48時間(4)
(4)
上海。降りたってまず気が付いたことは空気のにおいが日本と違うことだ。何とも言えない匂いがある。
「バカなの?そんなかっこで」
碧子にそう言われた。碧子は目をゴーグルで覆っていて、マスクをつけている。よく見ると相模局長も田鴎外課長補佐、鵜狩課長補佐そして、SPまでも同じようにつけている。
「はい、私の予備を貸したげるから」
そう言って貸してもらったゴーグルとマスクをつける。空港についても見たこともない場所に連れて行かれ車で移動を開始した。碧子が言う。
「まだ、中国国内の世論が固まっていない。そんな中で日本人が外交交渉で来たと広まったら暴漢に襲われるかもしれないんだって。だから隠れるように移動なの」
「だからゴーグルとマスクをしていたんだ」
「はぁ?バカじゃないの。これは大気汚染の影響。中国に来るんだからちょっとは調べておきなさいよ」
碧子にグーで脇腹を殴られた。調べる時間なんてなかったと言いたかったが携帯でいくらでも調べることもできたのも事実だ。発言するとさらに責め立てられるから何も言わずに碧子のパンチを受け続けていた
宿泊するホテルは格式高いホテルだ。日本の資本が入っていない外資系ホテルでの宿泊になると聞いていたが、高級ホテルだったからびっくりした。最上階の部屋に通される。聞くとフロア全部を借り切っているとのことだ。これが税金で使われているのだからもう足わけないという思いもあったが、身の危険を考えると仕方ないことなのかもしれないと思った。
部屋は私と碧子は同じ部屋だ。「碧子様のたっての希望ということで」と田鴎外課長補佐がそう言ってくれた。スイートルームだから別にベッドは2つ以上あるから問題ないけれどずっと同じ場所にいると緊張してしまう。碧子が言う。
「何期待してんの。SPもいるんだからね」
そう言われた。確かに碧子と一緒の部屋だがSP2名も同じ部屋の中にいる。護衛されているのか監視されているのかわからない。さらに碧子が言う。
「もし、私に何かあったらあのSPがすぐにお父さんに報告するからね。わかっているわよね」
なんて言いながら碧子はくっついてくる。甘えているように見えるがくっつきながら脇腹をつねりげてくるのだからどうしたいのかわからない。つねられながら「夜はどうするの?」と聞いたら碧子がこう言ってきた。
「そうね、寝ないと体が持たないから寝るわ。でも、全員が一斉に寝るのは危険。まず七海とSP一人が起きている、次にSP二人、最後にSP一人と七海が起きて見張る。これでいきましょう」
碧子はずっと寝ていたいのね。それをきいてそう思った。SP二人は普通に頷いている。まぁ、彼らとしても眠れる時間があるのだから異論はないのだろう。そう思っているとノックがした。
「どうぞ」
そう言って中に入ってきたのは田鴎外課長補佐だ。田鴎外課長補佐が言う。
「報告まで。外交上ですが、概ね固まりました。まず犯行声明を出したテロ組織については中国内の司法で裁かれます。どのような判決になるのかは不明ですが、この事案についてはここまでです。次に中国人民解放軍の責任者は更迭、新人事が本日これから数時間の間に発表されます。こちらの人事についてはアメリカからも強い要請があってのことと聞いております。これで戦争は回避されました。ただし、『赤い翼』と中国との関係性については中国政府として正式に関係性はないと帰ってきました」
「ウソよ。関係ないなんてことないでしょう。証拠はないの?」
碧子が激高している。その時気が付いた。碧子は雪と私の関係を立ち入るために中国にまでやってきたのだ。田鴎外課長補佐が言う。
「確かに疑惑はありますが、確証はありません。それに平良作人にはたどり着けても実支配者である城間義一につながりません」
田鴎外課長補佐の説明を聞いてやはりと納得をした。城間義一の資料は自分で調べたけれどほとんど残っていなかった。
バン!
碧子が机をたたく。だが、叩いたところで何も世界は変わらない。碧子はわなわな震えながらこう言った。
「それで、交渉はうまく行ったの?」
田鴎外課長補佐は首を横に振りながらこう言ってきた。
「中国側も日本が混乱をしているのを把握しています。当初の予定とは違いどちらかと言うと痛み分けのような感じです。とりあえず輸出入の緩和とそれに伴う関税率については成立しましたがそれだけです」
碧子は目を閉じて天を仰いだ。納得が行っていないのはわかるが今回の一番は戦争回避だ。そしてアメリカからしたら「赤い翼」なんて多分どうでもいい問題だし、輸出入を一国だけ緩和をしすぎたらバランスが壊れてしまう。外交は日本だけの問題じゃない世界の均衡でもある。田鴎外課長補佐はこう言ったけれど、この内容を勝ち取るだけでも大変だったに違いない。だが、碧子は納得をしていない。だが、これ以上言うわけにもいかないので持っていき場のない怒りの消化方法を考えているように見えた。
ドカ。
予想通りだが私のすねが力いっぱい蹴られた。ま、仕方ないよね。でも、これで気分が落ち着くのならいいものだ。もし、すねをけらっるのをさけて碧子が父親に泣きついて、中国との交渉が決裂でもして戦争なんかになるなんて、ないとは思うけれどそんなことも考えてしまう。何度か蹴り続けてから碧子が「わかりました」と言った。田鴎外課長補佐が言う。
「明日はメディア向けの会談があります。メディアに映るのは我々だけですがどうされますか?このままホテルにいてもらっても構いません」
「いいえ、行きます。変わらないのはわかっていますが」
それで報告は終わった。田鴎外課長補佐が部屋を出てからも碧子は荒れていた。物を投げつけることはなかったが、殴る、蹴るを繰り返していた。しばらくして疲れたのか動きが止まったので軽く頭を撫でて「よく我慢したな」と言った。返事は「うっさい」だけだったが、落ち着いたのがよくわかる。
「もう寝る」
碧子がそう言って眠りだした。確かに寝るにはいい時間だ。私は横で起きていようとしたらSPの一人がそばに寄ってきて「あなたも寝てください」と言ってきた。聞くと、朝には別のSPが来るので今日2人は徹夜するのだと言っていた。2名体制だからといって2名しかいないわけじゃないよな。安心したからかベッドに入ると泥のように眠ってしまった。そう、この時眠らなければよかったと後から後悔をするのだった。
ゴツン、ゴツン。
何かで頭を殴られているような感じがする。なんだろうと思って目を開ける。感覚がおかしい。目を開けたにも関わらず目の前があまり明るくない。まだ夜なのだろうか。いや、ふかふかのベッドで寝ていたはずなのに固い床にいる。体を動かそうとしたが動かない。いや、縛られている。ごろりと動くと顔に何かが当たりそうになった。
「起きた」
碧子の声がする。声の方を見るために体を横に動かす、というか転がることしかできない。両手は胴体とともにくくられているみたいだ。足も膝あたりからくくられているため膝を曲げることもできない。今できることは転がるくらいだ。
「碧子、無事か?」
「ってか、寝るなって言っただろうに」
頭に当たっていたのは碧子の足の先みたいだ。とりあえず今の状況を考えてみる。寝ていたはずが気が付いたら碧子と二人で拉致されたようだ。しかも縛られている。どうしてここまで気が付かなかったのだろう。なんだかまだ頭の中が呆けている感じがする。碧子が言う。
「どこかで薬で眠らされたのかもしれないけれど、今が何時なのか、ここがどこなのか、相手が誰なのかもわからない」
わからないことだらけだ。ただ、わかっていることはまだ生かされているということだ。それともう一つ。多分移動をしているのだろう。私も碧子も定期的に体がゆらゆらと回転するからだ。
「動いているね」
「そんなのわかっているわ。これは船かも」
言われてこの揺れ方は船のようにも感じる。大声で叫ぶと言う選択肢も考えてみたが、騒ぐことで命の危険が出るかもしれない。だからさっきから碧子とも小声で話している。耳を澄ましてみてもほかの音はあまり聞こえない。いや、かすかにモーター音のようなものがする。
転がっていてわかったことがもう一つだけある。それは胸にあのペンがあることがわかった。碧子に言う、
「発信器付のペンがあるから大丈夫。誰かが助けに来てくれるよ」
「もしくは、場所がわかっても動きにくいところに連れて行かれるのかもしれないわよ」
そう言われて、そんなところなんてないだろうと言いそうになった。いや、一つだけある。○○島だ。あの場所は軍もなかなか立ち入れない区域だ。碧子はそう考えていたのだ。しばらくして、どこからかカツン、カツンという足音が聞こえてきたので私たちは黙った。
ギギッと音がなって扉が開閉された。開閉されたところから光が漏れている。一人が入ってきて明かりをつける。周りを見渡すと樽や木箱、麻袋があり倉庫のように見える。入ってきたのは男性だが、私たちが起きているのを一瞥するといったん外に出た。
「倉庫みたいだね」
「見たまんまのこと言わない」
碧子も不安なのだろう。いつもと違って声に覇気がない。しばらくするとさっきの男性のほかに4名人が入ってきた。最後に入ってきた男性の顔を見てびっくりした。そうこの男性の顔は忘れない。昨日雪と一緒にいた男性だ。この獰猛そうな目、少し彫りの深い顔、日に焼けた肌、忘れない。雪にばかり目が行きそうだったが、どうして一緒に行動をしているのかが不思議だったので覚えていたのだ。私がその男性を見ていたかわからないが男性がこう言ってきた。
「あんたか、中村七海ってのは」
びっくりした。誘拐は碧子を浚うのが目的で私はついでだと思っていたからだ。だが、この男性は碧子ではなく私を見ている。
「ああ、そうだ」
強がってみたがよく考えると立つこともできないくらい縛られている。後ろにいた男性が言う。
「こいつはどうやってこの首相の娘をたぶらかしたんだろうな。そんなにいい男か?」
そう言ってつま先で顎を持ち上げられた。
「何しているの、あなたたち。交渉に応じるわ。だから離しなさい。要求は何?」
碧子が叫んでいる。だが、どうしてこの状況でも強気なんだ。男性が言う。
「交渉はこれからだ。どうせ、どこかに盗聴器か発信器があるだろうからな。おい、探せ」
横にいた男性が何やら機械を取り出してまず碧子の周りにあてる。次に私の方に向けられる。機械音がなり、体を調べられる。
「これですね。このペンです」
そう言われてペンを取り出される。
「海に捨てておけ。ま、行く場所なんてもう相手はわかっているだろうけれどな」
言われなくても行く先はわかる。○○島だ。そういえば、佐波もこの島に行くと言っていた。そこにMINKAがいると言っていたからだ。もし、MINKAと同じ場所にとらえられるのなら佐波が助けてくれるかもしれない。
「ところで中村七海くん。君の意思を知りたい」
さっきから話している男性にこう言われた。どうして私なんだと思っていたが、この日によく焼けた男性を見据えた。どうしてこれだけ太陽の日差しが弱くなっているのにこれだけ日に焼けているのだと思った。そして、もう一つどことなく誰かに似ているようにも感じた。男性が言う。
「城間雪を選ぶということは、君は『赤い翼』に組するということでもある。中村七海くん、君の意思を知りたい」
一瞬脳天を何かで殴られた気になった。それともう一つあの手紙の内容をどうして知っているのだ。あの手紙は雪が出したものじゃなかったのか。
「あなたは雪の何なんですか?どうして私が雪を選ぶと」
「おいおい、出国時にサインを送ってくれたじゃないか。それに気が付かないか。これでも昔は似ていると言われたんだがな。俺は雪の兄だ。城間正利だ」
確かに目鼻立ちがはっきりしている雪に似ていなくはない。だが、雪の肌は真っ白だ、こんな褐色に日焼けするにはどれだけ太陽の下にいないといけないのだ。天候だって曇天の時が多いのに。
だが、兄と言われて納得できることも多い。やはりどことなく似ているからだ。けれど、納得ができない。私にとって雪の兄とは、あの日、あの時にあの電話さえなければ雪と一緒になれたのではないかと思えてしまうからだ。碧子が言う。
「サインって何?まさか『赤い翼』と接触してたの?」
「違う、『赤い翼』となんか接触していない。雪からの手紙だと思っていたんだ。雪に会わせてください。雪の真意が知りたい」
私は心からそう思った。この状況は雪が望んだものじゃないように感じる。雪が望んでいたのならあの時、そう宮崎が撃たれたあの日に見た雪の表情がすべてを物語っている。男性が、雪の兄の正利が言う。
「雪に会いたければ『赤い翼』に来い」
「七海、そんなテロ組織の言うことなんか聞かないで」
雪がここにいない以上、雪の真意がわからない。それに、この高速をされている状況下でどう言われても納得なんてできない。雪の兄、正利が言う。
「嬢ちゃん、『赤い翼』は別にテロ組織でもなんでもないぜ。日本政府公認の組織だからな」
「そんなわけないでしょう」
碧子が叫ぶ。確かにそうだ。赤い翼がどうして日本政府の公認を得ると言うのだ。だが、雪の兄、正利はこう言う。
「日本政府は国営農場を運営している。だが、食卓には魚介類が出るだろう。その魚は誰が獲ってきていると思う。確かに、今でも漁村はあるし、ある程度漁もしている。けれど、この天候不順の中で漁に出るものは数少ない。特に国境がわかりにくい場所まで漁に出るのは数も限られている。そこで俺たちの出番ってわけさ。中国にも日本にも獲ってきたものは提供している。危険手当の変わりに俺らには人頭税はないし、他の税金だって優遇されている。なんせ俺らが活動をやめたら食卓に魚が並ばなくなるからな」
奥から人がやってきた。ここにいる人たちと違ってきちんとした身なりだ。いや、この人を私は知っている。田鴎外課長補佐だ。どうしてここにいるんだ。田鴎外課長補佐が言う。
「とりあえず2名を連れてきましたが、こういう扱いにするなんて聞いていませんでしたよ、正利さん」
そう言われて正利がこう言う。
「いやね、こいつらはまだ知らないことが多すぎて。けれどまあ、前の竹中首相と違って今度の首相は話しがわかるらしいね。国営農場も人が足りないのかもしれないが、こっちだって人が足りない。そう言うとちゃんと人頭税未納税リストを出してきてくれたからな。おかげでこちらから動くのも楽というものだ」
一体何を信じていいのかわからなくなりそうだ。
「そんなのおかしいわ」
碧子が言う。確かにその通りだ。こんなこと多くの国民が知ったら黙ってなんていない。正利が言う。
「おかしい?何が?国としては国営農場がいっぱいになられると困る。だからネガティブ報道をしている。本来、国民は民間企業で働き、外貨を稼ぐことをしないといけない。内需だけで国は回らないのだよ。日本と言う国は資源を外国から輸入しなければならない。資源を輸入するから代わりに食料をあまり輸入できなくなる。だから食料自給率を上げるために国営農場を作った。けれど、天候不順が続き曇天か雪が吹雪く海に遠洋することはどの国も避けたがっていた。そりゃ、大型船は別だ。だが、大型船で漁業なんてしたら赤字になるだけだ。だからその部分を請け負ったんだ。だが、この請け負ったことが日本が行っているとすると輸出規制に引っ掛かる。輸出だって物量が決められているんだ。だからこそどの国も『赤い翼』を認めることはない。代わりに大型船でもない漁船で遠洋するすべを手に入れた俺たちはある意味一つの国と言ってもいいんだよ」
正利が言わんとしていることはわかる。けれど、これじゃ納税できない人は国営農場で働くか、赤い翼で働くしか残されていないじゃないか。もっと自由であるべきだ。仕事とはそういうものじゃないのか。だが、声を出したところで何も変わらない。正利が続ける。
「だから場所が分かったとしてもどの国も攻めてこないぜ。でも、このノウハウを一部の場所だけにとどめるのももったいない。俺の代でもっと赤い翼を大きくしてやる」
「そんな勝手なこと許されるはずなんてないわ」
碧子が言う。だが、正利の話しを聞きながらどの国も攻めてこないことはわかる。阿久根首相も認めたいわけじゃないだろうが、ここに碧子がいてはまともな交渉もできないのだろう。正利が言う。
「んで、中村七海くんの意思が聞きた。彼女はなんか叫んでいるけれど、君はそこまでバカじゃないだろう。どうしたいんだ。雪にあいたいんだろう」
しばらく考えていた。この交渉はフェアじゃない。阿久根首相だってフェアな交渉なら断ったはずだ。現に竹中前首相とは交渉がうまくいっていなかったのだろう。だからなのか。あのテロは。私は正利をまっすぐに見つめた。雪に似ているかもしれないが心は雪に似ていない。雪ならこんなことはしない。だが、ここで断ったらどうなるんだ。私は次に碧子を見た。泣きそうな顔をしている。
「碧子はどうなるんだ」
私はまずそう言った。人質としてすでに交渉材料に使ったのだ。後は無事に返すだけのはず。だが正利はこう言ってきた。
「気になる?そんなに?ま、日本政府は一枚岩じゃない。だから今の阿久根首相のうちに有利な契約だけ先に締結させてもらう。実際今回強権を発動させたみたいだから一部の幕僚からそっぽ向かれそうだしね。正直に言うと今回資料が手に入ったら人質としての価値はない。だから『赤い翼』に来たら一番にしてもらうことは忠誠を見せる意味も兼ねて彼女の指でも詰めてもらおうかな」
「そんなこと出来るわけないだろう!わかった。私は赤い翼には組しない」
気が付いたら叫んでいた。碧子がわなわなとふるえている。正利が言う。
「そうかい。ならもうしばらくそこにいな。どうも阿久根首相は疑い深くなかなか資料をよこしてこない。資料が手に入るまではまだ必要だからな。そのお嬢ちゃんの方はな」
そう言うなり正利は去って行った。田鴎外課長補佐が言う。
「残念です。国益を考えたら何が大切かなどわかるだろうに」
その言葉とともに部屋はまた真っ暗に包まれた。まるで今の心の中のように真っ暗だった。




