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研修

~研修~


季節はどんな時でも流れていく。それは私がどんな感情を持っていたとしてもだ。

あの時、雪のセリフの意味をもっと考えていれば、あの時学校に行かなければ未来は変わったのではと思うことは多かった。そう、あの時、あの時、あの時と。常に自問自答してしまう

その辛い時に声をかけてくれたのは佐波だった。救われたセリフはこれだった。

「今胸が苦しいと思う。つらいと思う。でも、それは七海がその彼女を忘れていないからだよ。どこを探してもいない彼女は七海のそこにいるんだ」

そういって佐波は私の胸を指差した。

それから私は胸の苦しみを感じるたびに雪が近くにいると思えるようになった。

それまで食事ものどを通らなかったけれど、雪を身近に感じられるようになってからは食事も取れるようになった。

クリスマスは久しぶりに一人で過ごした。

予約していた店はキャンセルをした。久しぶりに家族とすごくクリスマスは寂しくて泣きそうだった。

その涙の先にも雪がいた。

「そうだね、一人じゃないんだものね」

私は泣きながらそういった。


季節は変わっていく。

寒くても花が咲く桜を科学者がつくったのは人生の節目に桜があるのが日本だという強い信念からだと何かの本で読んだ。

だが、卒業式に桜が舞い散っている光景は目に焼きついた。

書類上雪は卒業していた。ただ、卒業式も雪は現れなかった。誰も雪がどうなったのかを知らない。空を見上げてみる。雪もこの空を見てくれているといいなと思った。いや、願ったのかもしれない。そして、もう一つ笑顔だといいなと願った。

「お~い、七海」

岸本だった。すでに髪は茶髪に戻っていた。右耳には相変わらずピアスが付いている。

在学中に就職先が確定したのはこの岸本と私だけだった。

菊野も吉井も宮崎もまだ就職先を探している。

卒業式なのにお通夜みたいな表情をしていた。いや、周りをみると暗い表情をしている人は半数ほどいた。

さすが就職率49%と思った。

ただ、辛い中なのに私が失恋から立ち直れずにいた時はみんなで元気付けるために卒業旅行に誘ってくれた。

岸本は相変わらず破天荒で卒業旅行から帰ってきた次の日に彼女が変わっていたのにはびっくりした。

「そんな引きずるくらいなら割り切ればいいんだよ」

岸本に言われたが私にはそこまで割り切れるようにはなれないと思った。

一体岸本は付き合うという事をどう認識しているのだろう。一度聞いたことがあった。返答はこうだった。

「うん?運命の人を探しているんだよ。付き合ってみないとわからないから付き合ってみる。そして違うと思ったら別れる。ただそれだけ」

どうやら運命の人を探し続けているらしい。そして、違った人のことは覚えていないそうだ。

過ごした思い出も記憶も違ったからぽいっと捨てるらしい。ただ、付き合った子の顔は覚えているという。

「だって、違うってわかっているヤツと2回もつきあうのは時間がもったいないだろう」

いつか刺されてしまえと心の中で叫んでみた。

卒業式が終わり、次の日からは新しい職場に向けての準備が必要だった。

まず、研修期間は宿舎に入るらしい。3月中から入居できるらしいので引越しの準備をはじめた。

広くないスペースのため荷物は極力減らすようにと通知が来ていた。

私は最低限の私服とスーツを持って宿舎にいった。カバンの中にはあの時雪に借りたままになっていた本が入っている。

「この本、面白いから。最後が気になるからって途中で最後を見ちゃだめだからね」

何度も念を雪が押していたのが懐かしい。でも、読んでみると確かにラストを先に呼んでしまったらこの衝撃は味わえない。

この本だけは持っていこうと思った。文庫本だからそこまで荷物にもならない。

実は他にも雪がくれたものは持っていった。

雪がくれた定期入れ、財布。いつか必要になるからといった名刺入れ。気がつくと肌身離さず身に着けるものは雪がくれたものばかりだった。

だがそれは雪も同じはず。私も同じものを雪にあげた。後はネックレスと指輪だ。ネックレスは雪が好きなブランドがあり、珍しく指定してきた。シルバーアクセサリーだがどこにも売っていないとのことだった。

専門店が日本に2社しかなくそのうち1社に確認したところすでに廃盤になって作られていないことがわかった。しかも世界中に在庫もないこともわかった。

残念がる雪に私はその店でオーダーメイドをお願いしたのだ。

こっそりメッセージも書いてもらった。あの時の雪の笑顔は忘れることができない。

私たちはお互いに身に着けるものをプレゼントしあっていた。今でも目に付くものは雪を思い出してくれる。

胸を締め付ける思いは私が雪を忘れていないからだ。コートに身を包み、桜並木を眺める。

花びらの舞い散る桜はやはりキレイだと思った。

この改良された桜は開花時期が長いのも特徴だ。

卒業する時も入学する時も桜が咲いている。出会いと別れに桜がつきものだ。

私は目の前にある「厚生労働省」の門を見た。入省式典に向かう中、門の近くで佐波と会った。相変わらず目立つ顔立ちだ。どうやら私を待っていてくれたらしい。

「おはよ、七海。一緒に頑張ろうな」

だが、良く見ると配置先が若干異なっている。この式典の後、研修までは同じことがわかった。いや、よく見ると配属場所の横には(仮)となっている。ということはまだわからないということなのかもしれない。

ただ、わかることは佐波のほうがより難関な方に合格していたということだ。

「よろしくな」

私は手を出した。手袋はしていない。未だに癖がなおらない。この手は雪のあの白い小さな手をあたためるためにいつも手袋をしてなかった。佐波は手袋をとって握手してくれた。


講堂に入り案内の通りパイプ椅子に座る。特殊公務員以外もいるのだろうか。講堂にはパイプ椅子は1000以上あった。だが、すぐにわかった。私がいる場所は講堂の端。そこに100名分が集められている。前の方に佐波がいるのが見えた。知った顔があるのは安心できる。

あの就職塾から特殊公務員を目指したのは何名かいたが結局合格したのは私と佐波の二人だけだった。

講堂に人がいっぱいになった。壇上に上がった人は厚生労働大臣の森大臣だ。テレビでみたことがある。

厚生労働省は今回の法改正で一番忙しくなった省庁だと思う。そして、取締りを行うのもこの省庁だ。担当する内容が幅広いためいっそ分割すればいいのにと思ってしまう。

合併したり分割したり簡単にはいかないのだろう。私はなんとなく森大臣の話しを聞き流していた。

人は変わっていくが壇上にあがって話をするのは変わらなかった。その中で新入社員代表として壇上に上がった女性だけは目に留まった。

その人は江見という名前だった。背は女性にしては高く160後半もしくは170センチくらい、髪は一つにまとめておでこを出している。鋭く細長い目はきりっと目の前にいる森大臣を見つめている。そこに笑顔はなかった。

静かなオーラをこの江見という人物から感じた。透き通る声で話し出す。内容は耳に入らなかったがその落ち着いたいでたちは誰よりも凛としていた。

その後、研修施設へと移動するためバスに乗った。バスは2台だった。どうやらバスで移動するのは特殊公務員の100名だけだった。係りの案内でバスに乗り込んでいく。座席はすでに決められていた。

前の方に佐波が座っているのがわかる。私が座る席の窓側には代表挨拶をした江見が座っていた。

「よろしく」

私の言葉は聞こえなかったのか江見は窓の外をずっと眺めていた。無表情というより人形のようになんの感情も感じられない表情だった。人形みたいだが感情があるだけ碧子の方が人らしいと思った。

私は道中会話をすることもなかったのでポケットに忍ばせていた本を読み出した。

この本を読むのは何回目だろうか。雪に返せなかった本。返すことはもうできない。読み返すことでまた雪を身近に感じられた。

ページをめくるたびにそこにあの白く細い雪の指が見えるような気がした。

私は読み終えて前を見た。目に映る景色でそこがどこかはわからなかったけれどすでに都心部ではなく郊外に出ていることだけはわかった。

縦に伸びる景色から横に伸びる景色を眺めながら私はこれから行く研修先で何をするのか、何が起こるのかを期待していた。



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