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第百七十二話 おでんに大根と卵は欠かせない

「しばらく聞いていたいが……今しかない様だな」


「ーーーー!」


アイナと、彼女の部下のジェシアが話を進めていた。

二人の話は膨らみ始め、聞いている者の興味をそそるのに十分になっていた。

竹中もその一人。

もうしばらく聞いていたかったのだろう。

なんせ、心が惚れている女性の話だーーーー聞いていたいというのが真っ当な思いだ。


しかし彼は自分の使命を優先した。

行動に移すと決心した彼は、左手に力を込めた。

その左手は力強く、且つブラジャーを盗るためにしなやか動作を生み出すように柔らかくされていた。


その手が徐々に、少しずつ少しずつ伸びていくと同時に身体も寄らせていく。

慣れた行動。

計画を知っている海斗でなければ気づかないかもしれないその行動。

当然、全くの殺気無し。

行動によって起こされるはずの風も、彼は許さなかった。

まさにプロの技ーーーーいや、神業だ。


堂々としているにも関わらず、あまりの自然さを醸し出す彼の動作に息を飲む海斗。

自分では決して至れない変態の境地。

やっていることは恥ではあるが、その恥を受け入れ、尚且つそれと一体化している彼の姿は仏を彷彿とさせる……

欲にどっぷりと浸かってしまっているが、それがむしろ本当の無欲ということではないか? とも思ってしまうのだ。

彼はそんな域にまで達していた。


そう 『ブラジャー』 を盗るために。


「ーーーー」


竹中は黙る。

黙る。

黙る。


音を発する器官は閉じられ、それに伴い汗腺も閉じ、水分を体外へと出すことも禁じた。

消化器官、血を流す血管も塞ぎ込み、果ては心臓も鼓動を控えるようになった。

それらを犠牲にして、竹中はブラジャーを盗りに行ったのだ。


人はそれを 『馬鹿』 だと言うだろう。

『愚か』 だと言うだろう。

『変態』 だと叫び上げるだろう。

『罪を償え』 と非難するだろう。


だが竹中はそれらを弾き飛ばし、手を伸ばしているーーーー


そう 『ブラジャー』 を盗るために。


恐らく、これを極めても先は無い。

誰かに自慢することもできないだろう。

達成感はあるだろうが、それを誰かと共有することができない。

何故か?ーーーーそれは、彼が 『どうしようもない変態』 であることを証明してしまうことに他ならないからだ。


だが、彼の気持ちを誰が理解できようか。

理解するには彼と同じ気持ちを持たなければならない。

その気持ちを、理解してくれるものがいれば、彼のこの奇行は生まれなかったかもしれない。

運命とは酷いものだ。

気持ちを共有できないことが山ほど有る。

それらを理解、最低でも理解しようと歩み寄ろうとしてくれる人がいないだけで、こんなにも道を外してしまう者が生まれてしまうのだ。


しかしながらそんなことを今頃考えてみてもどうしようもない。

そしてそれを捨て、竹中は手を伸ばすーーーー


そう 『ブラジャー』 を盗るために。


少しの時間ーーーーいや、刹那であったか。

そのほんの少しの間に、彼の手は限りなくアイナに近づいていた。


『止めるべきか……いや、でもここで止めてしまえば証拠が……』

そんな気持ちが海斗の胸中に浮かび上がる。

焦りが生まれる。

それによる汗が一粒滲み出す。

横にしてそれを眺める目は僅かに震え、止めるべきだと海斗自身に訴えかけている。


だがそうして考えている時にも、竹中の手は動き続けているのだ。

その手がーーーーアイナの黒い服に触る一歩手間にまで移動していた。


空気は凍る。

時間は進みを遅める。

緊迫。

緊張。

感情の揺れ。


それらが一気に押し寄せる。


竹中はその全てを背負いながらも、奇行を止めようとはしなかった。

そして、遂に、彼の手がアイナを捉えようとしたーーーー





その時。





「…………ぉ……っ……」


男性の声が小さく発生する。

海斗? 竹中?


いや違う。

この屋台の店主だ。

彼は今、菜箸でおでんの具材を足そうとしていた。

こんにゃく、大根、牛すじーーーーおでんの具達は難なく、嗅ぐだけで涎を分泌させる濃厚なつゆに入ってゆく……


しかし、形状的に箸で掴みにくいものが、番に回ってきた。

それは 『卵』。

おでんになくてはならない定番メニュー。

おでんで何が好きか? と尋ねられればそれを答えに持ってくる者は少なくない。


そしてーーーー卵は、ほぼほぼ球体。

箸では?ーーーーそうだ、掴みにくい。


店主はその卵を菜箸で挟み、汁の中に入れ込もうとしたーーーーしかし。

卵は菜箸からツルリと、客席の方へと放たれてしまった。


丁度アイナと竹中の間だった。


海斗はその光景を見ていた。

卵が空間を滑る様を見ていた。


だが、竹中はそれに気づいていなかった。

夢中になっていたのだーーーーブラジャーを盗るという奇行に。


それが一番のミスとなってしまったのだ。


なんせ、アイナはその卵に気づいていたのだから。


卵は?ーーーー食べ物。

食べ物は?ーーーー粗末にしてはならない。

粗末にしてはならない?ーーーーあぁ、決して。


その考えが、彼女に定着していたのだ。

ならばその考えが全身を覆った時、どうなるだろうか?


当然、地面に落ちる前に拾い上げる。


「ーーーー危ないッッッ!!!!!」


ダァッン!!!

そう、聞いた者が爽快感に包まれる音が屋台に響いた。

卵を空中で掴んだアイナーーーーその救いを与える手は勢いを保ち、痛みを与える拳となった。


「デェッ!」


「ゴァッ!!!」


突如降りかかる痛み。

痛みはただ単の痛みには収まらず、竹中の身体を力のベクトルがかかった方向に吹き飛ばすまでに至った。

その方向に座る海斗。

彼は飛んできた竹中の身体を避けることも叶わず、直撃し、屋台の外へと吹き飛んだ。


ドサリーーーー地面との接触で不甲斐ない音を立てる二人。

海斗は竹中のクッションのような役割になり、接触時の痛みは彼以上に負った。


「……」


「……」


竹中は、そんな海斗の上から転がり退き、大の字に寝転んだ。

そして彼は言いようのない目を作っていた。


「……失敗、しちまったなぁ…………」


失敗。

そう彼は悲しそうに口に出した。

表情は本当に悲しそうで、悔しそうであった。


「こんなことは初めてだよ……おいらの人生で……初めてブラジャーを盗り損ねた……流石アイナだ……おいらが惚れただけはある……」


だが同時に清々しい印象も見て取れた。

後悔していない、これでよかった、そう表情が入っているような気がしてーーーー


「……坊主、なんで、おいらがこんなことしてるのか、教えてやろうか……」


「……?」


彼は満足そうに口を動かし続けた。

そこから出てきたのは、こんな気候を始めるに至った経緯だった。




ーーーーーーーーーー




おいらは、本当は鍛冶屋なんだ。

昼間はその職に精を出し、汗を流しながら鉄を打つ……でも日が落ちてからは、こうやってブラジャーを盗り続けている。


その行動は情報一覧に載せられるまでになり、人々に広く知れ渡ったーーーー

変なことをする者もいるもんだ、とか。

こんなおかしな奴はすぐに捕まるだろう、という感情を、これを見た人は持っただろう。


でもな。

おいらはこれを止めるわけにはいかないんだ。


それにははっきりとした理由がある…………それは、子供達のためだ。


……いや、違うぞ?

おいらの子供じゃねェ。

おいらは独身、所帯なんて持ってなどいない……


『子供達』 っていうのは、孤児のことだ。


その子達は、一応は施設などに守られている。

優しく接せられるし、ご飯を口にすることができる。

何不自由なさそうだろう?

おいらも一時そう思っていた。


だが……違う。

これはギリギリのものなんだ。


孤児達に授ける資金を賄っているのは、募金などのボランティアだ。

このお金を子供達に使って欲しいーーーーと、思って差し出してくるのだ。

だからこそ、底を突く速度が速いんだ。


もっと支援してくれる人が増えないと、子供達は命を落としてしまうかもしれない。

よって、おいらはボランティアとしてお金を機関に与えている。


でもおいらは鍛冶屋……他人に差し出すお金なんてそうそう出てきやしない。


だからおいらは、ブラジャーを盗るという行為に辿り着いた。


魔界は広い……ブラジャーをこよなく愛する者は沢山いる。

彼らに 『これは先ほどまで美女が身につけていたブラジャーですよ』 と言って盗ってきたブラジャーを見せると、すぐさま交換してくれとせがんできたよーーーー

しかも、一回一回ちゃんとした額を貰える。


身につけていた女性の写真もつけてやると、さらに価値は倍増した。


おいらは過去にちょっとした戦に出ていた時もあった。

だから無防備女性からブラジャーを盗むことなんて、とても簡単な仕事だったんだ…………




ーーーーーーーーーー




「だが、今はどうだ……無防備だと思っていた女性から、ブラジャーを盗めなかったではないか……」


彼は話をここまで進めてもなお、身体は大の字から変えてはいない。

ただ表情だけは、穏やかなものへと変化していた。

それは、今の彼の感情を表している事と同意ーーーーとても清々しいのだろう。


「もう……おいらはこれで終わりだ…………完全に、心を折られたよ……」


「竹中…………」


彼は目を閉じ、過去の全てを見返したーーーー

それは懺悔でもあったし、栄光の光を見る行為でもあった。

そうだ。

彼は完全に、ブラジャーを盗るという奇行を止めようと、ここに誓ったのだーーーー












「はい逮捕ねー」


ガチャリ、問いう金属音がする。

それは竹中の両手を拘束する手錠から発せられた。

建物からこぼれ出す光により、綺麗な光沢を出す手錠ーーーー

それが竹中から自由を奪ったのだ。


「……え?」


彼は唖然とした。

手錠がかけられた、からではない。


その手錠をかけたのが、他ではない、自分がブラジャーを盗ると決めた、アイナだったからだ。

しかも紅潮していない。

しっかりと身体を立たせ、フラつきの一つも無いのだ。


何故だ?

彼女は酒が入り、普段の思考はできなくなっていた筈だ。

なのに……なのに……


「これは囮捜査だったんだよ。 竹中さん」


続いて男性の声がする。

海斗だ。

彼は片膝をつき、竹中を見下ろす体勢で話しかけていた。


「俺が情報一覧を見た後……アイナが率いる騎士団はお前の正体を捉えていた。 だから俺はわざとお前が出没する路地に入り、仲間になったふりをしたのさ」


「な……」



ーーーーー



その数分後、警察が到着し、竹中は完璧に身柄を拘束された。

警官三人に囲まれ、署に連行される竹中ーーーーその背中を、海斗はしっかりと見ていた。

その、哀愁漂う背中を。


「おい竹中」


そして海斗は彼に声をかけた。

警官と警官の間を縫って声を届かせたのだ。

その声に竹中は静止する。


「あの動機は、本当だったのか」


「……」


数秒流れる沈黙。

彼は新たな答えを模索しているのか、既に見つかっている答えを言葉にするのを躊躇しているのか……


「……あぁ。 本当だったよ。 それだけは……信じてくれ」


数秒後に、彼はやっと答えを口にした。

海斗へと笑顔を向けながらーーーーーーーー












「でもアイナのブラジャーは観賞用にしたかったなー」


「最低じゃねェか」

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