ケーキよりも甘い笑顔を
……私、『ミルア=カロン』は見てはいけない物を見てしまった。いや、私は何も見てはいない。
話題になっている喫茶店のケーキ。
久しぶりに取れた休みに誰とも休みが合わずに一人で訪れた喫茶店。
店が混んでいたため、相席になったテーブル席。
そして、目の前には普段とは違って表情筋を緩ませてケーキを頬張っている金髪碧眼の美しい青年が一人。
「……ミルア、なぜ、お前がここにいる? 一先ず、座ったらどうだ?」
……目が合うと同時に緩んでいた表情筋は引き締まり、いつもの私が見ている不愛想な表情に変わってしまう。
青年は私が仕える屋敷の若き当主であり、その不愛想だが優秀な手腕で国内外に名前が知れた『レスト=レクサス』様である。
レスト様は何事もなかったかのように私に声をかけるが、その口元には頬張っていたケーキのクリームが付いており、格好はついていない。
見ないふりをした方が良いと思いながらも、喫茶店は込み合っており、それに気が付いたレスト様は冷たい視線で目の前の席に座るようにと命令をする。
私はしがないメイドの一人であり、レスト様に名前を憶えられている事に驚きながらも雇い主の命令に逆らう事ができずに席に着く。
「あ、あの、本日はお休みだったので、噂のケーキを」
「一人でか? 寂しいな」
「……申し訳ありません」
レスト様の表情筋が固まっているため、尋問されている気しかせず、胃がキリキリと痛み出してくるが黙っているわけにも行かない。
何とか、言葉をひねり出すとレスト様はため息交じりで紅茶に大量の砂糖を入れた後、口へと運ぶ。
見目麗しいわりには不愛想なため、睨まれるともの凄く胃が痛くなったり、背中が薄ら寒くなったりもするのだが、とりあえずはプレッシャーに耐えきれなくなった私は額をテーブルに付けて謝罪する。
「……何を謝っている。それより、注文しないのか?」
「し、します。えーと、その前にレ、レスト様」
「ここでは様は付けるな見つかると面倒だ」
「レ、レスト? あの、口元にクリームが」
「そうか……これで、取れたか?」
レスト様の眼力は心臓に悪いのだが、口元にクリームが付いているのを見ていると笑ってしまいそうになる。
しかし、レスト様の顔を見て笑ってしまえば、突き刺さるような冷たい視線を浴びてしまう。
そう言うのが好きと言う特殊な性癖の人もいるかも知れないけど、私はノーマル、現状では寿命が縮む気しかしない。
自分の寿命を守るためにクリームだけでも取って貰おうと彼の名を呼ぶが、レスト様にとっては甘党と言うのは隠したい事柄のようであり、呼称を外すように強要される。
正直、恐れ多いのだが突き刺さるような視線に反論はできない。
私はびくびくとしながらもレスト様の希望通りに呼ぶとポケットからハンカチを取り出して彼に渡す。
レスト様はハンカチを受け取る事なく、指で口元を拭うと拭ったクリームを1度、見た後、口へと運んでしまう。
その様子に唖然とする私にかまう事無く、レスト様は表情を小さく緩ませて聞く。
……これがギャップ萌えか?
先ほどは見なれない表情に恐怖しか感じなかったのだが、二度目になると耐性が付いたのか少しだけ可愛く見えてしまう。
それでも、拭い切る事ができなかったクリームがまだ口元に付いており、このままにはしておけず、私は身体を伸ばして彼の口元のクリームをハンカチで拭く。
「あ、あの、レストは一人で喫茶店に来るのですか?」
「……なかなか、ケーキなどは他人をもてなす時や他家に訪問する時に有効な物だからな」
「そ、そうですか」
店員を呼び、噂になっているケーキを頼むとレスト様は私の注文に乗っかるように使い注文をする。
私達の様子は店員にも見られていたようで私達は知り合いだと認識されたようで店員は特に気にする事無く、自分達の仕事を行っている。
しかし、雇い主であるレスト様と二人っきりの私の胃はキリキリと痛んでいるのだが沈黙はさらにきついため、レストが喫茶店を訪れた理由を聞く。
あくまで人間関係を円満に進めるために必要な事だとは言うが、先ほどから彼の胃の中に収まっているケーキの数を見ていれば、完全にケーキがレスト様の好物である事はわかる。
「ふむ」
「どうかしましたか?」
「いや、いつもは一人でこのような視察をしていると声をかけられるのだがな。今日は声をかけられないと思ったんだ。うっとうしくなくて良いな」
「そ、それはレストが一人なら声をかけるでしょうね」
レスト様はケーキを頬張りながらも周囲を見ていたのか、何かに気が付いたようで小さく頷く。
その姿に首を傾げる私にレスト様はいつもとは何かが違うと不思議そうに首を捻っている。
そうでしょうよ。いつもの、不機嫌そうな表情と違って、嬉しそうにケーキを頬張っている姿を見ては誰があのレスト様だと思おうか。
元々、見た目は金髪碧眼の美しい青年なのだ、そんな人間が表情を緩ませてケーキを頬張っていては年頃の女の子達から見れば目の保養や狩猟対象になる。
女の子達の行動の意味がまったく理解できていないレスト様は最後のケーキを頬張るとケーキと一緒に注文していた紅茶に大量の砂糖を入れた後に平然とした表情で飲み干してしまう。
「私が一人ならか……良い事を思いついた。ミルア、今度、私が視察に来る時は同行しろ。喫茶店と言うのは男一人でくるのはどうも違うようだ。それで声がかけられないのなら、私も都合が良い」
「わ、私にもお仕事がありますから、無理です」
「これも仕事だ。メイド長には私から伝えておく。これは命令だ。わかったな」
「わかりました」
「それでは次の店だな」
レスト様は若い男女が二人で喫茶店のケーキを食べていると言うのがデートと認識されると言う事はまったく頭にないようであり、私をお供にすると決めたようだ。
この状況は私の胃的にはあまりよろしくないため、断ろうとするが雇い主の命令は絶対であり、頷く事しかできない。
私の考えている事など気にする事は無く、レスト様は二人分の伝票を持って席を立って行ってしまった。
おごり? と言うより、次の店?
……わ、私のお休みは?
その後、喫茶店を三店ほど周り、解散したのだが私の休日は完全につぶれてしまいました。
ただ、他の人が知らないケーキを頬張っているレスト様の表情を見ていられるのは少しだけ、得をした気分でした。
後、今月のお給金にはしっかりと休日手当が入っていました。
……評判通りのできる男と判断して良いのかは少し微妙ですけど。