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研修(2)


(2)

研修先につくとまずはビジネスマナー研修だろうか名刺の渡し方、お辞儀の仕方を教わった。

面白かったのは名刺ケースが金物であることはさけるようにとの説明だった。説明しながら金物のケースを手元から落とす。大きな音が「がしゃん」となって、何がいけないのかを教えてくれた。面談時に大きな音をたてるマナー違反。だから革製品がいいのかと思った。周りを見渡すと、すでに金物の名刺ケースを持っているものがいるのだから笑いそうになった。

私が持っている名刺ケースは雪がくれたものだった。

内定を取った私に内定祝いとしてくれたのだった。あれだけ落ち込んでいたにも関わらず、プレゼントをくれたのはうれしかった。名刺入れを見て胸が痛くなるのを感じた。

ああ、ここにも雪がいてくれたんだね。私は名刺入れを見て少し微笑んだ。

「では、実際に名刺交換をしてみましょう。まず隣同士で。3名まで交換しましょう」

研修担当言葉でみんな立ち上がり名刺交換を始めた。

私の相手は無表情の江見だった。機械的に淡々とこなす彼女を見ていて少し怖いと思った。雑談をするでもなく、表情がかわることもなかった。

私も江見に何か話しかけるということもなかった。彼女が、私が話しかけるのを拒絶しているかのように感じたからだ。ただ、一瞬名刺交換時に触れてしまった江見の指は思ったより温かかった。やっぱり人なんだなと思った。

「何?」

江見からそういわれた。指が触れたことが気に障ったのかと思った。だが、私が何も言わなかったら反対側に向いて名刺交換をしていた。

気にしないように私は違う相手を探していた。するとするっと佐波がやってきた。

「なんかすごいな。あの江見って」

小声で話してくる。

「そうなんだ」

「頑張れよ」

軽く言葉を交わして佐波と離れた。後1人。近くにいた人と名刺交換をした。めがねをかけた男性だったとしか覚えていない。

「はい、皆さんお疲れ様でした」

明るい研修担当の人の声が広がる。いつもニコニコ笑っている人だ。だが目が笑っていないのがわかる。名刺交換をした後にまず人頭税についての説明を受けた。

講義は眠かったが後でテストがあると聞いていたので、メモを取ることで睡魔と闘っていた。

すでに人頭税については誰もが知っている。法律が変わる時自分に関係がある法律は詳しくなる。消費税が上がった時だってそうだ。誰もがあがったことを知る。

人頭税も同じだ。

18歳以下までは一人毎月5千円。だが、大学、短大、専門学校にいかない学生は2万円になる。この金額は両親が支払う。両親が支払えない場合は両親に処罰が下る。両親が事故等でいなくなった場合は後継人が支払うこととなる。支払者がいなく、当人に支払えない場合は特例保護観察として国営農場につれていかれる。そう、その段階で人生が終わってしまうのだ。だからこそ雪は学生だけれどずっとアルバイトをしてこの額を支払っていたのだ。

だか、ごく一般の家庭が多いため進学率があがる。進学さえしてしまえば毎月の人頭税は6千円で済む。もちろんこれは大学院生やマスターなどもこれに含まれる。

けれど、卒業をしてしまえば次は4万円になる。これが人頭税だ。

結婚をして妊娠をすればその女性の人頭税は子供が3歳を向かえるまで千円になる。そして3歳児未満の子どもがいる場合の世帯主にも人頭税は減額となる。また、扶養者が増える場合も人頭税の免除がある。

ただし、65歳以上でもこの人頭税はかかる。だから年齢に関わらず職につく何らかの形で収入を得ることを考えなければならない。

サラリーマン勤めをしているものは定年退職後でも収入を得るために週末や業務後に活動をしている。

何もしていないものは65歳未満であれば国営農場での作業になる。

65歳以上もしくは体力的に農作業が厳しい場合は、管理施設「B」に連れて行かれるのだ。

単純作業をさせられるのかわからない。ただ、管理施設「B」につれていかれるのは外界とも遮断されるし、情報も一切こちらには入ってこない。つまり謎の場所なのだ。だが、まれに通常の保護観察、国営農場でも問題を起こしたものはこの管理施設「B」につれていかれる。

管理施設「B」に送り込まれた人の話しはあまりニュースにもなっていない。ただ、国の施策として作業をしていることは聞いている。

実際に国営農場での勤務と管理施設「B」の設置のため失業手当の支給がなくなったのは大きな転換期であった。

ただ、国営農場行きから逃げようとする人がいる。また、人頭税を支払っているが定職についていない人も予備軍としている。

そういう人に対して仕事の紹介や斡旋を行うことや、それでも職につけない人を国営農場で従事してもらうよう「お願い」するのがこの特殊公務員の仕事だと教わった。

ただ、昔のように職業訓練校などというものはない。当人の適正は関係なく国営農場で働いていただくのだと言う。

それは、食糧難の時代だからかもしれない。輸出入の制限が付いたからかもしれない。いや、世界規模で食糧の調整が入っているからなのかも知れない。

色んなことに理由をつけてただただ「正当化」をしているだけに思えた。研修担当者が言う。

「私たちは多くの国民を守るために、時に非常にならないといけないのです。この言葉は今はわからなくてもいつかわかるときがきます」

その言葉で締めくくられた。気がついたら18時になり研修は終了となった。



「疲れたな~」

佐波が私に近寄ってきてそう言ってきた。

宿舎は男女でわかれていた。私があてがわれた宿舎は木造の古いたてものだった。1階に食堂が設置されていて、私はA定食を選んだ。

A定食はご飯、味噌汁にサラダ、ハンバーグだった。小鉢にはほうれん草のおひたしが入っている。

食事はA定食かB定食の2択だった。それ以外のメニューがないからだ。

だが、食費を払うことはなかった。どうやら研修の間、私たちはお客様として扱われるようだ。

ハンバーグを食べる。肉はかなり貴重なのだ。国産牛は高価だし、オーストラリア産の牛肉も輸入制限のためあまり流通していない。

輸出をすることで外貨をあつめていた国は外貨獲得のため密輸という手段をとっている。日本国内にもそういう商品は普通にスーパーマーケットに並んでいるし国も咎めない。咎めてしまうとそれこそ食べるものが無くなってしまうからだ。強烈に商品を売り込んでくる国もある。中国だ。それまで海外の工場拠点とまで言われていたが、今では国内でまかなうために各国が動き出したためどうにかして食品や製品の輸出を行おうとしている。同様に外貨に頼っていた韓国もだ。韓国の場合は過去の出来事の非を認めろと日本に詰め寄っているが日本自体も余裕がないため対応していない。自国のことで精いっぱいなのだ。ナショナリズムを高めるために外的をつくるのはセオリーだが、外敵をいかに作ったとしても食糧を生産しないことには生きていけないからだ。それに戦争をするにしてもエネルギーが枯渇しかけている現状ではどこも最後の一手を踏みきれない。実際ここ数年で細菌兵器へのシフトが進んできているのも事実だ。これはバイオテクノロジーの研究を進めることで食糧難を脱するのが目的だったのだが、兵器としても利用されることになっているからだ。発明とはこうして発展していくものなのかもしれないと思った。過去の出来事をみてもだ。

ハンバーグに箸をつけながら、今まで気にしなかったが流通があるからこそ日本は今でも色んな食材を食べることができるのだと思った。

佐波が食べているものを見るとB定食だった。

B定食は私のハンバーグのかわりにメンチカツがあった。後は同じだ。

「これ明日も同じだったりして」

私は佐波にそう話した。さすがにそれはないと信じたかった。けれど無料で食べられているわけだから文句は言えない。

それに気がついたがまわりの空気がピリピリしている。

横にいる男性が言ってきた。

「これから研修の順位で配属先がきまるのに気楽なもんだな」

どこかから私と佐波を見て誰かだ言った。どうやら配属される場所で優劣があるらしい。佐波が言う。

「多分、七海は気にしてないと思ったけれど、今日も含む研修後のテストの総合点数で配属先がきまるんだよ」

そういえば、入社時に配布された資料にそれらしきことは書かれていた記憶がある。だが、別に配属の希望なんてない。仕事なんていやなこともあれば楽しいこともある。そう、バイトですねを蹴られるようなものだ。そして、たまにありがとうって言われるようなうれしい事だってある。もし、行きたい場所があるとすれば雪がいる街だろう。一目無事なのがわかるだけでもいいとも思ってしまう。だが、雪がどこにいるのかわからないのだからどうしようもない。

「まぁ、早めに部屋に戻って勉強するのがいいのかもな」


佐波はそう言って2階へ上がっていった。

1階には共同トイレと風呂と洗濯機スペースがあった。

私も食事を済ませて部屋に戻った。

パンフレットを眺めながらどういう職種があるのかを見ていた。その中でまず興味をもったのが仕事の紹介や斡旋だった。だが、この仕事は職業安定所と仕事がかぶるような気がした。

会社都合で職を失った人は3ヶ月だけ猶予が与えられる。だが、最後の1ヶ月だけはどうしてか職業安定所ではなくうちらが対応するらしい。

どちらも経験したことがないため何が違うのかわからなかった。実際職業安定所でしていることが特定公務員がするだけで何がかわるのだろう。かえってプレッシャーにしかならないのではと思ってしまう。後1か月したらあなたを国営農場に迎え入れますよというのだろうか。などと考えてしまった。


興味をもてなかったのは人頭税を未納の家庭に訪問して、該当者を連れ出す業務だ。これが一番やりたくないと思った。

東京なら知り合いの家に行くこともあるかも知れない。

菊野、吉井、宮崎。

大学で仲良かったあいつらは職がきまっているといいなと思った。

でも、勉強って何をするのだろう。私はとりあえず今日もらった資料を見てみたがあまり面白くなったのでベッドに転がった。

そういう日を何日か過ごしていると研修期間の2週間が過ぎた。

食事も同じものしかでなかったので、まるでループする毎日を繰り返しているみたいだった。

時が止まるのなら雪と幸せだった時がよかったのに。どこかでテンションがあがらない自分がわかった。

いつまでもふさぎ込んでいても仕方ない。だから心を殺してただただ、勉強をしていた。

研修最終日になって気がついたが、そういう黙々とした雰囲気が蔓延していた。

まるで何かの新興宗教みたいな雰囲気だ。

午後になり、配属の辞令が出た。

私の配属は東京だった。各都道府県に2名ずつの配属。都道府県の配属でない特別職という辞令が出ていた中に佐波の名前があった。

私ともう一人東京に配属になったのは江見だった。

「よろしく」

江見から声をかけられた。びっくりした。配属先ではジョブローテーションで全ての業務を経験するらしい。

5月のそう、GW明けからの勤務になるので私は一旦実家に帰ろうと思った。佐波が近寄ってきてこう話す。

「なんか俺は特別なんだって。成績だけじゃなく適正で配置もされたらしいから」

テストの成績だと1位は佐波だった。そして、2位は私。3位が江見という順になっていた。

江見は1位から陥落したことがいやだったのかと思ったがなんともいえない笑顔を私たちに向けていた。

「江見さん、これからよろしく」

私の言葉には江見は反応しなかった。江見が見ていたのは私たちではなく、その奥にあったランキング表だった。抜かされたことを今気がついたのかも知れない。


実家に帰る前にメールをした。ここ毎日ハンバーグかメンチカツしか食べていなかった。そのため何か違うものが食べたいとメールをした。

確かに肉が食べられるということには感謝をしていた。今食卓に一番並ぶのはジャガイモや魚類だ。その味が懐かしかった。なので普段の食事が一番いいと思った。

母親にとっては納得できなかったみたいだが、普段の食事を食べられるということが一番の幸せなのだと思ったからだ。


家に帰る途中に家近くで家庭教師をしているときの生徒だった碧子が立っていた。

碧子はいつも家できているようなふんわりしたワンピースの上にベージュのコートを羽織っていた。靴をみると硬そうなブーツだった。多分あえて碧子はこんなブーツを選んだんだろう。

「おそい」

私に近づいてきてすねを思いっきり蹴ってきた。どうやらすねを蹴ることが碧子なりのコミュニケーションの一つなんだろうって思っている。できれば痛くないのがいいのだけれどそういう思いは伝わらないらしい。私は「久しぶり」と話したら碧子がこう言ってきた。

「なんで家庭教師辞めたの?」

「いや、社会人になったからね」

最終日に挨拶をしたが碧子は部屋からでてこなかった。碧子の母親が苦笑いをしながらこう言って来た。

「正直、今まで色んな方に家庭教師のバイトをお願いしたのですけれど皆さん長続きしなかったんですよね。だから本当に中村さんが辞められるのは本当に辛いですね」

確かに個性的な子であったことは事実だ。だが、未だにわからない。なぜ今碧子が私の家近くにいて、どうしてずっとすねを蹴り続けているのか。碧子が言う。

「彼女とわかれたんでしょう。さみしいんじゃないの?」

碧子に彼女と別れたことは言っていない。けれど、あの日から私は抜け殻のようだったので言わなくても気がついた人は多いと思う。家庭教師のバイトは粛々とこなしていた。黙っていたらすねにコツン、コツンって蹴っていたのが回し蹴りのようになってすねの正面の骨のある部分ではなく外側のやわらかいところを蹴ってきた。蹴りながら碧子が言う。

「その、さみしいなら相手してあげてもいいわよ」

「なんだ、寂しくて相手をして欲しいんだね」

「はぁ、ちゃんと聞いてた?この私が、あんたがさみしくて死にそうだろうからわざわざ相手をしてあげようっていってるのよ」

碧子がいつもはコツン程度なのに、いきなり強く蹴ったためうずくまってしまった。甘噛み程度なら許せるけれどいきなり強く噛まれてびっくりするような感じになった。

うずくまりながら上を見上げると恍惚として表情を碧子がしていた。碧子の手が伸びてきて私の頭に触れる。殴るのかと思ったら優しくなでてきた。碧子が言う。

「辛い時は頭をなでてあげる。こうすれば頭もなでられるってわかったから」

それだけ言ったら碧子は歩き出した。

「ありがとう」

碧子に向かってそう言った。碧子は一瞬立ち止まったけれど、また歩き出した。

私は碧子が見えなくなるまで立ち尽くしていた。

1ヶ月ぶりに実家に入る。母親から碧子から家に何度も連絡があって、今日実家に帰ってくることを伝えたと言っていた。

どうやら母親は碧子が新しい彼女と勘違いをしたらしい。碧子はただストレスをぶつけても文句を言わない人が欲しいだけだ。

そのはけ口になんとなくなっただけなのだが、否定するのもどうかと思い何も言わなかった。

変わりに初任給がすでに出ていたので父親、母親にプレゼントを渡した。そう、実家に帰る前に買っておいたのだ。母には手袋、父にはマフラーを。寒くなった今の時代にはどれだけあってもこまらないものだ。


食卓には焼き魚とジャガイモとニンジン、しいたけの煮物が並んでいた。食事はやはりこういうのが落ち着くと思った。明日からは新しいところで仕事がはじまる。私は胸に開いた穴を見ないように目を閉じた。雪の顔が浮かんだが、涙はもう流れなくなっていた。

多分泣きすぎて涙の意味がわからなくなったんだと思った。



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