第百七十話 時には現実を見ずに妄想に耽るのも必要
竹中金平糖ーーーー彼が情報一覧という書類に載っていたブラジャー泥棒。
彼が盗ってきたブラジャーは百などくだらない。
間違えようのない変態性。
しかもその行動を誇りに持っているときた。
そんな彼が、次の標的に選んだのはーーーーアイナ・エルミーラ。
海斗が統治する国の騎士団団長。
頻繁に顔を合わせる女性である。
彼はその女性のブラジャーを狙っているというのだ。
それを聞いて大きく動揺した海斗。
まさか……まさか自分が知る者が標的にされるとは思ってもいなかった。
いや、それ以上に、竹中は大丈夫なのかという心配する感情が浮かんできた。
相手はあのアイナだ。
彼女は真っ当な歴戦の猛者ーーーーいくら歴戦のブラジャー泥棒だからと言っても、少々無理がありすぎるのではないか?
「……」
「ターゲットはよく中央街に来る……そして出没時間も丁度今。 今日来るのであれば、おそらくもうじき来る筈だ」
それにあと一つ、悩みの種があった。
うんうんと考えてみてもやはり理解できなかった事が。
「なんで次が、あのアイナなんだ」
これだった。
ブラジャーを盗る……事はさておき、何故アイナのブラジャーをーーーーという危険な選択をするのか。
海斗は甚だ理解できなかった。
「……それは、お前もわかる筈だ。 男ならば」
「……? それはどういう?」
「まず第一に、お前はアイナというあの黒が印象的な女性を目にした事はあるか?」
「まぁ、何回かは」
実際ほぼ毎日見ているのだが、ここは知り合いや魔王と悟られないために、赤の他人として見たことがあるという言い方をする海斗。
「その時、どう思った?」
「どうって……そりゃ綺麗だな、と」
「それだ。 それが言いたいのだ」
話が進むにつれて、竹中は熱を帯び出した。
それは先の話し方とは大きく異なっていた。
完全に何かのスイッチが入ってしまった、そう思えたのだ。
「ブラジャーというものは、ブラジャーがいいのではない……身につけている女性によって価値が決まってくるのだ」
「……うん……続けてどうぞ」
「故にだ。 多くの男が美しいと思ってしまう程の美麗さを持つアイナ・エルミーラという女性が身につけるブラジャーはーーーー価値が高い!」
「……価値が高いって……どこかに売るの……?」
「あぁ、もちろん売る。 売って莫大な資産を手に入れる」
最低じゃねェか。
海斗の胸中に蔑みと非難の感情が生まれた。
その上回捕手がいることにも驚きだ。
ブラジャー泥棒が生む需要と供給があるとは……なんとも言えない気持ちに襲われた海斗であった。
いや、そんなことよりも、ふと疑問が浮かび上がってくる。
それは少し前に竹中が言っていたことが発端。
「……え、ちょっと待って。 アイナを待つって……直でブラジャー盗んのォッ!?」
「そうだが。 何をそんなに驚く必要があるのだ」
「え、だって……エェッ!? どうやって盗るの!? 相手起きてるよ!? ブラ盗る瞬間見られてるよォッ!!?」
「大丈夫だ。 変態性が高いおいらはそちらの方が興奮するし、身につけていたブラジャーを盗ればまだ温もりが残っていてさらに興奮するだろう?」
「変態性が高いというか変態性そのものだよッ! 変態という言葉に覆い尽くされてるよッ!!」
海斗には理解できない性癖だった。
温もりが残るブラジャーというのは……まぁまぁ夢を抱いてしまうが、それでもそのやり方は許容できない。
まずそんなものを自分がやれるはずがない、と表情で強く反発する海斗。
「しかしな……それ以外に、彼女を選んだ理由はあるんだ……」
「?」
アイナを選んだ理由。
今まで自分の性癖を吐露しておきながら、真の理由があるという。
それはなんだーーーーと海斗が聞くまでもなく、竹中は口を開き始めていた。
「まぁうん……手っ取り早く言えば、結構ストライクゾーンなのよ。 アイナっていう女は」
「……えぇ……」
ストライク。
つまりは、身体はブラジャーを盗むという使命感に覆われているということだが、心では惚れているということだ。
「じゃあもうほっといてやれよ。 好きな人がブラジャー盗られて嫌悪感溢れてる顔しながら悲鳴を上げる姿なんて見たくないだろ?......だからさ。 もうそんな博打みたいなことやめてさ、まっとうな人生に戻ろうぜ? な?」
海斗は竹中に残っているであろう正義感に訴えかけた。
男が一人の女に惚れているのだーーーーそんな嫌な気持ちを溢れさせる行為などしないほうがいいだろうと。
多分、おそらく……いや絶対アイナは竹中に告白されたとしても付き合うことは無いだろうが、無いからこそ、遠くから幸せを願うべきなのでは無いだろうか?
そういった感情を込めながら、海斗は彼に言葉を投げかけた。
「いや、ストライクゾーンの女性が赤面して悲鳴をあげる姿は、おいらの性癖的にもストライクだから見てみたいんだ」
「最低じゃねェか」
最低じゃねェか。
地の文にも海斗の感情が漏れ出してきたーーーーそれほどまでに、海斗は引いてしまったのだ。
「だってな、よく考えてみろ……アイナの顔を。 そしてその顔が作り出す多彩な表情を」
「……」
海斗は彼に促されるまま、アイナの顔を思い浮かべた。
そうだ、綺麗だ。
黒の髪に黒の瞳ーーーー前者は後ろで束ねられ、彼女の全てを立たせているようだ。
それらに見惚れている間に後者で見つめられてしまえば、心を掴まれたように錯覚してしまう。
竹中が惚れるのも無理はない、強気そうな女性が好きな男ならば、一度はいやらしいことを想像してしまうだろう。
「もし、彼女と酒を嗜んでいたら……どんな表情をするだろうか。 そう……酒が回った彼女は紅潮し、普段の強気な姿勢は崩れ去って甘える言葉を口にするだろう……まるで人魚のように…………」
「……」
ーーーーー
『海斗〜! お前の注ぐ酒が飲みたぁいぞぉ〜! あぁん? 口〜ごたえするとかぁ〜……言語道断ッ! そんな書類整理なんて後に回りへ〜、私の部屋に来い〜!!』
ーーーーー
いや、ゴリラです。
海斗は酒を飲んだアイナと関わった時のことを思い出すーーーー
彼の言う通り、かなり紅潮してはいたが……人魚のようにおしとやか、何てとても言えない。
甘える言葉など一つも出て来ない。
むしろおっさんみたいな言葉や下ネタが飛び交う。
そこには女らしさなんてない。
だがそれを知るはずもない竹中は理想の妄想に耽っている。
それでも海斗は妄想を止めようとしなかった。
現実を知らない方がいいこともある、という情けが生まれたからだ。
「それらを受け止めようとするおいら……うん、これは芸術だ……」
ーーーーー
『クッセェッ! 酒臭いんだよお前はァッ! 俺誘うまでに何本空けたんだァッ!?』
『瓶五本〜』
『すぐ寝ろォッ!!!』
ーーーーー
芸術家に失礼です。
そこに芸術などありはしない。
ひたすら男側の阿鼻叫喚が部屋に充満するだろう。
しかしその妄想を止めようとはしなかった。
現実を知らずに理想の妄想に耽るーーーーそれこそが芸術の一端だと信じたからだ。
「……という理由から、おいらはアイナのブラジャーを狙っているのだ。 分かってくれたか?」
「テメェの頭の悪さは理解できたわ。 で? 俺はその願望のために動けばいいのかよ」
「お、協力してくれるのか? 先ほどまで嫌そうだったのに」
「まぁ……な。 面白そうといえば面白そうだからさ。 いいぜ、乗ってやる」
面白そうーーーーというのは嘘じゃない。
確かに面白そうなのだ。
しかし、それよりも彼を捕らえやすそうだ、という理由もある。
というよりそちらの方が乗るようになった動機として大きいものだ。
「では、行動に移すために、顔を覆い隠せるようなバンダナなどは持っていないか?」
「まぁ、大きめのハンカチなら常時持ち歩いてるけど……多分これでいける。 口だけなら隠せられる」
竹中は海斗に顔を認識されないように多い隠せるものを所持しているか尋ねた。
運の良いことに、彼はいつも黒いハンカチを持ち歩いていたーーーーそれも割と大きいものを。
海斗はそれを広げ、竹中と同じように三角に折り、両端を後ろ首で括って鼻から下を覆い隠した。
それでよし、と言うように、竹中は首を縦に深く振った。
海斗は、これから行うことに対する決意を固めようとしたーーーーその時。
路地から顔を覗かせていた竹中の目が変わった。
「アイナだッ! 向こうから歩いてくるぞ!」
そして声を小さく荒げた。
「エェッ!? もう!? まだ心の準備が……ッ!」
海斗もその声につられ、彼と同様に路地から顔を覗かせたーーーーそれにより、彼らにとって右方面から見えたものは。
遠くに、一人の部下を引き連れ、少し酒が回ったように見えるアイナの姿であったーーーー




