天国の嘘と希望
即興小説から。お題は「嘘の希望」で制限時間は30分でした。
世界の果てを見に行きたい。
そう彼女は願った。
だから僕はずっと、永い旅を続けてきたんだ。
いつの間にか、世界はとてもつまらなくなっていた。灰色の空、赤茶けた荒野、寂れた街の跡……何もかもが、つまらなかった。
「でもね、こんな世界でも、果てまでいけばまだ希望は残っているんじゃないかって」
彼女はそんな夢物語を、病床で僕に語って聞かせた。
いつの間にか、人間もだいぶつまらない存在になっていた。簡単に衰弱して死ぬ、本当に取るに足らない存在に。病院も、医者も、薬も存在しない。そんなものは瓦礫にまみれて絶滅してしまったのだ。
だから僕は知っていた。彼女の言うような夢物語が、もうどこに行ったって存在しないことに。
それでも僕は彼女が大切に育てている希望の芽をつぶしたくない一心で、こう答えていた。
「そうだね。僕もそう思うよ」
それはとても大切で、とても悲しくて、だけど甘い、嘘だった。
「この前久しぶりに旅人さんが来てね。もっともっと向こうの、昔は海のあった方には、まだ水や草木が残っているんだって。きっと天国のように素敵だろうね」
もちろん、嘘だ。まだ文明の利器がかろうじて生き残っていた頃、テレビと呼ばれていた四角い額ぶちは毎日人類の住める場所がもうそれほど残されていないことを教えてくれた。こんな痩せた土地で、食べ物もろくに育たず、水も汚れていて……。僕みたいに、この歳まで健康でいた人間なんて絶滅危惧種だっていうのに。美しい草木と水のある天国なんて、この地上にあるはずない。
「ねぇ、私ね、いつか世界の果てに行きたいの」
「病気を治さないとね」
「気休めなんていらないわ。私、自分が死ぬことくらいわかるのよ。だからね、貴方にこれをお願いしたいの」
彼女が僕に渡したそれは、一通の手紙だった。
「私の代わりに世界の果てに行って。その天国みたいな場所で誰かに会えたら、その人にこれを渡して。誰かに私がその場所を望んでいたことを知っていて欲しいから」
そのささやかな願いを僕に託して、彼女は息を引き取った。
そして僕は旅に出た。あるはずもない世界の果て、天国のような場所を目指して。
結局のところ、僕はそれほど遠くには行けなかったのだと思う。
食料や水なんてほとんど手に入らなかったし、僕も今では健康とはいいがたかったからだ。かつて海があったはずの場所になんて、徒歩でたどり着けるはずもないのだ。
「でも、君が最期まで僕を信じて笑ってくれたから、もういいかな?」
本当は旅に出なくても良かった。君はもういない。草木の溢れる素敵な場所もない。ひょっとすると、この世界に生き残りは僕だけなのかもしれない。それでも旅だったのは、これが君への餞だから。
僕のつまらない嘘を終わりの時まで希望に変えてくれた君への、お礼みたいなものだから。
もう一歩も動けそうにない。水も食料もないし、とても眠くて、疲れている。
次に眠ったら、きっと僕に目覚めの時は来ない。何となく、わかった。そう言えば彼女も自分が死ぬ時のことはわかるって言っていたっけ。
「君の最期の手紙、読ませてね」
出会えなかった誰かの代わりに、僕は君の言葉を受け止めて眠ろう。
そう思って、震える指で手紙の封を切った。
『――へ』
そこに書いてあった宛名は、僕の名前。
「どうして……?」
この手紙は、まだ見ぬ誰かのために書かれたのではなかっただろうか。
だけど、何度見直してみてもそこに書かれているのは自分の名前で、綴られた字は弱弱しく揺らいでいるものの、確かに彼女のもので……。
『ごめんね、私はひとつだけ嘘をついたの。この手紙は――にあてたものなの。
この世界にはもう、私と――しかいないのだと思う。いたとしても、もう出会えないと思う。
それでも世界の果てに行きたいと願ったのは、――なら、私のために最後まで生きていてくれると思ったから。
私の希望を叶えることを希望にして、一秒でも長く生きてくれると思ったから。
こんなつまらない世界でも、私は貴方に一秒でも長く生きていて欲しかった。
だから、ごめんなさい。そして、生きていてくれて、ありがとう』
……ああ、これは希望だったんだ。
彼女のためではなくて、僕のための希望で、嘘だったんだ。
「大丈夫、僕は生きたよ……君の希望を、叶えられたよ」
そして、今から逝くよ。君が待っている天国へ。
そこは草木と水と光と笑顔に溢れた、とてもとても素敵な場所なんだ。
即興小説の暗めのお話は大体こんなオチがついている気がして、自分自身に「あんたも好きねぇ」と白い目を向けるお仕事です。