2話
「桜と言えば仙台が有名だが、ここも負けちゃいないっぺ」紙コップを片手に日本酒をちびちびやっている浪江一郎は完全に出来上がっていた
。
先程の浪江一郎の衝撃的な告白を受け、食は全くと言って進んでいない。
花見用の白いテントが並び、仮設の舞台の上で着物姿の女性が歌を披露する。
「最近調子はどうだい」と会う人会う人と長話をするのでちとして進まない。
轟が訪れたのは古道中学校のグランドでおこなわれた花見で、組の若い人間がまだ肌寒い中、上半身肌着姿のまま駆け回っていた。中には立派なもんもんがばっちり見えている者もいたが、住人は気にする気配はない。
浪江の言葉が甦る。「直之は村の誰かに殺された」こうなると誰しもが怪しく見える。
「兄さんいい身体してるっぺ」頭にタオルを巻いた若い男が言った。肌着からはみ出た腕は丸太のように太い。刺青は入っていないので、組員なのかカタギなのかはどちらともいえない。
「馬場、オヤジの客人に迷惑をかけるなよ」
馬場と呼ばれた男の後ろにグレーのスーツを身にまとった男がたっていた。身体は馬場より幾分細身ではあるものの、そのスーツの下が贅肉などではなく、硬く引き締められた筋肉の塊であることは容易に想像ついた。
「こいつは馬場元彦。まだ杯も交わしていない青二才だ」スーツの男が馬場を押しのけ、間に割り込んだ。
「あんたは?」
「すまない。自己紹介がまだだったな。真壁健吾」
「兄貴」馬場が心配そうに真壁を見る。
「馬場、下がってろ。先生と話がある」真壁が言うと馬場は二三歩下がってから向き直るとその場を後にした。
「オヤジから聴いている」真壁は囁くように言った。
「何か知ってるのか?」轟の問いに真壁が首を横に振る。
「残念ながら俺は普段、東京にいてな。今日はオヤジに呼び戻されてここにいる」東京とは、住吉会や稲川会など東京に基盤を置く広域暴力団のことだろう。地方ヤクザが跡継ぎである若頭を勉強のため巨大組織に奉公に出すことは珍しいことではない。
「場所を移そう」そう言って真壁はテーブルの上に置いてある紙コップ入りの日本酒を手に取った。
「朝倉の一件については迷惑をかけている」テントから離れると真壁はすぐに言った。
「何も知らないのか」
「言っただろ。俺は普段東京にいると、俺が出来るのはこの村の人間の名前と顔を教えるくらいだ。そのあとのことはあんたの仕事だ」
「つまりはお目付役と言うことか」
「そう悪く思うな。オヤジはあんたを信頼しているかもしれないが、俺は違う。他の奴らもそうだ。基本、よそ者を嫌う。真っ向から会いに行けば向こうから閉ざしちまうそういうものだ、田舎ってのわな」
真壁の言うとおりだった。今回の浪江一郎の依頼が朝倉事件の解明なら一番の問題は協力者だ。なにせ、浪江一郎の話を信じるなら村人の話を鵜呑みには出来ない。子供の時のクイズみたいなものだ。正直村と嘘つき村、正直村は全員が正直で嘘つき村は全員嘘つきです。ただ実際の事件では人は正直に話すか、嘘をつくかはその時の事情に左右される。となれば浪江一郎が真壁健吾を轟周平の協力者に選んだのは適任だったと考えるべきだ。
古い任侠系ヤクザは極端に嘘を嫌う。彼らの道理に反するからだ。言わば正直村の正直者と言うことになる。轟の経験上、真壁のようなタイプはまさにこの古き任侠ヤクザに当たる。
その後、数人の名前を教えてもらい手帳に控える。こういった時、協力者の存在はありがたい。単独での調査では名前や職業、家族構成を引き出すのに時間がかかる上、目の前でメモをとることも出来ないため、何度もトイレの個室に駆け込まなくてはならない。以前とある組のヤクザと接触した際も怪しまれ、トイレの窓から命からがら脱出したこともあった。
祭りの中でも、ひときわにぎわうテントブースがあることに気付いた。日立、東芝といった原発プラントメーカーが主催するものである。家族連れも多く、子供は風船を持っていた。
「怖くはないのか?」
「怖い。なにがだ」真壁は私の唐突の質問に理解できなかったようだ。
「原発だ」古道から福島第一原発は直線距離で東へ20キロほどで、花見会場からも原発を見ることができる。
「ヤクザが原発を怖れたりはしない」
「いや、ここの住民だ」原発が事故を起こせばこのあたりは死の灰が降り注ぐ。チェルノブイリで発生した未曽有の災害はまだ記憶に新しい。
真壁は少し考えてから言った。
「いいことを教えてやる。この村には二種類の人間しかいない。原発で喰っているカタギと原発を喰い物にしているヤクザだ」
たちの悪い冗談だ。
「原発がなければ村はとっくに無くなっていた。若い奴はみな東京に行く。普段東京で生活している俺が一番よくわかる。この村には刺激がない」
原発が福島にできた要因の一つに人口流出の問題があった。なまじ東京に近いため、出稼ぎと称して村を離れるものがあとを絶たないのだ。
「水道が整備されたのも原発のお陰だと思っいる人間も多い。東京の常識は、田舎の非常識なんだ。それに東京の偉い先生がかんがえてんだろ。日本ではチェルノブイリみたいな原発事故は起きない」真壁は言った。
突如として、中学校のグランドに黒の高級車が侵入してきた。周りにいた住人たちが四方に散り、逆にプラント関連の職員が数人足早に駆け寄る。
「そこ退いて」眺めていた轟を押しのけ、我先にとプラントの人間が集まる。
「来やがったな」集まる連中とは逆に真壁は露骨に嫌な表情を浮かべる。
黒いスーツを着た運転手が降りてくると、後部座席の扉を恭しく開ける。どんな奴が出てくるのかと見ていると。グレーのストライプのスーツを着た小太りの男が出てきた。
「あいつは?」
「篠宮剛太郎、通称ライオン先生だ。そしてこの村を取り仕切る長だ」真壁が苦々しく言う。
篠宮はプラントの人間と握手を交わし、終始にこやかだった。一瞬だけこちらと目が合うと隣にいる男に耳打ちをする。すると耳打ちされた痩せ型の男がこちらに向かってつかつかと歩いてくる。
「いつ戻ってきた?」男は咳払いをしてから真壁に言った。
「昨日だ」真壁はぶっきらぼうに言う。
「ちょっと待ってくれ」轟が二人に割り込む。
「誰だ。あんたは?」男が轟の胸を押し退けるように言う。
「オヤジの客だ。手荒なまねをするなよ」真壁が睨みを効かせる。
「浪江の・・・・・・」男が言葉に詰まる。「どこだ。東京か」
「大阪で探偵をやっている」
「探偵」男が細い目をさらに細めて言った。
「オヤジが朝倉直之の事件について調査を依頼した。名前は轟周平」真壁が説明する。
「わからん。とにかく、朝倉のボンは事故で死んだ。おかげで雅樹の結婚は破談になった」
「どうしてだ。千尋と雅樹には何の関係もない」
「何の関係もない。お前は何も知らないんだな。澤村千尋は朝倉のボンとも関係があったんだよ。雅樹はあの女に騙されたんだ」
「ば、バカいえ。千尋がそんなことする訳がない。次にそんなことを言ったら殺すぞ」真壁は男の胸倉を掴みかかりそうな勢いになる。
「やはりヤクザだな。お前は大和田家の恥曝しだ」
「残念ながら大和田の名前は捨てたよ」真壁は男に背を向ける。男は背広を直すと村長の方に帰って行った。
轟は真壁の後を追う。「今のは?」
「大和田千里。村長の秘書をやっている。まぁ、今ので分かっただろうが、俺の生物学上の父親だ」