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1話

 軽トラックのラジオからビートルズの『ロング・トール・サリー』が流れた。窓の外から見える山道とアップテンポの曲が不釣り合いだが、運転席に座る浪江一郎はのり気で、サビの部分を大声で歌っている。

 「のっぽのサリーはビートルズがカバーしたのが有名だが、本当はリトル・リチャードの曲だっぺ」スキンヘッドをした浪江一郎が助手席に座る轟周平を見て言った。

 轟がビートルズを知ったのは1970年に入ってからで、正確に言えば、轟が地元の中学校に進学した以降の出来事になる。

 『ロング・トール・サリー』の歌詞の中ではジョンおじさんが背の高いサリーと言う背の高い恋人がいる。 サリーはbald headすなわちスキンヘッドだというなぞの歌詞で、轟たちの中ではジョン・レノンはホモだからそんな歌を作ったとまことしやかに噂され、言い争いで大喧嘩となったことがある。

 隣を見ると似つかわしくない大きなサングラスを掛けた浪江一郎が『ロング・トール・サリー』をくちずさんでいた。

 浪江一郎から電話がかかってきたのはつい先日だった。轟はちょうど勤めていた事務所を独立し、大阪の淀屋橋に探偵事務所を開業したところだった。

 浪江一郎からの依頼では出張中、大阪の事務所でのアルバイトを雇うだけの金を工面してくれるという大盤振る舞いだ。もっともアルバイトを雇う必要もなく予定は真っ白だったため、その分の金がまるまる懐へ転がり込んできた。

 驚いたことに郡山の駅での出迎えは親分である浪江一郎本人だった。白の作業着に軽トラと事情を知らなければ、完全に地元の農夫である。

 普段大阪のディープなヤクザに触れている分、地方のヤクザは緩く感じられる。もっとも警察の姿勢は西高東低で、テレビや新聞で大きく報道されるのはもっぱら西の広域暴力団、山口組である。しかしこれは東のヤクザが西に比べて弱い訳ではない。東のヤクザが親和性にとんでいるだけに過ぎない。

 窓の外にはのどかな田園風景が広がっている。浪江の住む古道地区へは郡山から国道288号線を東に進み村の集落に入った。

 もちろんただで金をくれる訳もなく、非合法を売りとするヤクザが轟のような個人営業の探偵を雇う場合、経験上ろくでもない事件に巻き込まれることが多い。

 「このあたりは平和な村だべ。事件らしい事件も起きたことがないっぺ。それが」

 浪江の言わんとすることは察しがついた。今年の2月に青年団の男性が変死した事件である。報道当時は発生場所の名前をとり田村変死事件と言われていたが、亡くなった青年の名前、朝倉直之の名前を取り、『朝倉事件』と呼ばれていた。

 「村の人間は皆、兄弟だっぺ。直之の父親、朝倉総介とは子供の時からの付き合いだ。なんとかならんか?」

 「何とかならんかといっても事故なんだよな」

 朝倉事件の概要はこうだ。

 今年の2月28日、近くの小学校で教師をしていた澤村千尋が、自宅である教員住宅に帰宅し、ふとトイレの中をのぞき込むと人間の顔のようなものが見えた。怖くなった千尋は職場の同僚である大和田雅樹を呼びに行き、二人で中を覗くとそこには村に住む青年が横たわっていた。

 青年は消防団により便糟内から救出されたが心肺停止、その後死亡が確認された。直接の死因は凍死であり、地元警察は朝倉直之が痴漢目的で便糟内へ侵入した事故として結論付けた。

 「うーん」轟の説明に浪江は渋い顔をする。「まぁ間違ってはいないが」

 なんとも歯切れが悪い。何かを隠している。

 「正直に話してくれないか」轟は渋る浪江に向かって言った。

 「あの場に儂もいた」

 「はっあ?どういうことだ」

 浪江は軽トラを農協の駐車場内に横付けする。

 「直之が不憫でならなかったっぺ。死ぬにしてもあんな死に方をしたら、死んでも死にきれなくなる」

 「確かに痴漢に失敗して凍死ほど情けないものはないな」

 「違う。直之は殺されたんだ。この村の誰かに。そして儂を含めた村の人間全員が何らかの形で事件に関与している」

 「どういうことだ?」

 「事件があった日、儂のところに村長から電話がかかってきた。なんでも直之が見つかったって話だった」

 「見つかった」

 「んだ。それですぐさまユンボ持ってこっちさ来てくれって言うんだ」

 「ユンボ」

 「あぁ、この村でユンボを持ってるのはうちと村長のとこの篠宮土木しかない。たまたま村長のとこのは現場で出払ってると、しょうがないので、そばにいた若いのをひっつかまえて、ユンボ持って現地さ向かったぺ」

 「現地と言うのが」

 「そこだっぺ」浪江が指差した先に三軒並びの住宅が見える。

 「一番手前のが澤村千尋の住んでいた教員住宅だっぺ」

 浪江は話を続ける「地元の消防団が数人と教師をやってる大和田雅樹がなにやら話をしていた」

 「警察は?」

 「来てない。ヤクザ呼ぶのに警察呼ぶやつはいないっぺ」

 普通逆だろとツッコミたかったが、事実なのだから仕方がない。

 「直之はどこだ?と聞くと雅樹を中心に団の若手が嫌な顔をする。村長の奴がユンボ持ってこいちゅう理由がわかった。昔も厠に落ちた子供をユンボさ使って助けたことがあった。直之は便所の中にいる。真っ暗な穴の中に白い足が見えた」

 「待ってくれ。見えたのは足だけだろ。どうして朝倉直之だとわかったんだ」

 轟の問いに浪江一郎は首を捻る。

 「わからない。村長からの電話でてっきり直之だと思っていたっぺ。現場にいた消防団員も直之だと言っていた」

 「つまり消防団員も大和田雅樹も便糟内にいる人物が朝倉直之だとわかっていた」浪江一郎はゆっくりと頷く。

 「続きを話すっぺか。儂が到着すると同時に村役場からバキュームカーが到着した。運転席には村役場に勤める雅樹の兄、大和田一馬だった。団員が汲み取りのホースを穴の中に突っ込み、一馬が真空ポンプを起動させ、汚物を吸い取る。次に儂等がユンボで汲み取り口を掘り起こし、数人がかりでやっとこさ直之を引きずり出した」

 浪江一郎は言葉に詰まった。

 「儂等ヤクザは必要によっては酷いことをするっぺ。でもな、人の道に反することだけはしねぇ」

 「朝倉直之はどうだったんだ」浪江一郎は話をするのを避けている。わかってはいるが聞かなくてはならない。

 「汚物にまみれた直之の身体は黒く変色し腫れ上がっていたっぺ。長時間閉鎖空間にいたんだろな身体を腹の中の赤ん坊のように折り曲げ、その上半身は何も身につけず、着ていた衣服を大事そうに抱えていたんだ」


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