第十五話 人間も十分奇妙な生き物
「やられた……まただ」
レースカーテンから滲む朝の光が、家の一室を弱く照らしていた。 カーテンをふわりと揺らす少ない風も、朝をあじわうに必要なものであった。
しかし、今日はそんなゆるりとできる朝ではなかった。
腰に剣を差した女性二人が、乱雑にあけられたタンスの前で、一方は立ち、一方は膝をついて、一角がごっそりとなくなっている引き出しへ震える視線をぶつけていた。
そして膝をつく女性が、やわら後ろにいる家主に振り向いた。
「ここにしまってあったものは……間違いないんですね?」
口元に右手をもっていって、桃色の長髪を震えさせる家主は、「はい」 と言う。
そしてこう続けた。
「そこには、私の下着をしまっておりました……」
*
昼のひざしが、レースカーテンを貫いて、海斗の後頭部を刺していた。
彼になかば強制的にあてられた一室……十二畳程度の部屋には、ベッドやタンス、クローゼットなど、生活必要品がちゃんと整えられていて、扉から一直線に伸びたところには、大きな机に、座面と背面に緑のクッションがある椅子があり、海斗はそこで、頭の後ろで手を組みだるそうに座っていた。 ベルトに通された木刀の切っ先も、だらりとうなだれていた。
魔王ワイザとの戦いから、二日目の昼である。
「王様になった実感ねェんだけど。 暇すぎんだろ、この職業」
思わずそんな言葉がもれるほど仕事がなかった。
天井に流れる視線が次に動いたのは、扉が三度ノックされたときであった。
「今大丈夫ですか?」 という声に、海斗は緊張感のない 「う〜い」 という返事をして、入室をうながした。
「魔王さ……あぁ、服、そうなさったのですね」
部屋に入ってきたのはバルバロッサ。 彼女はなにか違うことを言いたそうに机の前に来たが、すぐに海斗の右腕に視線がいった。
「こうしたほうが手っ取り早いだろ」 と海斗がだるそうに言えば、彼女は頷いた。
実は、海斗に新調された服は、右腕の袖の採寸がいちぢるしく狂ってしまっていて、直入に言えばダルンダルンだった。
なおさせようかと提案したバルを、海斗は一蹴。 せっかく三十分というブラックな時間で仕上げてもらったのに、これ以上のことはさせられないんだと。
そしてそのダルンダルンのまま、一日目の戴冠式を広場でおこない、 「魔王になった海斗です。 これからよろしくお願いします。 じゃあね」 と言ってあくびをしながら城内に戻っていった彼の姿を思い返し、口元がわずかにゆるんだ。
ふわっとその情景を消し、へ〜、とまじまじと見るバルに向かって、海斗は 「いいだろ?」 と自信ありげに片眉を谷型にまげた。
バルは一つ頷いた。
「それならシルエットにしても誰だか見分けがつきそうです」
「漫画編集者みたいなこと言うな」
バルはそう言ったあと、机の横にある茶色の丸イスを海斗と対面に引いて、横向きにすわった。
赤と青の瞳は綺麗で、一瞬海斗もとらわれた。 光ないあの時よりも綺麗に見える、と。
するとバルはわずかに微笑んだ。
「つか、今日はやけに笑うじゃねェか。 なにかいいことでもあったかよ」
「えぇ、まぁ。 今日は欲しかったものが届くので……」
ふーん、と一瞬で興味をなくした海斗を、バルはまた微笑を浮かべ、細めた瞳で見つめた。
「で……あまり緊張していないようにみえますね。 まるで元からそこに座ってたように……堂々としすぎじゃないですか」
海斗の鼻がわらった。
「今ごろ緊張する要素あるかよ。 あんな馬鹿げた戦いのあとに、イスの上で膝揃えてすわるほうがわかんねェ」
そう……ですね、とバルはまた微笑を浮かべた。
「で、暇なんだけど。 仕事持ってきてくれたんじゃねェの?」
組んでいた手を戻し、猫背になって、腕を垂れるように太ももにおいた。 瞳はより一層だるそうに、バルへねたっとした視線をぶつけた。
あら勘が鋭いーーーーそう言ったバルは、懐から折りたたんだ一枚の資料を取り出した。
「少しずつ書類整理……をやってもらおうとは思ったんですが、貴方はまだこの国をあまり知りませんのでそれは後回しにしてですね。 街の修理費用を計算していただきたいのですよ」
修理費用? 海斗はバルを見つめたまま、止まった。
*
「ここが……十一万。 こっちが……二十万」
昼からやや強く吹き始める風のなか、建物の欠損箇所をみつけては、海斗は手のひらサイズの機械のアンテナをむけ、表示される数字を紙にかいていた。 プラスチックとボールペンのぶつかる音が、奇妙にもリズムをとっているように聞こえる。
そして海斗は、紙に数字を書いたあと、なんとも言えない表情で、ため息をついていた。
「こんなに金かかるの……? 基準を知らねェからよくわかんないけどさ……」
機械を手渡されたときを思い出したーーーーなんだかそのときからよくわからなかったのを覚えている。
*
「貴方に会った時、サタンがイラっとした時、街を破壊してしまうという話をしたはずです。 その、彼女が壊したところを修理する合計費用を計算していただきたいのですよ」
なんだその仕事は……それって魔王がやる仕事なのか……? そう海斗がバルを見つめたまま戸惑っていると、懐からなにかの機械をだし、「これをつかってください」 と彼にさしだした。
海斗のてのひらにすっぽりとおさまったそれを、また彼は見つめて戸惑った。
「それはですね、欠損箇所の修理費用を提示してくれるものなんです」
「そんなハイテクなのあんの?」
バルはうなずいた。
「画面の上にアンテナがありますよね。 それを欠損箇所に向けていただければ、数秒で画面にでますから、それをこの紙に書いて計算してください」
黒く細いアンテナ、赤く半透明のボディをまじまじと眺める海斗に、バルは紙何枚かとボールペンを、灰色のボードの上にのせて手渡した。
若干めんどくさそう顔で、机を杖にして立つ海斗は 「はいはい、じゃあ行ってくらァ」 と扉へとむかったーーーーしかしそこである疑問がふわっと浮かび上がって、振り返ってバルを見た。
「そういやァ……魔界の通貨単位はなんだよ」
自分は魔王であり、これから長くこの立場に就くのだから、この世界の基本的な構造ははやいところ知っておかなくてはならない。 下手でも、自身がなくとも国を
「円です」
海斗の時間は一瞬止まった。
「……え?」
「んです」
「人の言葉を使うんじゃねェ」
疑った。 だって、日本と魔界が同じ通貨単位なんて嘘っぱちだと思ったからだ。
だがバルは変な笑みをうかべることなく、いたって真面目に答えた。 どうやら嘘ではなく、この世界の通貨単位は 「円」 らしいのだ。 なんでその単位なの? と聞けば、使いやすく、もとは魔界発祥の単位らしいとのこと。
「じゃあお前らが日本語をしゃべるのも……」
「使いやすくて、もとは魔界発祥ですよ」
ーーらしい。
*
そんな、ちょっと前のバルとの会話を思い返しながら、ただただアンテナを向けて書くを繰り返す海斗。 単調、だからこそ面倒に思えた。
ーー魔王初仕事としちゃあ……なんだかなァ……。
もちろん、国の復旧作業は大事な仕事である。 ワイザという大魔王をしりぞけたあと、ということもあり、あらゆる面において万全な状態でなければならない。 わかっている、よくわかっている。 自分が国の指導を担っていても、たぶん同じことをするだろう。
でも、なんだかなァと、彼の心はブルーだった。
規則正しく整備された石畳を、海斗は悩ましく踏み歩いていた。 ちらっと視線を落としてみれば、そこは傷一つない、薄い肌色や灰色のレンガが敷き詰められていた。 これと同じように、建物も綺麗だったらいいのにーーーー彼はまたため息をついた。
そんなとき、海斗の肩になにかがぶつかった。
驚き意識を向けると、慌てて走る三人のうち、先頭の女性の肩にぶつかったようだった。 変に作業に意識をもっていかれていたため、足音に気付けなかった。
「もうしわけありませんっ!」 とその女性。 少し海斗を見て、そのまま走り去っていった。
「いいよ〜……」 という小さな声がとどくはずもなく、海斗はぽつんと残された。
「……十五万......」
なんだろう……そう思ったが、海斗は作業を再開。
ここから数箇所さらに見つけ、紙の三分の一くらいがうまった。 そこで海斗は、これ以上多くならないうちに計算しておこうと計算を決行。 「なんでこんなハイテク機能ついてて計算は手打ちなんだよ……」 と、機械に自動計算機能がないことを愚痴りつつ、五つずつ、数を口にしながら打ち込んでいく。
「十五万と、二十一万と、七万と、四十三万と八十二万。 最後たけェなァ……えーと」
ーー百六十八万。
「お、ありがとう」
ダンディな男の声が、海斗がボタンを押すよりもはやく答えをもとめだした。 なるほどと、海斗は五個の数字を片方カッコでくくり、声のとおり、百六十八万と書いた。
いやおかしい。 書き終わった海斗の手は止まった。 今の声はどこからした? 彼は機敏に周囲を見渡したーーーーが、なにもいない。 窓から家の中を覗いてみたりもしたが、誰一人いなかった……ここら周辺の住民は皆、出かけているようだった。
いるのは、レンガ造りの住居の横に、通路側の壁があけっぴろげになった小屋の中にいる、羊のような、巨大な動物のみ。 さすがにこんな生物がしゃべるとは思えないし。
そも、男は海斗しかいないはずであるーーバルからそう聞かされていた。
だから、海斗はなにかの幻なのであると決め込んだ。 ここは魔界だーーーー人間界とは違い、不思議で奇妙な神秘もあるのだろうと、彼はまた計算を再開させた。
「んと……五十七万、十二万、五万に三十三万と八万、と」
ーー百十五万円。
「まじか」
海斗はカッコでくくって数字を書い
やはりおかしい。
さきほどとと同じく、ダンディな声が正解へと導いた。
気味が悪くなってきた海斗ーーーーなぜに男の声がするのか? もうこれは正体を探らないと落ち着いて作業できないと感じて、また周囲を見回してみる。
しかし動物一匹しかおらず、一抹の恐怖も覚え始めてしまっている。 そして動物から視線を外し、建物の屋根の上などをくまなく探す。
……いや、でも。 そうなにかを感じ取り、海斗はおそるおそる今一度小屋の中を再び覗いた。
通路に向かって微動だもせず立つ獣がいた。
茶色い、木のような顔。 くりりとまん丸な赤い双眸。 鹿のように立派なツノを大きく広げ、もさもさとシロクマのような、されども羊のような毛皮が巨体を覆い、牛以上に堅牢な四本足で立つその獣……。
一人と一匹は瞳を合わせ、幾許か動かなくなった。
「初めまして魔王様」
先に口を開いたのは獣だった。 海斗は全身をピクリと反応させた。
「ご挨拶が遅れてしまいました、首を鎖で繋がれています故、そちらに出向くことができずにいました。 私、勝という獣でございます」
「……勝......?」
随分と日本的な名前が、獣の口から家出した。
彼らの周りを通りぬける風が、少しだけ強くなった。
*
締め切られたカーテンの内で、ぽうと蛍光灯の蜜色が弱く、部屋を照らす。 そこには多様な柄をした布が規則正しく並べられていて、それらを巨大な一つ目が眺め、ほくそ笑む。
下着だ。 並べられた布は下着であった。 五十は容易に超えていそうなその下着たちは、その一つ目に大いなる自信をつける裏付けにもなっているようだった。
「こいつらはマニアに高く売れるぞ……なんせ、現在もっともあぶない橋を渡っている国の奴らのだ……」
彼は自分の身体くらいはありそうな翼を震わせて、笑った。
「今日も攻め込んでやるか……昨日盗んだせいで警戒はより強まっているとは思うが……だからこそ値打ちが上がるというもの。 本日0時、奪い去ってやろう!」




