ふんわり彼にぶつかった。二階にある部屋だからか、それらは障害物に当たることなくさわやかにやってくる。海斗はこの心地を心底気に入っていた。
しかし海斗は閉じた瞼を中途半端に開かせた。
「今日は眠たくなんねェな……」
いつもならここで襲ってくる眠気が、今日は一向に現れなかったのだ。いい感じに眠くなるというのも、気に入っている理由の一つだったのだが、今日はなぜだか眠たくならなかった。
休日の昼に、このベッドで横になってから初めてのことで不思議に思い、
「おっかしいなァ、課題とかやることやったし暇なんだけどなァ……」
と、よくハネた黒髪をわしゃわしゃと右手で掻きながら、上半身だけ起こしてあぐらをかいた。
隣の勉強机に目をやると、きちんと重ねられた赤や青のノートがあって、一番上には「受験対策」と書かれた黄色のノートが見えて、海斗は肩を落とした。
「受験なんて……めんどくせェ」
担任と両親に、大学受験は早めに動いていた方が有利になると言われ、海斗は三年に進級してすぐに備え始めた。まぁそうかもしれない、と海斗もカイトで漠然ながらに思ったから。
しかしいまはまだ春で、遊びたいという気持ちは存分にあり、一定以上の勉強には手を出せずにいた。
「……誰か暇してねェかな~。連絡してみっか」
そしてノートの横に置いたスマホを手に取り、自分と同じく暇な時間を送っている友人を探り出すため、SNSアプリを立ちあげた。
起動をまだかまだかと心待ちにしていると、上に「高村海斗」の文字が現れた。そこから下にスクロールしていくと、三人の親友の名が目に入って、海斗はニヤッと微笑を浮かべた。
きっとあいつらも暇してる。
そう思い、まずは一人目、檜山健汰という名前に親指を重ねた。
檜山は海斗と同じ保育園に通っていた幼馴染であり、現在も同じ高校に通っていて、よくつるんでいるために海斗からの期待も高く、わくわくしながら
〈今暇? なにもすることがなくてよ〉
文字を打った。
良い返事が来りゃあといいなと期待に胸ふくらませていると、既読の文字がついてまたさらに高鳴った。
遊べるとなったらどんなことをしようか……ゲームか、外出か、なんにせよやはり友人と一緒にいると、きっといい結果になる。そんな楽しい気分に浸っていると、返事が来た。
〈ごめん、今彼女といてさ〉
瞬時に海斗のなにかがハチ切れ、
「俺との友情は彼女の関係に負けんのかクソ男ォォッ!!」
スマホをベッドに投げつけた。
断られるかもとは思っていたが、こんな断られ方をされるとは思っていなかった。
確かに健汰は彼女持ち、こういうこともあるか、とは思うものの煮えたぎる憤りもあるもので。というか奴に彼女がいてなんで自分にはいないのか、という事実に対する怒りがほとんどを占めている気がして、スマホをぶっ壊してやろうかという気持ちにもなったが、そこはグッと我慢した。
まだ二人いると自分に言い聞かせて、そうかい、と返信した。
ぼふっとまたベッドに腰掛け、次に押した名前は瀬川颯太という名前。彼も同じく海斗の幼馴染であり、海斗たち四人でよくゲームをするゲーマー。勝とうが負けようが笑ってまたゲームをするという性格が周りにも受け、非常に人気が高い男である。
こいつとゲームでもしようかと、さっきと同じ文を打った海斗。
またしてもすぐ既読がついて、わくわく胸が高鳴ってしょうがなくなった。
颯太とするゲームはめちゃくちゃたのしいからなー、あいつの部屋に行って前に買ったゲームでもすっかなー。
海斗は細めた目で颯太からの返信を見た。
〈ごめんなさい海斗w 今彼女とゲームしてましてww あw 海斗も来ますか?ww〉
「お前も彼女一択かオラァァァァッ!!!」
またしてもスマホはベッドをぼふりと波立たせ、日の光によっておびただしい量のホコリの輪郭があらわになった。それが落ちるまでにまだまだ時間がかかるのと同じく、海斗が抱く怒りも当分冷めそうになかった。
「二人とも俺よりも先に彼女を作りやがってぇ……ッ! ゲーム好きの彼女とか本当に羨ましい……ッ! でもどけッ、そこは俺の席だ……昔からゲームをするあいつの横は俺の席なんだ……ッ!!」
この怒りをぶつける先を、彼は知らない。
「アァァもういいわッ! 最後はお前だ直樹ィッ!」
荒々しく、わっとスマホを掴み取った海斗は、怒りをそのままに最後の親友、岡崎直樹の画面へと飛んだ。
直樹に送った文面は〈暇なんだけど、お前も暇だろ? あそべない?〉と、若干抑えきれぬ感情が前に出てしまっているものであった。
「早くしろや直樹ィッ……! もしかしてお前も彼女関係なんてこたァねェだろうなァッ!?」
超わがままになってしまった一人の男は客観的に見ればとてもおもしろい。
いつもなら海斗もそのような気持ちで、あまり怒るのはよくないと冷静に振舞っているが、こうなってしまってはそんな気持ちもどこへやら。すっかり消え失せ感情的に。
すると既読がついて、スマホを食い入るように見た。だが今回は、少し返信速度が遅いように感じられた。
返信内容は、まさか三度続けて彼女との……!? そんな理不尽なことがあってたまるか!
海斗は、これほどまでに自分が置かれている状況を憎んだことはなかった。
なぜ四人の中で自分だけ彼女がいないのか、女友達にはできるかぎり優しく接しているのに。
そうもやもやしていると、返信が来た。
〈ごめん海斗。今から彼女の犬の葬式があるんだ。悪いけど、今日はそっちにはいけないんだ、本当にごめん〉
「お前だけなんかちがァァァァうッ!!」
スマホはベッドのほこりをまた舞いあげた。悲しみあふるる返信がくるとは思ってもみなかったから、今度は拒絶反応に近しいものを抱いて投げ捨てた。
「重いんだよ! 二人の返信内容と比べて重すぎるんだよ! ごめんなさいこんな文送っちゃって! ペロ、あの世でも元気でなァッ!」
結果、三人ともNGだった。そして大声をあげたあとに襲ってきたのは、虚無であった。
多分、三人がこれならば他の友人も予定があるだろうから、これ以上連絡する気も起きない。 というより、あそぶのならば、遠慮なく話せるこの三人が良い。
どこか辛くなった海斗は、ぶらんと腕を垂らした。
「幼馴染で、ここまで差がでるもんなんだな……」
この現実、この感情を、どう抱えればいいのか、海斗はわからなかった。ただ暇を潰そうとしただけなのに、自分には恋人がいないという無惨な現実を再確認させられたことに、胸が苦しくなったことに、なぜ? が絶えなかった。
ここでスマホがピロンと鳴った。海斗の顔はゆるりとそちらに向き、画面に映った文面が、一直線に彼の瞳に入り込んだ。
〈これから新しいゲームを買いに行くんですよw 海斗もやりたいって言ってたソフトですよ! 一緒に買いに行って三人でやりませんか?ww〉(瀬河颯太)
海斗は気づけば、部屋の隅に立てかけてあった木刀を手にし、ベッドに転がるスマホに向かって、身の内に駆け巡る怒りをそれに込めて振り下ろさんとしていた。
お前はなんでそんなに楽観的なんだ、苦しい思いを精一杯におさえ込んでいる俺に向かって、なぜそんなに攻撃ができるんだ。
海斗は激怒した。これほどまでに人を撲殺したいと思ったことはなかった。スマホを壊してしまえば、この気持ちは少しぐらい楽になるか、とも思ったが、買ってくれた父親の顔が浮かび、そろりと木刀をおろした。
クソみたいな現実を前に、肩を落として静かにため息を吐いた。
遊んで時間をつぶす気でいたのに、ここまで心を串刺しにされてしまい、外出する気も失せてしまった。
だからもう、ふて寝しかないと、木刀をもとあった場所に返そうと、後ろへと振り向いた。
すると目の前に黒い、煙の集合体のようなものがいて、おもわず固まった。まるでなんどもなんどもスパッタリングされた紙から、命を与えられ抜け出してきたような姿をして、絶えず揺らめいていた。
ふらふらと視線をそれぞれ違う場所に漂わせていた二つの目玉が、ぎゅっと海斗を見下ろした。
「……なんだお前……ぁ?」
突拍子もない現象に思考が停止した。
もしや負の感情が自分に幻覚か夢を見せている? なんてファンタジックな想像をするがそんなはずはない。眠ってもいない、白昼夢なんてありえない。
自分にしが迫っていると、本能的に悟った心臓が、これで逃げればいいと言わんばかりに急速に血流を早めた。海斗も是非ともそうしたかったが、あいにく奴が扉側。ここから逃げるなら窓をつきやぶるしかないが、これが逃してくれるとは、どうしても思えなかった。
ならば……逃げる以外どうすればいいのか。
海斗は覚悟を決め、木刀を握る右手に力を注ぎ込んで薙ぎはらった。
おそらく逃げても変わらない、多分こいつからは逃げられないと悟った海斗の顔は、やってやる、という心に宿る攻撃性を塗りたくった表情になった。
なにもしないよりはマシという一心で振るわれた木刀は、ちょうどバケモノの左目の目尻をとらえたところで、このまま目くらいには当てられるかと強く強く確信した。
しかし現実は甘くなかった。
身体を煙で構築されていると思ったこのバケモノは、目と目の間から黒い手を伸ばして、そのまま海斗の胸を貫いた。
筋肉が驚き硬直し、木刀はピタッと止まってしまった。
海斗は目をいっぱいに広げた。
胸を刺されたのだ。
だが痛くなく、視線を自分の胸とバケモノの間で何度か滑らせた。
訳がわからぬまま木刀でふたたび目を打とうとしたが、そこも実体がないようですり抜けた。
反則だろうと思った刹那、胸を貫いた手が心臓を鷲掴み、目一杯引っ張ってきて、海斗は苦しげな声を吐いてのけぞった。
そしてそのまま胸は盛大に裂け、心臓は見るも無残に人体から飛び出した。動脈やらはまだ繋がっているように見えたが、もう助からない、死ぬんだと実感した。
だが、ここまでされてまだ痛くないのだ。 自分の心臓を直接見ているわけなのに、痛みがないのはおかしいと目を白黒させる。さっきの声も、痛みのせいではなく、反射的に出たものだった。
が、煙が心臓をこれでもかと強く握ったとき、海斗はここでやっと痛みをおぼえたのだ。いまので極めて強くされた血流の速度。それは彼の身体を内側から強烈に圧迫した。
海斗は歯を食いしばり、バケモノを睨んだ。
このままでは、ほんとに死んでしまう。
死の予感を抱き続ける海斗は、天井に向いた木刀を煙にむかって振り下ろした。ただそれは、木の枝のように、もとあった腕から木の枝を伸ばすように、新たに生えてきた手によって封じられた。折らんばかりの力を込めてきて、眉間にしわを寄せ、汗が吹き始めた。
短時間で死地に立たされた海斗は、最後の抵抗に足で煙を、自転車をこぐようにして蹴ったが、やはり意味はないようで、煙の目は彼を覆うように、見下ろした。
どうにかして殺してやりたい、消したい。
こんな状況でも、諦めなかった海斗の身体にも、限界がやってき始めた。
呼吸は薄れ、意識ははるか遠くに駆けていた。いまさら呼び戻すことなんてできない海斗は、そのままバケモノと目を合わせながら、視界を黒に染め終えた。
「────と……の──が、わかった。────けろ。──いに……ろ。──れな……る。あ……や……を、は────いけ」
完全に黒に染まる前、彼の耳にはぶつ切りの声が入りこんだ。それがなんなのか、わからぬまま彼の意識は遥か彼方、遠くへ消えた。