第百四十四話 動く心臓
中央街の外れに建てられている古い物件。
広く、外から眺めるだけで高価、華やかという言葉が自然と浮かび上がってくる程のもの。
上流階級であるならば、行っておいて当たり前だと言わんばかり。
様々な行事が開かれたのであろうと思わせる。
……だが、それは過去の栄光である。
今は激しく痛み、人の手も加えられていない悲惨な状態。
外装はいたるところにヒビが入り、塗装もただれてしまっている。
内装も、当時のインテリアがそのまま残されており、朽ち果てる寸前にまで至ってしまっている。
テーブルに椅子、シャンデリア、絵画も……前者の二つは己の足で立っているものも見受けられるが、乱雑に、力を失ったように倒れている。
残りも手入れがされていないために、商品価値は全く無いものと化してしまっている。
とてももう一度、催し物を開こうなどとは思えない。
誰も買取主になろうとはしないだろう。
そんな建物を、夕焼けは静かに、黄金に照らしているーーーー
それが、この建物に与えられた唯一のものである。
「……」
一人の女性。
崩壊の道を辿るだけとなったその建物内に、一人の女性が立っている。
しなやかな銀の御髪を腰まで伸ばし、紺の服を纏っている。
最も嘱目すべきは二つの眼ーーーー
右に染まるは赤、左に染まるは青。
どちらも最上級の宝石を貶し、時には嘲り笑う事ができるだろう……鮮やかという言葉で表現するには痴がましい。
生物が手にする言葉では、その美しさを表現するには足りない、とても難しい事であろう。
その上、幾つかの小さい窓から入りこむ夕日が、彼女を一際生物たらしめている。
まさに生物の頂点。
誰もが見惚れ、敬服し、果ては欲する対象となるであろう。
彼女はバルバロッサ・ラナ。
一国を治める姫である。
彼女は建物内部の中心部分に立ち尽くしているのだ。
見据える先には内部の末端ーーーーそこも、周囲となんら変わらない。
ただの朽ちた塵と埃が宙を漂い、瓦礫同然のインテリアが倒れているだけだ。
しかし、一つ違うものが存在していた。
それは人。
彼女では無い生物が、そこに立っていたのだ。
「……来てくれたんだな……」
「来てくれた……?いるならここだろうと、大体の予想が付いていただけです」
ムランスマール・ザト・ツイル。
大昔、魔界で最も恐れられた五人の魔王の内に入る男。
財力、武力、権力、どれも申し分無しーーーー当時は誰も刃向かおうとしなかった。
その彼が、今、バルバロッサから離れた位置に立っている。
どちらも、目をそらす事なく相対している。
「それでも光栄だよ……しかし予想だけで来るとは……やはりこの俺が見込んだ女だ。 一国の姫にしておくには勿体なさすぎる」
「とは言ってくれるようですが、私は誰からも婚姻なんて受けませんよ。 残念かもしれないですが、諦めてください」
「……恋を芽生えさせた相手から言われるのは、ちとキツイものがあるな……」
「こっちからすれば勝手に芽生えられたのですけどね。 女々しいですよ、何百年も恋心を消化させずにいるのは。 貴方も一国を栄えさせた王……切り捨てというのは得意でしょう。 この建物も、当時の貴方達がボロ家にさせたのも同然なんですから」
「そう言わんでおくれ……あの時は全員が必死だった。……でもそうだなぁ、ここには俺達魔王ももちろんの事、姫、貴女の思い出もあるからなぁ……惜しいだろうよ」
「そうですね。 貴方達との思い出は全くありませんが」
ツイルは身振り手振り、多少の動きを身体に加えて話を進めいている。
しかしながら、バルは不動。
目を彼の目に標準を合わせ、不動の威圧を被せているようである。
「おおっと、これは……意外にも大きな攻撃だった……これは明日にも響きそうだ……」
「……」
バルは、これを機に返答を止めてしまう。
飽きたのか、それとも返答に意味を成さないと悟ったのか……
いや、どちらも彼女の中には初めから存在していただろう。
「……で、何故ここに、一人で、しかも姫様がやって来た? 俺としちゃあ嬉しいが、わざわざ姫様が一人で来る必要なんて無いのに。 ただの自己満足かい?」
「そんなわけ無いでしょう……ただ私は、自分で蒔いた種は自分で処理しようとしただけですよ。 除草剤を撒きに来たんです」
「除草剤を……でも、それで種は朽ちるとは限らない。 その種は除去不可能な植物に姿を変えてしまっているかもしれないのに。 ならば人数を集めてきた方が良かったと思わんか?」
「全く思いません。 それこそ何の意味があるんですか? 状況を一から把握していない魔王様に頼むと? 私が全ての根源なのに、頭を下げて民達を引き連れると?......はぁ……貴方も王だったんです。 全てわかるはず……」
バルバロッサは、決意を変えなかった。
変えない理由は彼女自身。
あらゆる事を理解し、全てを受け入れた彼女自身がその理由。
「国を作る者には、各々役割があります。 魔王は常に笑い、民を良き方向を導くために全力を尽くす者ーーーー」
バルバロッサの脳裏には海斗の姿。
威厳など無い……王という頂点に君臨しているにも関わらず、王の顔すらしない男。
自然体ーーーーどんな相手にも嘘を言わず、遠慮もしなかった彼の姿が。
「民は活発に、元気よく、国を動かし、王の導きを受け、時には反発する者ーーーー」
バルバロッサの脳裏には国に住まう民の姿。
店を開いている民の下に出向く時もあった。
何かを食べている時も、何かをしている時も気兼ねなく話しかけてくる時もあった。
サタンやルシファー、名を外界にまで知らしめている者達がはしゃぎ、国中に被害をもたらした時もあった。
そんな……そんな日々の連続が。
「……そして、私……姫の役目は……やたらと時間のかかる書類整理でも、ささいな言い合いでも、カップラーメンの好みを討論する事でもない……」
彼女は目を閉じた。
益々、脳裏に浮かぶものは数を増やしてゆくーーーー
明確に、より明瞭に、細かな会話部分までも思い出す。
そして彼女は特別な言葉を、二つ摘まみ上げた。
それは二人の男から言われた言葉。
一つは、何百、何千年前に言われた言葉。
場所は国の門前。
そこで彼女は、彼を見送りに来ていた。
その時に言われた言葉。
ーーーーー
『バル……心配するな。 必ず戻ってくる……だから、待ってろ』
ーーーーー
彼はそう言って、彼女の前から姿を消した。
そこからありとあらゆる男に、恋の言葉を投げかけられ続けた。
しかし、これに勝る言葉はなかった。
当然彼から言われた言葉はまだある。
だが……どんな言葉よりも覚えてしまっていた。
それでも、その言葉と同じく身体に刺さった言葉が、現代になってようやく聞けた。
それは運命の日。
ワイザという魔王と婚姻を結ばなくてはならなくなった時。
多くの求婚を断ってきたが、ついに受けなければならなくなってしまった。
こちらの戦力が、ワイザが率いる戦力に負けるかもしれないと理解してしまった。
崖の末端に無理矢理立たされ、何もかもを諦めてしまったその時ーーーー
一人の男が、人間の男がかけた言葉。
ーーーーー
「あのな、結果なんてどうでもいい。 やって苦しい方を選ぼうとするな」
「どちらに進みたいか、それで選べ」
ーーーーー
バルバロッサは、新たに決意を胸にした。
閉じきった瞳を開け、目の前にある現状を受け入れた。
彼女の胸中にあるのはたった一つ。
「全ての責任を負う事です」
どちらに進みたいのか。
あの時も分かっていたーーーー分かっていたのに行動しなかった。
でも……今は違う。
行動できる。
自分の意思で、動く事ができる。
逃げるか、動くか……どちらが苦しいなど、既にこの身が分かっている。
ならば、あとは己の体が動くだけ。
ーーーー魔王様。
ーーーー私は、貴方が……貴方が言葉をかけてくださったから。
ーーーー私は今、心臓を動かせているのですよ?
ーーーーーーーーーーー
ーーーーーーー
ーーー
「……ッ……ッ……!」
夕日が完全に沈みかけるーーーー
明るく、どこか暗い光を与えてくれる源は無くなろうとしている。
建物が落とす影は段々と濃く、肥大化する。
だがそれでも人が中央街からの現象はあまり見受けられない。
「……バル……!」
闇に照らされようとする街を、海斗はひた走る。
鬼気迫る表情。
今までにない焦りと不安が彼の内部を占めてゆく。
傷の残る身体を労るそぶりも見せず、彼は酷使していく。
だがそれでも痛がる様子は無く、ただ目標に向かうのだ。
なるべく人通りが少ない、道の中央を走る。
周りを気にすることも無く、ひたすらにーーーー
「一体……! どこにいるんだァァァァァァァァァッ!!」




