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第一話 迫る時間

 分厚く紫がかった雲は、昼間をすっぽり飲み込んだ。太陽の悉くを隠してしまって、あたりはすっかり夜のように。決して先が見渡せないわけではないその暗さが、かえって不気味だった。

 しかし、赤の花が一面咲き誇る中で青い花が一輪あると目立つように、そんな空間にあっても必ず人の目をひきつけるものが、大きな城としてここにはあった。暗い土地の真ん中に、立派な城がそびえ立っているのだ。

 それを、大小さまざまな住宅、小規模な飲食店、噴水やベンチがある人が憩うであろう場所が詰まった街が囲い、それらを濃淡のある茶色のレンガでできた重厚な壁が正方形になるようしっかりと守っている。東西南北で、一つずつ設けられた大きな門は、多くの人の往来を簡単にするだろう。

 当然、このような大きな国には活気があるようなものだが、ここにはなかった。塵一つの活気もないのである。誰一人として外にいない、声もない、あるのは住居の隙間を縫い歩く風ののみ。そればかりか、住居から光が漏れでていないのだ。普通こんなに暗ければ光なしに生活することはできないだろうし、寝ているのか、と言ってももう正午手前でありえなかった。

 そしてそれは城も同じで、ほとんどが長方形になる窓からは一切の光がなかった。レースカーテンを貫いて自己主張するそれが、ないのだ。

 それでも、城はこの空間で異彩を放ち続けていた。

 その城の一室から、この暗い街並をながめている女性が一人、いた。窓辺の丸椅子に座り、一心不乱にながめる女性の背中はなんとも言えぬ影を背負っていた。腰まで伸びた銀の髪も力なくたれ下がっているように見えるし、まとった白いワンピースも薄黒くにじむ。街を見る、赤と青のオッドアイも、ここでなければ美しく映えただろうに。

 時計の長針が一メモリすすんだ。まもなく頂上で、短針と重なりそうであった。

 なにを思って暗い街をながめるのか。疑問を尽きさせぬそんな彼女を訪ねるため、扉が三度、ノックされた。

 眺望に集中していたために、女性は、今の音がノックだと認識するまでに少しだけがあった。

 あぁ、ノックされたのか。

 ややあって気付いた女性はそちらを見ぬまま「入っても良いですよ」と返した。

「失礼します」

 その声のあと、乾いた金属の摩擦音を立てながら扉が開かれた。

 姿を現したのは黒髪、黒服、黒ズボンといった、いまの状況ではカメレオンのように擬態してしまいそうな女性であった。

 これまた黒く、鋭い瞳は、窓際の女性をまっすぐに見た。

 閉扉してから素早く身体をまっすぐ立たせたために、腰に差した一振の剣の鞘がコツンと扉にあたった。む、とそちらに一瞬目をやって、すぐに視線を元にもどした。

 そんな者が入ってきても尚、窓際の女性は外に目を向けていた。

「なにかありましたか」

 そしてそのまま、来訪者に抑揚なく尋ねた。

「いえ、特に……なにがあったわけではないのですが」

 黒い女性は目を少し伏せ、次の言葉を紡ぐことを躊躇し、弱く下唇をかんだ。

それでもなにか言わなければ、いや、言いたいと強く思った来訪者は、少しずつ口を開けた。

「……姫、あと、六時間でございます」

 その声は震えてはいなかったが、それでも、胸にはなにかを心配する思いが潜んでいるような声色だった。

「あぁ……もうそんな時間になったんですか」

「はい、そうでございます。いかがでしょうか、もう準備を始めてもいいこ」

「もう少し」

 そしてその声色のまま、準備をするよう進言したら、どうだ、姫は来訪者の言葉をバツン、とさえぎってみせた。別にその声はキツいものではなく、今まで会話してきたものと、さほど変わりなかったが、それでも来訪者には、それがやけに強く聞こえて、だから少しだけ、ほんの少しだけ動揺してしまった。

 背骨がさっきよりも綺麗に伸びた気がした。

「もう少し経ったら……準備しますから。 今は、こうさせてください」

 そしてより乱暴に、いまの言葉は来訪者の心をつんざいた。

 姫の声には正規などないのに、普段通りの色がないのに、こんなに鋭く光るのはなぜだ。

 来訪者の心境はより複雑になって、少しだけうつむいてしまった。

 姫の背中を目に入れるたび、その声を耳にいれるたび、顔が黒く塗られていくのが、自分でもわかった。

 だが、なにかを言わなければ自分の身が持たなくなってしまうと感じ、口を精一杯動かした。

「ですが……いえ、あの……姫、私は……」

 しかしうまく言葉がでてこずに、歯が何度も何度も空気を噛んだ。

 一粒の汗が、右頬をくだり始め

「申し訳、ありません」

 自然と、沈み込んだ声色で謝罪の言葉を吐き出した。何かを呪うが如く、水底からゆっくりと湧き上がったような声だった。

 なぜ、私は姫にこれほどまでの重荷を担がせてしまったのだろうか。まだできることもあったのではないだろうか。望まぬ結婚など、しなくても済んだのではなかったのか。

 さっきまで噛んでいた下唇を、再び噛む力などもはや残ってはいなかった。

 ただ、そんな声を聞いても、姫は背中をむけたままだった。微動だにもしない、心配する素振りも見せはしなかったが、なにか思うところもあったのか口を開いた。

「何も背負うことはありませんよ、アイナ。いつもの貴女でいてください」

 その時、アイナの汗が顎に到達し、そのままつかまっていられず、床にぽとんと落ちた。みるみるうちに、トゲの無いイバラがからまったような模様が描かれたカーペットに染み込んで、命を絶やしたように消えていった。

 姫がアイナを心配するようには見えなかったが、少しでも元気づけようとする言葉を投げかけたことを、アイナは分かっていた。

 背負うことは無い……か。

 だが、だからこそその気遣いに苦しめられた。ぢくりと何かが胸に突き刺さって、滲んできた汗が血であるかのような感覚を抱いた。そして同時に、無理をして言っているのだと悟った。姫の背中はあまりにも弱く、小さく見えた。

 聞きたくなかったと、アイナは答えを探すように、視線をカーペットの上で漂わせた。

「姫……ただ、私は」

 だがやはり、途切れ途切れのものしか出てこなかった。だから姫に言葉を挟む余裕を生んでしまった。

「もうよいのです。貴女たちが救われるのであれば」

──それでいい。

 そう言ってくれるのだろうとアイナは感じた。ただ、そんな言葉、聞くのが激しくイヤだと思ってしまって、

「ですが! あいつがあのような約束! 守るとは思えませんッ!」

 声をあげた。

 姫の背中がわずかに跳ねた。

 姫は、優しい言葉をかけて自分を安心させようと、不安と後悔をはらい取ってくれようとしていると、アイナは十分にわかっていた。それこそが姫の優しさであり、いつもおもわず身を預けてしまっていた。

 しかし、いまだけはその優しさを聞くのがイヤで、反抗してしまった。怒鳴ることが、せめてもの、運命に対する足掻きに思えたからだ。

「……それでも、信じるしかありません」

 ただ、姫は静かに言った。いままでの声よりも、か細い声でそう言った。

 今度はアイナも、何も言えなかった。

 さっきのような足掻き、否定、姫への慰めに使うべき言葉を、アイナはとうとう見失った。唯一見えたのは、胸に残る巨大な悔しさだった。そして、水面に駆け上がる泡の如く、ぼこぼこと己の思いが生まれ始めた。

 この国を、皆を、姫を守るために力をつけ騎士となったのに、なにもできない、時間とともに足を運ぶことしか、できない。

 悔しさで腕が小さく震え、たまにカタカタと剣も振動した。

 姫はそれを見ず、知らず、口を開いた。

「これで……たった一人が、たった一つを成し得るだけで、誰も血を流さず……苦しまなくて済むことが、私には嬉しいのです」

 唇を噛み締めるアイナが抱く心配を、懸念を、みじんもなく取り除こうとした姫の言葉。

 それを聞いた瞬間、アイナは、自分の体重が完全になくなったかのような感覚に襲われた。

 臓器が持ち上がるあの浮遊感が、縦横無尽に、身体にぶつかり押し上げようとした。何事に対しても強くあろうとするアイナも、今の言葉には耐えられなかったのだ。

 それもどうだ、優先して守らなければならぬ者からそれを言われてしまったのだ。

 不甲斐なかった。涙も出なかった。ただただ、己を恨んだ。

 視線の先の床は揺れて、空気がうまく肺にはいってこなかった。もう、この部屋にはいられない、というよりも、よく考えてみれば、はなからいる資格も無いのだと、そう思った。

 アイナは胸の奥で、自分を嘲り笑った。

 苦しみに覆われ、目を閉じ、己の力不足を感じたアイナは

「失礼……しました」

 そう言い残し、静かに扉を開け、力なく、開閉音をできるだけ出さないようにして部屋から出て行った。


 部屋にはまた一人、姫だけが残った。 守られる立場でありながら、守られることを捨てた女が。

 だが、決してわがままの末にたどり着いた 「放棄」 ではなかった。守護者たちを、笑顔で生きる民を失いたくはないために他国の王との「結婚」を選び、放棄をえらんだのだ。

 アイナをはじめとする臣下たちと作った思い出を、壊したくないと思ったから。

 姫は一度、視線をさげた。視界には、自分の両手。膝上で重ねられたそれは、自分から見てもか弱い女の手であって、一国の頂点に立つ者にはふさわしくないと思ってしまった。

 こんな手で、なにを守ろうというんでしょうか。

「……ありがとう。 まだ私を、姫と呼んでくれて……ありがとう、アイナ」

 そしてそう言いたかった。膝を突き合わせて、アイナにそう言いたかった。

 でも、この言葉に、きっとアイナはたえられない。ただでさえ身体は疲れきっているのだ、ほんの少しでも衝撃を加えれば、あっさりと崩れてしまうだろう。

 分かっていた、分かっているのだ。

「……ありがとう、みんな」

 この国を見ることができる時間は、あと六時間。時がくれば、ここから去らなくてはならない。

 だから、せめて、愛するこの国を、この目に焼き付けておこう。決して忘れぬように、どれだけ年が経っても、いつでも思い出せるように。

 そして姫は再び、窓の向こうに目を向けた。



運命の分岐まで、あと六時間──。

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