3話
朝倉事件の調査期間中は古道にある民宿で寝泊まりしていいことになった。宿泊費は浪江会の組長である浪江一郎持ちである。
一階の大広間での朝食後、部屋に戻ろうとするところを女将に呼び止められた。
「お客さん。お迎えの車が到着しましたが」
「迎えの車?」
女将の言葉に真壁の顔が浮かぶ。
真壁健吾、浪江会若頭で古道滞在時の轟のお目付役である。まだ早いのにご苦労なことだ。
「知り合いなんで、部屋で待ってもらうようにつたえてください。トイレにいったらすぐ行きます」と簡単に返事をする。
このあたり一帯は下水道の整備が進んでおらず、トイレは建物外に別で備えつけられた汲み取り式であった。真壁を待たせてはいるが、少し調べてから上がろうと轟は便所の扉を開けた。
轟は排泄口に設けられた蓋を指で摘まみながら開ける。
つんと酸っぱいような臭いが鼻につく。とてもまともな精神で便糟内に侵入しようとは思わない。
手早く用を足し、備え付けの紙で尻を拭く。
ここで一つの疑問が生まれる。それは便糟内への侵入経路である。排泄口の直径は20センチ。汲み取り式トイレで幼児が便糟内へ転落する事故はたびたびあったが、成人男性が排泄口から侵入することは不可能だと考えて間違いない。
となると汲み取り口からとなる。轟はトイレを元通りに戻し、裏に回った。
定期的に便糟内の排泄物を吸引するためのものだが、マンホールは転落防止の為、鉄製で何かバールのようなものなしには開けることは困難を伴うだろう。
また蓋の大きさは直径35センチ、成人男性の肩幅が40センチなので小柄な男性なら無理をすれば入れなくはないが、自力で戻ることはまず不可能だろう。
警察発表では朝倉直之は死後二日が経過しており、つまり2月26日の時点では便糟内で亡くなっており、それ以前に便糟内に侵入したことになる。直接の死因は凍死。上半身に着衣は身に着けておらず、上着を抱くようにして亡くなっていた。不思議なことに右のスニーカーが頭付近に落ちており、左の靴は10キロも離れた朝倉直之の自宅付近で見つかっている。遺体発見時、積雪が20センチあり、気温は氷点下であった。
朝倉事件をややこしくしているのが、村独特の体質で、教員の澤村千尋が朝倉直之の遺体を発見したのが17時10分、三春警察署への通報が18時20分、古道の駐在二名の到着は更に15分後の18時35分。なお通報者は澤村千尋の同僚である男性教諭、大和田雅樹で、昨日あった村長秘書大和田千里の息子である。警察到着時、すでに便糟は重機によって掘り返されており、現物は破壊されている。この時、重機を手配したのが浪江会の浪江一郎である。
浪江一郎は村長から連絡を受け、たまたま居合わせた準構の馬場元彦と現場に向かっている。
警察が来るまでに遺体は消防団により汚物を洗浄されている。
つまり浪江一郎を含め多数の人間により、朝倉直之の遺体は便糟内に存在していたことを示している。
なお、警察の介入前に複数の村人による足跡並びにトラックのタイヤ、キャタピラーの跡が残り、初動捜査における物的証拠が残っていなかったことも難しくする要因となっている。
朝倉直之の死が警察の見立て通り痴漢目的の上の事故でなく、殺人ならもっと利口な手立てがあった筈なのである。周囲は山にかこまれており、殺して山中に埋める方が遺体の発見を遅らせるには確実だからだ。つまり殺人である場合、リスクばかりが高く、メリットは限りなく少ない。
朝倉直之の行動としては24日金曜日の祝日の朝、車に乗って自宅を出ているが家族によって目撃されているが、それ以降村の人間が朝倉直之を目撃したという証言はない。
27日月曜日、出勤してきた農協職員の男性が敷地内の駐車場に朝倉直之所有のセダンが駐車されているのを確認しており、警察は朝倉直之が農協駐車場に車を駐車後、便糟内に侵入したものと結論づけた。
しかしそうなるとぶつかるのが靴の問題である。警察の考えではこの靴の問題を全く無視してしまっているのである。
やはり他殺の線が濃厚なのではないかと轟は考えていた。自宅周辺で朝倉直之を誘拐し、その拍子に左の靴が土手で落ちてしまい、犯人は朝倉直之を10キロ離れた澤村千尋の教員住宅の便槽まで連れてきたと考えるのが自然ではないだろうか?
轟は推理を中断し、真壁の待つ二階の部屋へと向かった。
「いゃあ、待たせて悪かったな」襖を開けるとすぐそばの座敷に黒いスーツを着た小柄な男が、こちらに背を向けて座っていた。
「誰や。自分?」男に向かって声をかける。
「女将から部屋で待つように言われたのですが」膝を立て振り返った姿には見覚えがあった。村長篠宮剛太郎の運転手を務めていた男である。
「たしかに部屋で待つように言ったけど」まさか人違いとは言えず、轟は頭を掻いた。
「申し遅れました。私、村長の運転手をしています。小田切と申します」うちポケットから名刺を取り出すと轟に差し出す。
「小田切仁」轟は名刺を受け取る。
「すいません。今、名刺を切らしてまして」ととっさに嘘を付いた。名刺を作る金がなかっただけである。
「ご心配なく。轟周平さん。大阪の探偵さんですよね」小田切はにこにこと笑いながら言った。
「ところで今日はどのようなご用件で」どうも小田切と話していると調子が狂う。
「そうでした。私と一緒に来て頂きたい」
「はぁ?」
「篠宮剛太郎のたっての希望ですから」




